第39話 合流
「おはようディン!! 調子はどう!?」
早朝。
狭い小屋の扉を大声と共に勢い良く開いて、その男はやってきた。
長身で青髪の、鼻につく男前だ。
「んんぅ……おはようございます……」
扉の前に立つリディアンの背後は、まだ薄暗い。
朝に迎えに来るとは聞いていたが、想像していた以上に早い。
気温的にも、日が昇ってすぐと言ったところか。
「体調はどうだい?」
「おかげさまでなんとか」
傷は治療したし、昨日はリディが美味そうな飯を持ってきくれたので、体力も大分回復した。
まあ、誰も使ってないような小屋にベッドなんかあるわけもなく、地面の上で寝たから全快とは言えないな。
「そうかいそうかい。じゃあ、そっちの子はどう?」
そう言って、リディは部屋の隅で蹲っている少女に目をやった。
昨日から1ミリたりとも動かない少女。
今にもハエが止まりそうだ。
「昨日から何も食べてくれてないです」
「……そう」
リディが目を細めながら、少女の元へ歩いて行く。
「あの……何を?」
「ー••••ーーー•ー•••ーー••••?」
リディは少女の前に立つと、彼女と目線を合わせるようにしゃがみ込んで、俺には聞き取れない言語を喋り出した。
「!」
リディの言葉を聞いて、昨日からピクリとま動かなかった少女が初めて顔を上げた。
すぐに顔を引っ込めてしまったのであまり見えなかったが、彼女は驚いたような顔をしていたと思う。
そして目元は真っ赤で……顔中爛れていた。
夜通し泣いていたからだろう。
「ー•ー••••ー•ーー•••••ー••••••ーーー•ー•ー••ー?」
膝に顔を埋める少女に、リディは優しい声音で何かを問いかけた。
「••ー•ー•ー•ーーー•••ーーー•ー•……」
少女がそれにボソボソと答えると、一瞬、リディの表情が曇った。
「ー•ー••••ー•ー、ー••ーー••ー•ー•ーー•。
•ーー••ー•ー•ーーー•ー•••ー•ーー」
リディは続けて何かを言ったが、それに対して少女が返事をする様子はなかった。
「……よし、じゃあ出発するか! 準備はできてる?」
しばらくの静寂を経て、飛ぶように立ち上がったリディは元の騒がしい声音に戻っていた。
「あの、リディさん……」
「何?」
「さっきの言葉って……」
「ああ、魔人語のこと?」
いかにもそれっぽい名前の言語だな。
「喋れるんですか?……」
「ちょこっとならね。傭兵時代は色んなところ転々としてたからさ。
他にも獣人語、巨人語、海人語もちょこっとだけ話せるよ」
なんてこった、空気は読めないくせしてマルチリンガルときた。
「じゃあその子はなんて言ってるんですか?」
「…………まだ飯は食べたくないってさ」
答えるまでに空いた不自然な間に俺は少し違和感を覚えたが、深く追求せずそのまま会話を続けた。
子供である俺に伝える様な内容ではなかったのか、それとも俺に対する恨みつらみか。
「そうですか…… あの、よければ後で僕に魔人語教えてくれませんか?」
この子と話せないのは不便だ。
どうせならディフォーゼ家にいる時、いろんな言語を勉強しとけば良かったな……
「んえ? あ、うんうんいいよ。でも大丈夫?」
やはり、先程からリディの反応がおかしい。
やっぱりあの女の子が何か言ったのだろうか。
いや、やめよう。気にしない事にしたじゃないか。
「大丈夫ですよ、一言語ぐらいならなんとか身につけてみせます!」
「いや、ムスペル王国に行くんだから、あっちの言語も合わせて君が覚えるのは2言語だよ?」
「大……丈、夫ですよ……」
「ふーん、平気ならいいけど。じゃあ、そろそろ行くよ」
「あ、はい」
「一応、二人ともこれ使って」
リディが小さな包みを、ひょいと投げてきた。
「なんですか? これ」
「髪を染める染料だよ。奴隷紋の魔力は俺の結界で抑えられるからいいけどさ、君達二人とも目立つ髪色だからね」
「たしかにそうですね、ありがとうございます」
「その子にもつけてあげて……あ、後これも」
俺が袋から染料を取り出していると、リディはせかせかと持っていた袋から2枚のローブを取り出した。
「服装も昨日のままだとまずいからね、これも着てね」
高そうなローブだ。
今俺が着ているぶかぶかコートの値段とも張り合えそうだ。
「着替えたほうがいいですよね、やっぱり……」
「何さ、そのコートお気に入りだったの?」
「……はい」
「まあ、アスガルズを出るまでは我慢ということでたのむよ」
「わかりました。ローブ代はいつか返します」
「あー、いいよいいよ。それは俺からのプレゼント」
マジかよ。俺のコートだって中古の軽自動車買えそうな額だったのに、それを二つって……
「あ、ありがとうございます……」
「じゃあ、その子の髪染め終わったら行くよ」
「はい!」
ついにだ。
ついに俺は、別の世界に足を突っ込むんだ。
この小屋を出たら後戻りできない。
覚悟を決めろ……俺。
ーーー
「ついたよ。ここがとりあえずの拠点」
いかにも高級そうな宿屋の前で、足を止めたリディはそう言った。
「随分、歩きましたね……」
正直、3時間近くも歩くとは思ってなかった。
俺達がいた小屋からは街一つ分ほど離れている。
「まあね、普通に歩いたらこんなもんだよ」
「そう……なんですか」
「うん。それより、そっちの子は大丈夫?」
そう言ってリディは、俺に手を引かれている魔族の少女を指差した。
「ええ、特に異常は」
「じゃあ中入るけど。もう会議始まってるから、一旦部屋に荷物置いてそのまま行くよ」
「……僕も会議でるんですか?」
「君も貴重な戦力だ。癖の強い奴らだから頑張ってね」
そう言われて『はい頑張ります』と笑顔で言う奴がいるだろうか。
ただでさえ一癖も二癖も強いこの人が言うんだ。
絶対部屋入った瞬間に剣突き立てられたり、対ディン•オードBB弾を向けられたりするだろ。
俺には里香ちゃんもついてないし、マッハ20の超スピードもない。
頼むから暖かく迎えてくれ……
ーーー
「ただいま戻ったよ〜」
リディが大声を上げながら、勢いよく扉を開ける。
扉の先に広がっていたのは、いつぞや教師の仕事を押し付けられた時の様な空間だった。
無機質な白い壁、高そうな絵、艶のある長机、いい匂いがしそうな板張りの床。
そして机の一番奥の席には茶髪の少女、そして手前には茶髪の眼鏡をかけた男、赤髪の目つきの悪い青年、金髪の物静かそうな女がいた。
「遅いですよ。なにしてたんですか?」
茶髪の男が立ち上がってそう言った。
随分と苛立っているように見える。
「ごめんごめん、それよりみんな紹介するよ!」
リディがそう言って笑いながら、彼らの前に俺を突き出した。
「この子がディン。改めて、これからみんなの旅に同行することになるから、よろしく」
「よ、よろしくお願いします!」
リディの言葉に合わせて、俺は頭を深く下げた。
前に習った貴族流の挨拶でも良かったが、こっちの方が誠意が伝わる気がする。
ジャパニーズオジギだ。
「「「「…………」」」」
部屋に静寂が訪れた。
何故だ。
誰も何も言わない。
入って早々攻撃されなかっただけマシかもしれないが、人が挨拶しているというのに無視することなくないか?
あーあ、リディも眉を八の字にして、困った顔してるじゃないか。
「うーん……まあとりあえず会議再開す——」
「……隊長、ピクニックにでも行くつもりっすか? そんなガキ連れて」
リディの言葉を遮って、赤髪の青年が立ち上がった。柄が悪く、彼らの中だと1番若そうだ。
「ディンが気に入らないの? 昨日は良いって言ったじゃん」
「俺達が聞いてたのは、無詠唱が使える子を仲間に入れるってことだけっすよ」
「うん、だからそうじゃん」
「ッ……いやだから! 誰もここまでガキだとは思ってなかったんすよ!
せめて13歳とかっ……見た感じまだ毛も生え揃ってないよ——」
「ロジー、王女の御前だぞ、下品な表現は控えろ」
顰めっ面で早口になっていた赤髪を、眼鏡の男が机を叩いて制止した。
どうやらあの赤髪の青年は〝ロジー〟と言うらしい。
「ッッ……すんません……」
「とりあえずこっちも紹介するね、今ディンにガン飛ばした赤髪がロジー。それを止めた茶髪がセコウ。
で、そっちの金髪の女の人がエドマさん、王女のお世話係だ。で、1番奥の方が……」
「クロエ•ミーミルです。よろしく」
1番奥の席に座っていた茶髪の美少女が、立ち上がってそう言った。
「あ……ど、どうも」
綺麗な人だ。
気品に溢れる仕草の一つ一つと、『ミーミル』という名前。
この人が例の王女様か……
「変装のままでのご挨拶を、どうかお許しください」
「いっ、いえいえいえ! 僕も変装の身ですので。こちらこそ……!」
俺の返答を聞いて、王女のお付きの人が露骨に顔を顰めた。
エドマさんだったっけ……今の話し方はだめだったのだろうか。
貴族との接し方しか習ってないから、王族に対しての礼儀はよくわからないんだよな……
無礼だったのなら、後で謝罪しておこう。
「よし! じゃあ紹介も終わったところで、今後の動きについ——」
「ちょっと待ってくださいよ! 本当にこのガキ連れてくんすか? あとその後ろの嬢ちゃんも!!」
ビシリと、ロジーが俺と、俺が助けた少女の方を指差す。
少女はその大声に怯えて、すぐリディの影に隠れてしまった。
「だからそう言ってるじゃん。あと大きい声出すなよ、この子が怯えてるじゃん」
「ッ……」
「そんなに気に食わないなら、ディンと闘ってみる?
「へ?」
今なんて言った……?
聞き間違いか?
「昨日は言わなかったけど、ディンは君達と〝同類〟だよ? なんなら君に勝つかもね」
リディが『勝つ』と口にした瞬間、ロジーとセコウの目付きが変わった。
「上等っすよ。じゃあこうしましょう、俺が勝ったらそのガキは追い返す。
そのガキが勝ったら、そのまま連れいてく。
こんな危険な旅でお荷物なんてごめんっすからね」
拳をバキバキと鳴らしながら、ロジーは笑った。
「うん、いいよ。それで」
「ちょっ……リディさん!!」
「大丈夫だよ。俺は〝目〟がいいから」
取り乱した俺の肩をポンと叩いて、リディはグッと親指を立てた。
「よし! じゃあ、場所移すよ!」
俺は必死に逃走を試みた。
背丈が俺の2倍くらいある男、そんな奴と戦って勝てるわけがない。
俺は拳ではなく言語で語り合いたいのだ。
けれど現実は残酷だ。
俺が出ようとした部屋にはリディの結界が貼られていて、結局なすすべなく連行されたのだから。