きょうはなんにもないすばらしい一日だった。
「きょうはなんにもないすばらしい一日だった」
とあるテレビゲームをやったことがある人ならば一度は目にしたことがある文言なのではなかろうか。
そのゲームの内容は日常系ロールプレイングゲームのようなものなのだが、この文言はゲームを進めていく中で主人公に何らかのアクションを起こさせることなく一日の行動を終え、寝床につくと見ることができるもので、ゲームの進行上ではあまり好ましくないものである。
それでは、現実世界の中で「きょうはなんにもないすばらしい一日だった」を作ってしまうことは果たして好ましくないものなのであろうか。私はふと考えるのである。
私は考えるのであるが、現実の世界で生きている中で、「なんにもない」というのは至極特異的な状況なのではなかろうか。テレビゲームの中では、朝食を摂りに行くことはマストであるが、それ以外の行動を全く起こさずに寝床につく、という行動ができる。というか上記の文言はそういう行動をしたときに現れる文言である。
しかしどうだろう、実際に生きている現実の世界にあっては朝食のみとって寝床につくというのは考えづらい行動である。もちろん、そういう生活スタイルをとっている人を否定するわけではないが、平日であろうが休日であろうが朝食を摂ったら何らかのアクションを起こすのが一般的であり、朝食後寝床に直行というのは考えづらい。
また、朝食後、あるいは何も食べないで寝床につくという人もいるのであろうが、そのような生活を送っていても、「なんにもない」ということはないのである。現実の世界においては、もちろん排泄も必要であるしそもそも、「生きている」こと自体が「なんにもない」とは正反対のことであるからだ。
つまりは、生きている以上なにもないなどということはありえなくて、生きているだけで「きょうはなんにもないすばらしい一日だった」という日記を書ける可能性は消えてしまうということである。
人間を含む全ての生物の生の営みは非常に複雑なもので、生きている限りそこに「なんにもない」などということはない。「なんにもない」があるとすれば、それは死んだときにほかならないものだと思う。
了




