第25話 すれ違い
「これからどうするの?」
「そうだね……」
屋敷が何者かに包囲されてから、数十分が経つ。
今のところ相手方に動きはなさそうだ。
この状況、流石に頭を抱えざるを得ない。
俺はこの状況でどう動くべきなのだろうか。
正直、怖くてこの場からは1ミリたりとも動きたくはない。ていうか足が動かない。
「うー……」
頭をかきむしる。
思考がまとまらない。
とにかく落ち着かなければ。
素数……とか言ってる場合じゃあない。
なんでもいい、まずは思いつく手段を出していけ……
ラトーナを連れてここから逃亡、ラルドがどうにかするのをここで待つ、誰かに助けを求める、人質解放、こんなもんか。
よし、段々落ち着いてきたぞ……
「ラトーナ、この後の動きについて作戦会議です……」
思考がまとまったところで、ラトーナに話しかける。
自分では落ち着いているつもりだったが、いざ喋ってみると思った以上に俺の声は震えていた。
「うん……何をするの?」
眉を八の字にするラトーナに、俺は今挙げた四つの手段を説明し、さらに話し続ける。
「まず一つ目の逃亡だけど、正直これは厳しいと思ってる」
「どうして?」
「相手がどの程度の規模でこの屋敷を包囲してるかわからない。屋敷内、それとも屋敷を囲む林とその一帯か……相手の強さもわからない以上、ラトーナを連れて逃げ切れるとは断言できない。それに……」
「それに?」
「この襲撃は、アーベスさんやラトーナを狙ったものである可能性があるんだよ」
俺達が逃げたところで、目的がラトーナなんじゃ追い回されるのがオチだしな。
「刺客ってこと?」
「そうだね。その事については聞いてた?」
「ザモアから少しね」
流石ザモア。
嫌われている父に代わって、ちゃんと仕事をしている。
「ザモアさんにその際はどうしろと言われた?」
「まずは身の安全を第一にって」
なるほど……で、その安全は一体誰が守るんだい?
いや、俺なんだけどさ。
「でもこのまま待機するのも、外部に助けを求めるのも中々危険かな」
待機も、助けを求めて逃亡も、さっき言った様に標的がラトーナの可能性がある以上、選択肢として取れない。
「じゃあ、そうなると……」
「うん『俺達が人質解放をする』になるね。1番難しそうにもの思えるけど、根本的な問題改善には1番有効だ」
第三者、つまり俺の奇襲によって敵の包囲を崩し、人質開放の隙を作る。
人質がいなくなれば、おそらく室内にいるであろうラルドや警備兵が自由に動けるからな。
「でっ、……でも! 中の人全員なんて助けられるのいくらなんでもディンじゃ––––」
「いや、人質は全員ではないと思う。そもそも会場の全員を人質にするとなると、よっぽどの数でなきゃ管理しきれない。こっちには警備の兵だっているんだから」
「つまり、人質は多くて数十人程度ってこと?」
「そうそう。恐らく相手は対象を重要人物のみに絞って、その数人の命と引き換えに標的の首を要求してるんでしょう」
あくまで推測の域を出ないものだが、ラトーナを納得させるにはこう言うしかない。
どういう訳か、彼女の読心は今機能してないしな。
アーベスが身の引き渡しを拒めば人質は殺され、黒幕は見殺しにしただのなんだのと理由をつけてアーベスを失脚させようとする。
本来ならば、アーベスを直接この場で暗殺すればいいだけの話だが、おそらくラルドの存在を知って人質をとる方向にシフトしたんだろうな。
雇われの山賊とかなら、尻尾を掴まれることもないだろうし。
そう考えると、俺の推測も当たっている様な気がするが。
「……勝算はあるの?」
ラトーナの声が震えている、頬に汗が伝っている。
やはり怖いのだろうか。
「わからない…… けど、この屋敷の広さならバレずに相手の戦力を見ることぐらいはできると思う。実行に移すかどうかはその後にでも決められるしね」
「……」
口をつぐむラトーナ。
先程から何を提案しても、目を細めて生返事をするばかりだ。
なにかと揚げ足を取ろうとしてくるのも気になる。
一体どうしたのだろうか。
「……何も見ずに、すぐ逃げるっていうのはダメなの?」
「え?」
「ッ……だから、逃げ––––」
「でもそれは!!」
「だってそうでしょ!? ホールの敵だけ見たって全てが分かるわけじゃないのよ!? すぐ逃げた方がいいじゃない! わざわざ人質も取られている中で敵陣に飛び込もうなんて……何考えてるの!?」
確かにそうだ。
助かる為に取るべき最善手は何かと言われれば、そうなるだろう。
しかし、逃げるということはつまり––––
「アーベスさんは見捨てていい。そういうこと?」
別に俺自身、アーベス自体は結構好きだが特別大事なわけでもない。
所詮は人の家の事情だしな。
だけど今回は話が別だ。もしアーベスが死んだら、ラトーナの結婚云々の話を抑えられなくなる。
アーベスを守るのは、ラトーナを守る事と同義だ。
それに、いくら嫌っていても彼女にとってはたった一人の父親だ。
仮にラトーナが、この状況にビビっている俺に気を遣って、そんな冷たいことを言っているのなら、尚更だ。
「そう言ってるじゃない。いちいち気を遣わないで良いわよ」
「……遣ってないよ。それはそっちでしょ?」
何でそんな怒ってるんだ。
それに、もう少し言い方とかあるだろ。
「遣ってないわよ」
「遣ってるよ」
「遣ってない」
「遣って––––」
「ッ……しつこいわよ! 遣ってないって言ってるじゃないッッッ!」
「……でもそれ、ラトーナの嫌いな人達とやってること同じことじゃないの?」
こっちはラトーナの為に色々考えてるのに、そんな態度はないじゃないか。
「何ですって!?」
「父親は見捨てて、自分の事だけ?」
こんな喧嘩に意味はない。
そうだと分かっていても、口は勝手に動いていた。
俺は聖人じゃない、流石にあんな態度を取られたら頭にくる。
「ええそうよ! どうにでもなればいいわ! あんな奴!」
珍しく冷静さを欠くラトーナ。
その勢いに、俺は少し押されていた。
「娘を道具扱いして! いつも冷たくして! アミーが死んじゃった時だって!」
「ッ……それはちが––––」
「自分だって魔法をろくに使えないくせに、私ができないと酷く落胆して! たまに帰ってきたと思えば勉強しろ勉強しろって!」
確かにそうだ。
でもそこにはちゃんと理由がある。
アーベスはちゃんと娘を気にかけている。
「ラトーナ少し––––」
「いいんじゃないかしら? それで他の人が助かるなら!」
あー、くそ。
なんなんだよイライラするな……一回黙って話し聞けよ。
「ラ––––」
「いつも自分のことばかり、最後ぐらい人の為になって死ねば––––」
「ちょっと黙れよ!!!!」
自分でも聞いたことのないような怒声が、静まり返っていたテラスに響きわたった。
ラトーナは目を瞬かせながら口をつぐんだ。
熱くなりすぎた彼女を静止する意図もあったが、それ以前に、彼女への苛立ちのほうが強かった気がする。
いや、違うな。完全に八つ当たりだ。今のはやりすぎた。完全に彼女が怯えてしまっている。
その時、テラスに破裂音が響き渡った。
揺れる視界、頬に走った衝撃、ひりつく肌、思考をぼかす耳鳴り。
俺はラトーナに平手打ちを喰らった。
たかが少女のビンタ。
身体強化を解いていたとはいえ、まだ子供な上に、普段から大した運動もしていないような子供のビンタだ。
だけど、前世で車に撥ねられた時よりも、アインに木刀で殴られた時よりも、ラルドに模擬戦でぶっ飛ばされた時よりも、そのどれよりも痛かった。
外が寒く、乾燥気味だったせいだろうか。
俺は再び、ラトーナの顔を見る。
彼女の頬は赤く腫れあがり、目元には涙が溜まっていて、息も荒くなっていた。
「「……」」
何やっているんだ俺。
こんな状況で喧嘩して、話を聞かないラトーナに腹を立てて、あろうことか怒鳴りつけて。
ラトーナがアーベスを嫌いなのは分かっていたことだ。
アーベスだって内心焦って、彼女の前で酷いことを思っていたのかもしれない。
それに、ラトーナの読心の呪いだって完璧じゃないんだ。
2人の間に思いの行き違いがあったことは、確かなんだ。
ラトーナの顔を見ていたら、段々と鼻の奥がツンとしてきた。
その後しばらくの間、俺達は一言も発さなかった。
ーーー
どのくらい時間が経ったのだろつか。
「怒鳴ったりしてごめん……本当に、酷いことをした……」
「……私こそ、手を上げてごめんなさい」
テラスの端に二人並んでうずくまりながら、言葉を交わす。
「謝らないで、悪いのは俺だから」
そう、俺が悪い。
ラトーナだって辛いのに、気持ちを受け入れてやらずに俺の苛立ちを彼女にぶつけてしまった。
友として、先生として、俺の行動は正しくなかった。『この人なら自分を理解してくれている』そういう相手が、自分の想像と違う態度をとる。
前世で何度かそういう経験があったが、あれは中々心にくる。
「そんなことない……私が……ごめんなさい……」
乾いた下瞼に再び涙を浮かべながら、彼女は掠れた声でそう言った。
俺はこれ以上、ラトーナに嫌な思いはしてほしくなかった。
ラトーナは良い子だし、アーベスも他とは形が違っても、娘をちゃんと可愛がっている。
2人にはもっと仲良くいて欲しい。
俺は前世では両親を大事にしていなかったしな。
ちょっと色々上手くいってたからって、調子に乗って、親に舐め腐った態度を取り続けて……
親には散々言われてたんだ。『何でもかんでもすぐに諦めるな、手を抜くな』って。
でも、結果的にはいつも上手く行ってから、大丈夫だろうって、甘い見積もりを立てて、失敗して。
結局気まずくなって逃げて、そして死んだ。
おかしな話だよな、死んでから申し訳なくなってくるなんて……俺ですら後悔してるんだ。今のラトーナは絶対に後悔する。
仮に今は良くても、その心の亀裂は一生残り、どんどん広がっていくだろう。
「……俺ね、アーベスさんにある提案をされていたんだ」
俺の隣で、ラトーナはただ静かに話を聴いている。
「ラトーナと結婚したらどうかって…… いきなりそんなこと言うもんだから、びっくりしたよ」
ラトーナは何も言わなかった。
しかし、寄せ合ったその身体から段々と彼女の鼓動が速くなっていくのを感じた。
「アーベスさんはね、自分の大切なを政治の道具として使いたくないから、そうしなくてもいいようにあちこち飛び回っていたよ。ラトーナには本当に好きな人と結婚してほしい、社交会では娘をそういう面でも守ってほしいと。僕にまで頭を下げていたし」
アーベスが真意を伝える気がないなのなら、俺が伝えよう。このまま放っておいていいわけない。
「……」
ラトーナはまだ何も言わない。
彼女は今、何を思っているのだろう。
「アーベスさんは言ってたよ、『兄は結婚のことで恨みを買って娘共々殺されたし、姉は無知ゆえに人に騙されてどこかに消えた。もう家族にいなくなってほしくない』だからラトーナには賢くあって欲しいから厳しくしているって」
「でも……アミーが死んじゃった時……」
彼女はそこで初めて口を開いた。
その声は少し震えていた。
「焦っていたんじゃないの? 交渉もうまくいかない上に、時間は刻一刻と過ぎていく。 魔法の名門家だというのに、自分が直接魔法を教えることはできないし、忙しくて勉強の方も教えられない」
「……」
「あまり家にいられないアーベスさんはラトーナが遊んでいる時しか見ていなかったせいで、勘違いしたんだよ。言い方に問題はあったかも知れないけど全てラトーナのことを思ってに決まってるよ」
「……」
「アーベスさんはラトーナには幸せになってほしいと言ってた」
「……」
「まだ間に合うと思う。一度、ゆっくり話してみたらいいんじゃないの?」
「そう、かな……」
彼女は不安そうな顔でぽつりと言った。
俺は立ち上がり、ラトーナに手を差し出して、引っ張りあげる。
「さあ、気を取り直して作戦会議を再開!」
俺は大きく伸びをして、テラスの隅っこから中央に向けて歩き出す。
「あ、ちなみに俺と結婚したいならお早めに」
辛気臭い話をしたせいか、そんな冗談を無意識に挟んでいた。
「ディン」
俺を呼ぶ声と共に、彼女がスタスタと歩み寄ってくる足音が聞こえた。
「あれ、どうした——」
突然だった。
駆け寄ってきた彼女は、振り向いた俺の顔にそっと両手を添え、キスをしてきた。
美しい星空の下、ふわりと香る香水の匂いはどこか俺を安心させ、唇を通して伝わる体温にはどこか懐かしさを感じた。
「ん……!?」
彼女がそっと、唇を離す。
「ありがとう……ディン」
「え……あ? なっ、なんで……?」
「……さ、さあ! 早く作戦会議しましょ!?」
彼女は顔を真っ赤にしながらそう言って、テラスの中心へと歩いていった。
しばらく頭が真っ白で、ろくな会話ができなかった。