第84話 奴隷の少年
薄暗い渓谷の底、辺りは不自然なほど静かで、砂嵐がビュービューと吹き付ける音しか聞こえない。
「サラマンダーの糞だ! かなり新しいぞ!」
魔物にはある程度知識があるからと先行していたセリが、数十メートル先から俺たちに向かって叫んだ。
まだセリを信用しているわけじゃないが正直、彼がいるおかげで大分助かっている。不要な警戒に神経をすり減らさずに済んでいるし、陣形もうまい具合に彼が組んだお陰で、無駄のない連携が取れている。
まあ、俺は魔術師として後衛で見物してただけなんだが。
「そういえば、なんでここ辺りは気候がおかしいんですか?」
隣を歩くトリトンに尋ねる。彼は俺と同じ馬車に配置されているのだ。
ただの異常気象地帯程度なら『ふーん』程度で流していただろうが、この辺りの大地はどうにもおかしい。
赤茶色の大地に蓮根みたいな形をした岩や、羊のツノみたいな岩、果ては花の形に似ているものまである。そもそもこの渓谷だってそうだ、どうも不自然で、元々あった断層を何かでぶち抜いて作った道のように見える。
「知らん」
即答か。
まあ、トリトンが知ってるわけーー
「知らん……が、『ピアー•キー=ラヴ』というムスペル王国の叙事詩に、この辺りで大戦が起きたと記されてる。
その傷跡と考えても良いのではないか?」
「大戦……
結構昔にあったものですか?」
「なにせ古い叙事詩だ。
真偽の程はわからぬが、我が国の英雄王よりも前の時代と唄われていたぞ」
件の英雄王より前、となると400年以上前!?
いや、それ以前に……
「大戦のせいでこんな地形になるって……
どんな化け物達の戦争ですか……」
「主にこの地形を作り出した要因は、『カーマ』という英雄と、その宿敵の巨人族だがな」
「は?
待って下さい、巨人いるんですか?」
「知らん。
滅びたとしか書いていなかった故な。
まあ少なくとも……私は一度も目にしておらん。
見たくもないしな、そのような醜い怪物」
なんだ、いないのか巨人。
いて欲しかった訳ではないのだが、なんだか少し残念だ。
「なあ!
あんたら『カーマ』知ってるのか!」
トリトンとの会話に間が空いたところで、少年の声が割り込んできた。
誰の声か、少年の声だ。今俺達が護衛している檻の中にいるな。
顔つきからして長耳族の血統、歳は俺と同じくらい……に見えるな。背丈も同じくらいだし。
「おい!!!
勝手に喋ってんじゃねえぞ!!!」
檻の馬車を引いていた小さいおっさんの奴隷商が、格子に鞭を打って怒鳴る。
「ッッ、すみませんすみません!」
酷い扱いだ。
嫌な光景を思い出す。
「おい貴様、商品は丁寧に扱え」
奴隷商の態度を見たトリトンが、何を思ったのか彼の首元に槍を突き付けた。
「ッッッ……いいのかよ、こっちは雇い主だぞ?」
慌てて両手を挙げたチビの奴隷商のおっさんが、下卑た目でこちらをジロリと睨む。
それにしても小さい……150cmもないんじゃないか?
となるとラトーナが以前話してた小人族か?
いや、今はそんなことどうでもいいな。
「私が雇われたのは貴様らの主にであって、貴様ではない。
試してみるか? この事を知ったここの主人が私と貴様、どちらを咎めるか。その小さい頭で良く考えるのだな、粗暴な小人族よ」
「ッッッ……もういい!」
そう言い捨てて、奴隷商の男は馬の方へと戻っていった。
そしてやはり、彼は小人族だったようだ。
「意外です」
そう呟く俺を見て、トリトンが首を傾げる。
「何がだ?」
「奴隷の子を助けた事ですよ。てっきり『奴隷如きなぞ放っておけ』なんて言うかと」
「奴隷とてれっきとした商品、そしてこの世に欠かせない存在だ。
それを粗雑に扱うとは、商人として有るまじき行為である。
私はこんな低俗な商人に使えていたという不の看板を背負うことになりかねないからな」
「へ、へ〜」
あ、奴隷自体はどうでも良いのね。
まあ、結果的にこの場は収まったからいいか。
「わりぃ、ありがとな……」
先程の長耳族の少年が、視線を逸らして拳を強く握りしめながらこちらにそう言った。
「いえいえ、僕らは何もーー……」
それによく見たらこの少年、身体中に鞭の後があるじゃないか……よし、やるか。
「……織りなすは魂の息吹、捧げるは我が英気、汝に祝福を。『治癒』」
少年に向けて手をかざし、詠唱を終える。
一般普及している治癒魔術しか使えないが、何もしないよりは良いだろう。
傷口から感染とかしちゃってると、俺ではどうしようもなくなってしまう。
「え!?
お、ありが、とう……?」
「痛ッ…………
あ、はい。どういたしまして……」
「あんたの名前を教えてくれないか。
あと隣の槍の人も」
「僕がディンで、槍の方はトリトンです」
そう言うと、少年は檻の中で安座に直って、真剣な面持ちで話し出した。
「改めて、さっきはありがとうディン。
俺の名はリオン。
頼む、俺の頼みを聞いてくれないか」
真剣な面持ちで、姿勢を正した彼はそう言った。
「頼み……ですか」
「ああ。
ここから二つ後ろの馬車、そこに俺の妹がいるんだがーー」
「待て、二つ後ろの幌馬車と言えば、最後尾ではないか」
リオンの話を聞いていたトリトンが、遮るように口を開いた。
「……ああ、そうだよ」
少年ーーリオンは再び視線を逸らして、静かに首を縦に振った。
「最後尾に何かあるんですか?」
「最後尾は怪我や感染症で、価値が著しく落ちている者達が入れられている」
「!……
じゃあ捨てられるっことですか?」
「いやそれはない。
病だろうが何だろうが、生物に変わりはない。むしろ相手によっては良く売れるかもな」
「それはどういう……?」
「どのみち死ぬからと格安で売られているなら、魔術の触媒や生け贄にして仕舞えば良い。
そう言った用途では、それなりに需要があるのだよ」
「じゃあつまり、リオンさんは僕達に妹さんをーー」
「そう、助けて欲しいんだ!
解放してくれとまでは言わねぇ!
せめて病気を治すだけでも!
ディンもポルポンもいろんな魔術を使えるんだろ!?
聞いたことあるぜ? 魔術の中には病気を治せるものもあるって!」
彼は今にも泣きそうな目で、俺達に熱過ぎる視線を送った。
けれどーー
「不可能だ」
「!……
何でだよ!」
あまりにもそっけないトリトンの返答に、リオンは檻の格子をガシャリと揺らして声を上げた。
「静かにしろ、また小物ドワーフの鞭が飛んでくるやもしれん。
……いいか少年、本来解毒魔術というものはな、下級のものしか常人には扱い得ぬのだよ」
「なっ……!
そうなのか……ディン……?」
青ざめた顔でこちらを向くリオンに対し、俺は静かに首を縦に振った。
そう、俺達はせいぜい傷の消毒を行う程度の力しか持たない下級の解毒魔術しか扱えない。
中級の詠唱自体は知っているのだが、使用したところで、俺達では十全に効果を発揮できないのだ。
中級以降となると、まず対象の病原を特定し、流し込んだ魔力をそれへの特効成分に変質させねばならない。
変質させる事自体は術式が自動でやってくれるが、繊細かつ複雑な術式を維持することと、初歩の病原の特定には、俺の知る現代医療とは違った知識と腕が必要だ。
「ッ……そうなのか……」
リオンが力なく檻の中で膝をつく。
「申し訳ありません、役に立てなくて……」
病気も治さなければ、俺達にはその妹とやらを買い取れる金もない。どうやっても救えないのだ。
ああくそ……なんだよもう……
これじゃあ、俺が殺すみたいじゃんか……
「いや……無理を言って悪かったな……
ありがとう……」
リオンは蹲ったまま、弱々しい声でそう言った。
なんと声をかければいいのか分からず、俺は黙り込む。
その時ーー
「来たぞォォォ!!!
サラマンダーだッ!!!
上から駆け降りてくる、全員戦闘態勢!!!」
馬車の前方からセリの声が響き渡る。
とうとう襲撃が始まったようだ。