15. 覚悟で
斜面にごろごろ点在する岩、雨を含んだ土で足場は最悪だ。生い茂る木々の枝葉は視界と動作の邪魔をする。ルキア嬢が得意とする弓には不利な地形に思えた。
四人と一匹を取り囲む黒い人影は五つ。それがじりりと移動して、各自の獲物を定めたようだ。
・・・・・・正面に壁のように立ちはだかってきた巨体と目が合うんですが、気のせいですよね?
猫のケンカにおいて勝敗を左右する要因は主に二つ。体の大きさと高所の陣地取りだ。人間の場合も当てはまるのかは分からないが、とりあえず、斜面の上方に立つ巨体は猫的にとてもイヤな相手だ。
知らん顔で二、三歩移動。巨体の視線はついてくる。反対側に二、三歩移動。巨体の視線はついてくる。黒猫が往復しても動揺しない。黒を嫌った前女王の残党ではない、黒猫横断の嫌がらせは効かないということだ。
形勢不利でロックオン。すなわち非常に面倒な事態。でも気にしないことです。ここは猫の得意技、一刀両断『さりげなく優雅に離脱』です。
そろりと前足を持ち上げたとき毛皮をかすめ、ドンと音と泥を上げてルキア嬢の編み上げブーツが至近の地面を突いた。
「ミハイ、必ず援護します。それまで持ちこたえなさい」
仰げば脚のあいだに猫をかばい、あごをしゃくって、ルキア嬢は避難ルートを指示した。弓矢越しに賊をにらみ据える異色の瞳には冷たい闘志が燃え盛っている。
一瞬、のまれた。
「俺より先にルキアの脚のあいだに入るんじゃねーよ・・・・・・」
フェリクス方面からも何か強烈な戦意が押し寄せてきた。
ふるふるとした震動が尻尾から首筋を走り抜ける。震動は脳天で弾けて、体中の筋肉に活力を降らす。今なら賊の巨体さえ軽々と跳び越せると思えた。
これは・・・・・・ボル・ヤバルの踊る肉球と恐れられた高速猫パンチが炸裂する時が来たようですね・・・・・・!
ルキア嬢のふくらはぎに一度頭をすりつけてから、脚の影という庇護を抜け出した。背を丸め、毛を逆立てて巨体を威嚇する。
隙を突くべく眺め回して、ふと気づく。
賊たちは暗色で簡素な胴衣に、白い布を袖や膝下に巻き締めている。日焼けして褐色がかった肌で髪はしっかりと黒く、ボブテイルのようにくるりと束ねて高い位置で結んである。握っている背丈ほどもある長い棒の両端には両刃の斧と槍穂が光っている。
なんともビンにそっくりないでたちではないか。
振り返る。ビンは戦闘態勢だったが、困惑顔をしていた。驚愕と混乱の入り混じる上ずった声で、賊の一人と質問を叩きつけ合っている。聞き取れるが理解できない。奏の言葉かもしれない。
ルキア嬢は緊迫感をみなぎらせたまま。フェリクスは敵を釣ろうとルキア嬢から離れた方向へ微動しながら。エン嬢はホワーンと不安そうにビンを見つめたままそれぞれの相手と距離を保ち、賊とビンの張りつめた対話の行方を探っている。
一行がビンに気を取られている隙に巨体を無力化してしまいましょう。
まずはジャンプの準備。鼻に噛みついてやるのです。ぬかるみを踏んだせいで指のあいだに入り込んだ泥を、ぴぴぴっと足首を振って払い落とす。
・・・・・・巨体が「はうっ」って息を漏らしましたよ?
もう一度、後ろ足を伸ばして軽快に足先をピチピチさせてみる。
「はううっ」
巨体から殺気よりおぞましい気があふれ出してきたような。
ごろりと横になり、腹を出してバンザーイしながら巨体をチラッ。
「ふがっ」
み、見ています。ガン見されています。
バンザイしてた両手両足をぱふっと地面に落とし、背中の毛をなめ、見返りながらチラッ。
「ほふ・・・・・・!」
巨体の頬が上気しています。
四つ足そろえておすわりし、カハァッと上あご裏のシワを覗かせながらあくび。チラッ・・・・・・巨体が武器を手放し、荒い鼻息を噴きながら突進してきました! 助けてくださいルキア嬢、賊を無力化するつもりが刺激してしまいましたー!
なぜか非常に殺気をそがれたらしい賊たちと一行で話し合いが始まったようだ。それぞれの武器はおさめられたが、あたりには困惑と緊迫がまだ漂っている。興奮したようすのビンを落ち着かせると、ルキア嬢は通訳を命じた。
「こちらに敵意はありません。ビンと同じ装束が示唆する通りにあなた方が奏の皇族の親衛兵だったなら、わたしたちは重要な情報を提供する用意があります。あなた方の長と面会させてください」
埋蔵金の話をしちゃうんでしょうか?
けれど賊のリーダーらしき中年は無言で、責めるような厳しい視線をビンへ突き刺している。
唐突に、ビンは賊の足元で手と膝をついた。叫ぶように何事か言い切る。その気迫に心臓を素手でつかまれるような緊張が走った瞬間、エン嬢の小柄な体がぐらりと揺れた。
素早く支えたルキア嬢の腕の中でエン嬢は真っ青になり震えている。常にホワーンと鈍かったエン嬢が。
「だめそよ・・・・・・、そんなの、だめそよ」
「エン」
ばちーん、とルキア嬢は迷いも遠慮もなくエン嬢をひっぱたいた。
やけに手慣れてませんかボス? 腕、振り抜きましたよ? 手加減って言葉ご存知ですか?
「エン、気をしっかり持って。ビンは何と?」
「・・・・・奏皇帝への忠誠なくば、我が血は青い。疑うならば我が首を斬って確かめられよ、と」
ビンだけでなく奏民族というのはつくづく、しつこい性質らしい。
十五年前、奏は北の海から進軍した女王に滅ぼされた。皇族を筆頭に奏民族は女王の残党狩りや圧政を恐れて僻地へ逃げたり、島を脱出したりして四散したという。
なのに今になっても、忠誠を証明しなければならない事態が起きているようだ。
賊が奏の皇族の親衛兵だというルキア嬢の推測は正しいのだろう。かもめが飛ぶのは魚の群れが泳ぐとき。皇族の親衛兵がいるということは、皇族もいるということだ。
もし、この付近に落ち延びた奏の皇族が隠れ住んでいるとしたら?
賊が現れたのは、隠れ家に近付いた者を排除するためだとしたら?
殺気丸出しで包囲されたものの攻撃されずに済んだのは、賊がビンは奏時代の仲間と気づいたからだろう。それでも空気は不穏だ。
奏の皇族は現アダマス政権にとっても亡霊のような政敵だ。白い肌を持つルキア嬢とフェリクスが奏民族でないことは明らかで、恐らく、奏民族でない者=政敵と同行するビンに裏切りの疑いがかかったのだろう。
ビンの祖国への忠誠心はこれまで、一行に不和をもたらす最大の原因だった。だがここにきて初めてプラスに働いたらしい。賊のリーダーは表情を和らげると、ひざまずくビンの腕を引いて立たせた。何事か叱りながら。
「彼は何て?」
たずねるルキア嬢に、エン嬢は答えた。顔色が戻ってきているのは立ち直ったのか、それともルキア嬢が張り倒した頬が腫れたせいでしょうか・・・・・・。
「忠誠のために美しく死ぬな。皇帝のために無様に生きよと」
「話が通じる相手のようですね」
わー話せる相手! と年頃のお嬢さんが喜ぶのが、兵士の美学についてでいいんですか?
赤い頬をさするエン嬢を見て、フェリクスが神妙な顔で呟いた。
「俺、奥歯きたえとこう」
それがいいと思います。
賊たちは山を熟知していた。
増水した川でも安全に渡れるポイントを知っていたし、周囲の峰が雲に隠れていても行くべき方角が分かっていた。流れの速い濁った渓流を眼下に眺める尾根を伝って、峠を越える。
もし、この付近に落ち延びた奏の皇族が隠れ住んでいるとしたら?
その推測は峠を越えると現れた丸太の柵で事実になった。百匹の猫が爪とぎしても開けられそうにない分厚い門が開くと、集落があった。
奏を滅ぼした女王が作り変えなかった、宮殿と貧民街。集落はその両方の特徴を持っていて、不思議な感じがした。
宮殿のつやつやした瓦は木の板に。堂々たる朱色の柱は丸太に。最高の建築物を真似てありあわせの木材を組もうとしたような、その建設がたった一部屋で終わってしまったように規模の小さい、どうにもアンバランスな家屋が並んでいた。
それでも岩は除かれ草は抜かれ、集落の中央を貫く道は平らにならされている。草木を切り払いながら獣道をかき分けてきた身にすれば、呆気に取られるほど整然としていた。
犬の匂いがするので、フェリクスの背嚢によじ登る。例によって「クソ猫」と悪態をつかれるが、払い落とされたことは一度もない。
道に人垣が待ち構えている。ビンや賊と同じ暗色の簡素な服をまとい、長い棒を背負っている。周囲の家屋に人の気配は潜んでいるし視線も感じるが、親衛兵以外は姿を隠しているらしかった。
人垣の中央から進み出てきた老人が親衛兵の長らしかった。頭の高い位置でくるりと束ねた髪は白くて量が少ないが、背筋は伸び、眼光は鋭く、気に満ちている。
ルキア嬢はひるむことなく老人の前に立った。エン嬢を引き寄せて耳打ちする。ホワーンと不思議そうに斜めに頷いたエン嬢が背嚢から取り出したのは、割れ目を継いであるボロい乳棒だ。
「わたしはルキア・スマラグダスと申します。アダマス帝国空軍大佐ラウー・スマラグダスの意向により、奏皇帝の赤い宝・・・・・・皇族の血脈であるエン姫と伝国璽を返上しに参りました」
・・・・・・ボス、どうしちゃったんですか?
通訳もできずに硬直するビン。三秒ホワーンとしてから驚くエン。それを横目に、ルキア嬢はフェリクスを振り仰いだ。内臓まで冷えるような目をしていた。
「フェリクスと兄で企んだなぞなぞの答えは、これで合っていますか?」
フェリクスは痛みに耐えかねたように頬を歪め、自嘲的に弱々しく笑い、頷いた。
奥歯粉砕決定。