5. 首輪で
「盗賊にラブコールしたいのか?」
翌朝。
アーケロン島の桟橋には小型帆船が横付けされている。
船を洗う波の、ちゃぷちゃぷとのどかな調べ。海風は青い空から降りてきて森の梢でやわらぎ、温かな微風に変わってひげをくすぐる。
とぐろ巻いて丸まりたい。絶好の昼寝・・・・・・にはまだ早い、朝寝日和。
だというのに。
桟橋に集合する旅装を整えた四人と、密命だけをたずさえた一匹。ここだけ暗雲の気配が漂っていた。
「それ、狙われるよ」
デカ猫買い付けの同行者を前に、フェリクスは呆れ顔を隠しもしない。
対する男はムッと眉間にしわを作った。
男はシャムに似ている。痩身ですらりと長い手足、涼やかな目、褐色がかった肌。髪はしっかりと黒く、ボブテイルのようにくるりと束ねて高い位置で結んである。
フェリクスの無遠慮な視線を延長すると、男の首輪に行き着く。幾重にも連なる金色の首輪は朝陽を反射してビカビカとまぶしい。
「心配無用そよ。外せぬよう接合してあるそよ」
「奏国人のなまりだね。俺だったら首を外して盗むけどね、奏国人は首も接合できんの?」
「無礼そよ!」
びゅん、と空が切り裂かれる音がした。
男の手には棒が握られている。背丈ほどの長さで片端はイガイガ金属球、反対の端は両刃の斧だ。
空振りしたイガイガを突き出した格好のまま、男は切れ長の目を丸くした。
「ざーんねん。俺、動体視力はいいんだよね」
ふふんと鼻を上げるフェリクスは、体をひねっただけでかわしていたようだ。
み、見えていました、俊敏を誇る猫としましてはもちろん、男の攻撃を見切っていましたとも。
「我の一刀両断無礼斬りをよけたそ・・・・・・」
「フェリクス、彼がビン。隣は彼の妹のエン。二人とも棒術使いです。ビン、エン、彼はフェリクス。弓師で今回の旅の案内人です。ビンは彼を護衛してください」
しん、と沈黙が鳴った。
「ルキアちゃん、待って。色々と突っ込ませてくれ」
フェリクスがよろめく。心に受けた打撃は自慢の視力でも捉えられなかった様子。
「まず技の名前が雑すぎ。突きで、それも鈍器で一刀両断は物理的に厳しい。無礼斬りって目的物と行為を叫んだだけだし」
ネズミアターック! と叫んだりはしませんね、同意です。
「で、仲裁はないわけ? 俺が殴られてても淡々と紹介しそうで怖い。棒術使いって言うけど、アレは棒の定義を軽く超えている。しかも歩く追いはぎのエサが護衛ってなに。俺、奏国人じゃないから離れた首はくっつかないよ」
「目の良さを信頼してるから。彼らの武術の基本は棒術だから。傭兵の装備や技名には干渉しない方針だから。人選と護衛は兄の指示だから。義姉の護衛に足る人材か、フェリクスに見極めて欲しいとのことです」
流れる水より滑らかな答えに、フェリクスも空振り棒使いも黙ってしまった。
一行のボスが誰なのか、見極めるまでもありません。
「同様の理由で、エンはわたしの護衛をお願いします」
エンと呼ばれた小柄なお嬢さんがコクコクと頷く。
「護衛試験ねー。しょうがない。他でもないラウーの頼みだ、公平に判断するよ」
「公平そ? 笑止そよ。弓師ごときに棒術は理解できぬそよ」
フェリクスとビンは不満そうに威嚇を続けている。
まだやってたんですか、と無言で語るボスの瞳が冷たい。ボスの瞳が冷た・・・・・・お、おおぅ背中が総毛立ってなどいませんよ、後ずさりしたせいで桟橋から落ちそうになったりしてませんよ。
にらみ合っていた二人もボス側に鳥肌を立てている。
「ど、どんな武術だろうと、攻撃速度の判定には自信あるよー?」
「め、目の良さはスマラグダス小姐のお墨付きそ、認めてやるそよー?」
「まあね、飛跡を見極める目がなけりゃ弓師たるものウガッ」
棒から抜け落ちたイガイガ金属球がフェリクスの爪先を直撃した。
「時間差攻撃かよっ!」
「ぐ。修理がいるそよ」
「壊れただけかよ!」
一行の品定めをしておかねば。ご馳走をねだれる人物かを把握するのは死活問題だ。
猫はおねだりを安売りしないのです。ご馳走をくれない相手にまで愛嬌を振りまく犬の気が知れません。
ルキア嬢は海軍の白服に似た涼やかな色合い、シンプルな細身でパリッと清潔そう。これほど活動的な身なりのお嬢さんには他に会ったことがない。
ご馳走をくれるのは確定している。朝ごはんにローストチキン丸ごと一羽とダイナミックなのがいささか難点だが。
フェリクスの服は大地になじむ色ばかりだ。機能性重視らしい。工具の詰まった重そうな革ベルトを腰に締め、沢山あるポケットからは色んな音がする。
首に十数本もかけた紐には、多種多様な矢じりがびっしりと結んである。飾りではなく保管のようだ。
ご馳走よりオモチャをくれる可能性が高いだろう。
ビンはソックスと呼ばれる猫の柄を真似ているに違いない。基本は暗色で、帯と袖や膝下に巻いた布は白。
布を巻くのは棒を振り回しても服を絡ませない工夫と思われる。質素で実用的だが首輪だけが不釣合いに光っている。
ご馳走をくれそうな友好的な態度はないが、猫の柄を真似てる以上、希望はある。
妹のエン嬢は長い黒髪の一部を猫耳の位置でくるんと束ね、残りは下ろしている。花色をした上着の袖や裾はホタルブクロみたいに先の開いた釣り鐘形。手は袖に隠れている。
かろうじて足はぴったりしたものを身につけているが、棒を振り回したら髪だの裾だのを巻き取って、身動きが取れなくなりそうだ。
ホワーンと緩んだタレ目も鈍そうな印象。
彼女の背嚢からは複雑な香辛料の匂いが流れ落ちてくる。刺激的な匂いが多く、好みのご馳走はあまり期待できそうにない。
ぶつぶつ文句を垂れながらも、弓師は素早く手持ちの工具と材料でビンの棒を修理してやっていた。ガタついていた斧の固定までした。
「おまえに払う修理代など持ち合わせておらぬそよ!」
ケチですね。盗賊が好むという首輪をはめてるくせに。
「いらねー。俺がこんなボロい棒で護衛されたくないだけだよ」
「うぬに貸しとはせぬそ。護衛はするが、追従はせぬそよ」
「いいんじゃね? 無愛想な護衛の方が。その生意気な仏頂面なら、ラウーの奥さんが浮気する心配は・・・・・・待てよ、まさかラウーと結婚したのは不機嫌顔が好みだからか? それはヤバい」
耳をキュッと立てて諜報活動。
デカ猫を所望するトーカ嬢はつれない態度がお好き、と。
「よし修理完了。おまたせルキア、出発しようか。さあ俺の手を取って『共に人生の船旅へと出発です』と宣誓してくれ!」
「はい。では皆さん乗船してください。共に人生の船旅へと出発です。フェリクス、一行の道案内をよろしくお願いします」
真に受けたルキア嬢は丁寧にオウム返し。フェリクスの手を取り、ぎゅっと握手。颯爽と船へ歩き出す。
「そうじゃないんだルキアちゃん、そうじゃないんだ・・・・・・」
見送って泣き笑うフェリクス。
「くっそー、どうして家族になりたいかって、ラウーと一緒がいいなんて照れ隠しを信じるなっ! ああもう十年前の俺のバカー、親の顔見せてみろ!」
はあ。
平和ボケした飼い猫だって、あんなに間抜けじゃありません。彼らに猫一族の運命がかかっているとは憂うつです。雨の後のぬかるみくらい憂うつです。
「ミハイもおいで」
すぐに参りますっ! にゃはー!
尻尾をぴんと立て、チリチリと首輪のベルを鳴らしてルキア嬢に追いついた。軽やかさの増した編み上げブーツに踏まれないよう、けれど最大限まとわりつきながら歩く。
「尻軽猫め」
背後から毒づくフェリクスの声には満足が潜んでいる。
立ち直り早いですね。寝るのは遅かったのに。
彼は深夜までルキア嬢の弓を確かめ、近況を尋ね、新発明品を貢ぎ、旅の話をして。聞きながら寝入ってしまった彼女に毛布でなく自分の上着をかけたのは、マーキングだろうか。寝顔を眺めてニヤニヤして、ニヤニヤして、ニヤニヤして。
この人、ほんとに雄ですか。
恋する雌の背中がガラ空きだというのに、首に噛みつき覆いかぶさる以外にやることあるんですか。悠長に眺めていたら盗られますよ。
種の保存本能に疑いのある青年は、やがて眠るルキア嬢から距離を取った。腰のベルトから工具を抜き出すとニヤニヤは消え失せ、首輪を作り始めた。
あぐらの膝先に広げられた光る金属片やよく転がりそうな銀玉には、猫フックしたい衝動に駆られた。が、頭上の息詰まる真剣さに思わず四肢をそろえて見守ってしまった。
フェリクスは小さなベルを執念深く何個も作り、これまた執念深く音を聞き比べ、最上の一つに器用な指先でミハイと刻み入れて首輪につけた。
実に執念深い凝り性。
この青年は恋したお嬢さんに末代まで発情していそうです。
朝になってルキア嬢が身動きする頃には、徹夜で作業した形跡など消されていた。子猫の皿にだってミルクの一筋は残っているものだというのに。
執念深く作られた首輪を拒否したら祟られそうなので、巻かせてやった。
チリチリと首輪のベルを鳴らして朝ごはんをねだりに行ったとき、ルキア嬢は瞬時に飛び起きた。
見開かれたオッドアイが落ちてきそうで身構えた。
ルキア嬢は寝たふりをぶっこいていたフェリクスを叩き起こして、本当に叩いて起こしてありがとうと繰り返していた。青年の腕には青あざが浮かんでいるだろう。
わざわざ青あざを拝領するとは、なんという痴態。
スパイの情報収集力は語彙にも及ぶ。知っている。
こうした愚かな嗜好の持ち主を変態あるいは偏執狂と呼ぶんでしたね。
カロン、カロン。
倒錯青年は早朝のベルの騒ぎを思い返しているのか、含み笑いする口の中で氷砂糖を転がしている。