14. アラームで
乾季でも雨は降る。
一行が地図を確認した結果、秘宝埋蔵場所は現在地から遠くないようだ。猫よりわずかに広い額を突き合わせた結果なら正しいのだろう。けれど行商人が近寄らないため地上の目印がない地域で、移動距離を正確に把握しなければ迷子になる。
数少ない目印である山は、低く降りてきた雲と雨に遮られて姿を隠してばかりだった。
そこで名乗りをあげたのがルキア嬢だ。記憶の鬼と評されたルキア嬢は、筋肉の動きさえ正確に記憶し再現できるらしい。一定の歩幅を保って数えることで移動距離を測りながら進む。フェリクスが方角を管理しながら地図と照らし合わせた。
一泊して順調に行けば明日、秘宝埋蔵予想地にたどりつく予定らしい。
毛という毛に雨雲がまとわりついたみたいに、その夜は特に蒸し暑かった。
寝苦しい気候も、そこで生まれ育った者は体が慣れている。ビンとエンが寝息を立てる中、ルキア嬢は最小限の気配で寝返りを繰り返していたが、諦めたらしくテントから出てきた。
火の番をしていたフェリクスはとっくに待ち構えていたが、意外そうな顔を作って水を差し出す。水には小さな葉がたっぷり浮かべてあり、鼻を近づけると爽やかな匂いがした。
「ミント水。さっぱりするよ」
口をつけた瞬間にルキア嬢の瞳がぱっと生気を取り戻して、効能を雄弁に語った。
「これが生のミント? 乾燥させたものとはかなり違う味がする」
コップの中の葉を凝視している。葉の形状を覚えようとしているのだろう。
「種類も違うからね。アダマスにはまだ出回ってないタイプだと思うよ」
気に入った様子にフェリクスは満足げだ。この青年は本当に目が良くて、ただ動くものをとらえるだけに留まらない。歩きながら弓の材料、食糧や薬になる素材を目ざとく見つけて回収する。
ミントは珍しい植物ではない。けれど荷の限られた旅の途中で、飲み水に混ぜるためにわざわざ摘んでおくようなものでもないだろう。実際、フェリクスがミント水を飲んでいるのを見たことはなかった。夕方に群生地を通ったときに、遅えよと自嘲的に呟いて摘みまくっていた。
「いつもはミントオイルを持ち歩いてんだけどね。切らしててさ・・・・・・薬師に寄ってくりゃよかった。水に垂らせばミント水になるし、薄めて塗れば涼しいし虫除けにもなる」
「ありがとう。すごいね、フェリクスは旅の知恵をいっぱい持ってる」
「弓の知恵よりもね! あ、自分で言って虚しかったシャレにならねー・・・・・・」
本当に虚しかったらしく、フェリクスは胸のあたりをがしがしとこすった。こすれば胸に開いた空虚の穴が消せるとでも思っているみたいに。
ぱち、と火のはぜる音を何度かやり過ごしてから、ルキア嬢はおもむろに口を開いた。
「アダマスの工房に腰を据えるつもりはないの?」
「ルキアが一緒に住んでくれるなら」
苦い顔から一転、フェリクスはにっこりちゃっかりそんなことを言い出すが。
「弓師が常駐することと同居の関連性が分からない」
真顔でもっともな指摘をされるいつものパターンです。真顔どころか、真剣にそう考えているのがルキア嬢です。
「ところがあるんだ、これが。聞きたい? 俺の奥さんになる人だけに教えてあげる。知りたい?」
めげないフェリクスは、実はルキア嬢の良い相手なのかもしれない。
「ここで生きたいとか、あそこで死にたいとか」
奥さんになる人だけと限定する目的が分からない、と言いかけたルキア嬢の言葉にかぶせて、フェリクスはしゃべりだした。
「そんな風に愛着を持てる土地に出会わないんだよね。気配も感じないよ。ルキアに絶対見せたい景色はたくさんあるし、面白い街だってあちこちにある。それでも一歩離れると、地図上の点にすぎなくなる。惜しくないんだよ、全然。さー次行くか、ってそっちが楽しみでさ」
好奇心で人生の寄り道をする青年は、一ヶ所に留まる習性を持たないのだろう。
「けど山の奥ふかーくに行ったりすると、ふと思うんだよね。ここで遭難死しても誰にも発見されないんだろうな、ルキアに会ってから来ればよかったなあ、ってさ」
「遺書ならいつでも預かるから」
「いやそうじゃなくてね・・・・・・ルキアちゃん、思考がほんと軍人だよね、頼もしいったら」
明るく笑ってみせるフェリクスの打たれ強さがだんだん尊敬の域に。
「たぶん、俺はどこでもいいんだよ。家族と色が合わないって分かった頃から、住んでた場所は家じゃなくなった。俺にとっての家はどこか住む場所じゃなくて、誰といる場所なのか、なんだ」
ルキア嬢は神妙に聞いている。共感するでもなく否定するでもなく、ただじっと聞いていた。
言葉を真に受けて相手の真意を汲み取れない浅さはあるが、ルキア嬢は愚かではないと思う。言葉の飛躍や矛盾は遠慮なく指摘しても、相手の心情や思想に異議をとなえたりはしない。
猫だってわざわざ衝突するよりは、お互い黙って離れるのを選ぶ。日向ぼっこには屋根の上がいいか階段の中央がいいか、鳴き争っても仕方のないことだからだ。そんなケンカに時間を浪費するくらいなら、好きな場所に寝そべる方がよほど有意義というものだ。
「だから俺はアダマスに戻ってくるんだ。ラウーとルキアがいなかったら、とっくにどこか放浪してるよ」
今でも充分フラフラしてませんか。
疑わしげな視線を見逃さなかったらしく、フェリクスの手が伸びてきて、がしゃがしゃと乱暴に頭を撫でてきた。なんという挑発。すかさず腕ごと抱え込み、兄弟猫とのケンカの末に体得した絶妙な力加減で噛んでやります。あぐあぐ。
「スマラグダス兄妹には感謝してんだよ。俺に関わってくれてさ。ルキアと会った日なんか、俺の人生にようこそ、来てくれてありがとうって思ったね」
「その感謝は、わたしたち兄妹が受け取るものじゃないと思う。仮に人と人を出会わせる存在があるとしたら、その存在が受けるべき」
ルキア嬢、そこは頬を染めながら「そんな、わたしこそ・・・・・・」などと恥らう場面だと提案します! そしてすかさずフェリクスが首根っこ噛みついて襲いかかる場面だと主張します! 猫とじゃれてる場合じゃあぐあぐあぐ。
「俺、神サマ信じてないしね。他に感謝するとこないもんな」
「・・・・・・客死する前にわたしに会っておけばよかった、って思うの? 兄にじゃなくて」
顔を寄せてじっと見据えられて、フェリクスの手が止まった。掌に一気に汗をかいたのが、腕をホールドしてる猫としては丸わかりだ。
さあここは雄を爆発させるところですっ!
「うん・・・・・・ほら、どっちでも変わんないじゃん、ルキアってラウーと同じ顔だし考え方もそっくりだしさ!」
大バカさん! 照れてる場合ですか! 相手が言葉を真に受けるルキア嬢だって分かってますか!
「了解しました。寝る。ミント水をごちそうさま」
無表情でテントへ戻るルキア嬢。
フェリクスがミント入りコップを握り締めてのた打ち回って見苦しいので、ルキア嬢のテントに潜り込んでその日の寝床とした。
猫は水が嫌いです。
舐めに舐めて整えた毛流れが乱されるのも、肌にじっとり貼りつく不快感も、「濡れると意外に痩せてるんだねーププ」と笑われるのも、全て水のせい。水濡れ厳禁。水浴びが好きな猫は、言わせていただきます、酔狂なのだ。
だからエン嬢が運んでいた鍋の穴が唐突に増え、頭から水をかぶってミギャーと叫んで飛び上がったとしても、猫らしさを披露しただけのこと。笑い転げたフェリクスには爪とぎしてノミうつして足の上で用を足し、ルキア嬢の胸元に潜り込んで肉球うにうにしてやるから覚悟しておきなさい。
朝から嫌な予感はしていたんです。
朝陽というより嫌な予感に起こされたのは、窮鼠ビンが反乱を起こす予兆だろうか。そう思って警戒していたらエン嬢に水をぶっかけられるなんて、誰が予想できるのですか?
ルキア嬢、放してください。拭くのは後でいいですから、フェリクスに正義の鉄爪をフシャー!
「貸してよ、エン。修理してあげるからさ」
ニヤニヤ笑ったままの性悪フェリクスが穴あき鍋を検分する。ビンの武器が壊れたときもすかさず修理してやっていた。ものを作り出すフェリクスは、壊れたものを見過ごせないのだろう。
フェリクスへのルキア嬢の信頼は壊れかけてますけどね・・・・・・! ふんっ!
爪とぎ刑が果たせない代わりにルキア嬢の胸元に潜り込み、うにうにを開始。うにうに。うにうに。あぁこうしていると、母猫の腹へと兄弟猫をかきわけながらすがりつき、うにうにした遠く優しい記憶がよみがえります。
「修理したら一番に煮てやる・・・・・・」
どこからか断固たる意思表示が聞こえる。朝ごはんの相談だろうか。今朝のお肉は何でしょうね? ミルク煮を所望したい気持ちなのです。
うにうにを満喫し、そのままルキア嬢の腕の中へ収まった。
フェリクスは使い込まれて炭のこびりついた鍋をごしごしこすっている。黄色を帯びた銅色の地肌が覗いた。
「銅鍋じゃん。色からすると不純物が多そうだけど。いいね、銅鍋だとよく煮えるもんな。どっかにあったぞ、銅のリベット」
腰に巻いた革ベルトとズボンのポケットをさっと撫でただけで、フェリクスの手には魔法みたいにハンマーと小さな金属棒が現れた。が、鍋の底には三脚状に長い足がついていて、金属片を打ち込もうとするハンマーの邪魔をする。
「うう。野営には便利な形だけど修理しづらい。銅は柔らかいからこえーんだよ。うっかりハンマーが滑ったらこの、ゴテゴテした模様を打ち潰しちまいそうで・・・・・・よし、このリベットで直径ジャスト」
穴に差し込んだ鋲の両端を慎重に打ち延ばす。
カロン、カロン。ぶつぶつ文句を言ってはいるが、工作に専念するフェリクスはとても機嫌が良さそうだ。氷砂糖を舌で転がす口元は、カネの話をするときとは別種の深い笑みを帯びる。
見守るルキア嬢は真剣だ。フェリクスの手元ではなく、顔を見ていた。その笑みを鑑定しようとしているみたいに。
氷砂糖のように、フェリクスは言葉を舌先で転がす。転がすうちに形を変えてしまう。
『偽りに汚れた舌で誠意を語れぬ、おまえがヘリクスじゃい』
次に会うとき、象隊商隊長はなんと指摘するだろう。
『んふーん。濡れると意外に痩せとるぞい、ミヒャイ』
会いたくありません。
目的地が近付くにつれ坂が続くようになった。象の道を外れ、細い獣道をたどる。象よりはるかに小さい獣たちの道は、厚く覆いかぶさる枝葉の天井で人の侵入を阻もうとする。足元はぬかるんでいる。悪路に遅れだしたエン嬢の荷をビンが黙って奪い取った。
熟睡しなかったのにルキア嬢は元気だ。鍋修理のお礼だったのだろう、エン嬢特製ゴリゴリ汁をフェリクスが「ホントごめん勘弁して、頼むルキアちゃん代わりに飲んでやって」と平身低頭で頼み込んだフリをして譲った効果に違いない。
またしても果敢に一気飲みして「癖になってきたかも」と呟くルキア嬢に青い顔を向けていたから、本当に飲めなかっただけかもしれないが。
「ルキア、もう歩幅をそろえなくていいよ」
列の最後尾からフェリクスが声を上げる。
「山道じゃ誤差が大きくなる。この方角を維持してれば、近いうちに川にぶつかるはずだ。川沿いにさかのぼれば予定地に近い」
「危険そよ。昨日の雨で増水するそよ」
先頭のビンが振り返る。行く手をふさぐ枝を切り払っているせいで、服のあちこちに濡れた葉が貼りついていた。雨の残りを感じさせる。
「だよなー。天気の回復を待つか」
一行が地上の目印として信頼する山は、まだ厚い雲に捕まっているようだ。首を伸ばして木々のあいだから山を探していたフェリクスはため息をついた。
「距離測定法が不正確でも、暗号の指示する目的地が広範でも、わたしたちは恐らく予定地に到達します」
キッチリが身上のルキア嬢が似合わぬことを言いだした。同感だったらしく、男二人が顔を見合わせる。エン嬢はいつも通りホワーンとしている。
「口の甘い天のお導きがあるからです」
ヒタリとフェリクスへと定められた異色の視線が、なぜか背筋ぞわぞわに冷たいです。
「まずは川に出るのを目標にしましょう。増水の状況を確認します」
弓師、またも失態そ?
濡れ落ち葉よりジットリした目で聞いてくるビンに、フェリクスはぶるぶると頭を振っている。
「塩。それ心臓の傷口に塩だから」
なーう。
会話を遮って一声、高く鳴き立ててからルキア嬢の編み上げブーツの後ろへと回った。
「お。ビン、護衛の時間だよー」
動きかけていた一行の歩みが止まる。口調はのんびりしているが、フェリクスのブーツの爪先には例の刃が準備されている。
「護衛の時間そ?」
「うん。何か来るよ。ミハイが鳴いた」
瞬時にビンとルキア嬢が、三秒遅れてエン嬢が背嚢を打ち捨て武器を構えて周囲に気を飛ばす。密林は葉ずれの音、鳥の鳴き声、小動物の小走りなど、いつもと変わらない一定の喧騒に包まれている。
戻ってきた怪訝な視線たちを受け止めて、フェリクスはニッと笑う。
「こいつ、なかなかあなどれない危険探知猫だよ。怪物イカの時もイノシシの時も事前に鳴いた」
ふっ。そうなのです。フェリクスもなかなかあなどれない観察眼ですね。
「ま、危険を教えてくれてるっていうより、怠け者なだけだろうけどさ。自分だけ安全なトコ逃げるし。危険が来るからどーにかしてくれ、って言ってんだろうな」
本当にあなどれません。
少し離れた梢から、小鳥が慌てて飛び立った。
「来た来た」
ざざん! と枝葉のこすれる音がすると同時に、一行は数人分の殺気に囲まれていた。いつかのくさい野盗たちとはまったく違う、訓練され統率された濃厚な殺気に。