第33話 遭遇
「よかったの? 買ってもらっちゃって……」
店を出て大通りを歩きながらラトーナの表情を伺う。
「ええ、あのコートは私からのプレゼントよ」
さっき服の値段をチラッと見たが、俺の大学の入学費と桁数が同じだったんだよな。
それをホイホイと買えるなんて流石ラトーナさん! 俺に出来ないことを平然とやってのける! そこに痺れる! 憧れるぅ!
「じゃあ、お言葉に甘えて早速着させて貰うよ」
「え、今夏よ……?」
確かに夏だが、体の表面の空気を風魔術で常に循環させれば、着れないことはない。
「!……」
袖を通した時、フワリと頭がクラつくような香水の匂いがした。
しばらくこの匂いは取れないだろうなぁ。
「ふぅ……なかなかお似合いです、ぼっちゃま」
、
チューバでも入れるんじゃないかというほどの大きなケースを担いだザモアが、顔中に汗を浮かべながら笑いかけてくれた。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫よ! 私が強化の加護をつけてるんだから!」
あ、そうなんだ……さすが無詠唱。気づかなかったぜ。
「お嬢様の加護がなければ、これほどのものは持てなかったでしょうな」
成人男性が持てない重さって、どんだけだよ。
「結局何着ぐらい買ったの?」
「15着くらい? あと香水も何個か……」
「随分多い……ネ」
「なっ、ディンが可愛いって言うから……!」
「あはは……ラトーナはなんでも似合うからねぇ」
だからと言って全部買うか? まあ、俺の金じゃないから知ったこっちゃないがな。
それにしても……改めて周囲を見回すと、結構魔族を連れている貴族が多いな。
「ディン?」
こう見ると、魔族に転生しなくて良かったなぁ……下手したら、俺があっち側になってた可能性だってあるんだもんな。
転生早々奴隷確定とか、考えただけで恐ろしい……
「ディン!」
「うわっと……! はい何でしょう!?」
「次はどこにいく?」
「え、あー……ラトーナの行きたいところでいいよ」
どこかと言われれば、俺は少しトイレに行きたいな。まぁ、そこまで急を要すわけじゃないから後回しでいいけど。
「本当? じゃあ……アレ!」
ーーー
「へぇ〜、ガラス細工ですか」
ラトーナに連れられて入ったのは、ガラス細工などを扱っている小物店だった。
この世界にしては、かなり精巧に作られているものが多くて中々に驚いた。
「お、分かるのか兄ちゃん。こいつはムスペル王国産のガラス細工だぜ?」
俺の言葉を聞いた店主が、気さくに声をかけてきた。
俺のいた世界じゃ、定員はここまでフランクじゃないから新鮮だ。
「ムスペル王国はガラス細工に造形が深いんですか?」
「おう、あそこの砂は質が良いからな! 世界中のステンドグラスやらガラスは、ほとんどあそこの砂と技術によるもんだぜ!!」
「へぇ〜」
「ディン! これどう?」
店主の話に感心していたら、ラトーナがガラス細工の施された蝋燭立てを見せてきた。
「ふ、ラトーナの方が綺麗だよ」
「!?」
あまりに無邪気な顔で駆け寄ってくるものだから、少し揶揄おうとそんなことを言ってみると、彼女は顔を真っ赤にしてモジモジと身を捩りしだした。
俺の横では、店主が『ヒュー』と口笛を鳴らしている。
どうやらラトーナは、こういう歯の浮くような言葉に弱いらしい。理知的に見えるが、案外ロマンチストなのだろうか。官能小説とか恋愛モノの本を好んで読んでたしな。
だがそのギャップもいいな。積極的に使っていくとしよう。
「でもたしかに、この装飾も綺麗だね……」
「でしょ!? これ買うわ!!」
そう言って、彼女は店の奥へとまた戻っていった。
値札に原付バイクが買えそうな数字が書かれていた気がするが、見間違いだろうか。うん、きっとそうに違いない。
「あ……」
そう思いながら、店内を見回していると、ふと、あるものが目に留まった。
「……ザモアさん」
「ぼっちゃま、先程も申し上げましたが、荷物ならわたくしが——」
「いえ、そうじゃなくてですね。アレを買おうと思っているのですが……」
俺ザモアに耳打ちしながらガラス細工の髪飾りを指さした。
「ほう、あちらのお品をお嬢様に?」
察しのいい人だ。いや、どう見ても女物だからわかるか。
「ええ、お金は渡すので良ければこっそり買っといてくれませんか?」
「勿論ですとも。しかしまた、何故私が?」
「彼女を驚かせたいっていうのと……」
「いうのと……?」
「僕ちょっと、もよおしてまして……」
「なるほど、それは火急ですか?」
「ええ、緊急事態です」
もう少し我慢できると思っていたのだが、読み違えてしまったようだ。
「承知しました。厠は向かいの並びにある路地裏を抜けた先の宿屋です」
いや遠いな。
「ありがとうございます」
ザモアに軽く礼をして、俺は早々に店を出た。
ーーー
リニヅィオ領の路地裏はとにかく暗い。
大通りとは対照的に、入り組んでいて、道幅も狭く、気味が悪いほど静かだ。
靴の音が不規則に反響し、まるで誰かに跡をつけられている気分になる。
「思った以上に遠い……」
これだけ入り組んでいると、ザモアの言った通りの道を通れているのか不安になる。
全然路地を抜ける気配がないし——
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
突如、天を焦がすような絶叫が路地裏に響いた。
いや、もしかしたら大通りまで響いていたかもしれない。
声音は女児のそれ。
しかし、女児が出したとは思えないほどに、大きな声だった。
「……なんだ?」
俺は慌てて、声のする方へと走り出した。
何故向かおうと思ったかはわからない。
普段なら驚いて、その場から逃げ出していたことだろう。
怖いもの見たさというやつなのだろうか。
「おい! 誰かこのガキを黙らせろ!!」
狭い路地を夢中になって駆ける。
男の怒声が聴こえると同時に叫び声は泣き声へと変わった。声の出どころが近い。
入り組んだ路地を抜けた先には、公園とはまた別の空間が広がっていた。
勢いよくそこに飛び出しそうになるのをなんとか抑え、俺は物陰に隠れる。
路地裏にこんな開けた場所があったとは……
俺はゆっくりと物陰から顔を出し、声のする方に視線をやる。
心臓がキュッとなった。
地面に蹲っている黒髪の子供、それに覆い被さる母らしき人物。
そして、二人を取り囲む屈強な男達。その手には剣やら鞭、棍棒が握られている。
奥の方には馬車や檻も見えるな。
これは……人攫いの現場だ。
「あれ……?」
しかし、人攫いと言い切るには少し引っかかる部分があった。
なぜなら、彼女らを囲む男達の中には、幾人か騎士らしき人物も混ざっているのだ。
どういうことなのだろう……
「やあ゛あ゛あ゛ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
少女の泣き叫ぶ声が、俺の脳を揺さぶる。
「おい! 母親なら黙らせろって言ってるんだよ!」
耳に刺さるような絶叫を前に、男は地面を鞭で叩きながら、母親に怒鳴りつけた。
「ー••ー•ー••ー•ーーー•••ー•ー•ーー!!」
それに対し、母親は娘に覆い被さったまま何かを叫んだ。
言語は俺が聞いたことのないものだ。
何語なのだろう……魔人語か?
「あ!? なにいってやがるん……だっ!!」
「•ーー••ー!!!」
一向に泣き止まない少女を前に、男の怒りは沸点に達したのか、娘に被さる母親の訴えを無視して力一杯彼女を腹から蹴り上げた。
「!……」
蹴り飛ばされた母親は血を吐きながら、苦しそうに娘の元へと這いずっている。
この状況、二人を助けるべきだろうか……
しかし、こうなった経緯を知らない以上、安易に手を出すのは良くないだろうか……
「うっへ〜きったねぇ……この靴はもう使えねえな」
母親の吐いた血が付着した靴を見て、男は心底不快そうに、その靴を脱ぎ捨てた。
「あの子……」
母親が離れたことで、子供の姿が初めて俺の視界に入った。
思わず声を漏らしそうになった。
この子には見覚えがある。
黒髪で露出が多めの服、そして小さな赤い角。
そうだよ、この子は以前、祭りで迷子になっていた子だ。
母親のところまで連れて行ってたら、お礼に木の実をくれた……あの魔族の女の子だ。




