3. 餌で
ぴーん。ひげ全開。
帆船きましたよ・・・・・・!
流刑島から舟を曳航しに戻ってきたお嬢さんの小型帆船へジャンプした。
チューと鳴くオモチャがいないか、探検せねばなりません。いそいそ。
甲板はイカまみれ二人がかぶる水でびしょぬれ。水溜りを避けながら船荷の裏を覗いていく。肉球が濡れるのは不快なものです。
「あのイカで漁師さんたちを怖がらせてしまったんですね。申し訳ありませんでした」
怪物イカ退治の経緯を聞いたお嬢さんはしょんぼりと肩を落としている。
こちらもオモチャがいなくてしょんぼり。手入れが完璧で残念です。
「二度と餌付けはしませんので」
「しかしまあ、わしら漁師連中に直接被害はなかったしなあ、これで安心じゃな」
「本当にすみませんでした」
「で、なんでまた怪物イカを手なずけようとしてたの」
青年が明るい声を出す。
「養殖するためです」
青年の笑顔が固まる。
楚々として発言がワイルドなお嬢さんの説明はこうだ。
強大な軍事力で領地を拡大するアダマス帝国。その首都は峻険な岩山を利用した城塞都市です。
平地が少なく牧畜が難しいため鯨が乱獲されています。大型食用動物の養殖は国家の急務です。アダマス本土では食用虫を試験養殖中だそうです。
「ですが兄からの手紙によれば、食用虫には生理的嫌悪感を感じる方がいると」
ええそうですとも、虫なんて食べるものではありません。転がして遊ぶものです。
「そこで、巨大イカ養殖を研究してみようと思ったのです」
「うーん発想が飛躍・・・・・・いや効率的だね、すごく」
では味見を。
青年の下腹に貼り付いたままのイカの残骸へ鼻先を近付ける。ヒクヒクしてからひと舐めしてみた。
ふーむなるほど、わたはなかなか美味。おかわりおかわり。
「おいやめろよエロ猫、俺にはそういう趣味はねーんだよっ」
首根っこつかまれ前足浮かされ強制排除。うにゃー。
「巨大イカの飼育に成功すれば、怪物クラーケンとして魚雷に転用できる可能性もあります」
腕をかいくぐって接近。排除。
不意打ちジャンプで膝乗り。排除。
イカわたをめぐって青年と攻防を繰り広げる間にも、お嬢さんは一人熱くイカの未来を語っている。
「クラーケンを制御し、貴重な弾薬を使わずに敵艦を沈められれば、アダマス海軍のお役に立てると思ったのですが」
「うん、ルキアの愛国心はよく知ってる。ただスケールのでかさが想定外っていうか・・・・・・上陸前に一応聞いとこうかな、島じゃまだあのアブない動物兵器研究とか続いてんの?」
お嬢さんはコトンと首をかしげた。
「巨大スズメバチを誘導して敵の軍鳥にぶつける研究ですか? 空軍に採用されたので終了しています」
「そんなんもやってたの・・・・・・」
「あ、毒蛾ですね? フェリクスは以前うっかり鱗粉を浴びて、丸一日まぶたを腫らして寝込んだんでしたね。兄の傭兵が喜んで引き継いでくれましたから、島にはもういません」
「そう・・・・・・そりゃよかった・・・・・・」
今回うっかりイカ汁を浴びた青年の笑顔は弱々しい。
お嬢さんへの恋文は、宛先『魔窟』で届きそう。
彼が彼女を頻繁に訪問できない理由が分かりました。会いに行くたび手痛い洗礼を受けるから。
まあ、会いに行ったからといってすぐ実る恋でもなさそうですけれど。隙ありっ。
「よせってば、エロ猫」
「空腹なんですね?」
「エロいんだよ」
「猫が食事を欲しがることが、なぜその結論に行き着くのでしょうか」
「ルキアちゃん・・・・・・穢れを知らない君は俺のオアシスだっ!」
「それは質問に対する回答ではないように思います」
イカわたを狙っては何度も強制排除をくらうのを見かねたのか、お嬢さんは海面のイカわたを網ですくってくれた。
なんと優しい。顔より大きい塊のまま差し出してくるところがまたワイルドですが。むしろ食欲失せましたが。盗み取るという行為が楽しかったのですが。
おや。
お嬢さん、瞳の色が左右で違うんですね。春の土色と若草色。人間のオッドアイは初めて見ました。
「なあ・・・・・・嬢ちゃん」
むむ。お嬢さんに対する船頭の表情は不気味な怪物イカへ向けたものと似ている。
ご馳走を下さる方に対して何ですか、その失礼な態度は。尻尾ぴたんぴたん。
「おまえさん何者だい。流刑島で一体なにやってんだい」
「はい。わたしはルキア・スマラグダスと申します」
お嬢さん、ルキア嬢は夜の集会に初参加する新入りの礼儀正しさで名乗った。
「スマラグダス家はアーケロン島の管理監督を任されています。責任者である兄は空軍大佐でラウー・スマラグダスといいます」
「あー、白魔の。敵の軍鳥を雪みてえに降らせる・・・・・・」
「はい。兄の志は人的損害を最小限に抑える戦術の開発です。島では研究員が知恵を絞り、傭兵が訓練を重ねています。アーケロン島はもう、流刑人の島ではないんです」
「それにしても笑わねえ嬢ちゃんじゃな」
「ホントはもっと快活だよ」
ルキア嬢は操船のため船尾へ行ってしまいました。
船頭と青年はこそこそ内緒話。
「本土の人がいると萎縮しちまうんだ。兄貴のラウーがいけねーんだよ」
猫はスパイ活動が得意です。耳だけキュッとそちらへ方向転換。
「ラウーってのは眼光が凶器な男でさ! 睨まれたら心臓に持病がなくても逝けちゃうよ」
それでですか。基地周辺の猫のあいだにスマラグダス警報なるものがあるのは。
しっかり情報収集です。危険人物に我が一族の命運を託すわけにはいきません。
「あいつとそっくりな顔したルキアがニッコリなんかしたら、天変地異だ世界の終末だと腰を抜かされるんだよ。けどルキアは兄貴を普通の人だと思い込んでるもんだから、自分が怖がられる理由が分かんないわけ」
お気の毒に、他猫事と思えません。
「いやラウーも中身は普通の男なんだけどね。いやいやでもまさか結婚するとは、くっそー俺の明るい種馬計画が」
スマラグダス家長男は独身だから、俺が後継者の種馬として婿入り! ルキアちゃん結婚して!
という筋書きを思い描いていたんですか?
吐いた毛玉ぶっかけていいですか?
「だからルキアには本土の居心地が悪いんだよね。ラウーに嫁の護衛役を打診されても断ったらしいし。俺としちゃ、オアシスには純水でいて欲しいけど」
青年は珍しく、へにゃりと泣きそうな笑い方を見せた。
「おせっかいは承知だよ? けどさあ、触手の調教で人生終わっていいはずないじゃん。だからルキアを島から連れ出そうと、餌を持って決死の覚悟で来たんだよ。男を賭けて。おやっさんなら分かるだろ、毎日命がけで海に出てるんだもんな」
「そうかそうか分かる、分かるとも・・・・・・! いいかね、女と魚に焦りは禁物じゃ。駆け引きだからの」
イカくさい男二人は身を乗り出して額を突き合わせた。
「指先に全神経を集中するんじゃ。じっくりと探りを入れて、獲物の呼吸と動きを見極める」
「ふんふん、呼吸と動きをね」
「そうじゃ。昇ればたぐる。じらされれば逃がす。これを繰り返しながらじわじわ引き寄せる。そしてイケると感じた瞬間一気にたぐる、一気にィィ! 竿を天まで突き上げるんじゃー!」
「やるね、マグロだろーと怪物イカだろーと、おやっさんのぶっとい竿で一本釣りだ!」
「おうよっ」
「武勇伝が増えたな、おやっさん!」
「おうよ!」
「怪物イカに餌付けしたっていいよな! 漁師仲間に顔つなぎ頼むね、ルキアと一緒に頭下げに行くからさ!」
「おう任せときなっ!」
ガッと握手。笑顔でばんばん背中を叩き合う。
かふっ。
おっとあくびが。茶番劇は終了ですか?
この船頭、口車に乗せられすぎです。港の猫たちに、魚をねだりやすい漁師として伝達しておきましょう。
しかし青年も愚かな男です。
ルキア嬢へのフォローを本人抜きで根回しなんて。青年には何の得にもならないではありませんか。恩というのは、我々でさえ三日は覚えているものですよ。
おバカさんは船尾に手を振る。
「ルキアちゃーん。俺、ラウーからおつかい頼まれてんだよ。デカい猫の買い付け」
にこっと人のよさげな青年の笑顔に、たいていの人間は騙されて頷きますが、さて。
「一緒に頼まれてよ。ね」
「はい」
即答。
これはまさか、フェリクスの真綿で締めるような恋の包囲網が効いているのですか?
「今朝、兄から連絡がありました。義姉の護衛候補二名と共に、フェリクスに同行するようにと」
青年の喉から劣勢の唸り声がした。
「あのヤロー、いつも一歩先を押さえやがるな・・・・・・」
フェリクス号の大漁旗には出番がなさそうです。