魔王討伐
「ゆ、勇者、さま……?」
シュバルトート王の声に、はっ、と我に返る。
「あ、いや、す、すいません……」
完全に見惚れてしまっていた。
目の前にいる美女。
アシェリン・アオスブルーフに。
前世では、ほとんど外出することなかったため、現実の世界で、西洋系の美女を見るのは初めてだった。
それにもしても、彼女は美しい。漫画やアニメのヒロインでも、これほど美しく感じたことはない。
これが、二次元と三次元の差なのか。
生まれ変わって初めて知った。
二次元と三次元の女の子には、圧倒的な差があることに。
アシェリンは、表情を変えることなく、ジッとこちらを見ている。
僕も、彼女の顔や身体を隈なく見たいが、やはり、緊張と恥ずかしさで、どうしても、彼女から目を反らしてしまう。
仕方ないことだ。
なぜなら、高校を卒業してから、こうやって三次元の女の子をちゃんと見たことがないからだ。
「あ、あの……勇者さま、大丈夫ですか?」
王が心配そうに眉をひそめた。
マズい、アシェリンの美しさと可愛さ、そしてエロさに動揺して、挙動がおかしくなっていたのか。
僕は、心を鎮めるため、小さく息を吸った。
「失礼しました」
努めて冷静な態度を装った。
「で、僕をこの世界に呼んだ理由は何ですか?」
王の目が輝くのが分かった。
「おおっ、さすがは勇者さま、話がお早い。失礼ですが端的に申し上げます」
王が恭しく腰を曲げた。
「勇者さまには、このアシェリンと共に、魔王討伐に出て頂きたいのです!」
王の言葉に、アシェリンが小さく会釈した。
「魔王討伐……」
さすがは異世界。
勇者に転生して、魔王討伐の旅に出る。
しかも、超絶美人ヒロインと一緒に。
まさに最高のテンプレ展開だ。
「現在、我がイシクラル王国は、魔王によって放たれた瘴気によって、滅亡の危機にあります。どうぞ、勇者さま、魔王を打ち倒し、この世界をお救い下さい」
王が跪いて、懇願するように僕を見上げた。
隣にいたアシェリンも、ゆっくりと跪き、大きな瞳で、僕のほうを見上げた。
その青く大きな瞳に、吸い込まれそうになった。
「分かりました。僕に任せて下さい」
拒む理由など、どこにもない。
異世界に勇者として転生して、絶世の美女とともに、魔王討伐に向かうのだ。まさにこれは、長年望んでいた最高の展開。主人公とヒロインが困難を乗り越えながら、互いを助け合い、分かり合って、徐々に距離を近づけていき、それはやがて情熱的な愛へと変わり、魔王を討伐したのち、めでたく二人は結ばれる。そして平和となった世界で、ラブラブなスローライフを送る。
まさに、王道的テンプレ展開。
僕にとって、長年、妄想し続けていた最高の展開だ。
「あ、ありがとうございます!」
王は跪いたまま、深々と首を垂れた。
いやいや、お礼を言いたいのは僕のほうだ。
「では、今夜は、我が城でゆっくりと休んでいって下さい。それまでに旅立ちのご準備を整えておきます。アシェリン、勇者さまを、お部屋へとご案内してくれ」
「分かりました」
アシェリン・アオスブルーフは、ゆっくりと立ち上がり、僕のほうへと視線を向けた。
「勇者さま……」
アシェリンが、僕の顔をジッと見つめる。
あまりの美しさに、心臓の高鳴る音が聞こえた。
「ど、どうかした?」
「まずは、お召し物に、お着替え下さい」
「へ? あっ、わわわっ!」
そう、僕は全裸だった。
厳密に言うと、全裸にマントを羽織った状態だ。
完全に変態である。
僕は慌てて、アシェリンに渡された服に着替えた。
城内は、不気味なほどに静まり返っていた。
僕とアシェリンの靴音だけが、規則的に響いている。
弱々しい松明を掲げながら、アシェリンは僕の前を歩いていた。
彼女の後を追う。
辺りは真っ暗だ。
今が何時なのか、まったく分からない。
この異様な静けさから、恐らくは真夜中だろう。
アシェリンの持つ松明の灯りが、ゆらゆらと揺れている。
ふと、窓の横を通り過ぎると、凍てつくほどの冷気が全身に纏わりついた。
寒い。
めちゃくちゃ寒い。
決して薄着をしているわけではない。チュニックを何枚も重ねた上に、毛皮の外套も羽織っている。このまま外に出ても、問題のない恰好だ。
だが、寒い。
めちゃくちゃ寒い。
城内は、異常なほど寒かった。
「あーあ、まさか真冬に転生しちゃうなんて、ホント、ツイてないなぁ……」
「真冬?」
アシェリンが、静かに振り向いた。
「勇者さま、今は春ですよ」
「は、春? こんなに寒いのに?」
夜中だから、こんなに冷え切っているのか。まあ、異世界とは言っても、地理的にはヨーロッパに近いはずだ。ヨーロッパに行ったことはないが、恐らく緯度が高い分、日本よりも遥かに寒いはずだ。
だとしても、この寒さは異常だ。この国は、世界でもかなり北側にあるのだろうか。
「勇者さま、今日はもう遅いので、こちらでお休み下さい」
アシェリンが松明を向けると、ぼんやりと大きな扉が浮かび上がった。
ゆっくりと扉を開ける。
こもっていた冷気が、床を這うように通り過ぎていった。
思わず身震いをした。
部屋の中は、恐ろしいほどに真っ暗だった。
アシェリンは、慣れた様子で部屋に入り、松明の灯りを近づけた。すると、ロウソクに、炎が灯り、ゆらゆらと白いベッドを浮かび上がらせた。
「どうぞ、ゆっくりとお休みください」
そう言い残すと、アシェリンは、さっさと部屋から出て行った。
ロウソクの灯りしかないため、周囲は不気味な闇に包まれている。
僕は、ぼんやりと浮かび上がるベッドに、ゆっくりと腰を掛けた。
キンキンに冷えたカッチカチのベッドだ。
正直、眠れる気がまったくしない。
灯りの方へ視線を向けると、簡素な木製のテーブルがあり、その上に置かれた粗末な燭台にロウソクが刺さっている。
「ずいぶんと原始的だな……」
異世界と言えば、やはり魔法だ。灯りなんかも、魔法でパッと明るくすることが出来そうな気がするが、この城の異常な暗さに加え、松明を使用していたところを見ると、現実は違っているようだ。
それにしても静かだ。
人の気配がまったくしない。
そう言えば、王とアシェリン以外、誰にも会っていない。
まあ、夜中だから、使用人たちも休んでいるのだろう。
僕は、ベッドに寝転んだ。
キンキンに冷えたベッドの下から、冷気が滲み込んで来るのが分かった。全身に寒気が走り、震えが込み上げてきた。しかも尋常じゃないほどカッチカチのベッドだ。
やっぱり眠れる気がしない。
この異常な寒さから意識を逸らすため、僕は妄想に徹することに決めた。
妄想の相手は、もちろん、この異世界冒険譚のヒロインであるアシェリンだ。
とんでもない美人だった。
前世では、見たことのない美人だった。
異世界転生において、ヒロインが超絶美人ということはテンプレだが、まさかこれほどまでに美人だとは思わなかった。
あんな美人で可愛い子と、これから冒険の旅に出るなんて、胸の高鳴りが止まらない。
それにしても、ヤバいほどエロい恰好をしていた。
丈の長いローブの下には、露出度の高いビキニアーマーを装着していた。
下着の上からロングコートを羽織っているような恰好だ。
彼女には申し訳ないが、変態的なファッションだ。
――彼女は、我が国で唯一、戦士、僧侶、魔法使いの資格を持つ者で、魔僧戦士と呼ばれております。
確か、王様がそんなことを言っていた。
彼女一人で、三つの職業に就いているのか?
よく分からないが、定番のRPGゲームでは、僧侶と魔法使いの魔法が使える賢者という職業があったが、そこに戦士の能力が加わる職業など聞いたことがない。
あっ、そう言うことか。
あの三角帽子とローブは魔法使いの証で、深紅のビキニアーマーは戦士の証ってことか。
ん? だったら僧侶の証はどこにあるんだ?
まあ、そんなことどうでもいいけど。
とにかく、これから美人で可愛くてエロい恰好のヒロインと旅に出る。
そう考えると、寒さに凍えていた身体から、徐々に熱が沸き上がってきた。
何だか、冷たいのか熱いのか分からなくなってきた。
アシェリンのことを考えていると、やたらと悶々としてきて、いかがわしい想像ばかりしてしまう。
それほどまでに、彼女は魅力的だった。
興奮は高まっていったが、転生したばかりで疲れていたのか、次第に眠気が襲ってきた。
浅い眠りを繰り返しながらも、意識はゆっくりと深い闇へと吸い込まれていった。
「勇者さま、勇者さま、朝です、起きて下さい」
透き通った品のある声。
僕は、ゆっくりと瞼を開いた。
松明の火がゆらゆらと揺れている。
その灯りに照らされ、アシェリンの美しい顔が映った。
「えっ? もう朝?」
慌てて起き上がって、辺りを見渡す。
真っ暗だ。
眠る前と何も変わっていない。
ただ、ロウソクの火は消えていた。
暗闇に目が慣れてきたのか、ベッドの上に小窓が見えた。
窓から光は射しておらず、薄い闇が流れて込んでいる。
「ずいぶんと朝が早いんだね……」
あくびをしながら言うと、アシェリンが小首を傾げた。
「そうですか? 勇者さまがいた世界とは時間の感覚が違うのでしょうか……」
その時、窓の外から鐘の音が聞こえてきた。
「あれは、朝を知らせる教会の鐘の音です」
「そ、そうなんだ……」
異世界の朝はとんでもなく早い。
僕は勝手にそう思い込んでいた。