泥棒は教会へ行き、そして別れる⑤
「そうだね」早瀬が白い歯を見せる。「彼らには及ばないけど、僕も画家として独立してみせるよ」
「ただ、ギャンブルをやらなければね」
その言葉には、早瀬はただただ苦笑していた。
「でも、君には本当に世話になった。今回の件もそうだが、過去のことも同じだ。僕は君から借りた金を、まだ返していない。向こうでの生活は大変だと思うけど、少しずつ返済するよ」
「もういいのよ」早苗は笑った。「アンティーブ岬を手に入れることができたし、それでチャラよ」
「でもあれは、君たちの仕事だった。僕はほとんど、なにもやっていないよ」
「それならあなたが有名な画家になったときに、私に絵を一枚ちょうだい」
「一枚くれるどころか、君のために絵を描くよ」
早苗は笑った。楽しい会話だった。まるで二人が付き合っていた頃、楽しく笑い合っていた頃に戻ったような気分だった。
駅に着いた。二人は改札口まで歩いた。緑の電光掲示板の下にはたくさんの人が行き交っている。自動改札機はたくさんの人を吸い込み、また吐き出していた。
早苗と早瀬が乗るホームは逆方向だった。ここで別れることになる。
「君が僕をかばってくれたとき、嬉しかったよ」早瀬が言った。佐々川のところに連れて行く件を言っているのだろう。「あれは、僕をかばってくれたんだろう?」
「どうだろうね」早苗はとぼけた。「でも、あなたがいてくれたほうが良いと思ったのは、本当よ」
「あれは、本当に嬉しかったよ。君を逃がそうとは思っていたけれど、あれを聞いて一緒に逃げようと思った」
早苗はなにも答えない。
「なあ」
早瀬が言葉を発する。だが、それ以上あとが続かない。言いたいことが、喉につかえてうまく出ないようだった。
しばらく沈黙が流れた。電車の走る音と、人々の行き交う足音だけが二人を包む。
「向こうに着いたら、葉書を送るよ。まずは、フランスを周遊するつもりなんだ。ブルターニュにも足を運ぶ予定だ。そこの綺麗な景色を、君にも届けたいと思う」
早苗は笑った。明るい笑顔で、こくこくとうなずく。
「それじゃあ」
そう言って、早瀬が片手をあげる。名残惜しいような、ぎこちない笑顔だった。
「うん、元気でね」
早苗もまた手をあげた。それから、二人は別々の方向へむかって歩き出す。
少し歩いてから、早苗は振り返った。遠くへ歩いて行く早瀬の姿が見えた。その背中が、どんどんと小さくなる。
――もう、二度と会うことはないのだろうな。
早苗はそんなことを思いながら、早瀬の背中が人ごみにまぎれて見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。