逝く。
私は、歩いていた。
白と黒の中で涙を流す彼らに、
私の言葉を正確に受け取ってくれよう者を捜し求めて。
足がないわけでも、
半透明なわけでもない。
私は、上を目指すものたちの流れに逆らって、ただ探し続けた。
私の言葉を、確実に彼らに、伝えてくれる人を。
伝えたら、もう後悔はしない。
伝えたら、まっすぐ上を目指す。
振り返りはしない。
上に昇ることを忘れてしまったらどうなるのか、分からない。
上に昇らねばならぬのだと、本能が囁いていた。
何かに憑いてしまう前に
本能が感情に勝ちうる間に。
・・・事態は急を要する。
娘は、眠っていなければ私を感じえない。
今は昼。
彼女が白と黒の中を抜け出して、床についてからでは遅いのだ。
私は歩き続けた。
そして、見つけた。
私を感じる事の出来る人間を。
彼女なら伝えてくれるに違いない、などという確信はない。
私が伝えたい彼女らに、きっと伝えてくれる。
信じるしかない・・
遺してきた彼女らが心から信用する、彼女なら―――
私は喪服を脱ぎながらほっと息をついている彼女のもとへよって、
「ありがとう」と囁いた。
彼女はハッとしたように私のほうを見つめたが、私はすぐさま踵を返した。
昇らなければ。
私は、今度は逆らうことなく、
皆の流れに乗って、まだ見ぬ上を目指して歩き始めた。
振り返って後悔する事は、もうないのだと言い聞かせて。
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娘は、箱を抱えていた。
父親は、その箱の中にいた。
妹は、むせび泣き
叔母たちは涙も枯れ果ててしまったかのようにただ黙り込む。
まるで、世界が止まってしまったかのように
総てが終わりを迎えてしまったかのように
娘の頬には涙の跡さえない。
娘は、妹の頭に手を置いたまま、父の言葉を考えていた。
「生きていてくれればいい。」
成績が悪くとも、と、彼は通信簿を見ながら笑った。
父と別々に住んでいた娘は、父が逝く2週間前、
久しぶりに一緒に丸1日過ごした。
彼が逝く2日前、
パンを山ほど貰った。
そうして別れを何度も告げた。
娘は、考えていた。
娘は、はそのたびに永遠の別れを覚悟していた。
5年前に、逝きかけた父だ。
5年前に、一度は覚悟した別れだ。
入院していたわけではない。
ただ、感じていた。
うっすらと、考えていた。
彼は、長くない。
永遠は、ない。
そして案の定、彼は、あまりに早く逝ってしまった。
娘は箱を強く抱きしめ、
窓の外で、雲が移り変わるのを眺めた。
*
娘は、コタツにもぐりこみ、
そうして何も考えることなく床についた。
眠れないままに呆けていると、ふいに涙がこぼれてきた。
涙は止まらず、
いつしか母に抱かれていた。
母は、囁いた。
父が、式場に唯一いた霊感の持ち主に言った言葉を。
娘は泣きながら、窓から星を眺めた。
星を覆い、
月を覆い、
そして流れる雲に、
娘は呟いた。
彼が言ったその言葉とまったく同じ言葉を。
「・・・ありがとう」
流れゆく雲に、
星たちに、
呟くように。
娘は、寝静まった母を眺めながら思った。
自分たちがどれほど嘆いても、
世界は止まったりはしないらしい。
娘は彼を失ってはじめて、
父親を愛おしいと想った。