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「双子の勇者、片方は敵にされた」  ──運命で分かたれた兄弟が、二つの世界を懸けて戦う。  作者: 妙原奇天


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第6話 雪灯祭、開演。二界の息を合わせろ

 午前から川面は白く、午後には音がついた。

 紙灯籠が水に沿ってゆっくり進み、橋の下で流れを変え、岸辺の子どもが紐を引いて速度を合わせる。ひとつ、またひとつ。水に映る灯りは風の癖をそのまま写し取り、午後四時を過ぎると、その揺れに太鼓の低い拍が重なって、街全体が呼吸を始めた。

 白昼と影夜の舞台は、同じ設計図を別の材質で組んだみたいに、正面の角度は似ているのに手触りが違った。

 白昼側の骨組みは銀色のボルトが光り、影夜側の支柱は影の密度で自立している。上手下手に引かれた動線は表裏で鏡写し。観客の席は、白昼のベンチと影夜の段差が、同じ座標に重なるように配置され、手拍子の音と影の波が互い違いに行き交った。

 ズレる。

 笑いが半拍遅れ、拍手が一歩先に走る。

 そのズレが、この祭の醍醐味だと、誰もが知っていた。

 背後で監視ドローンが回転する。影夜式のものは羽音を持たず、薄い雲が動いたように視野の端を漂った。

 綾人は白昼側の舞台下、支柱の影に身を沈め、視界の端で影夜側のステージを探る。薄膜越しに見える凛人の姿は、輪郭が一瞬おくれて追いつく。喉元の紅紋は絞られた灯のように芯を持ち、呼吸のリズムに合わせて微かに震えた。

 影夜の袖で、紅葉真澄が指揮を執る。

 表情は涼しい。けれど、指先はほんのわずかに震えていた。震えは不安の震えではない。音楽の立ち上がりを合図する、針の先みたいな緊張の震えだ。

 第一部は各地域の演目。

 雪の獅子舞。手作りの仮面劇。小学校の合唱は声が少し上ずって、それでも最後の和音はまっすぐ空へ伸びた。

 第二部で境衛局の安全宣言。壇上のマイクに雪音は立たない。代わりに別の職員が段取りどおりの文言を読み上げ、その背後で雪音は鎮音の糸を確かめる。彼女の義手のボビンが一度だけ回り、袖口の鈴が短く鳴った。

 ネットの騒ぎは止まっていなかった。

 匿名掲示板は「テロ警戒」「双子売名」「影夜を舞台に乗せるな」と好き勝手に走り、動画の切り抜きがすれ違いざまの誤解を増幅する。

 けれど、ここでは太鼓の低音が勝つ。

 腹に沈む音が画面のノイズを飲み込み、拍の谷に空気が落ち、祭の呼吸が街の呼吸になった。

 終曲の前。

 影夜側の主舞台に、凛人が出る。

 マイクは持たない。手のひらも上げない。ただ、客席に向かって立ち、喉元の紅紋を光らせ、すっと息を吸った。

 最初の息。

 観客は知らない。敵指定は儀式の裏語で、舞台の上では説明されない。

 それでも、誰もが空気の変わり目に気づく。

 温度が半度下がり、雪の粒が大きくなり、影夜の幕が薄くなる。

 白昼側の舞台下、綾人の手に雪音の界縫い糸が渡る。

 手触りは金属ではなく、乾いた冬の糸そのもの。けれど引けば音が出る。引き方しだいで客席のざわめきが和音に変わる。

 祈が客席に散ったボランティアに合図を流す。

 拍を誘導する手勢。拍手の波は作れる。けれど作りすぎた波は、簡単に崩壊に変わる。だから、半歩だけ作る。

 太鼓が鳴る。

 一度、二度、三度。

 凛人の“放”が空に伸び、影夜の天幕に細い裂け目を作る。

 光の帯が闇を透かし、白昼へ届く直前で、綾人の“纏”が結んだ。

 擬似双詠。

 観客の呼吸がひとつに束ねられ、右手に立つ屋台の湯気がふっと細くなり、雪が一瞬だけ止まったように見えた。

 紅葉の口の端が、わずかに上がる。

 「そう、それが見たかった」

 小声。彼女は均衡の記録官であり、違和感の証人。

 彼女はさらに小さく呟く。「ここから先は、台本にない」

 凛人が踏み込む。

 紅紋が焼け、鎖が軋むような高い音が、舞台の板を伝って綾人の足首に触れた。

 凛人は自分の敵指定の回路を逆流させる。均衡が好む“最短経路”はまっすぐで、少ない痛みで、説明しやすい。だからこそ残酷だ。

 彼は、その最短を切る。遠回りを選ぶ。

 遠回りのほうが、間に呼吸を挟めるからだ。

 綾人は最後の伸ばしを歌った。

 言葉にならない音。

 弟の癖。

 家の廊下を裸足で走った日の笑い。

 氷点下の朝、屋上で震えながら練習した呼吸。

 喉ではなく、胸骨の前で鳴らす。

 波が走り、祈のサインが一拍遅れて客席を包み、雪音の糸が震える。

 観客が泣く。沈黙する。息を詰めて、また泣く。

 紅葉の指が止まる。均衡は早送りを強める。

 このまま終曲が完成すれば、凛人は燃料になる。

 そこへ、光が落ちた。

 ステージ裏の配電盤が静かに沈み、メイン照明が消える。

 名指しの責任者はいない。配電の履歴には“過電流”のログだけが残る。

 祈が準備していた匿名停電。

 誰のせいでもなく、ただ星だけが増える。

 観客の携帯ライトが一斉に上がり、無数の白が夜空に散った。

 影夜と白昼の明るさが、同じになった。

 凛人が笑う。

 「兄ちゃん、最初の息、盗んだ」

 声は遠くない。暗闇の中で距離の概念は鈍り、代わりに温度が近づく。

 最初の息を奪われた均衡は、一瞬だけ歩幅を乱し、早送りの巻き取りが遅れた。

 その一拍に、双詠は入る。

 綾人の纏。

 凛人の放。

 半分で鳴らしてきた旋律が、暗闇の中で完全に噛み合う。

 胸骨と喉の間に架けた細い橋を、二人の息が同時に渡った。

 音は光になり、光は糸になり、糸は裂け目を縫う。

 舞台の天幕がわずかに開き、家族写真の青が一瞬だけ空に差した。

 観客の沈黙は恐怖ではない。聴くための沈黙だ。

 誰かがすすり泣き、誰かが肩に手を置き、誰かがスマホを下ろす。

 光の数は減らないのに、暗闇は深くなった。

 紅葉は動かない。

 均衡の台本を持つ手を下ろし、ただ見ている。

 記録官としての義務は、記録すること。

 けれど、今の彼女は目撃者としてそこに立ち、均衡の気配がわずかに退いた瞬間に、二人の選んだ遠回りの線を確かめていた。

 雪音の鎮音鈴が鳴る。

 ひとつ。ふたつ。

 静けさを一度だけ破り、すぐに包み直すための鳴り方。

 義手のボビンが逆回転し、張りすぎた糸を少し緩める。

 緩んだところへ、祈の波が入ってきて、客席の呼吸がそろう。

 太鼓が戻る。

 今度は、三ではなく四。

 均衡の早送りが、追いついてこられないテンポに変わった。

 凛人が跳ぶ。

 紅紋の光が裂け、契約の鎖から一つ、輪が弾け飛ぶ。

 喉に刻まれた印は消えない。けれど、役割は書き換えられる。

 敵指定という名札の位置が、胸の内側にひっくり返り、外からは見えなくなる。

 名札が見えない人間を、台本は処理できない。

 綾人は最後の伸ばしを、さらに先へ伸ばした。

 喉が熱い。骨が鳴る。

 それでも切らない。切らなければ、糸はまだ持つ。

 観客が息を吸う。

 二界の息が、ひとつになる。

 紙灯籠が川面で向きを揃え、橋の下の影が同じ形に揺れ、屋台の湯気が同じ高さで静止した。

 均衡の台本が、一枚、破れる音がした。

 紙ではない。音の譜面が、端から裂ける音。

 紅葉が目を細める。

 祈が客席で拳を握る。

 雪音が糸をたぐる。

 凛人が笑う。

 綾人は、歌い切る。

 暗闇は、敵ではなかった。

 誰のものでもない、場の呼吸だった。

 光は、足りていた。

 無数の小さなライトが星座を作り、見えない線でつながって、ここがどこなのかを教えた。

 太鼓が終わる。

 雪が、また降り出す。

 最初の息は、もう盗まれている。

 最後の伸ばしは、まだ継続中だ。

 舞台は開いている。

 ここから先は、台本にない。

 綾人は息を吐いた。

 吐いた息の白さは短く、すぐに空に溶けた。

 溶ける途中で、凛人の視線が合った。

 合図はいらない。

 双詠は、まだ続く。

 遠回りを選んだ二人の歌は、祭の夜に、形として残った。

 川面の灯りが、ひとつ、またひとつ、橋をくぐる。

 街は拍手を惜しまない。

 けれど、その拍手はまだ始まらない。

 聴き終えるまでは、手を打たない。

 そういう沈黙が、いまは正しい。

 紅葉真澄は、胸の前で手を組んだ。

 記録官としての視線を外し、ひとりの観客として目を閉じる。

 均衡の計算で測れないわずかな余白が、祭の夜にだけ許されることを、彼女は知っていた。

 雪音は、糸をしまう。

 ボビンを一つずつ指で撫で、鈴を袖に隠す。

 祈は、涙を拭う。

 化粧が少し崩れ、彼女は笑ってまた端末を握る。

 「匿名停電、偶然でした」

 そんな文言がタイムラインに並び、誰の責任にもならないまま、星の海は続いた。

 綾人は、胸骨の前で手を組んだ。

 最後の伸ばしは、終わりではない。

 次の拍のために、空白を作る技術だ。

 最短を切り、遠回りに呼吸を挟み、世界の早送りに、歌で噛みつく。

 祭の夜は、まだ半分。

 双詠の夜は、ここからだ。

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