7. 食事で
「幽霊キャラバンを捕まえるにはまず、象の道を探すこと。象の幅に草木のトンネルが出来てるからね、人の道と交差してればすぐ分かる」
旅の案内人、フェリクスの声は飼い猫のあくびみたいに気楽そのもの。
「象の道は一本道にあらず、網目状と聞くそよ。象隊商を追うのは、迷路に踏み込むのと同義そよ」
一行の先頭を任されたビンの口調は硬い。棒の斧側で邪魔な枝を払っていく乱暴な手つきもイラついている。
森は来るものを拒むように絡み合って生い茂る。濃い緑の葉が何重にも傘を作り、足元には背の高い草がぎっちり詰まる。
四方から迫る植物に埋もれそうな道は細く、命と生活の糧を天秤にかける行商人か、猟師くらいしか踏み込まないというのも当然だろう。その道を先頭ビン、ルキア嬢、エン嬢と続いて最後尾フェリクスで進む。
森に入る前に、ビンはゴネてまたしても旅程を遅らせてくれた。アダマス人は島の森の危険を知らないだの、妹は山道や野営の経験がないだの。フェリクスの、減点するよの一言で黙らされていた。不甲斐ない。
「そりゃ不安だよね、考えもなく突き進んだら猛獣つきの迷路だよ。さーて、ここに取り出したるはボル・ヤバルの地図、最新版を某空軍大佐が密かに流してくれましたー!」
フェリクスの背嚢には何でも入っているんじゃないだろうか。隙あらば潜入して探検せねば。オモチャありませんかオモチャ。
何でもありそうな背嚢から出てきた円筒には丸めた紙が収められていた。広げて現れた絵は、巨大ワタリガラスの背から見たボル・ヤバルに酷似していた。さらにさまざまな図形が加えられているが、猫は人間の文字まで勉強してやる気はないもので読めない。
紙を見たビンが薄い唇を噛んでくやしそうだ。
「なんと詳細そ・・・・・・さすがはアダマスの白魔と恐れられる参謀そよ。象の道まで把握されては、我が故国も裸同然そよ・・・・・・」
「あー、やっぱ奏国人は国の復活を夢見てんだ? 黙っとけって、ラウーに知られたらそのイガイガ金属球で自分を撲殺したい気分にさせられるよ? ちなみに、この地図に象の道は載ってない」
「我を愚弄するそっ?」
ちゃっ、と噂の金属球が殺気と共に繰り出されたが、フェリクスはひょいとよけた。
ひ、ひげに風が来ました、球が空を切った風がフシャーッ。
「けどね、幽霊キャラバンって呼ばれてても実際は足があるんだからな」
足、のところでフェリクスのブーツがトントンと地面をノックした。
「つかまえるさ。点を押さえればルートは浮かび上がる」
吸血生物の潜む広大な迷路から隊商を探し出す。フェリクスはそんな無茶を楽しんでさえいるようだ。
「さて問題でーす。この時期に実を付ける木は?」
楽しげな問いの答えはしばらくなかった。
ルキア嬢は初上陸したボル・ヤバルの植生には詳しくないようで、ここが出身地であるビンとエン嬢が答えるのを待っている。エン嬢は兄ビンの答えをホワーンとタレ目で見上げて待っている。しかしビンは意地でも答えてやるかこのヤロウな陰気な気を発して押し黙っている。
ややあって、ルキア嬢が遠慮がちに口を開いた。
「奏国出身の傭兵候補生たちに聞いた話では、アンズ、桃、バナナ、マンゴーとか」
「うん。象はフルーツが好きだからね。旬の果樹の群生地なら行商人から聞き出してある」
指先が紙上の図形のいくつかをリズム良く叩いた。
「あと水場。乾季で水場が減ってるから、象の群れが立ち寄れる開けた場所は限られてくる。岩塩の鉱床も舐めに行くらしいね」
また別の図形を叩いた。
「噂じゃ、象ってのは記憶力がいいから仲間の墓参りをする。象の骨がある場所は通る可能性が高い。墓場も行商人の目撃情報を取得済み。で、そうした点と地形を重ねればある程度ルートが予測できる」
地図の上へシュッと見えない線が引かれた。
「そのルートに重なるような象の道を選択して進めばいい。フンが落ちてりゃもう見つけたも同然。大量に落とすらしいからね」
どう? とでも言いたげにフェリクスは両手を広げる。ルキア嬢とエン嬢は感心の面持ちでぱちぱちと拍手した。
大量のフンが落ちた道を歩くはめになるというのに、喜んでいるとは。ほめるなら、フンをきちんと土に埋めて後始末する猫のマナーをほめて欲しいものだ。
「ありがと、どーもありがとう。で、象の道は獣道でもあるわけだけどさ、人食い虎と鉢合わせしたってネコ科の得意なルキアちゃんが手なずけてくれんだよね?」
ルキア嬢は軍令を受けた兵士みたいにピシリと白服の背筋を伸ばした。
「半年かければ、心を開いてもらえるかと」
「三秒あれば俺らの腹が開かれそうだけどね」
「では、三秒未満で毒矢を射掛けます」
しかし休憩を取ろうかと相談する程度に進んだ頃、道の奥から駆けてきた気配は虎ではなかった。地面を通じて肉球へ伝わってくる粗暴で重量感のある足音は、エレガントを誇るネコ科のものではない。一心不乱に向かってくる。
にゃうん、と一声知らせて後退した。
先頭のビンも察知したらしく、素早く背嚢を脇へ投げると腰を落として棒を構えた。
「エン、下がるそよ!」
背嚢を盾にして隠れたエン嬢の背後に、さらに隠れさせてもらった。ルキア嬢と弓師は背嚢を置いて弓を用意した。
目ざとい猫の目はもうひとつの武器を捉える。フェリクスが片足をぶらりと振ると、ブーツの先から厚い刃が滑り出てきた。まるで猫が隠していた爪を剥き出すように。
多様な武器が待ち構えるなか、走り来る震動と足音は急速に近付いて、ついに道の奥に黒い姿を見せた。
「イノシシそよ」
ビンは長い棒をくるんと回して、イガイガ金属球を前に出した。殴るつもりらしい。
イノシシは強靭だ。突いても斬っても即死は難しく、瀕死でも暴れまわって猟師を殺すこともあるという。だから鼻先や頭を殴って気絶させてからとどめを刺すのがいいと聞いた。
ルキア嬢が弓を下ろした。猛進してくるイノシシ相手に矢は賢くない。
「ルキアちゃん、これ」
弓師が大きな矢じりがついた矢を差し出した。
「怪物イカのときの。刺さると爆発するから、首を狙って・・・・・・」
「だめ。毒で汚染したり吹き飛ばしたりしたら、夕飯のおかずにできない」
「ルキアは食材の幅が広いよね・・・・・・」
「かえしのない一番太い矢を!」
「あいよー」
「快刀乱麻! イノシシ斬り!」
ビンが突進してきたイノシシを黒ヒョウが跳ぶようにかわしながら、金属球で獣の鼻先を殴り飛ばした。イノシシは顔から土に突っ込んで横転し、静かになった。すかさずルキア嬢によって太い矢が射ち込まれた。
「お見事! 技名が雑だけど打撃はお見事!」
明るく喝采するフェリクスがさりげなく靴を振ると、分厚い刃が収納されて消えた。ビンもルキア嬢も気付いた様子はない。
靴に武器を仕込んでいるとは。次に爪とぎの刑に処すときは、背後から襲わねば。
「護衛ビン、加点一ね。けどエン、隠れててよかったの?」
ずっと背嚢の後ろでホワーンとしていたエン嬢は、フェリクスの注意に三秒ホワーンとしてからハッとした。護衛試験だというのを忘れていたようだ。背負った棒を今さらもたもたと準備している。
「いいんです、エン。今のは護衛されるべき場面ではありませんでしたから」
「あのさールキアちゃん。ラウーの奥さんは、いや多くの女性は瞬時に敵の仕留め方を見定めたり、それを弓で正確無比に射抜いたりできないってことを忘れてないかー!」
「あ・・・・・・そうだった。義姉の得意な武器を聞いてなかった」
「いや、武器の問題じゃなくてね・・・・・・」
フェリクスは女性の平均的戦闘能力について語り始めた。
残されたエン嬢は、十字の槍穂がついた棒を握ってしょぼんとうつむいている。兄の手がなだめるように細い肩を叩いた。減点は免れたようだ。
「スマラグダス小姐、このイノシシ、ヒルに吸われておるそよ」
夕飯の食材と化した獣の検分を始めたビンがサッと飛びのきながら言う。
体色が似ていて分かりにくかったが、イノシシの腹に人の腕ほどもある巨大ヒルがへばりついている。イノシシはヒルに吸い付かれてパニックになり、走って振り落とそうとしたのだろう。
粘着質の吸血軟体動物に、フェリクスがゲーと顔を歪めて後ずさった。ヒルが飛びついて来ても我が身を守れるよう、そのフェリクスを盾にする。
「でかい。はがすの大変そうだな」
「死体の血は吸わぬものそよ。いずれ自ら離れるそよ」
「なら、それまで吸わせておきましょう。血抜きの手間が省けます」
「よかった。ルキアちゃんがヒルまで食材に考えだしたら俺、ちょっと一緒に暮らせない」
「食べられるの?」
「食うな。万が一食えるとしても、愛妻ルキアの手料理でも俺は、ヒルを食う気にはなれない!」
「仮定が多すぎて現実味のない状況に悩む必要はないかと」
フェリクスがガックリ膝をつくと、首にかけた矢じりの輪やポケットの中身がじゃらんと鳴った。
一方でルキア嬢は上機嫌だ。猫を抱えてなでまわす手つきが弾んでいる。あまり表情が変わらない彼女だが、問題ない。感情を顔でなく仕草から読み取るのは、人間より動物のほうが得意かもしれない。
「命拾いしたね、ミハイ。イノシシが獲れたから、フェリクスに猫鍋にされなくて済んだね」
けれど真に受ける性格は改善してもらわねば、いつか煮込まれそうだ。
ゴリゴリゴリゴリ。
ヒルを自主的にはがれさせ、川原にイノシシを運んで解体する頃には、空は暗くなり始めていた。
川沿いの崖の上は旅行者や行商人の野営地として使われてきたらしい。ビンが斧で軽く下草を払っただけで、林の中にぽかりと小ぢんまりした草地ができた。
フェリクスが慣れた様子でたき火を起こす。虫除けだと言ってツンと匂う草も燃やしている。
ゴリゴリゴリゴリ。
結局、初日は象の道を発見できずに終わりそうだ。文句の多いビンやイノシシ遭遇など、時間を稼ぎたい猫族にとっては幸運な状況が続いている。
ゴリゴリゴリゴリ。
「熱心だね」
エン嬢が、あの常にホワーンとしたエン嬢がフェリクスの言葉も耳に入らないほど集中していた。香辛料をすり潰している。袖をまくり上げ、膝先と手でしっかりと鉢を押さえ込み、棒をゴリゴリと回し続けている。
イノシシの調理を挙手で申し出たエン嬢がゴリゴリし始めてからだいぶ経つ。その間にイノシシは解体され、食用の草やキノコが採集され、湯が沸いた。
フェリクスはイノシシから回収した矢の血を拭い、矢じりを磨きながら顔をしかめている。
「イノシシすげーな、矢じりの先が潰れてるよ。焼き入れした鉄に替えとこ」
そしてすぐに工具をつかんで交換作業をしつつ、エン嬢の手元を覗いた。
「その乳棒、大理石? にしては透明感があるか。メノウ? にしては縞模様がないしな。高価だしな。ヒスイ? なわけないか、白すぎる。白いヒスイは高価どころの騒ぎじゃないしな」
物作りにたずさわる者として、加工品の材料が気になるらしい。
猫としては刺激的な匂いが気になる。エン嬢が背嚢に香辛料を積んでいることは分かっていたが、匂いがこうもまき散らされると鼻がむずがゆい。びくしっ。
「で、それ折れてない?」
ゴリゴリゴリ、ゴリ。
三秒経ってから乳棒が止まる。乳棒は角材の形で、下側は角が削れて丸みを帯びている。丸くなったほうに近い部分には茶色い線がぐるりと一周している。その上下でかすかに乳棒の色が違うようだ。
み、見えていましたとも、折れてるの知ってましたとも、フェリクスの動体視力には負けませんでしたとも。
「ニカワで接着してあるみたいだし、使えてるならいいけど。ビン兄ちゃんにねだりなよ、もっと使いやすいやつをさ」
褐色がかった肌にたき火の色が加わっていても、ビンの普段は涼やかな目元が赤くなったのがは明らかだった。
「懐を覗く首は斬るそよ」
生活用品も新調できないとは、ビンがはめている金の首輪は何のためにあるのか。強奪を恐れて接合したために、使いたくても外せないのだろうか。
猫も自分で首輪を外すことはできないが、自分ではめたのではないという点が愚かなビンと違う。ベルも付いてますしね!
やがてゴリゴリは終了したらしく、エン嬢はホワーンとしたタレ目に戻ってのんびりと調理にとりかかった。ゴリゴリした粉末を肉にのんびりまぶしたり、湯にのんびり加えたりしている。
湯を沸かしたエン嬢の鍋は穴が開いているようで、時折じゅわっとたき火から湯気が上がった。
「また鍋も年季が入っちゃって・・・・・・ビン兄ちゃんにねだりなよ」
「我が非にあらず。双方とも受け継いだ当初よりそよ」
「俺、エンに話しかけてんだよ? なんで兄ちゃんが答えるかなー。似てない兄妹だね」
フェリクスがニヤニヤしながらからかう。
「兄妹にも色々あるもんだな。スマラグダス兄妹とは家族になりたいけど、ビン・エン兄妹と家族は想像できねー」
「願い下げそよ!」
「エンはいいんだよ。この暑苦しい兄貴がねー」
「エンと家族そ? 無礼そよ!」
「わあシスコン」
フェリクスの言葉が不思議だと感じるのは、猫と人間の違いなのだろうか。猫は家族になりたいと思ったりしない。特定の雌と相性がいいと感じることはあっても、その兄弟を家族に望んだりしない。
しかしビンと兄弟になりたくないという点では、フェリクスに同意する。
「ミハイのごはん、これで足りる?」
ルキア嬢がくれた焼肉にはゴリゴリされた香辛料はかかっていなくて助かった。イノシシの前足一本分と相変わらずビッグスケール。
与え過ぎではないか、という発想はないのですね。この旅が終わる頃には、我が身がデカ猫になっているかもしれません。
フェリクスが面白がって食べ残しを隠すものだから、ルキア嬢には完食していると誤解されている。
とにかくありがたくかぶりついて眠りについた。
翌日、象の道が見つかった。