11. 交渉で
「目と口と耳のあるものは、目と口と耳のあるのは目と口と耳のあるもののみと思いよるぞい」
どうなっているのか。漏らしたのは誰にもバレていないはずなのに。どうして。
ほろんほろんと落ちてくるくぐもった声はその問いに答えているようだった。簡単な文章なのに意味が分からない。妙な感じだ。
「つまり目と口と耳のない情報提供者がいるとでも? 例えば・・・・・・」
打たれ強いとほめてやるべきか。フェリクスはいつもの気軽な調子を取り戻している。初めてトカゲを見つけた子猫みたいに、クルミ色の瞳には好奇心が輝いていた。
「空が見たり大地が聞いたり、草木がしゃべったり? 象隊商じゃなくてシャーマン、それとも森の主だとか言っちゃう?」
「そうら。何が何だと定めると、目と口と耳が固くなるんじゃい。隊商か。シャーマンか。象使いか。森の主か。年寄りか幼子か。ヒトか。どうでもよいことじゃい。定めて何が変わる」
「あるがままに、って? なるほどね、名前もどうでもいいから正しく発音する気がないのか」
とらえにくい会話に戸惑っているのは猫だけではないようだ。ルキア嬢は口を閉ざし続けているし、ビンも腕組みを揺らしている。常にホワーンとしているエン嬢はもはや大物な予感がしてきた。
「名か。難儀なもんじゃい。名で定められれば縛られるぞい、ヘリクス」
「ヘじゃない。フェリクス。定めも必要だ。俺にとって弓師であるかどうかの定義は、森の声を聞けるかどうかより大事だ」
「なんじゃい、惑わされんのか・・・・・・つまらんぞい」
つまらないと言ってはいても、んふっふと楽しむような鼻息が聞こえた。
「口も商売のうちなんで。簡単に煙に巻かれてやらないよ。たとえ森の声が聞ける相手でもね」
「よかろ」
ぺし、とうちわが荷台のへりを叩く。
「隊商にしか用がないなら、隊商になってやるぞい。隊長と定められてやるぞい。さあて」
うちわが舞うと風が流れて、不可思議な会話と雰囲気に飲まれかけていた一行の呪縛が解けた。突破口を作ったフェリクスの唇が満足そうにゆるむ。
ふむ、残念ですが漏らした件が漏れた理由については永久に話題にしないことにしましょう。そうしましょう。
「あとの二人には会うた覚えがあるぞい。十五年前か。十六年前か。皇帝に招かれた、奏の宮殿じゃい。大きうなったもんじゃい」
「宮殿でビンとエンに? おまえ皇族か!」
「アイヤ、恐れ多きことを」
ビンは痩せた長身をのけぞらせると頭をぶるぶる大きく振った。
「我が一族は代々皇族をお守り申し上げる血筋ゆえ、幼少より宮殿に」
「親衛兵か、まぎらわしいっ」
「いかにも」
しかし、と疑いを挟む目を隊商へ向ける。
「象隊商の記憶はないそよ。十五、六年前には十歳ほど。目にすれば覚えていてしかるべきそよ」
「んふー。皇帝なんてもんは傲慢じゃい。徒歩で極秘に通されたぞい。そりゃあ伝国璽の羊脂玉とくりゃモノがモノじゃい。んふっふっふ・・・・・・なんじゃいつまらん、話が分かっとるのはルヒアだけじゃい」
象隊商の隊長の話にフェリクスは肩をすくめ、ビンは顔をそらし、エン嬢はホワーンとしている。ルキア嬢だけが緊張を漂わせて、じっと隊長の影を見据えていた。
「なんか真面目そうな単語出た。はーいルキア先生、今の解説して」
「うん。ただ、奏国の体面に関わるので覚悟して」
「わーこえー。ま、体面が崩れたところでもう滅んだ国だし」
ビンは切れ長の目尻を吊り上げてフェリクスをにらむが、いちいち反応しなければからかわれることもないと気付かないのだろうか。
「けどさ、なんで奏国人だったビンやエンが分からない話を、ルキアが分かってんの」
「・・・・・・我が一族は武をもって忠義としたゆえ」
ケンカ以外は知らないと言い訳したいらしい。
奏民族が四散した十五年前、ビンは十歳ほどだったと言った。猫にすれば大往生してもいい歳だが、人間ではまだ子供。ビンの無知は子猫が集会の仕組みや慣習を知らないのと同じだ。
「アーケロン島にはあらゆる国から傭兵や研究員が来る。わたしは彼らの母国の話を小さい頃から聞いて育ったの。それじゃまず、奏の伝国璽について」
長かったルキア嬢の話はこうだ。
海と陸が造り直された数百年前より、もっと前。奏国人の祖先は東の大陸にいた。
その地ではある宝物をもって国の象徴とする伝統があった。伝国璽。これを所持する者こそが東の大陸の正式な覇者と認められ、皇帝を名乗ることができた。武将たちは戦を繰り広げ、覇権とその象徴である宝物を奪い合った。
伝国璽の歴史は古い。紀元前二千年、今から四千年も前にさかのぼる。
東の大陸最古の王朝とされる夏、その最初の王が青銅で祭器を作った。この青銅器製の宝物は殷、周と王朝が変わっても受け継がれて伝国璽と呼ばれ、千八百年以上にわたって王の象徴であり続けた。
ところが周が秦に滅ぼされる際、周の最後の王は伝国璽を川に沈めてしまった。ここで青銅の伝国璽は大陸史から姿を消すが、以降、青銅器が出土するとめでたい事が起きる前ぶれとされるのはこの行方不明の青銅の伝国璽を想起させるからかもしれない。
鳳凰は聖天子の出現を待ってこの世に現れる霊鳥だという。周を滅ぼした始皇帝は伝国璽なしに秦を建国したが、やがて現れた鳳凰の巣から宝玉が見つかった。始皇帝はその宝玉に字を刻んで皇帝の印とし、以来二千年以上、この印は新たな伝国璽として受け継がれてきた。
「なにそのご都合展開な話。鳥の巣に卵はあっても宝石が入ってるわけねーし。皇帝が天に選ばれたフリしてふんぞり返るためのでっちあげだろ」
「弓師! 無礼そよ」
「鳥の巣に宝がある、というのは東の大陸付近にルーツを持つ民族には共通の認識なの。ある島国の昔話『かぐや姫』では宝玉の一つに燕の巣の子安貝が挙げられてる。貝は古代では貨幣にも使われて、特に磨いた子安貝には宝物としての価値があった」
要は伝国璽とはすごい宝をすごい皇帝がすごいボスの証にした宝物中の宝物というわけだ。
「伝国璽の伝承において、鳳凰の巣にあったとされるのはヒスイ。東の大陸ではヒスイが珍重されてて、金より高値がついたみたい。中でも羊脂玉は最高級だったはず」
「あー、奏国人は今もヒスイ好きだよな」
「羊脂とは羊の脂身の意そよ」
「ふーん。羊脂玉は羊の脂みたいに白いヒスイ、ってことだな」
干渉嫌いな猫が群れるのにも意味がある。集会がそうだ。誰かが知っているものだ。伝国璽の羊脂玉、という謎の言葉が明らかになっていく。
「待てよ。その伝国璽になる羊脂玉が売買されたなんて、ヤバい話なんじゃないか。伝国璽ってのは二千年モノの帝位の証だろ? まさか紛失か壊したかして、一商人から買った材料で作り直したのか? 正統の欠片もなくなるぞ」
うん、とルキア嬢は生真面目な顔で顎を引く。
「だから体面に関わるって前置きした。奏民族にとって伝国璽は国のシンボルであり続けてる。奏を滅ぼした旧女王は伝国璽を粉々にして奏民族の士気を下げようと画策した」
旧女王と呼ばれるのは十五年前に北の海から進軍してきて奏国を攻め落とし、独裁政権を打ち立てた人間だ。それがつい最近、東の海から進軍したアダマス軍に降伏した。
「でも女王軍は伝国璽を奪えなかった。伝国璽を保管してたのが皇帝じゃなくて国璽尚書だって知らなかったみたい」
「ルキア先生、誰が伝国璽を保管してたって?」
「国璽尚書。皇帝の文書の授受を担当してた官職。文書に押す皇帝印の保管も兼ねる重職だったから、皇族の中から任命されてた。恐らくその国璽尚書が女王軍の目をかいくぐり、伝国璽を持って逃げた」
「うわ、最高のスキャンダルだな!」
最高に楽しそうにフェリクスはニヤニヤする。
「国が滅ぼされても奏の皇族が守り抜いた伝国璽の出所が実は、鳳凰の巣じゃなくて象隊商! 正統性が失墜! この情報、高く売れるね。アダマス軍は奏国の復活を絶対に許さないから」
「信じぬそよ! 奏は鳳凰のごとく蘇る! 弓師め、斬る!」
「斬るなら象隊商が先だろ! だからそれ突きだろ!」
鼻息荒いビンの突き出すイガイガ金属球がフェリクスを殴り損ね、地面にいくつもの穴を掘る。
狂騒を前にして、んふーん、と隊長が満足な息を漏らすのが聞こえた。
「フタじゃい。奏の皇帝は羊脂玉を買って、伝国璽の印面を守るフタを新調したんじゃい。印はちゃあんと皇帝が持っとったぞい」
「う、うぬ・・・・・・悪い冗談が過ぎるそよ!」
「んふっふ。フタだとて、伝国璽の一部じゃい。商人から買い上げたなんぞと知られたくはあるまいよ」
この話が事実なら、象隊商は他では買えない不可思議な逸品を売っているという噂も納得だ。巨大化猫を扱っていてもおかしくないと思える。
「奏皇帝は国宝たる白象を代価によこしたぞい。おや、白象が腹を空かせておるぞい。暴れ出す前に聞こうか。さあて、巨大化猫の支払いは何じゃい。カネなんぞのつまらん定めにゃ応じぬぞい」
隊長は答えをせかすようにハタハタとうちわを扇いだ。
一行の目はフェリクスに注がれる。交渉役に適任だと暗黙の一致をみたようだ。
「そうだなー」
のんびり言いながら、フェリクスは足元の背嚢に手を突っ込んだ。取り出したのは財布かと思えば氷砂糖で、白く角ばった塊は縦長の弧を描いてフェリクスの口に収まった。
氷砂糖を転がすカロン、カロンと軽やかな音が続く。
「うん、うまい。ルキアも一つどう?」
「ありがと。でも今は遠慮しとく」
「これで舌を鍛え合えるのに」
ビンがそわそわし始める。隊長は今にも白象をひるがえして、餌を与えに消えてしまいそうだ。それでもフェリクスは氷砂糖で遊んでいる。のんきだ。
「おい弓師、」
たまりかねたように切り出したビンを、フェリクスは目配せで黙らせた。
「じゃあ支払いに、女王の埋蔵金のありかを教えてもらおうか」
一、二、は頭が真っ白で、三で弓師を凝視する。二人と一匹がぴったり同じ動きをした。エン嬢だけが六あたりで追随。
「んはははは! よこせと、支払いによこせ、ときたもんじゃい! んふっふっふ」
爆笑の合間にうちわがバンバンと荷台のへりを打ち叩く。勢いでまくれ上がった虹色の布の隙間から、うちわを持つ足が覗き見えた。うちわは足で持つものだっただろうか。濃い褐色ですんなりと優美な、シャム猫を思わせる足だ。
「森に目と口と耳があるなら聞いてるよね。旧女王派の残党は、象隊商が女王の埋蔵金のありかを知ってると言ってた」
旧女王の配下にいた者たちが追撃の手を逃れてこの森に潜んでいる。二度遭遇した野盗たちもその一味のようだ。
「あいつらアダマス軍に狩られて劣勢だ。女王の埋蔵金を探し当てて軍資金にしようと企んでる。象隊商の安全と森の平穏を望むなら、埋蔵金を暴くのが根本的解決だろ? それをやってやる」
うちわが舞ってから、ひたりとフェリクスに向けて据えられた。
「ヘリクス、象に乗るか」
指名された青年は面白そうに悠然と笑う。
「隊商に入れって?」
なんと。象隊商への勧誘だ。隊長に気に入られたようだ。
フェリクスが答えようと口を開いたとき、「だめです」と鋭い声が遮った。
「だめです。フェリクスは弓師ですから」
おおぅボスの冷気。袋に詰められたままの我が身は逃げようもなく冷気の滝を浴び、あっ母猫のぼんやり透けた姿が見え始めたような・・・・・・。
「ルキアは弓師の俺がいい?」
「フェリクスは兄とわたしの幼なじみで、弓師でしょ」
「うん」
「スマラグダス家の一員になりたいって言った」
「うん」
「だから、隊商入りは断ってもらわないと」
「うん。断るよ。ルキアが口添えしなくても断るけど、ルキアがそんな風に焦ってくれるんならもう絶対に完璧に一切の容赦もなく、ナマ足で口説かれようと脅されようと命かけても断る!」
うちわを持つ優美な足をしっかり目視していたようだ。
暑苦しい言葉が役立つこともあるのですね。我が身は解凍されて、母猫の姿は薄れて消えた。
代わりに見えてきた茶髪はフェリクスのようだ。ルキア嬢の手を捧げ持つように握り締め、その手を自分の胸に引き寄せ、じっと暑苦しい視線を放出している。
だがルキア嬢は憂い顔だ。
「余計な口添えでごめんなさい」
「ああっ違うんだ、そこで引っかかるな! 君の謝り癖が憎いっ、あーこう言うとますます謝るね。うんルキア、今のは『よかった』って笑って欲しいとこなんだ」
「笑う・・・・・・」
「うん。笑顔が不吉なアダマスの魔物なんかクソくらえだ、笑え、ルキア」
それは悪の大王ラウー・スマラグダスのことでしょうか。フェリクス、死に急ぐんですね。
魔物の正体を知らないルキア嬢は、吹き出し気味ににっこりとした。
「よかった。フェリクスが弓師でいてくれて」
「うわあああヤバい、俺史上最高幸福更新・・・・・・」
陶然と呟いた唇が細い指先に押し当てられる。
「・・・・・・俺の調合した手薬煉の匂いがする」
「常に弓を引けるよう備えてるから。あ、でもボル・ヤバルの暑さだと手薬煉が溶けすぎて、滑り止めの効果が落ちるの。樹脂の配合を変えて、粘性を上げる調整してくれる?」
「ルキアに俺の作った匂いが染み込んでる・・・・・・」
視界の隅でハタハタするものがあると思えば、白象の上のうちわだった。
「よかろ。望みの地図を貸してやるぞい。代わりに保証金を預かるぞい、有り金すべて出すんじゃい」
「うん」
フェリクスはぼうっとルキア嬢を見つめたまま夢見心地で返事している。慌てたビンのイガイガ金属球は、フェリクスの足にドフッと食い込んだ。それでもフェリクスは反応しない。今まで一度も当てられなかった突きが入って、ビンはうろたえている。
「商いは互いの信用じゃい。隊商の安全と森の平穏、実現してみい」
「うん」
「フェリクス。巨大化猫の購入資金を全額、埋蔵金の地図に充てたように聞こえたんだけど」
「うん・・・・・・んんっ!?」
白象の器用な鼻が、おバカさんの背嚢からカネの包みを奪っていった。