第32話 分岐点
「実際に見てみると、やっぱ凄く綺麗ね……」
人々の喧騒に揺られながら俺と共に街を歩くラトーナは、凛とした表情で空を仰いだ。
「ええ、同感です」
今、俺の視界には、前世に勝るとも劣らない、美しい街の景色が広がっている。
インクでも吸ったかのような青い空、煉瓦が丁寧に敷き詰められた広い道路、白を基調とした高級感のある建物の数々、そこら中から香ってくる花の香り。
アスガルズ王国リニヅィオ領。そこは国内領土最北に位置しており、ミーミル王国国境の城壁を抜けてすぐの街である。
「それにしても、この街はどこも良い匂いですね」
昨日ラトーナがつけていた香水もこんな匂いだった気がする。
あまり思い出したくはないが、こればかりはどうしようも無い。
「当然ですぼっちゃま。アスガルズ王国は香水生産に長けており。その中心はここ、リニヅィオ領ですから」
田舎者臭いなと自覚しつつも周りをキョロキョロと見回してしまう俺に、後ろを歩くザモアがそう応えた。
「へぇ〜」
なるほど、香水の名産地か。
通りで、やけに身分の高そうな奴らが多いわけだ。
「ラトーナが来たかった場所っていうのは、ここですか?」
「む……」
そう問いかけた俺を、ラトーナがジトっと睨んだ。
こんな顔をする猫の品種を、前世で見た気がする。
「……ここ〝なの〟?」
「ええ、そうよ」
敬語をやめて言い直すと、彼女は満足げにふいっと顔を逸らした。
会ったばかりの頃のような、少しそっけない態度のようにも思えるが、慣れたものだ。
一応言っておくが、この態度の原因は昨日俺が彼女を押し倒したことに起因するものではない。
今日の外出にはザモア、そして何人かの従者が同行している。基本的に、ラトーナは俺以外には寡黙で気難しいおひとり様お嬢として通っているので、なんとかそのイメージを保とうとしているわけだ。
可愛いではないか。家庭外での妻の姿にギャップ萌えする夫のような、そんな気分だ。
まあ、彼女に酷いことをしかけた俺が妻だなんて、能天気にも程があるな。
街の賑やかさに当てられて気が抜けたか、俺は反省が足りていないようだ。
「それでは、目的地までご案内いたしましょう」
特にラトーナとの会話もないまましばらく歩いていると、何かを察したのかザモアが俺達の前を歩き出した。
「目的地はここの商店街じゃないんですか?」
少し足取りが早いザモアの背を追いながら問う。
「ええ、その少し先ですな」
「そうなんですね」
「道すがら、この街の特産についてお話しさせていただきましょう」
なるほど、気まずい俺たちの橋渡しをしてくれるわけか。
さすがは執事、気が利くね。その好意に甘えるとしよう。
ーーー
「……今日は来てくれてありがと」
ザモアの雑学を聞きながらしばらく大通りを歩いていると、隣を歩くラトーナがポツリとそう言った。
手を繋いでいる俺にしか聞こえないような声量でだ。
「うん、ラトーナの頼みだしね」
「本当……?」
やはりというか、ぎこちない雰囲気が俺達の間に流れている。
据え膳食わぬは男の恥と言うが、確かにこれほど気まずい仲になるとあっては納得だ。
「アハハ……できる範囲でなら」
から元気とも言えるような、そんな他愛のない会話を挟みながら目的地へと進んでいく。
随分と歩いている気もするが、ラトーナの行きたい場所とは、一体どこなのだろう。
ーーー
「え、ここ……?」
「ええ、そうよ」
着いた場所は服屋だった。いかにも貴族が使っていそうな、小洒落た服屋だ。
服屋ならラトーナの地元であるアデイユ領にだって沢山あるというのに……
「ほら、早く来なさいよ」
ツンケンとした態度でラトーナは店の中へと入っていく。心なしか、クールの仮面が剥がれて足取りが弾んでいるように見える。
「お嬢様は、前からここに来たがっていたのですよ」
怪訝そうな顔をして店の前に突っ立っていた俺に、ザモアが耳打ちしてきた。
「はぁ……それはまた何故?」
「ここの店はですな、新しい営業形態を取り入れていると貴族間で評判なのですよ」
「なるほど、それはどんな?」
「置いてある商品を、その場で試しに着てみることができるのです」
いや試着かよ、それぐらいこの世界にもあるだろ。
「それだけならもちろん、他の店にもあるかもしれませんが、この店は〝鏡〟を置いているのですよ」
はぁ……確かこの世界だと、鏡って高価なんだっけな。ラトーナの家にも限られた場所にしかなかったし。
一つの店に鏡が置いてあるなんて、さぞ凄いのだろう。
まあ、家に帰っていざ着てみたら『なんか違った』ってのが無くなるのは画期的だな。俺も何度かネット服を買って失敗したものだ。
「この店はラトーナお嬢様の母、フウル奥様御用達のお店でして、兼ねてよりその話を聞いていたのでしょう」
「へぇ〜」
「お嬢様には親しいご友人がいなかった為、今日を楽しみにしていたのですよ」
理由が理由じゃなきゃ相当悲しいセリフだよな、これ。
「……結構前から計画していたんですか?」
「はい。丁度、お嬢様をお祭りに連れ出した日辺りでしたかな。色々と予定が重なって、大分先送りになっていましたが」
なるほど、そんな前から計画してくれていたとはな。相変わらず可愛い奴だ。
そんな子を俺は……いや、やめよう。そのことは今考えないって決めたじゃないか。
「さあ、ぼっちゃまも中へ」
「あ、はい」
アーベスに促され、俺も店の扉を潜る。
中に入ると、途端に強い香水の匂いが俺の脳を貫いた。
ーーー
「ディン! これどう!?」
試着室らしき場所の扉が開いたかと思うと、そこにはピッチリとしたパンツを履いたラトーナがいた。
服装に対する第一印象は……『モデルさんみたい』だ。
デニムによく似たそれは、ラトーナの足の細さをより美しく見せている。
「凄く似合ってるよ」
「そ、そう……? じゃあ他のも見てれる?」
直球な褒め言葉に少し頬を赤くする彼女。
スタイル良し、顔よしの彼女なら、何を着ても大概似合うと思うがな。ゴスロリとか着せたら脳殺待ったなしだ。一回頼んでみようか。
「焦らなくていいよ、ゆっくり着替えて」
「ええ!」
そう言ったにも関わらず、彼女は試着室の扉を勢いよく閉めた。
「あの〜店主さん」
手持ち無沙汰になったところで、俺は店主を手招きする。
「なんでしょうか?」
「あの試着室、カーテンにした方が良くないですか?」
毎回扉が開け閉めは暑そうだし、面倒くさそうだしな。変えたほうがいいだろう。
「か、かーてん?」
おっとしまった……また母国語が……
うーん。カーテンを口でどう言えばいいんだ?
ーーー
「なるほど、是非取り入れましょう!」
興奮した店主は俺の手をガッシリと握った。
なんとか理解してもらえた。
扉を使った更衣室は戸を開くことを考慮して余計にスペースを取る。だからカーテン式にしたほうがそのスペースを更衣室の拡張に回せるわけだ。一人で着れない服も多い世界だ、その方がいいに決まってる。
案外難しいもんだな、言葉で伝えるのというのは。
「ディン! これはどう!?」
店員と話していると、再び扉が勢いよく開き、今度はサファイア色のドレスを着たラトーナが出てきた。
「うん、髪色にとても合っていて凄く綺麗だ」
「う……うん。ありがとう……」
褒められるのに慣れていないのか、彼女は嬉しい時
、いつもクネクネと小さく体を捩らせる。
「じゃあ次ので最後ね!」
そう言って、彼女は意気揚々と扉を閉めた。
もはや彼女の態度は年相応のものへとなってしまっているが……まあ本人が楽しそうだしいいか。
「それにしてもここの服屋って、あんまり肌を晒さない服が多いですね」
ふと出た疑問を、隣のザモアに投げかける。
彼は既に、ラトーナが買うこととなった衣類の箱を大量に抱えていて辛そうだ。
「……持ちましょうか?」
「いえ結構でございます。ぼっちゃまに持たせるなんてめっそうもない……ああそれより、服がどうかしましたかな?」
「あ、はい。ここの服って、肌の露出が少ないものが多いですよね」
「ふむ。それはこの国が魔族排斥主義を掲げているからでしょうな」
「魔族排斥主義?」
「アスガルズ王国は元々、ミーミル王国の国教『叡樹教』の派閥争いによる内戦で分裂して出来た国。魔族に寛容な『英王派』と排斥主義の『教皇派』の内、『教皇派』の教えを色濃く受け継いだのが今のアスガルズですな」
元々一緒の国だったのか。
でもよく考えれば言語が同じなわけだし、おかしいことはないか。
あれでも、俺の住んでるヴェイリル王国も同じ言葉だよな。似たような理由があるのだろうか、それとも大陸共通言語だとか。
「へえ〜、でもなんでまた魔族を?」
「さあ……私は『教皇派』ではないので知りませんな」
「じゃあ、魔族と服の露出に何か関係が?」
「基本的に魔族は肌の露出の多い服を着ていますから、魔族と似たような格好は避けているのでしょうな」
なるほど。そういえば、前にお祭りで会った魔族の親子も露出の多い服だったな。
「あれ、でも道ゆく貴族の人達は魔族を連れてませんでしたか?」
「それは恐らく奴隷ですな」
「奴隷?」
「少し前に終戦した大戦によって捕らえられた者達の、末路とでも言いましょうか」
でも、捕虜にしてはガッチリした奴隷ばかりじゃなかったよな。女の人もいたし……
「不浄とか言っといて、奴隷にするのは構わないんですね。よくわからない教義です」
そう小声で言うと、ザモアは『同感ですな』と遠い目で呟いていた。
ーーー
「次はディンの番よ」
試着を一通り終えたラトーナが、俺をピシャリと指差した。
「え、俺も着るの?」
「嫌なの……?」
消極的な態度を取る俺に対し、彼女は両手を自分の胸に当てながら上目遣いで俺の瞳を覗き込んできた。
このポーズは俺の『だが断る』に対して生まれた彼女の抵抗技能だ。そしてもちろん、効果は抜群。
俺はこれをやられると、NOと言えなくなる。
だがしかしなぁ……これだけ荷物を抱えているザモアを見ると、これ以上服を追加するのもなんだか申し訳なくて気が進まない。
「ぼっちゃま、遠慮は無用ですよ」
ザモアの方にチラチラと目をやりながら頭を悩ませていると、彼は唸るような声でそう言った。そんな死にそうな声で言われたら、余計やりにくい。
「……じゃあ、一着だけ」
ていうか、服ぐらいザモアに持たせなくたって、自分で運べばいいか。
ーーー
「どう……ですか?」
選んだ服を見に纏い、その姿をラトーナ達に見せる。
なんだか小っ恥ずかしい。
「「……」」
「いや2人ともなんか言ってくださいよ!」
「……も、もうちょっといいのなかったの?」
え?
「ふむ……似合ってはいるのですが、想像の斜め上を行っていたもので……」
「そうですか……」
俺が選んだ服は、濃い緑を基調としたミリタリー風コートだ。
この店は広いだけあって色々な服がある。その中で唯一、俺の目に留まったものだ。
結構ブカブカだが、この色なら俺の銀髪にも合うし、何よりかっちょいい。
こう……服の下に特殊な武器とか隠してみたくなる感じの服だ。鳩なんて呼ばれてみたい。
だが、予想外に不評だ。
「あ、いや別にね!? 似合ってはいるのよ? ディンは何着てもカッコいいし……でももうちょっとほら、主張があった方が……」
毒舌のラトーナが言葉選びに困って、お世辞まで吐くとは……そんなにダメだったのかな。
「地味ですか」
「……うん」
まあ、それもそうか。
こんな洒落た店で、こんな地味な色選ぶ子供なんかいないか。
「いや、でもこれでいいです」
「そ、そう……なの?」
「はい!」
さて、次はどこの店に向かうのだろうか。
オサレコートも手に入れて、なんだか楽しくなってきた。