子泉という男
子泉が陽花と宮殿から出て行った時のことだった。
厠から帰ってきた雄士は、子泉の姿がないことに驚きを隠せずにいた。
(子泉、一体どこに?)
雄士は辺りを見渡す。しかし、子泉の姿は見つからなかった。
「雄士殿」
寛済の声が聞こえた。雄士は思わず振り返った。
「寛済殿、子泉を見ませんでしたか?」
「雄士殿、ごめんなさい」
「ご、ごめんなさいって何です?」
いきなりの謝罪に動揺する雄士。
寛済に罪などないはずだ、なぜなのだろう
「子泉殿にはあるお願いをしたのです」
「お願い?」
「妹と遊んでもらっています。そして私も雄士殿に話があるので交渉したのです」
「……」
「だから雄士殿、子泉殿と陽花を許してください」
「そういうことなら」
雄士は一瞬納得いかないようなそぶりを見せる。だが、すぐに表情を変えた。
「寛済殿。その、お話というのは」
「ここではできませぬ、私の部屋へ案内いたしましょう」
寛済に連れられて、雄士は部屋の方へと向かっていった。
案内された部屋はとても静かな場所だった。
「ここなら盗み聞きされる心配もないでしょう」
寛済が案内した部屋は、書斎のような場所だった。
周辺を書物が覆ってしまっていて、壁がほとんど見えない。
雄士は何か悪い事でもしたのだろうかと考えてみたが、よく分からないままだった。
「雄士殿、あなたと子泉殿について聞かせていただきたい」
「へぇっ? は、はい」
突然の申し出に驚く雄士。思わず変な声まで出してしまった。
「あまり大声を出さないでください」
「ごめんなさい。ところで、私はどういった話を知ればいいのですか?」
「西原には雄士殿と子泉殿、二つの龍族の姓が存在していました。その経緯を教えていただけませんか?」
「少し長くなるかもしれません……」
「雄士殿が長話をするのですか。それはぜひ聞いてみたいです」
寛済が目を輝かせて話を催促するとは思わなかったので、雄士は話を切り出しづらそうであった。
「そう、あれは……」
雄士がまだ五歳くらいの時のことだった。
父と二人で馬に乗って草原を進んでいた。周りは国の大人たちが馬を走らせる。
普段は気さくなあの人も、黙々と馬や牛の世話をするあの人も、皆甲冑を身に着けていた。
このときの雄士には目的こそ分からなかったが、ただならぬ気配だけはひしひしと感じていた。
雄士は途端に怖くなって、父に必死にしがみついた。
「雄士、お前も龍族の男だ。怖いかもしれんがこらえてくれ」
雄士の父が諭した。低く、穏やかな声だった。
西原の軍勢が進むその先には、小さな拠点らしき建物が見えてきた。
はたから見ると民家とさほど変わらない。軍の拠点としてはあまりにもお粗末なものであった。
「みんな、攻撃は私の指示が出てからだ。これだけは必ず守ってくれ」
雄士の父が淡々と指令を言葉にした。
そして、西原軍は拠点の目の前までやってきた。辺りは静まり返っている。
「約束通り来たぞ。そちらも姿を見せていただきたい!」
拠点の戸から一人の男が姿を現した。どことなく気品が漂っている。そして、穏やかさの中に芯の強さを感じさせる。
「私は西原の飛龍昂星である。そなたは」
「沙処の大龍明烈と申す。よくぞここまで」
明烈という男がやけに落ち着いた態度で迎えた。
しかも丸腰である。戦う意思がないことを示していた。
これを確認した昂星が、兵士たちに武器を下ろす指示を出した。
明烈が昂星のそばまで歩み寄ってきた。
「あなたを龍族の男と見込んで、話があります」
「どうぞ話してください」
「沙処の国をあなたにお渡しします。治めてください」
「!?」
昂星が疑うような目で明列を見た。裏に何かあるのではないだろうか。
そんな昂星の思いを知らぬ明烈の話がさらに続く。
「情けないことに、我が国は貧窮しています。民を満足に食べさせることができないくらいに」
「なんてことだ……」
「こんな場所を軍事拠点としているのです。察しはついていたのでは?」
昂星の口がしばらく固まってしまった。こちらをだまし討ちにするのではと考えていたばかりに、受けた衝撃は大きい。
「お願いします。我が国の民を救ってください。民のためなら、国も私の命も差し上げましょう」
「落ち着きたまえ」
「……」
「我々も決して豊かではない。辛いのは貴国だけではないだろう」
昂星の言葉で正気に戻った明烈。
そして、申し訳なさそうな顔で黙ってしまった。
「一度貴国を見てみたい。話はそれからだ」
「昂星殿……」
昂星がきっぱりと言い放って、この日の対談は幕を閉じた。
明烈の後ろに少年の姿が見える。
銀色の髪をした少年が外を恐る恐る見つめていた。雄士と同じくらいの年だろう。
この少年こそが大龍子泉その人であった。
雄士が昂星から聞いた話になるが、沙処の民は貧しいながらもひたむきに、そして悲観も悲嘆もなく生きていたという。民の一人一人がまさに聖人だったそうだ。
これにはすっかり昂星も感動し、明烈の話を呑むことにした。そして、沙処の民に食糧の支援をすることも決まった。沙処の民たちもまた、昂星の行いに感謝の気持ちでいっぱいであった。そして、新たな君主昂星に心からの忠誠を誓うのであった。
「あなたを男と見込んで正解だった」
明烈も昂星の行動に感動し、家臣として仕えるようになっていた。
こうして西原には大龍一族と飛龍一族、二つの龍族が同じ国にいるという異例の状況となった。
そして、このときから雄士と子泉の二人の関係が始まるのであった。
今でこそ穏やかで笑顔を絶やすことがほとんどない子泉だが、雄士と出会って間もないころは今とはまるで違っていた。
雄士に対して好戦的で、喧嘩も日常茶飯事のようにやっていた。
しかもこの喧嘩はほとんど子泉が勝ち続け、雄士はよく泣かされていた。
いくら子どものすることとはいえ、子泉の負かし方はあんまりだと考える者は少なくなかった。
それに、皇子である雄士に対する無礼であったため、批判はさらに強まった。
これはいかんと考えた昂星と明烈の二者が、自身の子に忠告をした。
雄士には「君主は感情を極力表に出さないこと、そして自身の臣下が優秀であるのを素直に喜ぶこと」を昂星が教えた。
子泉には「将来必ず協力し合う仲になるのだから、相手を負かすことよりも相手と一緒に能力を高めあうこと」を明烈が教えた。
その結果が次第にあらわれ始め、雄士は子泉に負けても悔し泣きをしなくなった。それどころか、子泉の良いところを見つけて教えを乞うようになった。子泉もこれにはどうすればいいか分からない状態だったが、雄士の申し出を承諾した。
これは剣技、勉学などほかの分野においても同じくしていた。もちろん、子泉が雄士を一歩上回っていることも。
こうして二人は、次第に仲を深めていった。もはや皇子と家臣の隔たりを越えたものになりつつあった。
時を重ね、いつしか二人は、共に轡を並べて野山を駆け回るほどの中になっていた。
「子泉」
「雄士、どうしたのです?」
「俺が国を動かす身となったその時は、俺を助けてくれ」
「もちろんですよ」
二人は遠い空を見上げながら、未来へ思いを馳せた。
未来は二人の想像を絶する苦しい状況となってしまった。しかし、二人の思いはそれでもなお変わることはなかった。
―故郷のために―、その思いが今もなお雄士と子泉の胸の中にある。
大志を抱く一方で、彼らの生活は民とそうかけ離れたものではなかった。
むしろ、民に寄り添うような生活だったといえる。
農作業で人手が足りないときは彼らの手伝いをし、家畜の世話だって手伝った。
雄士と子泉が手伝いを嫌がることは決してなかった。
むしろ好きだったのだろう。手伝いを進んでやった。
作物や家畜が育つのを見るのが楽しみだった。一緒に仕事をした人たちの笑顔を見るのが楽しみだった。
そして国への思いが、いや、思いを超えた何かが心の中に芽生えていった。
愛国の志と言えばいいのだろうか。それは当人たちにもよく分かっていなかった。
言葉には言い表せない、強く優しいその感情を月日と共に育んでいる。今もなお……。
「雄士殿、素敵な話をありがとうございます。聞いてよかった」
「いえいえ」
「やはり、子泉殿はただ者ではないですね」
「子泉がいてくれたからこそ今の私があります」
「その子泉殿も、雄士殿がいたからこそ今があるのではないですか?」
「そうでしょうか?」
「きっと、いえ間違いなくそうですよ」
雄士と寛済の話はもうしばらく続きそうだ。




