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甘口弓師と白魔の妹  作者: シトラチネ
相棒適性診断
6/18

6. ビジネスで

 船で岩の城塞都市アダマス本土へ。さらに巨大カラスで西方の島ボル・ヤバルへ。

 この単純な路程を冒頭から武器修理で遅延させた男、ビンがまた一行の足を止めた。アーケロン島からアダマス本土の波止場へ到着した時のこと。

 ルキア嬢がなじみらしき老人へ帆船を委ねたのを、ビンはとがめた。

「留守のあいだの管理に金を払うそ? アイヤ! スマラグダス小姐、逆そよ。貸し出せば儲かるそよ」

「考えてもみませんでした」

 猫一匹の朝ごはんにローストチキン一羽を盛るルキア嬢だ。気前がよろしい。

「でも、もう契約は成立しています。今回は貸し出さず、先へ進みます」

「ぐ。アダマス人、商売下手そよ。奏国人、殖産これ奏皇帝への忠誠そよ。船の管理費はいくらそ?」

 答えを聞いたビンの黒い眉が吊り上がる。

「アイヤ! 値切るべきそよ」

「値切るとはどういう意味ですか?」

 アイヤとも発せずに棒使いは棒になった。大開放された口には猫の頭くらい突っ込めそうだ。

 気前がいいというより無知か無頓着らしいルキア嬢はじっと棒の回答を待っていたが、棒は棒のままだった。

 弓より棒の修理屋が必要なのでは?

「ビン、左の奥歯に虫歯が見えます。それで、値切るとはどういう意味ですか」

 自称商売上手と世間知らずは無言に戻って対面し続けた。

 いきなり、フェリクスのブーツがビンの背を蹴り飛ばす。ひょろ長い手足が空を掻いたが、健闘虚しくビンは波止場から海へ落ちて派手な水しぶきを上げた。

「はい、護衛ビン減点一ね。隙ありすぎ。それからルキアと見つめ合うな。減点三」

 減点の配分が私情に偏りすぎてませんか。

「見つめ合ってたわけじゃなくて、質問しただけ」

「アーケロン島の買出しは下っ端に任せてるからしょうがないよね! ほら、そこに市場あるからさ」

 律儀に入った訂正を、フェリクスは晴れやかな笑顔で無視した。

「旅の物資調達で値段交渉を実地学習しようか、ルキアちゃん」

 ルキア嬢はフェリクス流値段交渉を教わってから市場へ向かった。港に面した市場は屋台がひしめき合い、魚、野菜、雑貨などを売る野太く威勢のいい声が飛び交っている。

「おら安いよ安いよ、嬢ちゃん、うちで買っていきな! あんただよ、そこの嬢ちゃ・・・・・・」

 最初に通りかかった店の主は、いささかぶしつけにルキア嬢を呼び止めた。呼び止めておきながら、ぎょっとして両手を前に挙げ身を縮めた。

「そ、その瞳はもしやス、スマラグダス大佐さまのご親族でおられ、あられま、いらっさ・・・・・・」

「ラウー・スマラグダスでしたら、わたしの兄です」

「ひいいっ! ご、ご用は。お安く、いえ卸値で、いえいえ何でも差し上げますから、抜き打ち検査だけはご勘弁を、どうかお慈悲を」

「わたしはただ、正当な値段について知ろうと」

「で、ですから明日から、いいえ今から心と値段を入れ替えますから。はっ、そのオイル漬けがご入用ならどうぞお持ちになってくだされ」

「そういうわけには。まず言い値を教えてください」

「ははーっ、噂通りワイロを受け取らぬ高潔なお方の妹御、おみそれしました。二度と、二度と軍の目をくぐれるなんぞと愚かな考えは抱きませんので!」

「兄の評判が聞けるのは嬉しいです。ありがとうございます。ぜひ軍の指導に従ってよい商いをなさってください」

 平伏する店主。ルキア嬢はかたわらの指南役を困り顔で振り返る。

「フェリクス、どう値切ればいいの? 教わった展開にならないんだけど」

「おやじさん、誠意を詰めるだけ詰めてよ。日持ちするやつがいい。いくら? おー勉強してくれたね、半値以下じゃん。サンキュー! さ、ルキア、次でも試そうか」

 他の店も似たような対応だった。ルキア嬢は異様な雰囲気に首をかしげつつも素直に応じていた。

 異様な雰囲気に拍車をかけていたのはビンで、濡れネズミのまま握り締めた棒をブルブルさせ殺意をねじ伏せていた。

 情報収集する時間を稼がねばならない身としては、旅程を遅らすビンはありがたい存在。頭をすり寄せてやってもいいところですが、あんな陰気な濡れネズミに触りたくありません。

 殺意のターゲットであるフェリクスだけが心底楽しそうにルキア嬢との買い物を満喫していた。

 エン嬢はずっとホワーンとしていた。

 妨害せずとも、この一行がデカ猫にたどりつくことはないような気がする。



 喧騒の市場を後にして鳥に分乗、西方の島ボル・ヤバルを目指す。

 巨大なワタリガラスは人間によって鞍や荷台を装着され、移動・運搬手段に利用されている。

 カラスは巨大化の歴史が早く、飼い慣らされて長い。野生のプライドはフンと一緒に排泄したようだ。猫を乗せても平気な顔とは助かっ・・・・・・情けない。

 情けないカラスに乗り込み、ルキア嬢の膝で丸くなる。

 ああ、誰かさんの固い腹なんかとは天地の違いですね。新しい寝床は快適そのもの。肉球でうにうにと寝床をマッサージ。

 フェリクスが視線で刺してくる。が、ルキア嬢の指先が飽きずにチリチリとベルを鳴らすのに気付いて声を殺して悶えている。

 不気味です。恋ごと地に落ちてしまいなさい。

 目を閉じてフェリクスを視界から抹消し、温かな陽射しを身に受けた。

 やがて暑くなり、うたた寝から覚める。

 太陽は天頂を過ぎていた。真下には海、それも温かな地方の明るい青色をした海がさざめいている。

 ワタリガラスは森に覆われた陸地へ向かって高度を落としていく。

 ボル・ヤバルは人間から情報を盗まなければ島であると分からないほど広大な島だ。大部分は濃密な森に覆われ、一部は鉱山、ごく一部は人間の町。

 空から眺める町は、断崖絶壁の海岸から上陸して森を食べながら這い進むクモの形をしている。

 胴体は雑然と横たわる平屋の家々。脚は道。頭部には宮殿がそびえている。密生する黄色い傘のキノコに似た宮殿は、十数年で二度も主を変えたというのに相変わらず偉そうに立っていた。

 戻って来ちゃいました。生まれ故郷のボル・ヤバルに。

 ある暑い日、良い寝床だと思って狭くて風通しのいい木箱に潜り込んだ。ハッと目を覚ませばすでに箱ごと巨大鳥の背に積み込まれていた。

 騒ぎ立てて出してもらうことも出来ただろう。けれど未知の行き先への好奇心が勝った。

 長い空旅の末に着いたのは石で作られた城塞都市、アダマス帝国の本土だった。

 新しい土地になじもうと出席しはじめた夜の集会で、ラウー・スマラグダスがデカ猫を探していると知った。覚えのある名だった。

 本土へ運ばれる木箱に潜んでいたとき、巨大鳥の鞍からは男二人の会話が流れてきていた。

「うげー大量に注文しやがって。ボル・ヤバル占領戦が近いんだな。ラウーのやつ、また悪魔みてーな知謀を披露しちゃう気だろ。大佐に昇進するかもね」

「悪魔? ふ。ご冗談を。スマラグダス中佐は白魔ですよ。悪魔さえ凍えさせます」

「で? メッセンジャーつきってことは、注文は矢だけじゃないんだろ」

「ふ。話が早くて助かります。生き物の配達を依頼したいそうです」

「はあ? 俺があちこち旅すんの、素材調達と矢じり研究って名目だよ。生き物なんか運ぶと怪しまれるじゃん。他に回せよ。俺、そろそろ弓師を本業にしたいんだけど」

「適性と才能は宝石のごとき天恵です。本人の意思とは無関係に見出され、輝いてしまうものですよ。ふ。埋没するのを許容する中佐ではないと、旧友のあなたはよくご存知でしょう」

「やだ。気が乗らねー」

「あなたは必ず行くと答えますよ。同行する女性が誰か、教えてさしあげましょう。ふ。ふ」

 名をささやく空白のあと、軽やかな音が響いた。

 カロン。カロン。

 喉を鳴らす猫の満足に聞こえた。



 森と町の境目でカラスから降りた。

 退役軍人だというパイロットたちは安定飛行を保って着陸もスムーズに決めた。それでも慣れないカラスでの空旅は尻が落ち着かなかった。

 土を踏んでほっとしたのはルキア嬢も同じだったのだろう、花のほころぶような笑顔でパイロット二人に礼を述べた。

「い、いえスマラグダス大佐のお役に立てればアワワワありえないありえないありえない」

「た、大変光栄でウヒィイィ別人別人別人」

 パイロットたちは地獄を覗いた顔で青ざめ、膝を震わせ、助けを請うように独り言を繰り返す。ルキア嬢は瞬時に唇を引き結び、笑顔を消し去って男たちから離れた。

 そうですか、これが。

 これが悪の大王ラウー・スマラグダスの呪い。彼女を島に縛り付ける鎖。

「フェリクス。一度、その人に会わなきゃ」

「は?」

 ガッと背嚢を背負い、グッと顔を上げ、ルキア嬢は毅然とした足取りで町へ向かう。

「推理した。アダマス本土には預言者か生き神か魔物か知らないけど、誰もが恐怖しながら信奉する人物がいる。彼女が笑うと世界が滅ぶと伝えられてる。特に軍人には精神破壊的な影響力がある」

「えー・・・・・・ちょっと待とう、ルキアちゃん」

「わたしは彼女に似てて、だからわたしが笑うと引かれる」

「まあ当たらずも遠からずというか、近すぎて見えてないというか」

「信仰を否定するつもりはないの。でも、冷静沈着であるべき軍人をあれほど動揺させる因子には何らかの手を打たなきゃ、国家の地盤が」

「待てってばルキア、そっちじゃない」

 白軍服風の背中が立ち止まった。色違いの視線が町とフェリクスを一.五往復する。

「動物商で猫を買うんじゃ?」

「俺たちの行き先はこちらです」

 フェリクスは腰を折って優雅に一礼、ひらりと伸ばした腕で森を示した。カーブのかかった茶髪の下で、クルミ色の目が楽しそうに光った。

「デカ猫を持ってんのは森の行商人。象の隊商。めったに遭遇できないんで、幽霊キャラバンって呼ばれてるけどね」

 これは我が猫族には有利だ。

 十数頭の象に乗る隊商は、ボル・ヤバルの広大な密林を移動し続けている。見つけるのは至難の業。けれど他の商人からは入手できない、貴重で不可思議な品々ばかりを扱うと聞く。

「象隊商そ? 正気そ!?」

 あんぐり、とビンが顎を落としている。

「奏の商人もあやつらとだけは商売したがらぬそよ。象隊商を探すあいだに巨大ヒルの餌食そよ!」

 猫耳だんご頭のエン嬢もコクコクと同意に頷く。

「だから、あんたら護衛がいるんじゃん。血を吸いにくっついたヒルのはがし方、知ってるよな? ここが奏国だったんだからさ、十五年前までは」

 ビンの褐色の顔に陰気な影が宿った。

 温かく広大な島、ボル・ヤバルの歴史は猫にも語り継がれている。

 ボル・ヤバルは気候の良さ、資源の豊かさに惹かれた人間たちによる縄張り争いの絶えない地だった。紛争を制して島を統一したのが奏国だ。

 奏国の皇帝は昔、海と陸が造り直される前には東の大陸を統治した民族の子孫だという。

 百年以上もボル・ヤバルを治めた奏国だが、十五年前に北の海から進軍した金髪の女王に滅ぼされた。皇族を筆頭に奏民族は女王の残党狩りや圧政を恐れて僻地へ逃げたり、島を脱出したりして四散した。

 脱出する船が軟体怪物クラーケンに襲われ沈没したという噂も数多く語られた。

 十五年間を独裁した女王はつい最近、アダマス軍に降伏した。強力な軍事力を誇るアダマスの前に、奏国は島を取り戻す機会を奪われた形だ。

 ビンとエン嬢は亡国の民なのだ。

「・・・・・・ヒルを落とすには酒か、塩そよ」

「だよね。ルキアのおかげで安く買えた。配っとくから持っといて」

 フェリクスは背嚢のあちこちから酒を取り出す。ぐっちゃぐちゃに詰め込まれているようにしか見えないのに、荷物の内容と場所を把握しているのが謎だ。

 ふと視線を感じて出所を探せば、酒びんを手にルキア嬢が金髪の頭をかしげて思案顔をしている。

「ミハイ。おまえは裸だから、ヒルに狙われると危ないね」

 は、裸とは心外です。毛皮を着ています!

 にゃうにゃうと抗議を鳴いていたら、フェリクスがケッと息を吐いた。

「大丈夫だよ。ヒルはこんなチビ狙わねーよ」

 むっ。

 デカ猫のメガ猫パンチを浴びてもそんな態度でいられるか、見てみたいものですね。デカ猫にかかればフェリクスの首なんて、よく転がるオモチャなんですよ。

 けれど人間の頭部をオモチャにしたとラウー・スマラグダスに知られたら、猫族が存亡の危機だ。

 ここは引っかき傷の刑で許してやりましょう。

「いてっ! てめーいつか鍋にしてやる!」

 爪圧追加。

「わかった、訂正するよ。今夜、鍋にしてや・・・・・・る・・・・・・」

 冗談を解さないルキア嬢の凍てつく義憤に、フェリクス青年は慌てて前言撤回した。


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