結婚がゴールだと思ってる彼女と結婚が墓場だと思ってる彼氏
雨が降り始めた夜、高級レストランの個室。
茜は真紅のドレスに身を包み、キラキラと光るイヤリングを揺らしながら、婚約者のスマホを握りしめていた。
画面には、彼と別の女性の楽しそうなツーショット。笑顔が、彼女の胸をえぐる。
「これ、どういうこと…?」
声が震える。指先も震え、白い爪先がスマホの縁を押し潰すようだ。
婚約者はため息をつき、ワイングラスをテーブルに置いた。
「もういいだろ。お前みたいに、見た目ばっかで中身のない女、俺は一生抱えて生きたくないんだよ!」
その言葉と同時に、茜は突き飛ばされ椅子にぶつかって倒れる。
赤ワインが床に広がり、まるで彼女の“理想”がこぼれ落ちるかのようだった。
「ただいま~♪」
深夜。茜はヒールを脱ぎ捨てるようにして、友人のマンションに転がり込んだ。
酔いが回って頬は赤く、手にはコンビニのワイン。
「ねぇ、ここ…前より広くなってない?」
友人は笑って水を差し出す。
「うん、結婚してからね。旦那の会社の福利厚生、けっこうすごくて」
リビングには大きなソファ、観葉植物、壁にはプロジェクター。
キッチンには最新の家電が並び、冷蔵庫には手作りの常備菜がぎっしり。
茜はソファに沈みながら、天井を見上げる。
「いいなぁ。勝ち組って感じ」
「え?」
「私も早く結婚しなきゃ。じゃないと、取り残される」
クッションに埋めた顔をパッと上げ、本棚の卒業アルバムを指差す。
「ね、あの中に独身の人いないの?」
「いるよ、いるけどさ」
と、茜の服装をジロジロ見る。
渋谷の喧騒を抜け、カフェのエレベーターを上がると、南仏の香りがふわりと漂う。
髪を暗く染めた茜は、ベージュのワンピースに身を包み、小粒なピアスを揺らしながら席に着いた。
「今日は、ちゃんとした人に会える気がする」
そう呟いた瞬間、凜太が現れる。
ネイビーのジャケットに白シャツ。少し緊張した面持ちで、でも目は優しい。
「初めまして、凜太です」
茜は微笑みながら立ち上がり、軽く会釈する。
「茜です。今日はありがとうございます」
店員が運んできたハーブティーの香りが、ふたりの間の空気をやわらかくする。
窓の外にはスクランブル交差点が広がり、でもこの空間だけは静かだった。
「ここ、素敵ですね。南仏みたい」
「ほんとだ。なんか…落ち着きますね」
ふたりは少しずつ言葉を交わし、笑い合い、沈黙すら心地よく感じるようになっていった。
茜はふと、凜太の手元に目をやる。スマホの画面には、何も映っていない。
「……スマホ、見ないんですね?」
「今日は、ちゃんと向き合いたくて」
その言葉に、茜の胸が少しだけ波打った。
凜太と茜は出会って間もなく、自然と距離を縮めていった。
「こんなに穏やかで気が合う人、初めてかも」
茜は笑顔で「私もです」と答えた。
茜は凜太との写真をプリントして、家族に見せた。
「この人、すごく優しくて誠実なの。結婚を前提に付き合ってるの」
母は目を細めて頷き、父は「一度会ってみたいな」と言った。
その週末には、凜太が茜の実家で手料理を振る舞っていた。
「お義父さん、煮物の味付け、すごく上手ですね」
その言葉に父は照れ笑いし、茜はそっと凜太の腕に触れた。
次は友人たち。カフェでの女子会に凜太を連れて行き「ね?いい人でしょ?」と笑顔で紹介する。
凜太も自然に自分の家族に茜を紹介した。
母は「しっかりした子ね」と言い、茜はすぐにLINEを交換。
「今日はありがとうございました。お料理、とっても美味しかったです」
メッセージのやり取りは、凜太の知らないところで毎晩送られていた。
職場の上司にも、茜は丁寧に挨拶をした。
「いつも彼から『尊敬している』と聞いています。
本日はお目にかかれて光栄です」
凜太は「みんな仲良くしてくれてるな」と安心していた。
「この教会、素敵ですね」
茜はスマホを構え、ステンドグラス越しの光を背景に写真を撮る。
そのままインスタの投稿。
「#未来の花嫁」「#運命の人」「#大安吉日」のタグが並ぶ。
凜太は茜を見ていたが、タグまで確認していなかった。
車に戻ると、木村カエラの「バタフライ」ヘビロテ。
「そろそろ曲、変えない? 2時間は聴いてるよね」
凜太がそう言うと、茜は少し考えてからスマホを操作。
「そうですよね」
とニッコリ笑う。
代わりに流れ始めたのは、安室奈美恵のCAN YOU CELEBRATE? だった。
少しずつ確実に茜は、凜太の家にも私物を置き始める。
歯ブラシ、ヘアゴム、冷蔵庫のプリン。まるで水のように、彼の生活に溶け込んでいく。
「結婚おめでとうございます!」
朝のオフィス。凜太はコーヒーを持ったまま、同僚に囲まれていた。
「え? ……いや、まだ……」
言葉がうまく出ない。
笑顔で祝福されるたびに、心がざわついていく。
昼休み、母からLINEが届く。
「茜ちゃん、素敵な子ね。式場、もう決まったの?」
凜太はスマホを見つめたまま、固まった。
プロポーズもしていない。式場なんて、見てもいない。
帰宅すると、家中が壁も床もゼクシィだらけ。
書棚には結婚や出産の本がびっしり並び、カレンダーの大安吉日にはすべて丸がついている。
目の前に、茜が笑顔でレトルトカレーを差し出した。
「お帰り、ご飯作ったよ♡」
凜太は、とりあえず座る。目の前には婚姻届。
「いただきます。
初めに作ったにしては美味しい。早く食べちゃって」
「いや、あの……どういうこと?」
「え?」
「だからおかしいよね?
勝手に母さんや上司に結婚の報告してさ。この部屋だって…」
茜は笑顔を引っ込め、冷たく蔑む。
「私が自分で婚姻指輪買って、あなたのSNSアカウントからアップしたこと?」
慌てて確認すると、凜太のインスタに「婚約しました」と投稿されていた。茜がスマホのロックを盗み見したのだ。
「な、なんてこと……いつの間に」
逃げ場を失った凜太は、最後の抵抗として叫ぶ。
「結婚なんてしたくない!」
しかし茜は冷たく言い放つ。
「結婚する気もないのに付き合うなんて、不誠実じゃないですか」
「え?」
「結婚する気もないのに付き合うなんて、セフレを彼女と呼んでるだけでしょう」
凜太は絶句する。
「あなたは、そんなに恋愛市場価値が高いんですか?
私の結婚適齢期をセフレとして消耗した後リリースしても、裁判にならないくらい?」
「そ、れは……」
茜はさらに畳みかける。
「私は大学時代にミスコンに出て花形職業をしてきたのに対して、あなたは凡庸。しかも30。
27の彼女と付き合うのに将来のことを全く考えていない。これ、恋愛市場価値以前に社会不適合者。無責任。
あなたに良識があれば、私はネットで500冊もゼクシィ買わずに済んだのに」
正論の圧に負けた凜太に、もはや言葉は見つからなかった。
周囲は祝福ムード。
上司は「式、いつ?」と聞き、母は「ドレス選び、手伝うわよ」と笑う。
気づけば、式場は予約済み。
招待状のデザインも決まっていて、茜のスマホにはウェディングプランナーとのやり取りがびっしり。
凜太はただ、流されていく。
まるで水底に沈むように、抵抗する力を失っていく。
そして──
茜は完全勝利に酔う。
ニヤリと笑った口許を、凜太は知らない。
目撃たのは、読者だけだった。
□完結□