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錆びた竪琴

作者: 三森 明彦

まだまだ未熟者の駄文ですが、一読して頂ければ幸いに思います。


 バーの店内は仄暗かった。

 店内には俺以外誰もいない。

 マスターが目線だけで俺を捉える。

 俺は促されるまま、カウンターの奥に一人腰かける。

 そうして俺は思考の渦の中に俺を沈めていった。

 深く、より深くへと。




 久々に会ったあいつはもう俺の手の届かない、まったく違う世界に住む住人のようになっていた。

 いやそう思うようになってしまったというのが正しいのかもしれない。

 どこで俺とあいつの差が生まれたというのか。

 俺がまだ細胞のヒトカケラだった頃の遺伝的刷り込みから差が生まれていたと言われても、今の俺なら信じてしまうかもしれない。

 ウイスキーを一気に喉の奥へと流し込む。

 ワンショット2000円以上するはずの約束された美酒は、今の俺にはなんとも味気ない水道の硬水にも劣るほどであった。

 同窓会を素直に喜ぶことができる連中は少なくとも半数だろう。

 人との再会に素直に喜ぶことができるのは、自分自身の生活に満足しているやつらだけだ。

 それかよっぽど何も考えない、頭の中が空っぽな連中か。

 少なくとも大半の連中は自分の立ち位置を理解し、それを踏まえた上で他者を見る。

 自分が下か上かなどと関係ない。

 自分が世界の基準なのだ。

 この基準を上回るものを羨望と嫉妬の目で見つめ、下回るものは吐いて捨てたタン以下の存在に見る。

 これが社会のルールであり、縮図だ。

 俺はこれを明確に意識していた。

 自分の基準を押し上げるための努力は厭わなかった。




 店内の照明が俺の無駄に高かった腕時計を照らす。

 店内の照明は良い、調節された人を不快にさせない眩しさ。

 俺は日光が嫌いだった。

 いつもいつも、無遠慮にその眩しさを押しつける。

 それに比べれば照明というのはなんと身の程を弁えているだろうか。

 照明の光を映す腕時計をなでる。

 別にこんなものは俺の趣味ではない。

 だがこれをつけることで他者の俺のことを見る目が変わる。

 衣服、装飾品は自分を外に表す明確なサインだ。

 しかしこれのせいか俺の性格のせいか、時に俺のことを非情であり守銭奴と揶揄する輩がいる。

 俺はそれを何も気にしては来なかった。

 所詮は何も生み出せない者どもの戯言。

 奴らは自分に確固たる自信がないため、自らがマジョリティであるために同じようなクズと丸まって強者に牙を剥くのだ。

 なんとも情けない。

 かのスイミーは仲間と集まって、強者を追い払ったというが、それはあくまで強者が愚かであっただけのこと、正しい眼で物事を見つめればそのハリボテに気づけたものを。



 

 今日の同窓会、俺は楽しみにしていた部分が少なからずあった。

 自分が周囲のやつらに劣っているなどと思うことはなかったし、自分の未熟な学生時代を過ごしてきたものたちとの再会は、どんな形であれ自身の成長、もしくは過去との決別につながるだろうと信じていたからである。

 ウイスキーを再度注文する。

 俺は丸い氷をぐるぐると回し、ウイスキーを再度冷やした。

 コハク色の液体に映る俺の顔はなんとも情けない顔をしていた。



 少しばかり楽しみにしていた同窓会であったが、着いたと同時にはっきりと落胆の情を俺は浮かばせた。

 どいつもこいつも恥知らずなマジョリティばかりだ。

 お互いの傷を舐めあい、その傷は誰しも負って当たり前のものと鼓舞し合う。

 反吐が出る光景だ。

 女共は俺を見るやいなやその目を変え、香水の不快な臭いとともに無遠慮に腕を絡めてくる。

 早々に切り上げて帰ろうと思った時あいつから俺に声がかかった。

 それは数年間待ち続けた時間が訪れたことを意味していた。

 唇が震える。

 口の動きと脳からのシグナルが一致しないぐらい俺の胸は激しく脈打っていた。


「久しぶり、随分と立派になったじゃないか」


 あいつは俺にそう言った。

 俺はその言葉を待っていた。

 傍に座る気色悪い女どもを押しのけ、俺は彼に意気揚々と自分がいかに努力してきたかを語った。

 その時の俺は恐怖心すら覚える高揚感に襲われていた。

 この時がもっとも俺にとっての最高の時とも言えるぐらいだった。

 彼はうんうんと話を聞いていた。

 そしたらやつはこんなことを言いやがった。


「流石だな、やっぱりお前は凄い奴だよ」


 ふざけるな。

 俺はそんな言葉が聞きたいのではない。

 俺が聞きたかったのは賛美の言葉でもなんでもなくただ、彼の俺を羨み嫉妬の念の籠った卑屈な返事なのだ。

 こいつは昔からそうだった。

 どんなことがあっても周囲のやつの努力を認めていた。

 そしてその言葉には卑屈な念は込められていなかった。

 それがたまらなく俺は悔しかった。

 なぜ、こいつは他者を純粋に認めることができる?

 なぜ?なぜ?なぜ?

 純粋な賞賛などこの世には存在しない。

 俺の物を隠していたやつや、俺に暴力を奮っていたやつ、俺を無視していたやつ、そいつらはみんな自身の拠り所を俺に対して優位に立つことに求めたのだ。

 なんてかわいそうなやつら。

 なんて気の毒なやつら。

 でもそいつらの気持ちが俺には分かる。

 自分が高みに昇れないこそ、草の根を掻きわけて見下せる相手を探すまるでハイエナのようなやつら。

 俺はそいつらに心まで屈したつもりはなかった。

 ただじっとタイミングを待っていた。

 ただそいつらへの反骨心を胸に、より自身が高見へと昇るために臥薪嘗胆し続けたのだ。

 それを邪魔したのはあいつだ。

 あいつ持ち前の正義感を振りかざし、あいつはかわいそうなやつらを言及した。

 そんなことは望んではいない。

 やめろ。

 俺の混じりけの無い、純粋な向上心にあいつは一滴の泥を垂らしたのだ。

 

「もう大丈夫だよ、ごめんな」


 あいつの言ったことは一言一句を覚えている。

 所詮あいつも俺を弱者にして救ったつもりになることで、自身に酔いしれようとしているのだと俺は思っていた。

 しかし、あいつは俺に対してごめんと言ったのだ。

 俺は人の感情に動きに敏感であったから分かった。

 それは混じりけのない謝罪心からの発言だった。

 理解不能。

 俺は彼に尋ねた、なぜ謝るのか、と。


「もっと早くに止めてあげるべきだったから」


 彼はそう言った。

 足元がぐらつく気分だった。

 そんなこと頼んでもいないし、彼の義務でもない。

 そこで悟ってしまった。

 こいつはまるで呼吸するかのごとく、俺に対して自分が正しいと思うことをしたのだ。

 そいつは混じり気のない純粋な気持ちをもって行動を起こせるものだと。

 しかし、これを認めるわけにはいかなかった。

 これを認めてしまえば俺はもうこの場に立っていられなくなる気がした。

 人の気持ちを信じてしまう、人に甘えてしまう。

 それは自分が弱くなることを意味する。

 だからこそ俺は彼の醜い部分を引き出そうと決めた。

 それだけを信条に、がむしゃらにこの数年過ごしてきた。

 そして手に入れた。 

 誰もが羨む、地位に金に名誉。

 俺と知り合いというだけで、自慢になる。

 それぐらいの男に……なったつもりだ。

 しかし、それでもあいつは俺に対して負の感情を見せることはなかった。




 心の外殻がぺりぺりと剥がれていく音が頭の中に響く。

 これ以上なにを努力すれば良いのか。

 俺は怖かった。

 信じていたものが、望んでいなかった結果に自身までもが引きずられていくのが。

 ウイスキーを再度喉に流し込む。

 酒の酔いですらも俺の心の琴線を激しく掻きならす。

 じゃかじゃか、じゃかじゃかと。

 なんて汚い音色だ、俺は苦笑する。

 じゃかじゃか、じゃかじゃか。

 まるで錆びているかのような汚い音色は次第にその本来の美しさを取り戻していくかのように感じた。

 心の外殻がばりばりと音を立てて剥がれるようになった。

 もはや俺はそれをどうしようとも思わなかった。

 ただ茫然となりゆきに任せようと瞳を閉じでいた。

 心の琴線はいつしか綺麗な音色を奏でていた。

 その音色が俺の心の違う部分を刺激し、そこが共鳴し、さらに俺の中を広がっていった。

 不意に俺は、まなじりに水滴が溜まっていることに気づいた。

 しかし、それをぬぐいはしなかった。

 次第にその水滴は大きくなってきた。

 そして時が来た。

 水滴が一筋、頬を伝わり、顎先からぽつりとテーブルに落ちた。

 そこからはもう止まらなかった。

 心の汚れを洗い流すかのように、心の膿を吐きだすかのように。

 俺の涙と嗚咽は、ただひたすらに留まることはなかった。




 いつの間にか俺は眠ってしまっていたようだ。

 時計をちらりと見ると、時刻は6時30分を指していた。

 きっと店外は日が昇っているだろう。

 俺はマスターに迷惑をかけたと余分に料金を支払い、店を後にした。

 まぶしい朝日の直射日光が俺の瞳を貫く。

 今の俺には少し、ほんの少しだけ辛い眩しさではあるが、もう目を背ける必要もないだろう。

 風が俺の頬をなでる。

 なんと心地よいことだろう。

 俺は無性に歩きたい気分となった。

 俺は一歩を踏み出した。

 家までは遠い、少なくとも2時間以上はかかるだろう。

 それでも俺は歩こう、そう歩こうと思えたのであった。




 

 

 

 


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