ただし、異世界限定だけどね。
「貴方は、どんな風に生きてきましたか?」
そう、女神に問われた時、僕は、何も答えることができなかった。
目の前には、美しい女神が座っている。
穏やかな笑みを浮かべて、僕を見つめている。
僕は、何も答えることができなかった。
すると女神が、どこか困った表情を浮かべた。
「ええっと、もう一度、訊きますね」
女神が続ける。
「貴方は、どんな風に生きてきましたか?」
やはり、何も答えることができなかった。
「……」
女神が苦笑いを浮かべながら、傍らに置いていたファイルを手に取った。
数枚ほどしか綴じられていない、薄っぺらいファイルだ。
「ええっと、なになに、名前は、能美伴人。生年月日は、1980年8月8日。年齢は60歳。父、能美原一、母、能美元子の第一子として生を受ける。幼少期は身体が弱く、気管支ぜんそくにより入退院を繰り返す。また、アトピー性皮膚炎の悪化により……」
どうやら、僕のプロフィールの書かれたファイルのようだ。
それにしても薄っぺらい。
「県内の公立中学校を卒業後、県内の県立高校に入学。勉学に励むことも、部活で汗を流すこともなく、帰宅後は、ゲームをしたり、漫画を読んだり、アニメを観たりして、ダラダラと過ごす。卒業後も、生活は変わることなく、一度も就職することなく、還暦を迎える」
女神のこめかみが、ぴくぴく動いているのが分かった。
「還暦を迎えた日、両親から貰った小遣いで、新作のゲームを買いに行く途中、居眠り運転のトラックに轢かれ、その生涯に幕を閉じる……」
女神がゆっくりとファイルを閉じた。
僅か数分で、僕の人生のすべてが語られた。
満面の笑顔を浮かべているが、どこか怒っているように見える。
「ちょっと、貴方……」
女神の唇が震えていた。
「なんっにも、経験してないじゃないのっ!」
女神が、悲鳴のような声を上げた。
「貴方、人間の生きる意味って分かる?」
口許は微笑んでいるが、目はまったく笑っていない。
「人間の生きる意味……?」
僕は首を傾げた。
そんなこと考えたことはない。
「うーん、良い行いをする、とか?」
女神が、盛大に溜息を吐いた。
「もちろん、善行を積むことは大切ことよ。悪行を繰り返せば地獄に落ちるからね。でもね、もっと大切なことがあるの」
「大切な、こと?」
女神から笑みが消え、静かに、僕へと視線を合わせた。
青く透き通った美しい瞳に、吸い込まれそうになる。
「それはね、経験を重ねることなの」
「経験を重ねる?」
僕は首を傾げた。
「そう、嬉しかったこと、楽しかったこと、辛かったことや、苦しかったこと、そして悲しかったこと。これら経験を重ねていくことで、魂が成長していき、死後、ワンランク上の転生を目指す。これが、人間の生きる意味なの」
「そ、そうなんですか……」
「どれだけの経験値を稼いで、魂をレベルアップさせたかが重要なの」
経験値を稼ぐ。
レベルアップさせる。
まるで、RPGゲームみたいだ。
なるほど、人生はRPGゲームと同じだったのか。
「貴方の場合、高校卒業後から、まったく魂がレベルアップしていないわ。つまり、全然、経験値が足りないってことよ」
確かに高校卒業してから、約40年間ニートだ。バイトすらしたことはない。しかも一人っ子で、友達もいなかったため、両親としか接してきていない。そのため、嬉しかったことも、楽しかったも、辛かったことも、苦しかったことも、悲しかったことも、それほど経験した記憶はない。まあ、学生の頃は、ゲームや漫画が買えた時は嬉しかったし、アニメを見ていた時は楽しかったが、大人になるにつれて、そういった感情は徐々に薄れていった。
いつしか、ゲームも漫画もアニメも、ただの暇潰しの道具になっていた。
長い長い人生の暇潰し。
やはり人生は、うんざりするほど長かった。
別に死を望んでいたわけではないが、死んだことでホッとしている自分もいる。
だが、まさか死んでから、こんなにいろいろと揉めるとは思っていなかった。
「この経験値じゃ、転生は難しいわね……」
「どういうことですか?」
「転生において経験値が度外視されるのは、若くして病気を罹ったり、不慮の事故に襲われた人だけなの。貴方は不慮の事故に襲われたけど、もう充分な年齢だったでしょ。その対象からは完全に外れているわ」
「えっ、じゃあ、僕はどうなるんですか?」
女神が眉間にシワを寄せた。
「悪いけど、地獄行きね」
「ええーっ!」
僕は大声を上げた。
「そ、そんな、ヒドイですよ、地獄行きなんて、僕、何も悪いことしてないじゃないですかっ!」
女神が苦笑いを浮かべた。
「地獄はね、悪行を積んだ人間が罪を償う場所であると同時に、経験値を稼いで、魂をレベルアップさせる場所でもあるの。地獄に行けば、たったの一ヶ月で、一生分の経験値を稼ぐことができるわ」
一ヶ月で、一生分の経験値を稼ぐ。
RPGゲームで例えるならば、レベル1の状態で、ラストダンジョンに放り込まれるようなものか。
想像を絶する過酷な環境と責め苦が待っている気がする。
「経験値の足りない人間は、地獄に寄ってから、転生するのがセオリーなのよ」
コンビニに寄ってから、自宅に帰るような言い方だ。
いやいや、絶対に違うだろ。
「納得できません。何も悪いことしてないのに地獄行きなんて、あまりにもヒドイじゃないですかっ!」
地獄行きなど、まっぴらごめんだ。
僕は必死で抗議した。
「はあー、そんなにゴネても、経験値が足りないんだから仕方ないじゃない。それに怠惰だって立派な罪よ」
確かに、働かずにダラダラ生活していたことは認める。
社会にとって、生産性のない人間であったことも認める。
「それでも納得いきませんっ!」
僕は続けた。
「僕は、誰も傷つけていないし、誰からも恨まれていない。それだけは、はっきりと言えますっ!」
「そりゃそうよね。引きこもりのニートだったんだから……」
女神が、深い溜息を吐いた。
「まあ、両親との関係は良好だったみたいね。貴方が亡くなって、ずいぶんと悲しんでいるみたいだし……」
自分で言うのもあれだが、両親は僕を溺愛していた。やはり一人息子は、いくつになっても可愛いものなのだろう。僕としても、そんな両親の愛情を充分に理解していたため、出来る範囲での家事手伝いは、率先して行っていた。
「僕は、部屋に引きこもっていたわけじゃありません。家にいただけです!」
「それも立派な引きこもりでしょ」
女神が肩を竦めた。
「とにかく、納得いきません!」
「うーん、貴方の言い分は分かる、分かるのよ、分かるんだけどぉ……」
女神が、薄っぺらいファイルをぺらぺらとめくった。
「あら?」
女神が、あるページで、手を止めた。
「へえ、珍しいわね。貴方には精霊の加護が付いているわ」
「精霊?」
意味が分からず、僕は首を傾げた。
「しかも、とっても強力な加護が付いているわ」
「加護?」
やはり意味が分からず、僕は首を傾げた。
「どうやら、貴方の先祖は、太古の昔から精霊信仰を続けていたみたいね」
「精霊信仰って何ですか?」
「森羅万象すべてに精霊が宿っているという考え方よ。簡単に言うと自然崇拝ね。原始的な宗教に多く見られる信仰よ」
「そうなんですか……」
僕は、自宅にある仏壇を思い出した。
「ん?」
仏壇?
「いや、ウチは仏教ですよ」
女神が首を振った。
「仏教に改宗したのは、戦後になってからみたいね。貴方の両親が移住する際、仏教のほうが、色々と都合が良いから改宗したのよ。元々は、二千年以上も精霊信仰を崇拝し続けている一族の末裔よ」
「に、二千年?」
そう言えば、両親の故郷は、地図にも載っていないような山奥の集落で、駆け落ち同然で、街に出て来たと聞いたことがある。祖父母とも絶縁状態であったため、僕は両親の親戚に会ったことはない。もしかすると、その集落では、古くから精霊信仰が崇拝されていたのかもしれない。
突然、女神が何度も頷き始めた。
「うんうん、これだけの精霊の加護があれば、転生はできそうね」
「ほっ、本当ですかっ!」
女神がにっこりと微笑んだ。
「ただし、異世界限定だけどね」