第66話 迷宮決戦⑥ー水神ノ子と死神ノ子ー
「クロハ……?」
トリトンが突然取り乱して顔を向けた先には、頭から血を流しながらこの部屋の入り口に寄りかかっているクロハの姿があった。
「クロハ! 大丈夫か!?」
慌ててクロハの元に駆け寄り、彼女の前髪を横に流す。
「——かの者を潤せ『癒』!」
流血なんてしているものだから大怪我でもしたのかと肝を冷やしたが、どうやら少し額を擦りむいただけのようだ。
先程の体勢も、壁に体重を預けていたわけではなく、単純に廊下が暗かったから壁を辿って歩いていたようだ。
「む……
貴公のその容姿……例の魔族か。
こそこそ盗み聴きとは……
やはり魔族は作法がなってないな」
そう言い放ったトリトンに対し、クロハはポカンとした表情をしている。
「……返す言葉もないのか?
なんとか言ったらどう——」
「クロハはまだ我々の言葉が達者じゃないです。
そんなに早く喋られたら聞き取れませんし、言葉遣いも難しすぎです」
「む、そうか……それは失敬。
だが口調を変えるつもりはない。
魔族如きに品位を合わせるつもりは毛頭ないのでな」
「……下の者にまで気をかけられてこそ、当主の器なんじゃないですか?」
いちいちムカつく奴だ。クロハに今の言葉が聞こえてたらどうするんだ。
俺はこれ以上、この子を差別の的にしたくない。
「ハッ!何か勘違いをしているようだが、私が目指すのは〝四大貴族の〟当主だ。
貴公ら下々の上に貴族、その上に四大貴族……そして私はその一角であるフィノース本家当主、果ては四大貴族代表にまで上り詰めるのだッ!
下々の世話は私の役目ではない。そのようなことは〝私より下の〟上の者がやれば良い!
ましてや、魔族かつ奴隷の少女など論外だ!」
「……随分高尚な理想をお持ちですね。
一応僕にもディフォーゼ本家の血が流れていますが、あなたは良い反面教師だ」
無意識に、クロハを抱きしめながらそう吐き捨てていた。
以前にクロハを抱き抱えて逃げた時より、彼女の身体はガッチリとしていた。頑張って鍛えたのだろう。
あといい匂いがする。王女の香水かな。
「お褒めに預かり光栄だ。
それに、掲げぬ旗など意味がないであろう?」
そう言ってトリトンは、三叉槍をくるくると優雅に回しながら笑う。
なぜだろう。
こいつの笑い声は非常に耳に障る。
もう前世の店長がどうとかはもう関係ない気がする。
それよりももっと嫌な気分だ。
「おっと、くだらぬ会話で時間を無駄にしたな。
確か貴公の答えを聞く筈だったな、遮ってすまなかった」
「……もう一つ、質問いいですか」
「良かろう、先ほど会話を遮った詫びとしてな!」
「もし仮に僕が裏切って王女を葬ったとしたら、その後の僕とクロハの扱いはどうなるんですか?」
「貴公はフィノースに仕えて働くことになる。
その魔族の少女は……交渉の際に奴隷商に返却するか、よくてフィノースの雑務係だろう。
良待遇は保証しかねるな!」
「……」
「早くしたまえ、何を悩むことがあるのだ。
貴公の信念に従えば良かろう!」
「…………」
「……その沈黙とその視線を、答えと受け取って良いのだな?」
「……」
「良かろう!
では、貴公は我々にとって価値を失ったも同然!
従来通り、敵として処理させていただく!」
トリトンは眉を落とし、素早く槍を中断に構えた。
「少し待ってください」
「?……」
「クロハは無関係なので、逃す時間をくれませんか?」
「……魔族とは言え、其奴も少女だからな。
貴公の血とその紳士な心に免じ、2分ほど待ってやる」
トリトンは少し顎に手を当てて考える素振りを見せた後、そう言ってため息を吐きながらその槍を下ろした。
「……3分じゃないんですね、ム○カ大佐」
「ん?
今なんと言った?
ボソボソと……この距離では聞こえないぞ!」
「いえ、なんでも」
ついつい口から漏れてしまった。
時間がないというのに、何をやってるんだ俺は。
クロハに目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「クロハ、いいか?
ここは危ない。少し離れてろ。
もし俺に何かあっても、ぜったいに危ないことはするな」
そう言って、クロハの体をくるりと出口の方に回し、その背中を押す。
「クロハ……?」
しかし、クロハは歩き出さなかった。
それどころか、ギュンッと俺の方に向き直り、じっとこちらを見つめてきた。
「やる」
少しの間を置いて、彼女はそう言った。
「ダメだ」
「……やだ」
「お前じゃ勝てない」
「やだ!」
「ッッッ……良い加減にし——」
「あいつ……がいる……とっ!」
「!?」
今にも途切れそうな震え声で、クロハは俺の言葉を遮った。
「あいつが、いると……おねえちゃん、がねむれない!」
「……」
言葉は拙かったが、その真剣な眼差しから言いたいはなんとなく伝わった。
お姉ちゃん……多分クロエ王女のことだろう。いつも姉妹のようにべったりだったしな。
「言いたいことはわかった。でもダメだ」
「ッ……」
頑なにその行動を否定する俺に腹を立てたのか、クロハが俺をギロりと睨む。
「……なあ、別に意地悪で言ってるわけじゃないんだ。
クロエもリディも同じことを言うと思うぞ?」
「……やだ」
「……だからっ——」
「『神槍』ッッッ!!」
少しキツめに叱ろうと大きく息を吸い込んで口を開いた瞬間、図書室に全体にトリトンの声が響き渡った。
「!!!!」
咄嗟に彼の方に向き直ると、槍をこちらに向けて構える彼の姿が映った。
金色に輝く三叉槍の先端には、高圧縮されているであろう水塊が浮いていた。
そして瞬きもしない内に、その水塊はこちらに向けて一直線に放たれた。
「!?」
慌てて地面に手をついて、魔術を起動する。
ーー土壁ーー
足元からせり出した分厚い土壁が、トリトンの槍先から放たれた水の光線を受け止める。
放たれた水の光線はタングステン製の壁に着弾して激しく炸裂し、辺り一体にとてつもなく大きい金属音を残した。
まるで耳元で寺の鐘を突かれたような感覚だ。
「ッ……反響がっ……」
くそ……頭に響く……
クロハも苦しそうに耳を塞いでいる。
「おお!!
これが噂に聞いていた鉄壁か!!
シビル•リニヤットの相伝魔術を使えると言うのは真だったか!」
音の反響が収まると、トリトンは目を丸くして、そう叫んだ。
お互いそこそこ距離が離れている筈だが、彼の必要以上に大きい声はそれを感じさせない。
「ちょっと!
どうしていきなり攻撃してくるんですか!
あ、いやまぁ……殺しに来てるわけだから約束守るほうが変だけど……」
危なかった。あと少しでも反応が遅れていたら、俺かクロハ、どちらかは無事じゃ済まなかっただろう。
一応警戒しておいてよかった。
「いきなりだと……? 何を言うか、貴公にはしっかりと伝えたであろう。『2分待つ』と。すでにその時は過ぎているぞ!
それに、律儀にもわかりやすく『神槍』と叫んだではないか!」
そう言ってトリトンは、いつの間にか彼の足元に置かれていた砂時計をビシりと指差した。
金属の装飾が施された高そうな砂時計だ。なんかムカつく。
「は、え?
そんなのいつ出したんですか?」
「貴様に2分待つと宣言してすぐだ!」
「言ってくださいよ!」
「これは私が時間を無駄にしないためのものだ!
それに、言ったところで!
その距離でこの小さな時計が見えるはずがなかろう!」
「ッッッ……」
(たしかにッッッ!)
「……それよりも貴公、その娘を逃すと言っておきながら、何も変わっていないではないか!
逃げないのならば敵として処理するが、構わんな!」
「……」
まずい……
クロハは下がってくれそうにないし……
どうやって戦う?
クロハを閉じ込めるか……? いやでも、相手の上級——遠隔発動魔術が危険だ。
クロハを土魔術で閉じ込めるにしても、ギチギチに覆うわけにはいかない。呼吸のためのある程度のスペースが必要だ。
もし仮に、相手が上級を使えるなら、クロハを土壁で覆い隠したところで、壁の内側に魔法印を出されてそのままドカンだ。
全方位を覆う分、クロハも逃げ場が塞がれてるわけだから、ゼロ距離発動かつ必中。俺と相手のコンボ技みたいになってしまう。
可能性がゼロじゃない以上、下手な行動は取れない。
どうすれば良いんだよ……クロハがやる気を見せたせいで、相手はもう俺との一騎討ちにも乗ってくれないだろうな。
……少し無茶だけど、1番安全な策で行くか?
「クロハ」
「なに」
「あれをやってくれ。
お前は魔術を発動したまま、周囲を駆け回るだけでいい」
横で構えるクロハにそう囁くと、彼女は露骨に顔を顰めた。
それもそうか、動き回るだけなんて何もするなと言われているようなものだ。
「……安心しろ、ちゃんと、作戦だ。
合図は、前に教えたやつな。
合図覚えてるか?」
「……うん」
「頼む。二人で協力しないと、勝てないんだ。
このままじゃ、お姉ちゃんが危ない」
「…………わかった」
「ありがとう」
「話は終わったかね!」
砂時計を眺めなら槍をいじっていたトリトンが、呆れ声で問う。
全くせっかちな奴だ。
なんだかんだ待ってくれるあたり、存外悪い奴じゃないのかもしれんが。
「はい、お待たせしました。
では始めましょう……」
「改めて、ミーミル四大貴族フィナースが次期当主トリトン!!
主の命により、貴公の御相手を致す!」
トリトンがそう叫んで勢いよく槍を構える。
「ディン……ただのディン•オードです」
始まってしまった。
クロハを護りながらの戦いが。