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甘口弓師と白魔の妹  作者: シトラチネ
相棒適性診断
2/18

2. クラーケンで

 ほこほこと温まっていたうなじに違和感を覚えて耳を立てる。本能がひとつまみの毛束を逆立てて注意を知らせてくる。

 首をもたげて周囲を見回した。

 舟の行き先には島が現れていた。流刑島。アーケロン島。

 こんもりした森のシルエットは亀の背に似ていて、この回遊する巨大浮島が一万歳を経た古代亀の化石だと言い伝えられるのも頷ける。

 けれど妙な気配はもっと近くにありそうです。

 海上がやけに静かだ。船頭の船唄だけが響く。さっきまで船頭と争うように鳴き立てていたカモメたちが消えていた。

 小魚の群れを追うカモメたちが散るのは獲物がいなくなったか、あるいは獲物にされそうなとき。

 にゃうん、と一声知らせて船底へ飛び降り、身を伏せた。腹を蹴られた青年が身動きする。

「何だよ、寝床にしといていきなりポイか。うわっ毛だらけにしやがったな。ベッドに毛を残してくなんておまえ日陰の愛人か、ルキアに誤解されたらどーすんだ・・・・・・よ?」

 船唄が不自然に途切れた。船頭の驚愕した視線の先で、海面が小山ほどに盛り上がっていた。

 ザッパーン!

 次の瞬間、割れた小山から触手が突き上げて海面を叩いた。丸太ほどもある触手の一振りに、舟は木の葉のように揺らされた。

「怪物イカじゃ、クラーケンじゃああ!」

 船頭が叫んでへたり込む。

「お助けをぉぉ」

「うっそ俺、イカの急所なんて知らねーよ!」

 使えない人ですね。余裕かましてたのは誰ですか。

「ま、目だな。目を潰されても退かないのは目がないヤツくらいだからな」

 矛盾がありますよ。

 青年は矛盾など意にも介さない様子で攻撃準備を始めた。背嚢から弓を外し、矢筒から最も太い矢を選んでつがえた。

 普段のトロンと気の抜けた表情が一変する。

 青年の気迫を前にして、船頭は神に出会った顔をした。

「も、もしやおまえさん猟師かね。ありがたやありがたや頼みますぞ」

「あいよー」

 のんびりした声とは裏腹に、引き絞られた弓にはきりりと気が張り詰めた。

 そして怪物イカの目が海面から覗いた一瞬、矢は空気を裂いて放たれ、イカから逸れて海面を射止めた。

「あ、重心調整してないんだった」

「・・・・・・神様、お助けをぉぉ」

 船頭は青年に希望を託すのをやめて泣き伏す。

「待てって、今やるからさぁ」

 青年はあぐらをかいた。腰に巻いた鞄から工具を抜き出し、矢じりを外して細工を始める。

 だが舟の揺れがひどい。青年の指から逃げた鉛玉が船底を跳ね回った。

「おやっさーん、ちょっと踏ん張っててよ。酔いそうなんだけど」

「無理じゃあぁ食われるんじゃあぁ」

 仕方ないですね。

 すうー・・・・・・ほわたたたっ!

 這いつくばる船頭の鼻に猫パンチを叩き込んだ。高速で三打ほど。

 うぎゃっと叫んで船頭は飛び起きる。鼻の下にツッと赤い線が垂れたが見ないフリ。我慢しなさい、教育的指導です。

 ようやく櫂を握り直され、舟はやや安定を取り戻した。すかさず作業の手を早めた青年の口元が笑っている。

「やるね、凶暴猫」

 ぴたん、ぴたんと尻尾を打ち鳴らして蔑称に不満を唱えた。



「うん、重心は完璧。さすが俺」

 青年は人差し指の背に矢を乗せてバランスを確認している。装着された矢じりは見慣れない大きさ。得意げな顔から推測すれば、これもまた彼の自慢の発明品だ。

「問題は当たるかだけどね」

「頼むよおまえさん、猟師だろ?」

「いや弓師。射るより作る方にハマっちゃってさ。あ、射るのも下手じゃないんだよ? ただ白魔と同期だったもんだから下手だと思い込んじゃってねー」

 あぐらを立て膝に組み替えて、青年は再び弓を構えた。舟の周囲をうろつく怪物イカに狙いをつける。

「はくま・・・・・・おお知っとるぞ、アダマス帝国空軍きっての弓の名手だな。なんでも、撃ち落された敵機が戦場に降り積もるさまが雪のようだってんで、豪雪と非道の化身にたとえられているとか」

「そそ。あんなん見ちゃったら悲観して弓作りに走ってもしょーがないっしょ?」

 にゃあう。

 怪物イカと言い訳に気を取られていた青年に注意を促した。

「お?」

 目的地である浮島の森から白い鳥が飛び立った。一直線に飛んでくる。あっという間に接近して、白い巨鳥とその背にまたがったお嬢さんは舟と怪物イカの間を断つように空を切った。

 青年の瞳がぱあっと輝く。

「ルキア! ルキアちゃーん! 俺だよ、フェリクス!」

 青年は弓と矢を持った手をぶんぶん振り回す。

 舟が揺れるのでやめてください、おバカさん。

「おやっさん、あれ白魔の妹。可愛いだろ、やらねーよ。十年前から俺が狙ってんだから」

 十年前から進展できてないヘタレ、という解釈でよろしいでしょうか?

「ルキアちゃーん、俺のラウーが結婚しやがった! 夢の家族計画がパーだよ! だから傷心の俺と結婚してくれー! ついでにイカ、どーにかしちゃってー」

 この人、大事なものを母親の腹に忘れてきたに違いありません。

「兄の結婚とわたしの結婚の関連性が不明です」

 巨鳥を操るお嬢さんは上空を旋回して怪物イカの注意を引きつけている。凛とした声が風に乗って良く届いた。

「それより、イカにお困りなんですか?」

「それよりで片付けられた・・・・・・! 俺は怪物イカより君の冷静さに困っている! でもイカはやっちゃって、これで」

 上空へ弱く打ち上げられた矢を、お嬢さんの細い手が器用にキャッチした。

「撃ち込むと軽く爆発するから」

「了解しました」

「ヒットアンドアウェイでね!」

「了解しました」

「結婚してくれ!」

「結婚もヒットアンドアウェイ推奨ですか?」

「ボケじゃないのが怖いよね・・・・・・」

 がっくりとうなだれる青年。

 彼と行動を共にすることさえ迷いを覚えるのだから、人生を共にするのは世迷言でありましょう。

 賢明なお嬢さんは嘆く青年に一瞥もくれず、狙いすました一矢を怪物イカへ射掛けた。目と目の間に突き立った矢は、ボンと爆発して怪物イカを吹き飛ばした。

 墨、わた、白い肉がバラバラと降り注ぐ。

 大急ぎで青年の背嚢の下へ潜り込み、難を逃れた。が、逃げ遅れて隠れる場所もない青年と船頭はびしゃびしゃとイカの残骸を浴びた。

 おやおや、シワをつけまいと頑張ってたシャツが台無しですね。

 べったりと墨に汚れた青年がぼそりと呟く。

「火薬量、間違えたかも」

 お嬢さんも真顔で呟いた。

「活き締め失敗です」

 二人の未来が見えません。



「イカかクラーケンか知らないけど、怪物が暴れる危険地帯に君を住まわせておくわけにはいかない。本土で俺と一緒に暮らそう!」

 どさくさにまぎれてプロポーズしてますよ、この人。

 白い巨鳥は舟近くでホバリングしている。背に乗るお嬢さんは青年の申し出にも表情を変えなかった。

「住居のご心配ありがとうございます。クラーケンの被害報告海域ははるか沖で、あのイカは餌付けを試みておびき寄せていた個体です。付近に他の巨大イカはいませんから、大丈夫です」

 クラーケンは触手で船を絡め取り、深い海へ引きずり込むもの。

 という通例を覆して怪物が近海に出現した理由は、あっさりしたものだった。船乗りの間でクラーケンと恐れられる謎の軟体怪物を飼おうとしたということだ。

 お嬢さん、お気を確かに。

 何ですかその、鳩にパンくずやりましたくらいの気軽な感じは。

「船長さん、それを船荷に加えて頂いていいでしょうか」

 お嬢さんが指差したのは海面に浮く怪物イカのゲソ。

「フェリクスのおかげで夕食のおかずが獲れました。イカ料理を振舞わせてください」

 青年と船頭は、イカ墨にまみれた顔を見合わせた。

「俺やっぱ猟師だったのか・・・・・・」


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