泥棒たちは買い物に出かける⑤
だんだんと、あの絵が不吉なものに思えてきた。あの男が描いたものかどうかもわからないのに、あの男のことを思い出すだけで、不吉だった。もう昔の傷は癒えており、平穏で安定した日々を過ごせていると思っていた。ところが、あの絵を見てからというもの、早苗の胸はざわざわと騒いでいた。それだけでもあの絵が不幸をよぶ絵、災いを運ぶ呪物に思えた。持って帰ってきたことを後悔したし、それよりなにより、どうして自分があの絵を持って帰ろうとしたのかがわからなかった。そっちのほうが、早苗にとっては癪だった。
結局は、絵を手放すことにした。どうも家に置いているのが居心地が悪く、嫌な感じがしたのだ。捨てるのも罰当たりな気がしたので、及川に取りに来てもらうことにした。電話をすると、及川は嬉しそうに「やっぱり最初から、僕にくれるべきだったんですよ」と言った。
「あの絵は、先生の家にあるわよ」トンネルのなか、等間隔で照らす淡いオレンジのライトを見ながら、早苗は言った。
「どうして? あげたの?」
「そうなのよ。先生がすごく欲しがっていたから、あげることにしたの」
「そうなんだ。でもそれなら、最初からあげればよかったじゃん」
「それじゃダメなのよ。一度は、私のものにならないと。最初からあげるなんて、癪じゃない」
「早苗さん、こわ」そう言って、ミクルは笑った。
トンネルを抜けると、また青空が広がった。あたりまえのように青い空が、あたりまえのように広がっている。それはまるで頭上にある海のようで、逆さまから海水のなかに飛び込むような感じがした。
「そういえばさ、早苗さんはずっと彼氏いないんだっけ?」
ミクルが話題を変えるように言った。片手で器用にペットボトルのキャップを開け、水を飲む。早苗がその横顔を見ると、若い女の子特有のうきうきとした表情があった。
「そうだけど。どうして?」
「なにか、新しい出会いとかあった?」
「ないわよ」早苗は思わず苦笑した。「あるわけないじゃない。泥棒しかやってないんだから」
「へえ。でもなんか、いつもの感じとは違うよね」
「どういうこと?」
「なんか、悩ましい顔してる。まるで、恋してる女の人みたい」ミクルが早苗を見た。片手でハンドルを握り、にやにやとした笑みを浮かべている。
この子も適当なふりをして、意外にちゃんと観察してるんだな、と思った。気まぐれで、アイドルのために一日に五十万遣うような子でも、ちゃんと人間のことは見ているのだ。現に、こうして早苗のわずかな心境の変化、心の揺れ動きを見抜いている。
「そんなことないわよ」
「嘘だ。うまく隠してるつもりかもしれないけど、あたしにはわかるんだからね。早苗さん、いつもと違ってなんか変だよ。落ち着きがない」
「やめてよ」髪を耳にかけならが、早苗が言う。「おばさんをからかわないでよ。恋する相手もいなし、もしいたとしても、そんなことで浮かれたり動揺したりしないわよ」