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政略的な婚約だったがアンジェリカはクロードが好きだった。クロードも好きでいてくれると思っていた。
婚約してから少しずつ仲良くなったと思っていたからだ。
月に二回のお茶会ではお互いの家を行き来していた。お土産は王都で流行りの焼菓子やケーキに花束が多く、街歩きの時に買ってくれた髪飾りのお返しに一生懸命刺繍したハンカチを渡した時にはクロードが喜んでくれるかどきどきした。
図案も悩みに悩んで漸く小鳥に決めるまでが大変だった。
「こんな綺麗な刺繍見たことないよ、僕のために作ってくれたんだ。ありがとう、一生大事にする。額に入れて部屋に飾ろうかな」
「飾らないで使って。また作るから」
拙い刺繍のハンカチを額に入れて飾るって何の罰ゲームなのとアンジェリカは心の中で思った。
大げさに喜んでくれるクロードのことがますます好きになり、頬は熱をもっていった。
クロードにあげるまでに家族には練習した物を贈っていた。一番上手に出来たものが贈り物になった。カスクートの家紋も刺せるようになって嬉しかった。
十六歳の今では刺繍の腕もかなり上がっていた。もう贈ることはないけれど。
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学院ではアンジェリカ派とセリーヌ派に分かれている。
婚約者がいるのに近づいたはしたないセリーヌを嫌う高位貴族の生徒と、恋愛小説のような展開を喜んでいる低位貴族と平民の生徒達だ。はっきりと分かれている訳では無いが大体がそんなところだ。
中には妬みでアンジェリカを貶めてやろうという者も含まれていると思っている。
アンジェリカが失脚したからといって、自分が選ばれるわけでもないのに妬ましく思っていた人達には、面白くて仕方のないゴシップを提供してしまったわけだ。
最初はセリーヌの美貌に引き寄せられていた男子生徒も冷静になってきたらしい。綺麗な子だなと思っていた令嬢が婚約者のいる男に手を出したのだ。
出された方も拒絶もせず近づくことを許している。婚約者が同じ学院にいるのに。
結婚して正妻を大切にしてからの愛人が貴族社会の常識だ。政略で愛情がないからこそ他所で癒しを作って遊ぶ。それもこっそりとだ。
結婚前から好き合っていると思われていた婚約者の片割れが、堂々と浮気をして相手を傷つけていいわけがない。
卒業したら社交界で出会うかもしれないけど、ちょっと付き合うのは御免だな。
それにこのままで済むはずがないのだ。ソワレ伯爵家に切られるカスクート伯爵家の行く先が鋭い貴族の令嬢や令息には見えていた。
隙を見せたら足を引っ張られるのが貴族社会だ。
もっと真面目な奴だと思っていたけど違ったなと、まともな神経の生徒達は思い始めていた。
毎日の様に婚約者とその恋人の噂を聞き、見て、アンジェリカの笑顔は消えた。
邪魔者は私なのね。愛し合う二人を引き裂く悪女というところかしら。
せめてさよならは私から言わせて欲しい。好きな人ができたから別れたいなんて心を抉る様なことを彼から言われたくない。
婚約していた四年半は楽しかった。思い出すと涙が零れて仕方がない。
指に火傷をしながら練習したクッキーも「美味しいよ」と言って笑いながら食べてくれた。火傷を凄く気にしてもう危ないことはしちゃ駄目だよと言ったくせにもっと食べたいななんて喜ばせて。
プレーン味だけじゃなくてチョコ味やナッツを入れたものまで焼けるようになったのも貴方のお陰ね。
街を手を繋いで歩いたのも楽しかった。雑貨を見たりカフェに入ったりしたわね。
彼女とデートしてるのかな、してるわね、あんなに仲がいいんですもの。
早く忘れたい、存在そのものを。恋をしていたことも何もかも。
それまで女の子にクールだった貴方なのに、私たちの前であの日あの子が転びそうになった。それを助けたりしなければ恋は始まらなかったのかな。
考えたらまた涙が出てきた。お兄様に慰めて貰ったのに。お父様にも婚約破棄をしたいと話をしたのに。
今頃無事に破棄出来ているはずなのに。
これから一年半も学院に行かないと駄目かしら。あの二人の姿はもう見たくない。
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ソワレ伯爵はカスクート家へ行きクロード有責の婚約破棄を勝ち取って来た。
大事な娘に傷を付けた怒りは静かなものだったが余計に相手に恐怖と罪悪感を与え、莫大な慰謝料をもぎ取って来た。カスクート商会とは今後いっさい取引はしないという契約書をきちんと作成した。
カスクート伯爵は結婚までの火遊びだと大目に見ていたらしい。相手の令嬢は卒業と同時に母国へ帰り結婚すると聞いていたので余計にそう思ったと言っていたと父様は怒っていた。
馬鹿息子も土下座して謝ったと言っていたけど、父様と兄様の怒りがそれで収まるのかしらと母様がつぶやいていたのが一番恐い気がする。
クロードは退学になり。セリーヌは強制的に隣国へ帰されることになった。
勉強をしに来たのに結局やったのは男漁りだけだったのだから当たり前だろう。
隣国の家にも慰謝料の請求がいく。婚約者がいたそうだからそこにも払うんだろう。
ぼんやりとした頭の片隅でどうでも良いことだと思いながら、そんなことを考えていた。
心に大きな穴が空いたような気持ちのするアンジェリカは、涙の出なくなった昏い瞳でただソファーに座っていた。