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「双子の勇者、片方は敵にされた」  ──運命で分かたれた兄弟が、二つの世界を懸けて戦う。  作者: 妙原奇天


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第7話 匿名停電のあとで

 停電の余韻が抜けていくのに、街はしばらく時間をかけた。

 電灯のない舗道は雪の反射だけが明るさのすべてで、見慣れた看板の輪郭も、夜店の紅白幕の折り目も、ひとつ手前の色でしか思い出せない。息を吸うと、いつもより肺の奥でひんやりと鳴った。祭は、事故扱いの中断。けれど、祭りが終わったわけではない。人は、帰りながらも祭りの続きを口の中で転がす。

 「双子の声が重なった瞬間、雪が止まった」

 「暗くなったら泣き声がぴたりとやんで、代わりに風の音だけになった」

 「知ってる曲じゃないのに、一緒に息をした」

 そんな体験談が、あの夜の動画より速く拡散した。影夜側で見た景色の断片と、白昼側で感じた鼓動の記憶が、SNSのタイムラインで自然に混ざる。加工アプリのフィルターみたいに角が丸くなることもあるし、逆に、ありもしない色が誇張されることもある。だが、語られた「ズレ」は同じだった。重なり方が、いつもより深かった。止まったのは電気だけでなく、雪で、呼吸で、拍だった。

 境衛局は収拾に追われ、逆光庁は「儀式のやり直し」を要求した。前者は人のほうを見て、後者は世界のほうを見ている。どちらの正式声明も整う前に、匿名掲示板は“物語”を書き始めていた。英雄譚と陰謀論が隣り合わせで並び、書き手の語彙の量で信憑性が測られる。祈は相変わらず火消しに走りながら、火の上に金網を渡して、別の料理を焼く準備までしていた。

 綾人は、疲労困憊のまま寮に戻った。

 階段の踊り場で二度も段差を踏み外し、手すりに肘をぶつける。いちいち痛いのに、痛いと言ってしまうと全部こぼれてしまいそうで、言葉は喉の手前で止めた。

 部屋の明かりをつけると、机の上に紙片が一枚、フェンスの針金を握るような細いテープで留められていた。雨雪に耐える特殊紙。見覚えのある符丁の筆致。

 「次は“間奏”を盗む」

 凛人の字だった。

 最初の息を盗んだ夜の次は、間奏。最初と最後の間にある長い“間”。そこを盗む? 紙片をひっくり返しても、何も書いていない。答えは、続きを書けの合図のほうに寄っていた。

 シャワーの音を最短で切り上げて、綾人はベッドに倒れ込む。倒れ込む、という表現がぴったりくるくらい身体は重くて、目は落ちそうだった。けれど、眠りは浅い。何かに呼ばれている気がして、何度も途中で浮上する。浮上するたび、屋上の空気が鼻の奥に戻ってくる。暗闇は敵ではなかった、という感触が、眠る邪魔をしない程度にじっとりと残っていた。

 朝。

 境衛局本部のガラス張りの会議室は、いつもより少し冷えすぎていた。雪音はそこで矢面に立っていた。左腕の義手の付け根は、昨夜の逆回転でわずかに赤く腫れている。長袖のカフスでそれを隠し、淡々と議事に乗る。

 「鎮音呪の糸の運用権限は、あなた個人にはない。現場判断での使用は、原則として禁止だ」

 上席の声は、責めるトーンを押し殺した“規則の声”だった。正しいが、冷たい。紙をひたすら重ねると、こういう音になる。雪音は「はい」とだけ答える。言い訳を重ねれば、糸はすぐ絡まる。絡みの少ない所作が、彼女の技だ。

 「停職相当。——ただし、今回の事案に限っては見送りも検討する」

 別の上席の声が挟まる。抑揚の少ない“計算の声”。

 「双詠の完全化が制御下で再現できるなら、均衡調整のコストが下がる可能性がある。民間の混乱を抑え、避難誘導も容易になる」

 会議室の空気が少しだけ変わった。「制御」という単語は、便利すぎる鍵穴みたいなものだ。一度その穴に鍵が合ってしまうと、扉は何度でも勝手に開く。雪音は舌打ちを飲み込み、喉の奥に苦い味が広がるのを飲み下した。

 会議のあと、廊下で綾人に会った。彼女は紙の束を片腕に抱えたまま、立ち止まらない。「大丈夫ですか」と問えば「あなたのほうが、大丈夫じゃない顔をしてる」と返ってきて、反射で笑う。笑ってしまえば、少し楽になる。雪音は扉の前で立ち止まり、短く言う。

 「制御って言葉が、いちばん危ない。――“間”を消す気配がある」

 綾人は頷いた。“間”は空白ではない。呼吸の席だ。それを消そうとすると、人はすぐに転ぶ。均衡は最短が好きだ。最短が一番説明しやすく、一番美しいから。でも、人は間で生きる。

 祈は、祭のボランティア仲間から裏導線を集めていた。

 夜通しで回した連絡網のログ、搬入業者の下請けの下請けのチャットから漏れたスケジュール、ステージ裏の通行証の貸し借り――細かい屑みたいな情報が、彼女の手の中で一本の糸になる。影夜側の警備リストの写しを手に入れたのは、午前の遅い時間だ。

 そこに一行、奇妙な項目があった。

 「霜月凛人――保護対象(要監視)」

 敵指定なのに、保護。矛盾ではない。設計だ。

 祈はすぐに綾人へ送る。「紅葉の手癖だと思う」。名札の表と裏を同時に扱い、外から見えるものと内側にしまうものを入れ替える。彼女の仕事は、いつもそうだ。均衡の目で見た現実と、人の目で見た現実の間を、行き来する。

 綾人は、凛人に仮アクセスを送った。符丁の端を重ね、暗号を短く刻み、許された僅かな時間だけ開く回線を用意する。返信はない。だが、通じないことは、通じていることの別表現だ。凛人の「最初の息」「最後の伸ばし」の間には、確かに“間奏”がある。

 「間奏=二界の連絡層を盗む」

 計画は、紙の上では簡単だ。実行は、紙の上ほど簡単ではない。

 目的はひとつ。均衡が“早送り”してしまう前に、双詠の呼吸を観客から切り離し、崩壊しない形で確定させる。観客を巻き込まないための譜面。観客がゼロでも成立する“二人の間”。そのために、雪音の界縫い糸を“静めるため”ではなく“一度だけ破るため”に使い、祈の導線を“炎上の煽り”ではなく“沈黙の準備”に使い、綾人は“纏”の位置を胸骨から一段下げて、身体の中にもう一本、細い橋を架ける。

 夜。

 双子は別々の屋上で、同じ雪雲を見た。

 通信はつながらない。

 代わりに、幼い頃からのやりとりを思い出す。拍の合図を空気で合わせる。

 四拍子に三拍の癖を混ぜ、息を吐くタイミングで合図を送る。

 見えないけれど、いる。

 いるけれど、触れない。

 それでも、合わせられる。

 凛人は、紅紋の熱で喉を焼きながら、低い音で提示した。

 最初の息、最後の伸ばし――その二つの間に横たわる、想像よりずっと長い“間”。均衡はその部分を無視したがる。間は、計算に載せづらいから。だが、人はそこに住んでいる。学校のチャイムとチャイムの間、信号の青と赤の間、朝の目覚めと起床の間。どれも、間だ。

 綾人は“纏”でその空白に橋を架ける想像を重ねる。

 喉ではなく、胸骨のひとつ下、みぞおちの前で回路を組む。

 息を吸う。止める。吐く。止める。

 太鼓の音を心臓の裏に置き、指先の弦を一本増やす。

 痛みは輪郭を持つ。輪郭のある痛みは、設計の対象になる。

 「間奏を盗む」という言葉は、盗みの宣言ではなく、譜面の穴あけだ。

 観客に支えられないと立てない歌を、二人だけで立てる。そのとき、観客の役割は変わる。支え手から、目撃者へ。拍手の波から、息の静けさへ。祈はその切り替えの合図を作り、雪音はその一拍だけ静けさを破る鈴を準備する。

 同じ頃、逆光庁の上層部会議室。

 紅葉は、上司たちの前で簡潔な報告を読み上げていた。

 「双子が提示した“暗闇の完全化”は、均衡側モデルで未定義です」

 用語は乾いているのに、意味は重かった。未定義。均衡が持つ巨大な辞書に、その語のページがない。ないということは、評価できないということだ。評価できないものは、最短に入れられない。だから、嫌われる。

 「再現可能性は?」

 「不明です。ただ、あの沈黙は“恐怖”ではなく“聴取”でした。……観客の側に、余白が生まれていた」

 「余白は不安定だ」

 「はい」

 彼女は多くを語らない。語りすぎると、言葉のほうが先に走る。

 紙コップの縁を指でなぞり、そのままふっと握る。へこんだ紙が小さな音を立てた。迷いは、しぐさにしか滲ませない。それでも、滲む。均衡は間を嫌う。最短が好きだ。だが、人は、間で生きる。紅葉はそれを知っている。知っているからこそ、紙コップを潰す力加減を間違えない。

 会議が終わり、廊下で一人になった紅葉は、背のまっすぐな姿勢を崩さずに深呼吸した。息は、最初の一拍で全体のテンポを決める。最短は美しい。説明ができる。褒められる。けれど、最短に合わせていると、ある日突然、「生きている感じ」が薄くなる。それも知っている。だから彼女は、台本の余白に、小さな鉛筆の点を打っておく。消しゴムで消せる程度の軽さで、それでも確かな印を。

 翌日。

 綾人は訓練校の小ホールを借りた。舞台の板は古く、照明は仮設しかない。客席は空。ここで、二人の歌を観客から切り離し、崩れない形を作る構成を練る。祈は扉の外で見張りながら、匿名掲示板に流れる“やり直し儀式”の噂に別の噂を混ぜる。焦点を散らし、集まりかけた波に別の波をぶつける。雪音は袖で糸巻きを調整し、鈴の鳴りの幅をミリ単位で詰める。

 「間奏を、ここに置く」

 雪音が示すのは、始まりと終わりのちょうど真ん中ではない。

 太鼓が戻る前。拍手が起きる位置の半歩手前。

 観客が息を吸いそうになる瞬間に、息を吸いきらせないで置く。

 置いた空白に、二人の歌を差し込む。

 綾人は舞台中央で呼吸を組み、喉を通さない声で“纏”を響かせる。

 弟の“放”は来ない。来ないが、来る位置はわかっている。

 その位置を、身体の内側に複製する。

 空席の客席が、聴くために静かになる。

 聴くための静けさは、観客がいなくても立つ。

 夜。

 また別々の屋上。

 雪は細かく、雲は低い。

 遠くの国道の音が薄く届く。

 綾人は胸骨に手を当て、凛人は喉元の紅紋に指を添え、言葉のないやりとりを続ける。

 四、四、三、四。

 呼吸が合うと、温度が一度だけ上がる。

 その一度を拾う練習を、二人はずっとやってきた。

 「間奏を盗む」――それは、均衡の早送りから“間”を奪うことだ。

 最短のテンポに噛みつく。

 噛みついたまま、こちらのテンポで歩く。

 観客がゼロの夜でも、成立する譜面を持つ。

 それは、怖いほどの自由だ。

 自由は、説明しづらい。

 説明しづらいものは、嫌われる。

 けれど、それでもやる。

 翌朝、逆光庁から境衛局へ、共同声明案が回ってきた。

 〈雪灯祭の安全確保と儀式再演のため、両局は共同で調整にあたる〉

 言葉は正しい。正しいが、息が浅い。

 祈は肩を竦め、「うまくやったつもりの文」と一言で切り捨てる。

 雪音は紙を机に置き、綾人に目配せする。

 「間奏は、向こうの文にはない」

 「だから、こっちで書く」

 綾人は、紙の裏に短く書いた。

 「間奏:二界連絡層、観客非依存、双詠固定。——最初の息は盗済、最後の伸ばしは継続中」

 手元の紙片には、凛人の符丁。

 「次は“間奏”を盗む」

 その下に、綾人は自分の字で続ける。

 「その次は“拍手の始発”を遅らせる」

 拍手は勝手に始まるようで、実は始発がある。

 そこに鈴をひとつ鳴らせば、二拍遅れる。

 遅れは、呼吸の席を増やす。

 夜、街の灯りは戻っている。

 でも、あの暗闇の記憶は消えなかった。

 暗闇は、敵ではない。

 「誰のものでもない、場の呼吸」だと、皆の語彙に加わった。

 匿名停電は匿名のまま、「偶然でした」とタイムラインでは笑い話になり、誰の責任にもならないことで、逆に誰もが少しずつ責任を持つようになった。

 紅葉は、窓のない通路で立ち止まり、ポケットから紙片を一枚出して日の当たる窓辺に移した。紙片の文字は見えなくても、紙の厚みは見える。厚みのある紙は、折ってもすぐには折り目がつかない。

 「間を嫌うのが、均衡」

 「間で生きるのが、人」

 その両方を知っているから、彼女は今日も台本を持つ。持ったまま、余白を残す。残すことで、責任を取る。

 寮に戻った綾人は、机の上の紙片をもう一度手に取った。

 「次は“間奏”を盗む」

 短い一行が、次の一行を呼んでいる。

 窓の外では、雪が、昨日よりゆっくり降っている。

 誰かが速度を落としたのかもしれない。

 世界が、最短の足を一瞬だけ止めたのかもしれない。

 それなら、今が、間だ。

 綾人は息を吸った。

 最初の息は、昨日盗まれた。

 最後の伸ばしは、まだ続いている。

 その間に、橋を架ける。

 二人のために。観客のために。

 そして、あの暗闇のために。

 間奏は、長い。

 長いものは、怖い。

 怖いものは、面白い。

 面白いものは、続けられる。

 綾人は、紙とペンを取った。

 譜面は、言葉にできる。

 言葉にした譜面は、舞台で直せる。

 直せるものは、変えられる。

 変えられるなら、やれる。

 屋上に出ると、雪の匂いがした。

 遠くで、太鼓の残響が一拍だけ鳴った気がした。

 誰かが、向こうの屋上で笑った気がした。

 合図はいらない。

 でも、合図はある。

 間奏へ、の合図だ。

 匿名停電のあとで、街は確かに息を合わせ直した。

 双詠の夜はまだ途中。

 最短ではない道を、二人は選んだ。

 だから、ここからの全部は、台本にない。

 それでも、舞台はできる。

 間に住む人間の、やり方で。

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