第35話 覚悟
母親の手を握って離さなかった少女を、俺は無理矢理引き剥がして連れ出した。
本当なら母親の死体も連れて行きたかった。
「や……やあ゛あ゛! あぁあッ……!」
俺に担がれた少女は、絶叫しながら暴れた。
背中を殴ったり、引っ掻いたり、つねったりして、とにかく俺の腕から抜け出そうとしていた。
俺は足を緩めなかった。
めちゃくちゃ痛かったし、罪悪感で吐きそうだった。
でも、そんなことを気にしている暇などなかった。
逃げなければ。
この子を助けなきゃ。
男達に顔を見られた。
いくら焦っていたとは言え、出来るだけ足音を消して走ったつもりなのに気づかれた。
霧だって、少女を見失わないギリギリのところで使った。
だけど結果はこれだ。
魔族排斥主義を掲げるこの王国で魔族を庇った。
宗教色が特に強いこの国じゃ、俺は立派な異端者だ。
いやそっちは二の次だ。
奴隷商人一派や騎士にも喧嘩を売ったことの方が問題だろう。
少女が泣き止む気配もない。これだけ大声を出されてはすぐに追手がくるだろう。
建物を屋根伝いに飛び移りながら、俺は考える。
このままラトーナ達の元へ戻ることはできるだろうか。
いや、恐らくは無理だろうな。
そんなことをすれば、その場でトラブルになる。
ディフォーゼ家にもマイナスだ。
アーベスはラトーナに理不尽な結婚をさせない為、家族を守る為にここまで努力してきたんだ。
ディフォーゼに深い繋がりがある俺がここで揉め事を起こせば、後々アーベスにとって不利益なものとなるだろう。
今アーベスは社交会の処理で手一杯だ。これ以上の負担をかけるわけにはいかない。
それに、これは俺が勝手にやってしまったことだ。
こいつらは俺が巻かなきゃダメだ。
「おい!! いたぞ!!」
後ろから同じく屋根伝いに騎士が2人、建物沿いの道路からは6人の大柄な男が追いかけてきた。
早速見つかった。
屋根伝いに逃げていたとは言え、やっぱりこれだけ騒音振り撒いてたらバレるか。
初級程度の魔術じゃ払えない霧の筈だったんだが……それなりに強い魔術師がいると見てよさそうだな。
どうする、どうやって振り切る。俺の手札はなんだ?
炎と電撃は殺傷性が高いし、得意の混合魔術も無理だ。
苦手な身体強化に加え、風の推進力と土の足場形成による移動アシストでやっと手一杯なのに、複雑な混合をやってる余裕なんてない。
くそ、全然思いつかないな……ひとまず、簡単に止められる奴から止めていくか。
ーー土壁ーー
ほんの一瞬足を緩め、上級魔術を目下の男達に向けて発動。
通路の煉瓦を突き破りながらせり出した4メートルばかりの壁が、男達の進路を塞ぐ。
「うお!! 土魔術か!?」
遠隔発動は射程ギリギリだったが、なんとか足止めは出来た。
残るは真後ろから屋根伝いに追ってきてる奴らだ。
「逃がさないぞガキが!!」
騎士の一人がそう叫ぶ。
先程までは大した評価をしていなかったが、今のプレッシャーでわかった。こいつらは社交会の襲撃者より数段強い。
身のこなしが全然違うし、殺気が鋭い。
本職の騎士と盗賊風情を比較したら当然か。
「あ゛あ゛! ……ああ!!」
騎士の殺気に当てられたせいか、おとなしく啜り泣いているだけだった少女が再び暴れ出す。
「ああ、ちょっ! 大人しく!!」
まずい、まずい、まずい……
これだけ本気で暴れられると、流石に移動速度が落ちる。
今の減速で騎士達がすぐ背後にまで迫って来ている……
騎士の1人が俺に掌を向ける。
「始まりの息吹、その熱が喰らうのは宵闇––––」
距離があるせいでハッキリと聞こえないが、腕を突き出したあの構え、そして何やらぶつぶつと唱えている様子。
明らかに魔法の詠唱だ。
てっきり、さっきの霧を払った魔術師は下から追ってきている奴らの誰かだと思っていたが……
騎士だって魔法ぐらい使うよな。
俺もつくづく詰めが甘い。
「––––火球!!」
騎士が放ったのは火属性魔法。
くると分かっていたうえにこの距離、見てからでの対応は容易い。
ーー水球!!ーー
素早く作り出した水弾を騎士の放った炎球に向け放ち、攻撃を打ち消す。
「クソ……気をつけろ! 複数属性持ちだ!!」
魔法を打ち消された男が驚きを露わにすしつつも、冷静に隣の男にそう叫ぶ。
即座に俺が複数属性持ちだと理解し、味方と共有する。
安易に近寄って来ないあたりも、中々に出来た連中だ––––
「うわっ……!」
足を滑らし、体勢を崩した俺は盛大に屋根から転げ落ち、ドンと鈍い音共に地面に叩きつけられる。
クソ、やっちまった……
この子を抱えたまま、後ろ向いて魔法を打ったせいだ……
「カハッ……おえ……」
痛え……
肺の中が空っぽだ。
骨が軋む。
筋肉が痺れる、
目が回る。
この程度の高さなら、落ちても痛くないはずなのに……
バランスを崩した時、焦って力み過ぎたせいで身体強化そのものが解けてしまったようだ。
咄嗟に風魔法で減速してなきゃ、もっと大怪我してたな。
「ぅぅ……」
魔族の少女が俺の腕の中で苦しそうに唸っている。
良かった……怪我はなそうだ。
庇ったとはいえ、万が一もあり得るからな……って、それより追手の方はどうな––––
「動くな、クソガキ」
慌てて起き上がった俺の目と鼻の先には、剣が突きつけられていた。
「やっと捕まえたぞ」
隣に横たわる少女の手を咄嗟に引いて、こちらに抱き寄せる。
クソ、ちょっと動いただけでもこんな痛いのか。骨とか逝ってないよな……?
「両手を俺らに見えるように上げろ。そしてその抱いている魔族を返せ。お前にもついてきてもら––––」
ーー風波!!ーー
「うおッッッ!?」
俺の手から放たれた風が、凄まじい衝撃波を纏って目の前の騎士を吹き飛ばした。
「痛ってぇ……クソガキが!」
五メートルほど吹き飛ばされた男は即座に起き上がり、こちらを睨みつけてくる。
「ッ……」
やっぱ吹き飛ばすぐらいじゃダメだった。意識までは奪えないようだ。
「てめぇ……後で捕まえたら覚えて––––」
「いや、捕まえるのはやめだ」
屋根から様子を見ていたもう一人の騎士が、そう言ってこちらに降りてきた。
「こいつは危険だ。風、土、水、三つも適性がある上に、さらには無詠唱だ。他の二つも使えるかもしれない。捕らえるのは骨だし、ここで始末する」
「え、ああ。わかりました……」
「そ、それ以上近づくと、け、怪我……しますよ?」
近づかせまいと、震えながらも俺は声を絞った。
「やってみろよクソガキ。もう増援は呼んだ。仮に俺達がやられたところで、お前は魔力切れで終わりだよ」
「ッ……」
どうする、どうする、どうしたらいい……?
「言い残すことはあるか? まあもっとも、魔族ごときを庇ったお前の弁明を、教皇様が許す筈がないがな」
俺の前に立った騎士が、そう言って剣を振り上げる。
死にたくない。
死んだらもうラトーナに会えない。
この子だって死ぬ。
ちょっと吹き飛ばす程度じゃこいつらからは逃げ切れない……時間稼ぎしたところで誰も助けにこない。
もうこいつらを殺すしか……
殺すか?
殺すのか……?
こいつらを? それしか手はないのか?
こいつらを確実に殺せる威力となると、火属性か最大出力の魔術になるぞ……?
周りの住宅や住民も無事じゃ済まない。
やれるのか?
関係ない人まで巻き込んで……
「言い残すことはなしか、じゃあなクソガキ」
ダメだ、できない。
でもやらないと死ぬ……
あー……くそ。嫌だ……
覚悟が決まらない……
「ッ……」
動くことができない俺に、剣が振り下ろされようとしたその時。
ーー広域分断障壁ーー
「なんだッッッ!?」
突如、轟音と砂埃が舞い。
俺に振り下ろされた剣の先端が砕ける。
まるで、何か硬いものを叩いて砕けたかのように。
「おい、どうなってんだ! 進めねえぞ!!」
俺に剣を振った男が、パントマイムでもやるかのように、虚空を叩く。
その光景はまるで、俺と騎士達との間に見えない壁があるようだった。
「クソ!! ガキに逃げられる!!」
呆然としていた俺を、騎士の悔しそうな、切羽詰まったような声が現実に引き戻した。
何が起こっているのかはわからないが、これは二度と来ないであろう好機。
騎士達は見えない壁に阻まれて追って来れない。
俺はボロボロになった体を引きずって、少女を抱え再び走りだした。