泥棒は教会へ行き、そして別れる③
「いいんですよ。こうして無事に絵が戻ってきただけで、私は満足です」里美が嬉しそうな顔をして、絵を見つめる。
「ねえ、ルマークってどんな人だったの?」ふと気になって、早苗は訊ねてみた。
「父は、弱い人間でしたよ」懐かしそうな表情を浮かべながら、里美が話す。「小さいことにこだわって、いつもくよくよしていて、弱い人間でした。意志薄弱だったのかもしれませんね。しっかりとした自分というものが、あまりないような人に見えました」
「世界一の大泥棒が?」及川が驚いた声を出す。「それは意外ですね。まさに、僕と同じタイプじゃないですか」
「自慢しないでよ」馬鹿じゃないの、とミクルが呆れる。
「でも、母への愛は本物でした。母のことを心の底から愛していたし、そのために泥棒もやめました」
「それから、画家として出発したのか?」早瀬が訊ねる。
「母に泥棒をやめるように言われ、それから画家を目指しました。幸い、父の周りには盗んだ世界的名画がたくさんあったので、それを研究することができたみたいですね。生前、父はよく言っていました。自分が画家として成功できたのは、世界中の巨匠たちといつでも自由に対話できたからだ、と」
「世界一の大泥棒から、世界的な画家になったわけですね」
「でも父は、そのことをあまり喜んではいませんでした」
「どうして?」
「父は、自分の好きな絵が描ければそれで充分だったんです。名声とか地位といったものには、あまり関心がありませんでした。それより父が心配したのは、画家としての名声が高まるにつれ、自分の作品が盗まれるようになることです」
「ああ」と早苗は息を吐いた。「自分が泥棒だったから、なおさら心配になるわね」
「必ず、自分の作品を盗む人間が現れるだろう、と言っていました。でもべつに、そのことを心配していたわけではないんです。自分もたくさんの絵画を盗んだし、自分の作品が盗まれることは仕方のないことだろう、と割り切っていました。ただ一つだけ、盗まれたくない作品があったんです」
「それが、ルマークの指環ね」
里美が早苗を見て、うなずく。
「父がプロポーズのときに贈った絵、母との思い出の結晶であるこの絵だけは、盗まれたくないと言っていました」
「気持ちはわかるわ」
「でもそれなら、なんで教会に絵を飾っていたの?」ミクルが純朴な目をして訊ねる。
「母が亡くなったとき、父が決めました。どこかに隠して暗い場所で保管するより、こうやって教会の明るい光に包まれ、たくさんの人に鑑賞してもらうことを、父は望みました。それが、母のためにもなると考えたようです」