第89話 龍族の罪人
「よっこら、せっと!」
掛け声と共に、セリが馬車の檻の格子を両断した。
さすがは魔剣……分厚い木製の格子もバターみたいに切断している。
「……ありがとう」
リオンが控えめな声で、眉を顰めながら荷台の檻から出てきた。
「礼を言ってる余裕はねえぜ?
ちゃんと作戦は頭に入ってんか?」
素早く剣を収めたセリが、リオンの顔を覗き込む。
むさ苦しいとばかりにそれを手で遠ざけながら、リオンが声を上げる。
「わかってるよ!
ーーって、おい!?」
2人が歪み合っている傍で、破壊された檻の中から、ゾロゾロと他の奴隷が溢れてきた。
先程まで大人しくしていたのに、檻が壊れた途端に我先にと飛び出してきやがった。
「出ては行けません!!
危険ですよ!」
咄嗟にそう叫ぶも、足を止めてくれるのは数人程度。
様々な種族が檻に詰め込まれているから、言葉が通じていないのだ。
このまま奴隷の人達を外に出す訳にはいかない。作戦の邪魔になるし、犠牲も増える。
やむを得ず、破壊された檻を氷の壁で塞ぐ。
「ッッッッ!!!!!」
腕に走る激痛に、思わず疼くまる。
前回よりも痛みが増している……
魔術を使える回数は少ない。そう本能的に思わせる様な痛みだ。
「どうしたディン!」
「大丈夫か兄ちゃん!?」
「ッッ…………大丈夫、ですぅ……ッ」
失敗だった。よく考えたらわかるじゃないか。
もっとこう、事前に部外者を拘束する方法を考えておけば……
いや、過去のことを言っていてもしょうがない。
奴隷達は出口を塞がれて何やらギャーギャー騒いでいるが、知ったことではない。とりあえず1人も外に出さなかったので成功だ。
そして霧ももうじき晴れる頃、さっさと作戦を始めなければ……
「本当に、平気なのか……?
変な汗かいてるぞ……?」
心配そうに、リオンが俺の顔を覗き込む。
そこに一瞬、ラトーナの顔が重なった。
少しだけ、本当に少しだけ、針で刺された様な痛みが和らいだ。
「はは……平気だよ。
それより、リオンこそ平気か?
こういうの慣れてないだろ?」
「出来る出来ないを言ってる場合じゃないんだろ。
平気さ!
こう見えて俺、結構狩りとかやってたんだぜ?
それに爺ちゃんがよく言ってたんだ『なるようになる』ってな!」
そう言ってリオンは、胸をドンと叩く。
なんとも頼もしい。同じ9歳とは思えないよ。
いやまぁ、俺の中身はおっさん直前だったが。
「ーーよし、じゃあ行きましょう!」
激痛に軋む体を持ち上げて、空元気とばかりに少し大きめの声を出した。
残された時間は少ない、気を引き締めよう。
ーーー
1本、また1本と、進行方向先から矢が飛んでくる。
しかし、そのどれもが本来の軌道を辿ることが出来ずに地に落ちていく。
「リオン! まだいけるか?」
「ああ! 余裕だよ!」
前を先行して走るリオンが、そう叫ぶ。
詳しい理由はわからないが、この長耳族の少年ーーリオンは風の上級魔術を使える。
ならば、作戦は決まったも同然だ。
リオンが風魔術の遠隔発動で矢の軌道を逸らしながら敵の元へ向かい、呪詛を打ち消せるセリが攻撃する。
え?
俺は何もしないのかって?
勿論するとも。
俺は崖の上で待ち伏せているであろう狙撃手の元まで道を作る係、つまりはセリの『アッシー君』な訳だ。
あとまぁ、相手が複数だった場合は狙撃主以外の掃討もやるけど。
「ところで兄ちゃんよぉー!」
背後を走るセリが大声で俺を呼ぶ。
走っているせいでお互い声が聴き取りにくい。
「なんですかー!」
「敵の位置!!
わかってんのか!?」
「わかりません!!!
このまま手探りで探します!!!」
「おい! それはちと無茶なーー」
「位置ならわかるぞ!!」
セリの言葉を遮って、リオンが食い気味にそう言った。
結構危ない状況だってのに、なんだかこいつだけ楽しそうだ。
「え、分かるの!?」
「ああ!!
この場所だと風は読みにくいから、代わりに精霊達に教えてもらってる!!」
「そりゃすげぇな!
聞いたか兄ちゃん!」
「え、えぇ……まあ、あは、あははっ!」
精霊がどうとか言ってるけど……
リオンのやつ、アドレナリン出過ぎてなんかヤバいモノが見えちゃってるんじゃないだろうな……?
いやそれとも、本当に精霊いるの……? 巨人やドラゴンがいたって言われるくらいだし、マジなのか?
「ーーここだ!!」
リオンが突然足を止め、崖の上を指す。
「はい!?」
「矢はこの上辺りから来てる!!
早くしろ! 相手も逃げ始めてる!
中腹は足場が広いから追うのは面倒だぞ!!」
急すぎる。
いや、せめて『もうちょっとで着くぞ』とかアナウンス入れてくれよ。
「ッ〜〜〜!!
セリさん!
足場出すんでこのまま行っちゃって下さい!!」
「あいよ!!
負けて死んでも文句言うなよ!?」
急いで地面に手を着いて、土魔術を発動する。
ーー土槍!!ーー
「ッッッッッッ!!!!!!!!!!」
地面から崖の中腹に向けて階段を作りだしたその時、両腕にこれまでに経験したことが無い程の激痛が走った。
王都で手を貫かれた時よりも激しいもだ。
目には涙が溜まり、顔には脂汗が浮かんできた。
「おい! 大丈夫なのか……!?」
地面に蹲る俺の肩をガツンと掴んで、リオンが叫ぶ。
「ッ〜〜〜!
いいから矢を止めて!!!!」
顔も上げられないままリオンに叫ぶ。
こちらに放たれているのは当たったら即アウトの矢なんだ。勿論魔剣で呪詛を打ち消す事もできるが、セリが魔剣を使える回数は本人曰くそう多く無い。
リオンが魔術で相手の矢を逸らしてくれなければ、セリが敵の元に辿り着くのは不可能なのだ。
「おいディン!!」
激痛に耐えてそう叫んだにも関わらず、リオンが再び俺の肩を叩く。
それに思わずカッとなり、声を上げる。
「わからないのか!!
俺のことはいいかーー」
「違う! 矢は逸らしてる!!
敵だ! もう1人敵がいる!!」
「!!!」
そう言われて、すぐに顔を上げる。
……本当だ。
俺がたった今出した階段から1人、こっちに向けて駆け降りてくる奴がいる。
先程まで気配は完全に無かった。意図して隠れていたのか。
やはりというか、相手も前衛を用意していたらしい。
だが幸い、コイツがこっちに来てるということで、前衛がセリの元へ向かって2対1になる状況は避けられた。
あとは本来の作戦通り、俺がこいつの相手をする訳だが……
「リオン、逃げて」
「え……!?」
驚愕の表情を浮かべるリオンを横目に、フラフラと立ち上がる。
正直、痛みで意識が保てそうに無い。
次魔術を使えば、今度こそ俺の意識は闇の中だろう。
まあそもそも、魔術を使えるかどうかも怪しいがな。
「早く!!」
呆然としていたリオンを叱咤する。
迎撃する余裕がなかったせいで、もう敵との距離はほとんど無い。10秒と経たない内に奴は俺の目の前だ。
どうせ相手は俺をガキだと思って舐めてる。
撃てたとしても一発が限界。ならばギリギリまで近づけて、今出せる限界の出力をぶつけてやる。
下手したら相打ちだけどな。ははは……
「逃げるってどこにーー
ってわぁぁッッッ!!! 来てるぞ!!」
巻き込む可能性があったからリオンには下がっていて欲しかったが、しのごの言っている余裕はないか……
相手との距離はとうとう5メートルちょっと。
鉛の様に重い手をなんとか持ち上げ、敵に向ける。
「ふぅー……」
4メートル、深呼吸しながら放つ魔術を決め、腕に魔力を集める。
「ッ!?……」
3メートル、魔力を流し込んだ腕に、それを引き千切られたかの様な激痛が走る。
先程よりもさらにさらに強い痛み、意識を持って行かれそうになるも、なんとか耐えて魔術を起動する。
放つのは土魔術の『岩砲弾』、人1人なんか平気で覆うほどの大岩を高速で撃ち出す魔術。
現状俺が出せる最高威力のものだ。
2メートル、狙いを定め、魔術を起動する。
ーー岩砲弾!!!ーー
「は……!?」
1メートル、満を持して放った魔術。
しかし、俺の手から飛び出したのは、拳程度の大きさの石ころ一つだった。
あれだけの激痛に耐えてまでやったというのに、失敗したのだ。
ヒョロヒョロと頼りない軌道で飛んでいった石ころ、勿論敵はそんなものに目もくれず遂には俺の目の前へと立ち、その剣を素早く振り上げた。
「!?!?!?!?」
何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故?????
何故魔術が発動しなかった?
これじゃーーこれじゃあ俺は死ぬじゃないか!
くそ、クソクソクソクソクソクソッッッ……
ーーあ……
いや、まあでも……
「ディーー」
リオンが叫ぶ間も無く、剣は振り下ろされた。
俺を静かに目を閉じる。
悔しさや怒り、恐怖はあった。
でもそれをぶつける場所が何処にもないことに気づいて、『もういいや』という気持ちが浮かんできた。
ーーまあ、ただの諦観だ。
あまりに突然で、一瞬で、呆気なさ過ぎて、全ての感情が通り越してしまった。
だから目を閉じることにした。
もう限界だったんだ。
ラトーナのこと、クロハのこと、俺が殺した人のこと……
そういう枷から解き放たれるのだと考えれば、大分良い終わり方な気がするんだ。
〔そんなことはないさ、ほら目を開けてごらん?〕
ーーは?
〔まだ終わっていないさ、というか終わったら困る。
君は来るべくしてここに来た『英雄王が唯一恐れた者』なのだから〕
真っ白だった頭の中に、突然そんな声が響いた。
全く聞き覚えのない声だ。
〔困惑してるかな?
当然さ、会ったことないし。
あ、いや、でも最初にこの世界に……いやいや! やっぱなんでもない!!
まあとにかく安心したまえ! これきりだから!
あの時、君と繋いだパスは微弱なものだったからね。血が近くてもこれが限界さ。
こうして一方通行に思念を送っているだけで既に〝橋〟はボロボロ。
あと数十秒で崩れてしまうだろう〕
一方通行……? パス……?
何言ってんだこいつ……
〔おっとっと、時間がない。
最後だ、心して聞くと良い。
私の名はヴィヴィアン。
〝記憶の塔〟にて君を待つ、しがない龍族の罪人さ。
そんな僕から君に三つのアドバイス!
友人を侵す未知の毒、治したいならエルフの森へ。
奇跡の再会、夢の再開、けれど名乗っちゃいけないよ。それは簡単に覚めるものだから。
遺産は集まり、道化は笑う。どうぞ結界の男には気をつけてーー〕
みんながイマイチ理解ってなさそうな単語解説①
『上級魔術』
魔術とは、
初級ー中級ー上級ー超級ー英級ー災級ー神級
の7段階でその習得難易度や規模、効果などがわけられており、当然、上の階級に行くほどそれを会得している魔術師は少なくなる。
その最たる例として、階級が『上級』に差し掛かった時点で、習得者は極端に激減する。
しかし意外にも、『上級』は使えないけど『超級』なら使えるという魔術師も少なからず存在する。
本来、魔術とは術者が掌に魔法印(陣)を起動して、その効果を発揮するものだが、『上級』は違う。
掌から離れた〝何もないない空間〟に魔法印(陣)を起動し、その効果を発揮するものこそが『上級』に値するのである。
剣(武器)の先端に魔法印を浮かべて魔術を起動していた人々が作中にいくらか出ていたが、あれは『上級』の一歩手前に至っている証であり、そのまま修行を続ければいずれは習得できるであろう人間だ。(トリトンなど)