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鉄処女のリゾンデートル『冬眠除夜』  作者: 囃子原めがね
10/20

砕き混じりて三つ巴 2

 一時間前までは名無しだった盲目の鬼は、この二人に声を掛けたことを今更ながら猛烈に後悔していた。どこで間違えたのかと原因を探れば、そこしかない。

 これからは好奇心で動くのは控えよう、と虚呂は思った。

 思ってから、自分の失態に気付く。

 ……すっかり『虚呂』って名前が自分でも定着してしまっている!

 これは、いけない。このままでは流れに任せて苗字まで付けられてしまう。それさえも自分が認めてしまったならば……。その時こそ、僕の負けだ。

 虚呂は精神内で悶えてから、すぐ前にある顔の輪郭を認識した。

 顔の細かい部分は分からない。だが、この男はさっき何と言った?

「……ファーストキッスって。君、とうとう頭がイカれたのかい? それとも君こそホモセクシャルだったってことかな?」

 運転席の中で鋭利が身体をドアの方に寄せて、小声で言う。

「……へー。二人ともそういうことー? うん、そーかそーかー。ほー」

 誤解が物凄いスピードで生じているのを感じて冷や汗を掻いた。

「ま、待ってくれ。ゲイなのは彼だけだ。僕は、ノーマルに近い方だ!」

「って、おいおい。俺もゲイじゃねえ。俺だって嫌なんだぜ」

「へえ? 僕の聞き間違いじゃなければ、君は確かに、『俺のファーストキッス』と言ったと思うのだけど?」

「ああ、その通りだ。これが俺たちを手伝ってもらう報酬だ。俺の、価値も付けられないほど大事なもんだが、ええいもってけドロボー!」

 一拍の空白が生じ、虚呂は叫んだ。

「そんなもん要らない!」

 全力で拒否するが、なおも唇を突き出してくる雲水。

「そう釣れないことを言うな。ほっぺのファーストチューは他の女性にあげちまったが、十四年間守り続けてきた俺の初キッスだぞ? 超貴重だぞ?」

「いやいや。君の脳内世界では純金クラスかもしれないけど、僕に取っちゃ生ゴミクズ以下だからね。公害問題だからね?」

 な、何ぃ? と大袈裟に驚いて、雲水という少年は横を向く。

「こうなったら……! 鋭利! どうせファーストキスまだ残ってんだろ。この先も使う予定無いだろうし、こいつにあげちまえ!」

「甚振り殴り斬り殺して肥溜めに殺すぞぉー?」

 実行に移される前に、雲水は表情をキリリと引き締めた。

「さあ、真面目な話をしようか。交渉はどこまで行っていたかな?」

「こ、こいつ……! 生粋のド畜生だ!」

 いつもは静かな心臓が激動し、虚呂は久しぶりに戦慄を覚えた。

 むう、と何故か雲水は憮然な声を出して、口を尖らせた。

「男のキスも女のキスも要らないとは……。だったら次は誰の唇を捧げればいいんだよ。何なんだよお前は!」

「それはこっちのセリフだろ! 何だよ、君の中でキスってどんだけ価値があるものなんだい。怖いよ、その思想」

 というかそもそも、

「突飛なことを言って誤魔化さないでよ。君にとってキスがどれ程のものかは知らないけどね。人に渡すんなら、もっと普遍的なものを渡すのが常識だろ?」

「普遍的? 例えば金とか土地か?」

「そうだね。そうそう。そういう、分かり易く大事なものだよ」

へえ、と頷いて雲水の声が、鋭く切り込んできた。

「随分と、変なことを言うんだな虚呂」

 声に篭められた妙な力に、虚呂は圧倒された。

 雲水が呼吸した。だって、とまるで駄々を捏ねるように口にする。

「だって、普遍的な価値のあるものが欲しくないから、名前も仲間も持たずに一人で生きてきたんだろ? 誰にも呼ばれない名前と、誰にも見せることのない顔だから、名無しのまんま、意味もないのにサングラスで顔を隠して。大事なもんが欲しいだ? はっ、ナマ言ってんじゃねえよ。お前は何も欲しくないから、欲しいと思えないから、空っぽだなんて自虐しているんだろ。なあ『虚ろ』」

 言葉のナイフを喉に突き込まれ、虚呂は息を詰まらせた。

「……漫才の次は、占い師気取りかい? 楽しい君だね、よほどあっちの世界に送られたいみたいだ……!」

 緩みかけていた心のボルトを締め直し、自分は『焦失点』の門を展開した。

『門』は空間に作られるが、その姿形を見ることは誰であろうと不可能だ。次元同士の摩擦で周囲の気温が低下し、『そこに在る』ということだけを世界に伝える。

 異界の門が開き、凍てつく冷気が噴き出した。

 殺そうとまでは思わない。ただ、不貞を働いたこの男に、お灸を据えてやろうと思っただけだ。例えば、彼に今掛かっている慣性を『ずらし』、重圧を掛けてやろうとか。

 人の認識を『ずらす』異能。それが自分の第一段階。そこに最近使えるようになった、物理現象を『ずらす』能力が加わり、自分はさらに磐石になった。

 さらに、他者に依存する必要性を失った。

 雲水が指摘したことは、おおむね正答している。

 自分には何も無い。

 何も持とうと思わなかった。名前も知り合いも居場所も。幸か不幸か、研究員と運命が与えた異能は孤独に生きられる力を有していた。五年間、誰と関わりを持つこともなく、その必要を感じることもなく。ただどこにでもあり、どこにも留まらない風のように生きてきた。

 大事だと思えるものも、人らしい感情も自分の中には無かったから。

 この胸の中にあるのは、ただ虚ろだけ。

 要らないもの要らないものと捨てていったら、いつの間にか家の家具が全部無くなっていたという童話のように、ある日自分の中身が空っぽなことに気付いた。

 そして、それで良いと、思ってしまった。

 反省も教訓も得ることなく、何かが欲しいと心が働くこともなかった。

 己の絶望は孤独ではなく、ただ何が起きても、何を手に入れても、何を失っても、全部空気みたいにすり抜けて動かない、空虚な心だってこと。

 空っぽ。それこそが自分。

 虚呂は普段冷め切っている感情が、怒りで昂っているのを自覚した。

 雲水という男は、短いやり取りの中でこちらの中身を見透かした。

 理解されないことに苛立つのではなく、理解されたことに苛立つ。

 あは、と自嘲の笑みが浮かぶ。

「……どこまで僕は孤独が好きなのかね」

「俺は、独りが大っ嫌いだ」

 まっすぐで我武者羅で、空虚とか冷気とか消し去ってしまう、陽光みたいな声。

 ああ、苛立つ。こいつの一言一言が、こちらの神経を逆撫でする。

『焦失点』の門が最大に開かれる。異世界の法則が一時的に開通する。

 思考すれば、この無礼者の命を刈ることだって出来る。

 認識されることによって世界は成り立つ。これが真ならば、誰にも認識されないものは存在しないことになる。認識を『ずらし』てしまえば、そこには何もない。

『焦失点』が繋ぐ異世界の本質はそれだ。自分の本質はそれだ。

 音も光も力も、痛みも嫌悪も感情も、感じなければそこにない。

 臨めなければ、望めるわけがない。

 自分は雲水の心音の位置を耳で確かめると、そこに照準を向けた。

「はっきり言うよ。僕は君が大嫌いだ」

「ああそうかい。俺は、一緒に喜べたら楽しそうだと、思っていたんだけどな」

 笑いと怒りが混じったような声を耳にし、虚呂は頬を歪めた。

「そりゃ良かった」


          Fe


 シートベルトで身体を固定されたまま胴体を無理やり捻って、虚呂と対面していた雲水はバクバク激しく鳴っている自分の心臓の音を聞いた。

 後部席にいる虚呂が発する冷気に、肝が完全に萎縮している。

 ……やっべー! 迂闊に挑発しすぎたー! こりゃおいら迂闊!

 後ろから届く殺気は本物だ。心臓を鷲掴みにされているような恐怖。

 声が震えていないのが奇跡に近い。冷や汗はダラダラ流れているが、目の見えない虚呂には気付かれていない。隣の眼帯娘にはバッチリ目撃されている。

 ああ、俺はここで死ぬのだろうか。口喧嘩の延長で殺されるなんてダサ過ぎる。どうせなら、女性の盾になって死にたかった。拳銃の前に立ち塞がるとか良いね!

キリキリと死への緊張で胃が軋み始めた。

 そもそも自分は目撃証言を聞き出そうとしただけで、悪いことはしていない!

 精一杯気合を振り絞って、虚呂にガンを飛ばす。

「…………」

 冷たい無言が返された。というか気付かれていないのかも。

 沈黙で睨み合っていた二人の関心の外で、おい、と黒い女が声を差し込んだ。

「男同士で乳繰り合っているのもいいけどな、本来の目的忘れんなよ。そういうわけで見つかったぞ、奴らと子供たち」

「は? ど、どこだ!」

 車の速度を落とし、鋭利が窓の外を指差した。雲水は這うようにして鋭利の膝上に乗り上げて、外を覗く。

 陸橋の真下を通っている長い四車線の向こうに、それは停まっていた。

 一台のタンデムツインヘリコプター。前後にプロペラを持つタイプの機体だ。外装の一部が塗り潰されており、機種を読み取らせないようにしている。

「軍用ヘリ、買い取ったっていう企業の奴らか!」

 邪魔だよ、と右手でアイアンクローされ、雲水は押し退けられる。

 鋭利はこっちを見ながら、右横を親指で指して言った。

「オレが取引の存在を聞き付けたのは、元々こっちルートでな。国際戦争連合《UNW》。軍事市場を代表する幾つかの企業が手を組んで、設立された巨大組織。ヨーロッパじゃ、有名な団体さんらしいぜ? 取引の日時と場所の特定は出来ていたんだが、ガキたちの居場所が掴めなくてさー」

「それで瀬田組のトラックを張ってたってわけか。で、どう攻める?」

 大型ヘリの近くにはトラックが一台停車している。ヤクザやマフィアらしき姿は見られないが、『商品』の引き渡しはもう済んだのか、まだなのか。

 子供たちがすでにヘリに運び込まれているのなら、いつ離陸してもおかしくない。

 ここまで来て空に逃げられたら、と焦りが誘発される。

「……虚呂! 子供がどっちにいるか分かるか?」

「知っていても教えたくないけど、ね。ほら、プロペラが回り出したよ」

 エンジン音がして、前後のローターが回転し出す。そして、その風にまるで押されるように脇のトラックが発進し、走り去っていく。

 回転翼は速度を増し、機体に浮力を与え、浮き上がった。

「鋭利! 早く、あそこまで車を……!」

「間に合いやしないよ。車じゃね。二人とも降りろ。力、貸してもらうぜ」

 いつの間にか鋭利はドアを開けて、車を下りていた。

「何か、するつもりなのか」

 雲水も落ちるように助手席から出て、道路に立つ。下半身の麻痺は年々悪化していっているが、壁に寄っかかって立つだけならまだ出来る。

 今やヘリコプターは高く飛び立ち、真下に行っても届かない。

 軍用ヘリが機首をこちらに向けて移動を開始する。橋の上を通る軌道だ。

「奴らこっちに、来る、……ぞ……って!」

 底面が開いて、一対の機関砲が覗き、こちらに狙いを定めた。

 焦る雲水に対し、鋭利は涼しい顔をしている。

 彼女は乗ってきたワゴンから離れ、自分の姿を見せびらかすように、身を隠す場所がない道のど真ん中に堂々と立ち、不敵な笑みを浮かべる。

「そうだ……こっちだ。貴様らの支部を壊滅させた敵はここにいるぞ。さあ、そんな距離じゃ外れるんじゃないか……? そう、良いぞ。確実に仕留めるために、もっとこっちに来い。オレに近づいて来い」

「支部を壊滅させたって、お前、何しているかと思ったら、何してんだ!」

 二つの無骨な砲口は鋭利を差して外れない。仲間の恨みを晴らそうという相手の気迫が伝わってきそうだ。敵もまた、鋭利を待ち伏せしていたのだ。

 ヘリが近づくにつれ、叩き付ける風が強くなり、車体がガタガタと揺れ、雲水は必死に車に張り付いて、鋭利に聞いた。

「相手は空中だぞ、か、勝てるのか」

 戦闘ヘリが約二〇メートルの距離を保って、ホバリングする。

 破壊するための重火器が鬼の子に向けられる。

「戦争の素人が喚くな。雲水、糸でオレをヘリに投げつけろ」

「は、はあ? で、出来るわけねえだろ! お前みたいに重いのを、あのヘリまでって、俺の〈金糸〉じゃ、そもそも持ち上がるかどうか……」

 吹き荒れる暴風の中でも鋭利は凛と立ち、視線で敵を差す。そして言う。

「だったらここで無駄死にするだけだ。三人まとめてな。おっと、虚呂は上手い具合に逃げるから死なないかー?」

「当然だね。心中したいならその男と御勝手に」

「だ、そうで。あとはテメエの覚悟次第だ。迷っている暇はないぜ、欧米人の気の短さは古ダヌキばかりの日本人とは大違いだ」

「だから、届かなかったらどうすんだよ。俺の力じゃ届かねえんだ……」

 雲水の戸惑いを、日本刀のような女は一言で断じた。

「知るか」

 簡素で乱暴な否定に打たれ、雲水は立ち竦む。

「いちいちうっせえよ、偽善者が。何を考えてようが何もしねえで何も成さなきゃ、テメエは一生偽善者のままだ。さあ選べよ。ここで諦め、ガキたちと一緒に家畜みてえに殺されるか、ここで血反吐を吐いてでも生き残り、全員助けるか。選べよ! 命を!」

 雲水は、不断を心に刻んだ鬼は俯いていた顔を上げ、咆えた。

「……んなもん、最初っから答えは出てんじゃねえか、ちくしょおおおぉ!」

 地震に怯えた鳥のように、雲水の背中から金色の鱗粉が舞い上がった。

 雲水がいつも使う糸の形状ではない、何かの形になる前の『傀儡糸』だ。

 霧のような鱗粉は空中で合致し一枚の長大な布になり、鋭利に伸びた。金色に輝く『傀儡糸』の『腕』はシュルリと鋭利を包み、持ち上げると、

「偉そうに言いやがってっ、行ってきやがれえええぇぇー!」

 およそ百五〇kgはある鋭利を、ホバリング中のヘリに目掛けて、投げ付けた。

 漆黒の矢が飛んでいき、同時に機関砲の掃射が轟く。


          Fe


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