第79話 焚き火の前で
暗闇の中に「パチパチパチ」と、不思議な音が響いた。
体……特に顔の辺りが温かい。ていうかむしろ熱い。
その熱さに、思わず目を開く。
そこに映ったのは、星空と、それを突くように聳え立つ木々の先端だった。
視界の端には、チラチラと炎が見える。
ああ、さっきの「パチパチ」って音は、焚き火の音か。
どうやらここは〝外〟らしい。
「ようやくお目覚めか。ディン•オードよ」
ぼんやりと星を眺めていた俺の傍で、誰かがそう言った。
妙に聞き覚えがある声だ。
声のする方向に、ゆっくりと顔を向ける。
「ッ!……」
体から一瞬で血の気が引いていくのを感じた。
「トリトン……」
慌てて起き上がり、俺の前に座っている金髪の青年に向けて腕を構える。
そう……焚き火を挟んで俺の目の前に座っていたのは、先程俺と戦った男ーートリトンだった。
「……なんでっ、何でお前がここにっーー」
やばい、変な汗が噴き出てきた。
こんな時に敵と遭遇?
体はまだ思うように動かないぞ。魔力も全然ない。
どうすれば良い……?
「待て待て、そう警戒されては困る。私は敵ではない」
トリトンは両手を顔ぐらいの高さまで上げながら、気怠そうにそう言った。
敵ではない。今こいつはそう言った。
何が目的だ?
信用して良いのか…… ?
そんなスペースレンジャーのおもちゃみたいなセリフを……答えてくれウッディ。
「あ、そういえばクロハは!?」
いや、クロハだけじゃない。
周囲を見回しても木々ばかり……他のみんなはどこにいるんだ……?
「魔族の娘なら心配無用だ。先程そこらに薪を集めに行った」
落ち着いた表情で、彼はそう答えた。
良かった……クロハはとりあえず無事か。
「……え、じゃあ他のみんなは」
特にセコウだ。重症だったセコウはどうなったんだ?
「話を遮って悪いが、まずは座ったらどうだね」
そう言われて、俺はゆっくりと構えを解き、地面に腰を下ろした。
「よし、他の者達の話だったな。私は知らぬ!」
「え?」
「知らぬ。はぐれたままだ!」
「はぐれたって……何があったんですか!?」
「私が裏切ったのだ!」
「……真面目に答えてくれます?」
舌足らずにも程があるだろ。
これでは最早効率厨ではなく、ただの連想ゲームだ。
「何を言うか、至って真面目であるぞ!」
トリトンは胸を張ってそう言った。
そうだな。こいつはそういうやつだ。
こいつは聞かれない限りざっくりとしたことしか言わない。
はぁ……
俺が合わせるしかないな。
「裏切ったって……セリの陣営をですか?」
「然り!」
「何でまたそんなことを……」
「私の目的はフィノース家の繁栄であり、その当主の座に就くこと。此度の我が陣営の敗色が濃厚になった以上、どちらにつくべきかは考えるまでもない!」
「ていうか、なんであなたがここにいるんですか?」
「む? 2度言わせるな、裏切ったと言ったであろう!」
「いやそうじゃなくて……僕、あなたを檻に閉じ込めましたよね? どうやってあの檻を破ったんですか?」
あの檻の格子は重金属。水圧カッターの『神槍』すら防ぐんだぞ? それを破れるはずがない。
「そうだとも。貴公の氷にまんまとやられ、檻の中で気を失っていた。まあ、貴公が私にかけた治癒魔術のお陰で、目覚めるのはそう遅くなかったがな」
「それはわかります。だ、か、ら、どうやって檻から出たんですか?」
「通りがかったリディアン•リニヤットを呼び止めて、檻を破らせたのだ。奴の軍門に下ることを条件にな」
「はぁ……なるほど……」
たしかに、リディの結界ブレードなら檻を壊せるだろうな……実際、セコウ用に作った大楯を試し斬りしてもらった時は、簡単にそれを両断したわけだし。
「……なんだ。まだ不満があるのかね!」
「リディがそう易々と、あなたを引き入れるとは思えません」
「そうでもない。迷宮の脱出口を把握していることに加え、フィノース本家の血を引いているこの体。
駒としては充分過ぎるであろう」
……まあ、そう言われてみればそうだな。
こいつが嘘言うとも思えないし。
いや、うーん……でもどうなんだ? 俺に内政のことはわからないからな……
「……じゃあなんで、リディが僕の所に来た時一緒にいなかったんですか?」
「勿論いたとも、貴公がリディアン•リニヤットと話している間、私は廊下の方で控えていたのだ。嘘だと思うのならば、後であの魔族の娘に聞くが良い」
「なぜ控えていたんですか」
「どんな狙いがあったのかは知らぬが、あの男にそうしていろと言われたのだ」
「で、僕が気絶した後は?」
「あの男が貴公を私に預けたのだ。『このまま迷宮を出ろ』とだけ告げてな」
「え……じゃあ、あなたが俺とクロハをここまで運び出してくれたんですか?」
いやそりゃそうか、他に誰もいないんだし。この人しかいないだろ。
「中々に難業であったぞ。貴公の下手くそな治癒魔術のせいで怪我は完治しておらぬわ、魔族の娘が言うことを聞かぬわ、妙な地震で迷宮は崩落し出すわでな!」
「それはありがーーって、ん? 妙な地震と崩落って……?」
「貴公らを運んで帰還用の転移魔法陣を目指していたら、突然大地震と共に迷宮が崩壊し出したのだ」
「崩壊? どういうことですか! みんなは無事なんですか!?」
「だから、知らぬと言っておろう」
「じゃあ今すぐ探しに行かないと!」
「それも叶わん」
「は? 何でですか!?」
「言ったであろう。突然迷宮の崩落が始まったのだ。貴公らを抱えた状態では、私の知る帰還魔法陣がある場所には間に合わなかった」
「でも僕らは生きてるじゃないですか! まさかここは死後の世界とでも言うんですか!?」
「何を馬鹿げだことを、一度落ち着いてはどうだ。ひとまず腰を下ろせ」
「っ……」
「はぁ…………勿論、我々は生きている。迷宮が崩落する最中、道中であの魔族の娘が別の魔法陣を見つけたのだ」
「クロハが……?」
「まさに奇跡よ。魔族でありながら、随分と運に恵まれた奴よ」
「…………それ、やめてもらえますか?」
「む? 『それ』とはどれだ?」
「あの子には『魔族』じゃなくて『クロハ』って名前があるんです。まさかとは思いますが、本人の前で同じことしてないでしょうね?」
「そもそも私はあの娘と口を聞いていない。どうやら私に怯えているようでな、会話は必要最低限に留まっているが、まあ……承知した。非礼を詫びよう」
そう言って、トリトンは軽く頭を下げた。
「……随分と、素直ですね」
「どんな形であれ、貴公は格上である私を打ち倒したのだ。1人の騎士として、敬意を払うのが当然と言うものだろう。それに、これから行動を共にするのだ、何の利益があって貴公と対立せねばならん」
なんか言い方がムカつくな……
俺のことなんかどうでも良いんだよ。
あの子に嫌な思いをさせるなって話なんだよ。もっぺん氷漬けにしてやろうか?
……まあでも、ひとまずは態度を改めるっぽいから良しとするか。
「出発や探索は夜が明けてからにする所存だが、いかがかな?」
「え? あ、はい。良いと思います。見張りは変わるんで、休んでいてください。ありがとうございました」
「感謝する。それでは少し休ませて貰おう」
そう言うと、トリトンは早々に横になった。
パチパチと、焚き火の音だけが静かな森に響いている。
段々と火が弱まってきた。クロハは薪を集めていると言っていたが、まだかな……
ただぼーっと、目の前に広がる木々を眺める。
人の気配はない、暗闇が広がっているだけの寂しい空間だ。クロハはこっちの方向にはいないのか?
なら後ろの方はどうだーー
「キャァッッッ……って、え? クロハ……?」
そう思って振り返った俺の目と鼻の先には、月明かりに薄らと照らされたクロハが立っていた。
「なんだ、脅かさないでくれよ……」
マジで心臓が止まるかと思った。
黒髪の幼女が音もなく後ろに立ってるとか……マジのお化けかと思ったぞ。
「……ごめん、なさい」
息を荒くして胸に手を当てる俺を前に、クロハは下を向いてボソボソとそう言った。
「……怒ってないよ、おかえり。無事でよかった」
下向くクロハの頭にポンと手を置いて、顔を上げた彼女に笑いかける。
彼女はすぐさま俺の手を振り払ってしまったが、前ほど当たりは強くない気がする。
少し進歩かな?
さて、明日からどうしよう……。