第227話 密林を越えて⑥
静まり返った夜の里、虫の合唱を背景にアセリアの心音、体温が彼女の唇からダイレクトに伝わ——
「んんッ!!?」
訂正しよう、彼女の舌を伝って俺の内側に雪崩れのように押し寄せてきた。
「ちょっ、先輩ッ!!!」
「んん……どうして拒絶するんですかぁー」
一瞬の硬直を経て我に帰った俺は慌てて彼女を引き剥がすも、彼女は虚な目で声音を低くしながら俺に体重を預けようとそのビッグな胸を押し付けてくる。
そんな様子と、口の中に微かに広がった酒の香りからアセリアが泥酔してることに遅れて気づいた。
「アイツら、何で病み上がりのやつに飲ませるんだ……」
……いや、毒治療に関してはノウハウを持ち合わせてる連中だ。多分これも何らかの有用性があってやってるに違いない……むしろ、そうであってくれ。
「んんぅ……今更冷たくしないでくださいお兄様ぁ……」
めちゃくちゃエロい猫撫で声で俺の腕に絡みつくアセリアを前に、等々ブチギレたラトーナの顔がチラついてきたので治癒魔術をかけると同時に、その途中口にした「お兄様」という単語が引っかかった。
そう言えば、彼女の身の上話を聞いたことがなかったな。実家を追い出されたとか言ってたから何となく振れないようにしていたが……
リオンとのやり取りを思い出した俺はそこについても踏み込まねばならないと自然に考えた。
ーーー
「うぅ……頭がぼんやりします……」
「治療薬の効果を完全に打ち消すことになるかも知れませんので、すみません……」
ひとまず意思疎通が取れるレベルまでで治癒魔術は打ち止めにし、彼女をベッドに座らせて水を手渡した。
「ありがとうございます」
「いえいえ、元気(?)になって何よりですよ」
グイッと豪快にコップを煽ったアセリアだが、その後は俯いたまま無言でコップを指で撫で続けているまま、部屋には妙な静寂が広がった。
「どうかしました?」
「いえ、その……色々聞きたいことがあるのに纏まらなくて……すみません」
「大丈夫ですよ、酔いもあるでしょうから頭に浮かんだことからどんどん口に出しちゃってください」
彼女の隣に腰掛けて笑いかけると、彼女はふいっと目を逸らして再びモジモジモードに入ってしまった……かに思われたが、彼女は意を決したようにこちらにクワッと向き直った。
「あのッ! ……そ、その、わ私、先ほどディン君にとんでもないことをしてしまった記憶があるの、ですがッ…………」
いきなりそこを振るか、という感想がつい顔に出てしまったようで、アセリアはそれを確信して真っ青になったかと思えば、今度は目にも止まらぬ速さで俺につむじを向けてきた。
「もも申し訳ありませんッ!!! 私みたいな女が既婚者の後輩に痴女まがいな……いえ痴女同然の淫行をッ……どのようにして償ったらよいのか、いえそれ以前にラトーナちゃんに合わせる顔がありません!!!」
「あっ、いえそんな謝らないでください! 酒が入ってましたし……それに先輩なら嫌じゃないですよ!」
「えぇっ……!?」
「?……あっ、いや、えっと違くて! いや違くはないけどその……先輩を口説いているとかそういうのではなくてですね!?」
「「……」」
この地に漂着した時点で既に人工呼吸をしているので今更、という背景を隠したせいでおかしなセリフになってしまった。
考えが纏まってないのは俺の方じゃないか、自分自身思ったよりアセリアのキスに動揺していたようだ……
「…………えっ、えっとそう言えば他にも気になったことがあって」
「あ、はい。なんなりと」
結局上手く言葉を整理できず、アセリアが気を遣って話題を変えてくれたのに乗っかった。何ともカッコ悪いな。
「気のせいじゃなければ、アルク君との決闘でカタクリさんそっくりの声が聞こえたのですけど、あれはディン君が発したものですか?」
「お〜良い質問ですね。答えはイエスです、あれはこっそり練習していた声を変える魔術です」
「声を……やはりそうでしたか。ここまで来るともう驚きはしませんが、一体どのような原理でそんなことを実現しているのですか?」
「風魔術の応用……っていうのがわかりやすいですかね」
正確には応用の応用だ。まずは風魔術が元となっているランドルフの振動魔術を再現するところから始まり、その振動を発生させる魔法陣をいくつかパターンを分けて二、三枚ほど口の前に展開する。あとはマイクに話しかける容量でそこに俺の地声を送り込んで、その声を魔法陣で微調整する感じだ。
「〝私、アルク君なんかよりディン君の方が強くて優しくてイケメンで大好きですぅ〜〟」
「……内容はともかく、たしかに私の声そっくりですね。内容はともかく」
「なにぶん操作は複雑で調声もアナログなんで、戦闘の片手間にやるのはまだ無理なんですよね。さっきみたいに足を止めたり、動けないような場面でない限りは」
そんなものを使わざるを得ない状況まで追い込まれてたってことは黙っておこう。あくまで、たまたま行けそうだからやった体で通すんだ。
慢心ダメ、絶対。
「だとしても、よくこんな魔術を思いつきましたね……」
「そんなに特別なことじゃないですよ。元々声に関する魔術はリオンの遠隔通話があるので、それを参考にしたわけですから。むしろ凄いのはリオンで………………まあ、はい……」
リオンの名前を出したことでまたアイツに言われたことを思い出してつい言葉に詰まった。
そんな俺の様子を見てか、アセリアは何も言わぬまま俺の手を握って優しく頷いた。
「大丈夫ですよ」
おそらく……いや十中八九、アセリアは俺が何に悩んでいるのか知らない。だからきっとその肯定の中身は空っぽなはずなんだ。それなのに何故か、どこか安心している自分がいる。
「なんかすみません……」
「いいえ、たまにはそうやって弱い所を見せてください。もう一度言いますが大丈夫ですよ、ディン君はしっかり変わっていっています」
「え、なんで…………」
俺の悩みなんて詳しく知らないはずなのに、彼女は続けて俺が今欲している言葉を掛けた。
「もちろん私はディン君の悩みを知りません。でもディン君が悩む時は大抵自分自身のことに関してですから……」
「その文面だと、俺が飛んだ自己中野郎に聞こえるんですけど」
「あれ、違うんですか……?」
「……いや、否定はできないっす。ヴェイリル王国の件とか、先輩からもリディからもクビを切られなかったのは奇跡ですから」
「冗談です、真に受けないでください……でもまあ、リディさんに関してはいつディン君をクビにしてくれても構いませんけどね」
「縁起でもないことを……」
「ふふふ、すみません。でもやっぱり、私はまた皆さんと何かを作っていく日々に戻れたらなと思ってしまうんです……いけませんね」
先ほどの慈愛に満ちた太陽なような雰囲気とは打って変わり、アセリアがとても小さな存在に見えた。
ふいに目を閉じてみれば、夕日の差し込む研究室で皆んなでわちゃわちゃと図面に口を出し合っていた光景が浮かび上がってくる。
あぁ、たしかに今思えばあの頃は最高に楽しかった。それがもう2年も前か……最近じゃ皆んなスケジュールもバラバラで、飛行魔導具の開発でも全員揃ったことはないもんな。
「先輩、作りましょう」
「はい?」
「ここでの任務を済ませて国に戻ったら、この変声魔術の魔導具を作りましょうよ。久しぶりに皆んなで」
「……そうですね、是非やりたいです」
瞳に微かな光を宿して苦笑するアセリアの横顔、あくまで俺の言葉はリップサービスと受け取っているようだが俺は本気だ。
これだけの大仕事だ、終わればリディはきっとそれなりの休みをくれるはずだからきっとスケジュールにも空きが出る。ラトーナも喜ぶだろうな。
「その……あともう一つ聞きたいことがあるのですが」
「どうぞ」
「その、どうしてアルク君と決闘することになったんですか?」
「あー、カタクリさんから聞いてないんですか?」
「当人同士の問題だから直接聞けとしか……」
「そうですか。えーっと、まあ方向性の違いってやつです」
「私に気を遣わず、詳しく」
「うっ……わかりました。きっかけは数時間前です——」
ーーー
【数時間前】
昨日の深夜にアセリアを運び込んでから1日、最初の最初こそ里の人間に警戒されたが、今はこうして夕食の席に主役で呼ばれるほど歓迎されている。
昼間まで疲れて爆睡していたので内情はまだ聞けていないが、里の入り口で守衛とアルクに面識があるような会話があったので、アイツが色々と取り持ってくれたのだろうか。
借りを作るようですごく嫌だな……
『ほら! 遠慮せんとディンはんも飲んで飲んで!』
『あぁ、はぁ……どうも……』
アルクへの借りをどうにかして早急に返そうと思考する傍ら、黒髪の愉快なオッサンが俺に酌を押し付けてくる。
カタクリと言ったか、里の副代表を務めているだけあって、こうして近づくと肌にヒリヒリとそのオーラが伝わってくる。
他にもチラホラ凄い実力の戦士がチラホラいるのもわかるし、そんなのに囲まれてる俺はさながらこぶ取り爺さんの気分だ。
とりあえず恩人ということもあって邪険にできず、わんこ蕎麦の要領で渡された酒を飲みまくる。
鬼の酒に恥じぬ強さだが、別に俺にとってはただのマズイ水だ。ちくしょう、もったいねぇ……
『ほーれほれ、どんどん、そらどんどん!』
『いやあの、お気持ちは嬉しいんですが、俺より主役のアルクと話さなくて良いんですか?』
『なーに言っとるん!? アンさん、クロハの恩人なんやろ!? そりゃあ手厚く歓迎せんと、あの世のレンゲに引っ叩かれてまうわ!』
『へ? れんげ? ……っていうか、なんでクロハのことを知ってるんですか!?』
『知っとぉも何も、あん子の母親はオッチャンの妹や。産まれる前からよぉ〜知っとるさかい』
『え……あ、そうじゃなくてなんで俺が——』
『ラトーナはんからや』
『!……』
『あん御人がな、もしかしたら銀髪の青年がここに訪れるかもしれんってな? そん人がクロハの真の恩人やから手ぇ貸してやって欲しいって頼ん——』
『ら、ラトーナは今どこに!? ここにいるんですか!?』
『おっ、おお落ち着きいや……あん御人ならウチのスイレンと揃って中央都市に行ったわ!』
『なんだと!!!!!!!』
突然飛び込んできたアルクがカタクリの襟を掴み上げ、宴会は一瞬にして静寂の間へと変わる。
『おいアルク辞め——』
『黙っていろ亜人! スイレンが……スイレンがラトーナと一緒なのか!!』
『なんやぁアルクちゃん、娘に会いたかったん? そらもうお年頃やもんな、親としては複雑やけど……』
『ッ……』
『待てよ』
掴んでいたカタクリの襟を乱暴に放して足早に立ち去ろうとしするアルクを引き止める。
『俺の邪魔をするな亜人。今回ばかりはお前の口車に乗ってやる気はない』
『馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまでとはなぁ……お前、1人で中央都市に行ってどうするつもりだ?』
『スイレンを助けるに決まっている。フィセントマーレに囚われているお前の妻と一緒にいるなら、アイツも同じ状況にあるはずだからな』
『そんな魔物でもわかることを聞いたんじゃねぇ、無駄死にされるこっちの身にもなれって話だよ』
『なんだと?』
『聞こえなかったか? 頭を冷やして足並みを揃えろって言ってんだよ出しゃばりが』
『ッ……お前ッ!!!』
案の定眦を吊り上げて向かってくるアルク。
沸点の低さには困ったものだが、今は好都合。このまま単調な動きになったアルクなら、容易く叩きのめせる。気絶させてしばらくどこかに拘束するのがいいだろう。
——そんな思惑と共にアルクを迎え討とうとした時だった。
『そこまでや』
『『ッ!?』
カタクリは呟くと同時に俺達の間に割って入り、俺の首筋には手刀、アルクの眼前には金棒の先端が目にも止まらぬ速さで添えられた。
速い、速いのだが……ラルドのようなそれではなく、どちらかと言えばシュバリエのような逸脱した気配コントロールが惑せる速さ……!
『互いの主張を通したいんやったら、酒の席やのうて然る場所で決めるんがウチらの慣わしやねん。アルクちゃんなら、わかっとるやろ?』
カタクリの目配せを受け取ったアルクはハッとしたように目を見開き、ゆっくりと俺に視線を向けた。
『ディン、決闘だ。俺が勝てば俺の行動に口を出すな』
『お前が負けたら?』
『……契約期間中はお前の指示に絶対服従、でどうだ』
『二言はねえな?』
『フンッ……』
『聞き届けさせてもろたで。立会人は俺のことカタクリ、皆んなもええか!?』
カタクリのヤケに慣れた風な口上に、宴会の出席者達が歓声を以て応える。
『以前の決着をつけてやる』
『はっ、またお前が土ペロするだけさ』
奮い立つ空気に飲まれまいと虚勢を張るアルクに、俺は親指を地面に突きつけて応えるのだった。
ーーー
「——と、いう次第でございまして……」
「そうでしたか……」
事の顛末を説明し終えると、アセリアは深く俯いたままボソリと呟くように言葉を返した。
彼女は荒事を酷く嫌うので、てっきり暴力沙汰にしたことに関してお咎めがあるかと身構えていたが、少し予想外の反応だった。
「私が、また足を引っ張ってしまったんですね……毎度すみません…………」
「いや、別に先輩が悪いわけじゃ……そもそも先輩を置いて1人で行こうとしたアイツが薄情なんですよ」
「アルク君の気持ちは間違ってないと思います。責めるなら私を」
「……」
あぁ〜……これはまたネガティブスパイラルにハマってしまったやつだろうか。
責任感が強いのは良い事だが、自己肯定感の低さはパフォーマンスにも影響するし、何より彼女にはもっと自信を持っていて欲しい。
うーん……どうやってカウンセリングしたものか——
「ディン君、手軽な刃物を貸していただけませんか?」
「え? いや、何するつもりですか」
「ディン君が考えているような事はしませんよ、ほらほら先輩のおねだりですよ」
アセリアの言動に見合わぬ深妙な面持ちに根負けし、土魔術で作った即席ナイフを手渡す。
「ありがとうございます」
「で、何に使う——は!!?」
バサリと音を立てて、彼女の桃色髪が床に散った。
「これは私なりのケジメってやつです。もう、お二人の足手纏いにはならないという誓いの証です」
膝丈近くまであった長い髪を肩辺りまでバッサリと切り落としたアセリアは、今までにないほど強い眼光で俺を見つめながらナイフを返してきた。
「見ていて下さいディン君。私が本当の意味で変わるところを」
「あっ、はい……」
「それとキスの件、本当にごめんなさい。それじゃあおやすみなさいディン君」
「んえ、あぁ……」
怒涛の展開についていけず、俺はただ呆然と生返事をするのだった。
この髪の毛どうしよ。
処理に困るな……
狩りに忙しいんです、許してください




