10. キャラバン追跡で
生い茂る森の中で音の発生地を探し当てるのは、実は簡単だった。大きな音に驚いて駆けてくる動物たちの逃走ルートをさかのぼればいいからだ。
音源はフェリクスの予想通り、象の道の分岐点にあった。草木のトンネルはまだ薄暗い。露が土と草の香りを伴って立ち昇る、朝に独特の匂いがする。そこへ野蛮な煙の焦げ臭さが混じっていた。
道には白い羽根が飛散していた。一羽の大きな鳥が転がって動かない。ガチョウだろうか。
しかし動かぬガチョウより注意を引かれたのは、そばにたたずむ男だった。動物たちを引き連れている。鶏、ヤギ、豚、犬、ガチョウ、猿まで。ブヒブヒブメェェギャッギャと騒がしい輪の中心に、男は漫然と立ち尽くしている。
アダマス軍の軍服だ。見慣れない毛をしている。長い黒髪は数十本の三つ編みに仕立てられていた。あれでは毛づくろいに難があると思う。
男はふと振り向いてルキア嬢を認めると、にこりと爽やかな笑顔になった。
「おはよう! スマラグダス家のルキア、傭兵養成所以来だろうか」
「おはようございます。はい、ガッテンがアーケロン島を出立してから一年十ヶ月二十三日ぶりです」
「優秀な記憶力は健在のようだ! ハハハ、嬉しいよ!」
ガッテンと呼ばれた男とルキア嬢はガシッと握手を交わしている。知り合いのようだ。
「フェリクス、彼はガッテン。兄の傭兵で、アーケロン島では研究員でした。ガッテン、彼はフェリクス。弓師で、兄も私もお世話になっています」
よろしく! と過度なほど元気のいい挨拶と共に、ガッテンという名の兵士の大きな手がフェリクスに差し出された。満面の笑みの背後には動かないガチョウがひっくり返って天に足を突き出している。
フェリクスは声なき声で「温度差でかいな・・・・・・」と呟いてから、手を握り返した。
「どうも。ルキア、いつも冷静な紹介ありがとう。そろそろ聞いていいかな。さっきの音は何だ? そこの可哀想なガチョウはガッテンの? これは偶然の再会?」
「突然ガチョウが飛んだ。飛べない鳥が大きく飛んでいたよ! ハハハ」
フェリクスとは異なる場面で無駄な笑いを振りまく男だ。
「ガチョウの飛翔ではなく爆風と思われます」
これがボケ殺しという現象だろうか。
「獣道に罠があったようだ。官給品の動物は報告が面倒で参るね」
「・・・・・・補足すると、フェリクス」
三つ目の回答が与えられていない。完璧な応答を好むルキア嬢が控えめに口を開いた。
「この再会は偶然です。もし質問が許されるなら、ガッテンはなぜここに?」
慎重な聞き方だ。なるほど、相手は悪の大王ラウー・スマラグダスの手下。人に話せぬ活動を、
「ハハハ、構わないさ。樹脂を集めているんだ」
・・・・・・していなかった。
「了解しました。用心を。他にも爆発物が隠されている可能性があります」
「それは困った!」
と困っていると思えない爽やか笑顔で、ガッテンは足元でガァガァ鳴いていた別のガチョウを抱き上げた。象の道に放り投げる。ガチョウが着地した瞬間にバン、と強烈な音が空気と地面を揺さぶった。血に染まった白い羽根が舞う。
「おいっ・・・・・・」
視力を自慢していただけのことはある。フェリクスの体はガチョウが吹き飛ぶより早くルキア嬢の前へ差し出され、はねてきた赤いしずくを阻んだ。
「また飛んだ。爆発物はまだあるようだ。ここにいる動物で除去しきれるかな? ハハハ」
「ルキア、ミハイを守っとけ。・・・・・・そうか、動物兵器の研究員か。扱いが乱暴だな」
「おや。弓師のフェリクス、君は折れた矢の葬儀でもするのかい?」
「無駄遣いで折っていい矢はないって言ってる」
面白そうに笑う青年と、面白くなさそうに口元をゆがめる青年の視線が絡み合う。
我々もネズミを、虫をオモチャにする。だからガッテン側にいると言える。だが人間の代わりに吹っ飛ばされてやる義理はないので、ルキア嬢の裏で身を縮めた。
「分かった。並行する信条は議論して近くなることはあっても、交わらないことくらい知ってる」
肩をすくめて腕を広げ、フェリクスは不快感を空に逃がしたようだった。
「けど、道の向こう側に潜伏してるやつらを叩いて地雷に心当たりがないか聞く点については、意見の相違はないって期待してるよ?」
「ハハハ、同感だ」
過去最悪の夢は、求愛した相手がネズミだったのを衆猫環視されていたというものだった。だがそうした事態はどの猫にも、人間にさえ起こり得る特別ではないものだと主張したい。背後から愛すなら相手の顔は確かめようがないではないか。
あの夢より寿命に悪い光景を見てしまった。
ガッテンがいる限り我が猫族、いやガチョウもヤギも鶏も豚も犬も猿も、ラウー・スマラグダスに対抗するのは不可能だと思い知らされてしまった。彼に抹殺の審判を下されたら最後、絶滅するしか猫族に残される道はない。
いえ失禁などしていません、トイレしたかったんです本当です。後ろ足が濡れた? いえいえ朝露です。
ガッテンは人間でありながら、あらゆる動物の声を持ち合わせていた。しかも「あれは敵だ、攻撃しろ」と鳴くようなのだ。ガッテンを取り巻いていた動物たちは次々に鳴かれ、瞬時に飛び上がり、猛り狂って茂みへ突っ込んでいった。
茂みの裏から複数の悲鳴が響いた。ある者は象の道へ転がり出てきてルキア嬢の矢に射止められ、ある者は爆発物を踏んで宙を舞い、ある者は動物たちに追われて林を逃げ惑っている。
「獣を操ってるッスー、やっぱ魔物ッスー!」
「諦めて帰りやしょうよォ、親分!」
「どこに帰るってんだァ! 工場は白魔にやられちまったのによォ!」
覚えのある体臭。やはり昨日の野盗たちだ。
怒りに我を忘れた動物たちは野盗の反撃に傷つけられても攻撃を緩めなかった。動物たちが倒れ伏してもガッテンは場違いな爽やか笑顔を崩さない。ラウー・スマラグダスの命令を受ければこの手下は、猫族も最後の一匹が自滅するまで使役するのだろう。
猿に組み敷かれて野盗は爆発物による罠設置を白状し、犬に吠え立てられながらそれらを全て撤去した。その間フェリクスは動かないガチョウを黙って埋葬し、動物たちの傷の面倒をみた。
ボス猫にそれぞれ守る縄張りがあるように、人間にもそれぞれ守る領域があるのかもしれない。
けれど我が目はごまかせません。
フェリクスは今まで一度も戦っていない!
巨大イカを仕留めたのはルキア嬢。ビンとの小競り合いは回避。暴走イノシシはビンとルキア嬢。第一回対野盗戦では賊を縛ってただけ。第二回戦では動物たちを癒してただけ。
常に助言や矢の提供でルキア嬢をサポートしてはいるが、自分の手を汚したことは一度もない。
もしや猫以上にちゃっかり者でずる賢い・・・・・・おっと表現が不適切でした。子猫程度には要領よくスマートなのでは。
「で、ガッテン」
爆発物と野盗を片付け終えて一段落ついた。青年は狡猾さなど感じさせない、のほほんと人懐っこい笑顔で切り出した。
「樹脂を集めてるって言ったけど用途は? はあ? 製紙? また進撃しちゃってんのか、ラウーは。どういう樹脂が要るのか分かんないな。弓に使う樹脂ならロジン、ニカワ、シェラック、コハク、たいていのもんは持ってる。やるよ」
寛大だ、などと感心してはいけない。この青年は明白な嘘はつかなくても、べらべらと真実を濁すのだ。
「だから一発、その声で鳴き交わしてみせてよ。森の王者の象と。できる?」
「ハハハ、できるさ!」
まんまと乗せられたガッテンは何度か象の挨拶を鳴き、耳を澄ませて、象の群れがいる方角を特定した。
「象の群れが近い! 朝メシは後だ、捕まえに行くぞ!」
ビンとエン嬢が待つ岩場に走り戻った。フェリクスは背嚢のあちこちに手を突っ込んで、ぼんぼんと包みを取り出す。ガッテンに早口で樹脂の説明をするとさっさと持ち帰らせた。小さくなる軍服の背に「二度とルキアの手を握り締めんな!」と言い捨てていた。なんという器の狭さ。猫の額より狭い。
一行は野営地を引き払い、象の道を早足で進む。落ちているフンが生乾きになってきた。踏みしめられた下草の青い匂いが強くなる。象たちの通った気配が濃くなっていく。
フェリクスは最後尾で一行の足跡を消している。何者かを追跡したり、何者かの追跡を逃れたりする一連の行動に慣れた様子だ。
デカ猫のスマラグダス家入居を遅らせるのは、猫族から託された我が使命。一行を象隊商にたどり着かせたくなくて、のろのろ歩いたり足跡を大量生産したりしてやった。が、「クソ猫」の罵声と共にフェリクスに持ち上げられ、袋に放り込まれてしまった。
内側から袋を蹴ってじたばたと抵抗。うむ、しかし狭い袋というのは快適なものです。ああ何でしょうこの安心感。まったり。
「象そよ!」
不意に先頭のビンが叫ぶ。
「人もいるそよ。象隊商そよ!」
象隊商は極彩色だった。三日間、主に草木の優しい色合いばかりを映してきた目に痛い。
フェリクスに抱えられた快適な袋の口からぐりぐりと顔先を出し、対面を果たしてしまった幽霊キャラバンを見上げた。
象たちは飾り立てられていた。頭頂部から眉間までを覆う布はきっぱりした赤や黄で、房や縁飾りがたっぷり付いている。足には凝った結び方をしたひも。胴体の肌にはじかに花の絵が描かれたり、鮮やかな色の布がかけられたりしていた。
多くが荷台を背負っていて、人や荷を積んでいる。巨体にもかかわらず足音は静かで、乗り手は快適そうだ。荷台の屋根は象と同系色で飾られ、象が一歩を踏むごとに糸で吊るされた複雑怪奇な装飾が鳴動する。シャラシャラと柔らかい金属音は音楽のようだった。
密林に唐突に姿を現した一団は豪華で巨大で現実離れしている。急速にたちこめる香はねっとりして体も頭もぼんやりさせるし、象の大きさにはもっとぼんやりさせられる。
ぼんやり見回すとビンやフェリクスもぼんやりしていて、エン嬢はホワーンとしていた。
「初めまして。おたずねします、あなた方は」
凛と響いたルキア嬢の声にハッとする。
「む、スマラグダス小姐」
「ルキア待っ・・・・・・」
「巨大化した猫をお持ちの隊商ではありませんか? 購入したいのですが」
ビンがボブテイルのようにくるりと束ねた黒髪の頭を、フェリクスが巻き毛の茶髪の頭を同時に抱えた。
「スマラグダス小姐、買い物下手そよー!」
「商人に向かって欲しいモンいきなりバラすかーっ!」
苦悶に満ちた叫びにルキア嬢は二、三度、早い瞬きを返した。
「ここから値切る会話に入るんだったよね?」
「アイヤー最悪そよ! 屋台とは違うそよ」
「一対一の高額商品は、まずは気のないフリをしたかった!」
吹っかけられるそよー。しぼり取られるよな。と、ビンとフェリクスが珍しく意気投合してうなずき合っている。
「失敗してごめんなさい」
「大丈夫だルキア。君の食費がどれだけかさんでも、俺は養ってみせる!」
「肉類なら自分で狩れる」
「すごい説得力だ! ・・・・・・俺に期待されてない気配がした」
「ようやっと来おったぞい」
ほろん、とくぐもった声が降ってきた。
象たちがしずしずと譲る道の奥から一頭の象が歩み出てきた。白い。他の象よりさらにおごそかな雰囲気をまとっていた。頭には草花と金鎖で編んだ冠を載せ、そこで蝶や小鳥が遊んでいる。
同様に草花と金銀で飾られた荷台は虹色に光る半透明の布が張り巡らされている。中には小柄な人影があるが、肌の色はおろか男女も年齢も読み取れない。
虹色の布の隙間を縫ってうちわが現れた。つややかな広い葉で出来たうちわが滑らかに動いて一人を指し示す。
「偽りに汚れた舌で誠意を語れぬ、おまえがヘリクスじゃい」
青年はぱちくりしてから呟いた。
「・・・・・・フェ」
ヘリクスの素だと知れる驚き顔とは珍しい。
うちわの先は構わず別の一人へ移った。
「己が己である必要を問うておる、おまえがルヒアじゃい」
ルキア嬢は黙ったまま反応に困っているようだ。これもまた珍しい。真実を突かれたのだろうか。
「初心なんぞも問われて忙しいことじゃい」
うちわの人がなぜヘリクスやルキア嬢を無口にさせる真実を言い当てられるのかは分からないが、こうなるとビンとエン嬢が何を言われるのか、どう反応するのかも見ものだ。
うちわはさらに次へ移った。
「んふーん。漏らした後ろ足は乾いたか、ミヒャイ」
ブニャーっ!?