第211話 ジーナスの憂鬱
「397、398、399……400!」
昇ったばかりの優しい日差しの中、ヒュンと乾いた空気を心地よく割く音が庭に響き渡る。
毎朝のランニングと朝食を終えた後に行う日課の素振りは、ASMR要素を多分に含んだ俺の癒しでもある。
左手を失ったとはいえ、瞞着流には隻腕を想定した型が多くあるので勿論鍛錬は怠らない。むしろ隻腕のアンバランスさに慣れるためにも、今まで以上に剣を振らなければないと思っている。
「よし、次は型!」
休憩がてら、今度は修める流派全ての型を復習する。
現在は義手を使う方向だが、とにかく両腕に戻った時のことも想定してブランクを感じないようにと対策は欠かさない。
しばらく……具体的には半年ほど大きな任務はないとリディは言っていたが、裏を返せば半年後には大きな任務が控えているということ。おそらくラトーナも同行するだろうから、彼女を守れるように出来る限りのことをやるのだ。
「よし、次は魔術っと……」
「ようやくでございますか、拙は待ちくたびれましたぞ」
「なら帰ってくれても良いんだぞ〜」
肉体トレーニングをする俺を傍で退屈そうに眺めていたシーザーが、あくび混じりに立ち上がって伸びをする。
実は、シーザーとの決闘に勝利し彼を引き入れてから一週間、俺には悩みがあった。
「ささ、疾く見せてくだされ! 今日も勉強させていただきますぞ!」
勿論、となりで鼻息を荒くしているこの男のことである。
始まりはそう、コイツを移籍させた翌朝のことだ。日課のマラソンをしようと家の戸を開けたらなぜかコイツが出待ちしていた。なんでも俺のことを調べたらしく、普段の生活から学ばせて欲しいとか言いだして俺のストーカーと化したのだ。
学園ではラトーナ以上に俺にベッタリとくっつき、帰りは送ってくるし朝は迎えにくるとかいう、まるでラブコメの幼馴染キャラかってくらいの粘着ぶりを見せている。
「はぁ……」
鬱陶しさには思わずため息が出るが、ひとまず飲み込んで魔術の鍛錬を始める。
上級魔術の速射練習に始まり、弾丸魔術を自力で高速発動する練習、そしてメインはシーザー戦で初お披露目となった『鎖を操る魔術』の慣らし運転だ。
「ふむ、段々わかってきましたぞ。長耳族のように魔力で形成した蔓を鎖に通して動かしているのですな?」
「正確には龍脈術だ。俺の場合は血統もあって長耳族と近い感覚でやってるんだろうがな」
「龍脈術とはまた、随分と古い術式を持ち出しましたな。噂に聞くラーマ王直伝のものですかな?」
「違う。妖精族の知り合いのそれを見様見真似している」
「ほほう、しかしアレですな。龍脈術が核となればまず発動場所が地面に限られてしまう上、術者はその場から大して動けない……上級魔術が効きそうですな」
「その対策は最初に見せた。鎖に刻印魔術で対魔付与して、展開された魔法陣をいち早く叩き壊せば良い」
「ならば鎖の本数を上回る数……現状ですと12門以上の魔法陣を一度に展開すれば良いということですな」
なんて考察を嬉々とした態度で話しながら、さらにブツブツとこの鎖の攻略法を列挙していくシーザー。
そう、俺がこのストーカーを追い返さない理由がこれである。
俺から学ぶと言ってるだけあって、この男は俺独自の魔術を解析してその弱点や問題を的確に提示してくる。そしてそれを受けた俺はそれら問題点のカバーを考えることが出来るので非常に有意義な時間なのだ。
「そもそもこれは対戦士が本来の用途だからそれは懸念事項じゃない。強いていうなら、基盤の術式に背後を守る障壁魔術を組み込むか?」
「いいえ、それでは大元が複雑化し発動速度が遅延してしまうでしょう。強みを潰すことになりますぞ」
「やっぱそうだよな。なら現状は打つ手無し、並列処理の精度が上がるまでは、使う場面に気をつけるだけだ」
とまあ、こんな調子で進んでいきしばらくして今日の朝鍛錬は終了。目新しい成果自体は無かったが、鍛錬の方向性や細かい修正などが出来た。
うざいが少し我慢して今後もこの男を利用していくとしようか。
「お疲れ様です、旦那様」
「ありがとうございます、ジーナスさん」
さて、お楽しみの朝飯の時間。
家に戻るとジーナスが出迎えて汗拭きタオルを手渡してくれた。毎度非常に助かる。
「シーザー様の分もご用意しておりますが、如何なさいますか?」
「やや、毎度申し訳ありませぬ。独身の身としてはこの上なく有り難く、是非お言葉に甘えてさせていただきまするぞ!」
「すいませんジーナスさん、いつも要らぬ手間を」
「お気になさらず、仕事ですので」
淡々とした様子で台所に戻っていくジーナス。
最初の頃よりは俺に対する態度が軟化したとは思うが、やはりどこか壁を感じる。こう、主人と使用人という関係以前の、人としての距離だ。散々前世で人から疎まれていた俺ならわかる。
ジーナスは我が家にとって既に欠かせない存在である以上、俺とのトラブルが元で出ていかれても困るし、そういうのの元になる確執は出来るなら早めに取り除いておきたいな……
今日はちょうど休日だし、なにか行動を起こしてみようか。
ーーー
【ジーナス視点】
「買い物でございますか?」
朝食の片付けを行っていたところ、突然ディン様がやってきたと思えば外出に誘ってきた。
「せっかくの休日です、私の様な女よりラトーナ様と過ごされてはいかがでしょうか」
買い出しなら私一人で行った方がスムーズである上、そもそも主人にそれを手伝わせるなんて使用人のプライドが許さない。
いや、それ以前にまずもっとラトーナ様をかまってやれという話だ。全くこの男はあの方の気持ちも知らないで……やはり戦うことしか頭にないのだろうか。
「いや、えっと、ですね? 今日はラトーナじゃなくてジーナスさんが必要でして……都合が悪いですか?」
なにやらバツが悪そうにしてやや言葉に詰まるディン様。
一ヶ月とはいえ、私もそれなりにこの家で暮らしてきた身だ。ディン様が突飛な行動をとる時は、大抵何かを失敗した時の穴埋めをしようとする傾向があることくらい知っている。
この前も、ただでさえお金がないのに使いもしないダサ……派手でゴツゴツした剣を買ったことを誤魔化そうと、私に肩揉みをして機嫌取りをしてきた。
今日は何だろうか、ラトーナ様を避けるあたり、ラトーナ様と喧嘩でもしたのだろうか……
「承知しました。支度を済ませますので少々お待ちください」
「ありがとうございます、じゃあ済み次第出発しましょう。ラトーナは徹夜明けで寝てるのでくれぐれも起こさないようにそ〜っとね」
「……かしこまりました」
何にせよ好都合だ。この方がラトーナ様に相応しい人間なのかどうかをこの機に改めて見定めよう。
「おっ、今日の市場は空いてますね。ラッキ〜」
言われるがままにやってきたのは王都中央の市場、それも主に雑貨や装飾を扱う店が立ち並ぶ区画。
やはりというか、普通の買い出しではないようなのでもう答えは出たようなものだ。
「ラトーナ様への贈り物ですか」
「あ、バレました? まあ、別に隠す気もなかったんですけど」
「失礼ですが、ラトーナ様と何かお有りになったのですか?」
「いやいや、順風満帆ですとも。ただほら、ヴェイリル王国って婚約者にペンダントを送る風習あるじゃないですか」
「はい、それが何か?」
「一応俺もヴェイリル王国出身だし、そういう風習になぞらえて何か送ろうかな〜と思いまして。結婚式もちゃんとやらなかったわけだし」
どうやら喧嘩は私の勘違いだったようだ。
いけないな、この方を見る時はどうしても悪い先入観が勝ってしまう。
だがそれも仕方がないことだ。なにせヴェイリル王宮内で見せた大立ち回りは100歩譲るとしても、王都内で無辜の国民に出した被害の大きさなどを考えれば、世間一般の道徳基準に乗っ取れば紛うことなき逆賊であり、危険な存在に違いはないのだから。
類は友を呼ぶなんて言葉があるように、こうしてラトーナ様や身内に優しくとも、本質のところでその苛烈な攻撃性を捨てきれなければ、いずれはラトーナ様をも危険に晒すような状況を引き寄せる可能性がある。
仮にそうだとすれば、私はラトーナ様に嫌われてでもこの方と彼女を引き離さなければならない。
使用人である以前に、一人の友として彼女を守る使命が私にはあるのだ。
「ジーナスさん? どうしました険しい顔して」
「あ、いえ何でもありません。それより話を戻しますと、品はペンダントでなくても良いということですか?」
「最悪ペンダントでも良いかなとは思ってるんですけど……どうせなら彼女の欲しいものにしようと思って、仲の良いジーナスさんに力を借りたかったわけです」
「なるほど。ではありきたりですが、新書などはどうでしょうか」
「いや、新書は普段でも買うから目新しさがないと思うんです」
たしかに、なんならディン様も読書を嗜む分、共有の物を送ることになって甲斐性無しのように見えるので良くない。
しかし、となれば何が良いのだろうか。
ディン様のように恥ずかしくてダサい武器を集める癖もなければ、クロハ様のように給料の八割を甘露に使うということもない。
読書以外の趣味といえば……
「以前、動物が好きと仰っていませんでしたか?」
「あー、ペットですか。そういうのって、どの店で扱ってるんですかね」
「国にもよりますが、基本的には奴隷商が扱っているかと」
「却下で」
「え?」
「ウチに奴隷は要りません。絶対」
何が癪に障ったのか、突然声音を低くして表情に影が差したディン様。
奴隷排斥主義などの信仰も持ち合わせていなかったはずだが……ここでの詮索は彼の態度を見るに藪蛇であろう。以後気をつけなければ。
「……かしこまりました。では魔術用の杖というのはどうでしょうか」
「良いですね……あ、でもあの人は既に実家の金で買った高級な杖持ってるんですよね。アレを超えるものを送るとなると予算が……」
「申し訳ありません、侍女の身でありながらその点を失念していました」
「ああいえ、気にしないでください! こっちこそ済みません、聞いといて却下ばかり出して」
「いえ……しかし私も思いつくのものと言えばそれくらいで……」
「うーん……」
ここにきてアイデアも底を尽き、会話が止ま大たところで、ディン様がポンと手を叩いた。
もう少し周ってから考えよう、ひとまずそんな方針を打ち立てて、私たちは当てもなく市場を歩き回ることになったのだ。
イマイチ結論を急ぐ気配を感じないので、侍女という職業柄か焦ったく感じてしまう。とはいえ、誘いを受けた以上は口を出すわけにもいくまい……
「ジーナスさんはラトーナのどこが好きですか?」
悶々とした気持ちを抑え込みつつ歩いていると、気の抜けた声でディン様が問いを投げかけてきた。
正直、雑談をするくらいなら贈り物に思考を割いてほしいところだが、話題が話題なだけに乗ってしまう。
「好き、というのは少し違くて……何というかこれは崇拝とでも言いましょうか……」
「え」
「ヴェイリルの王家や貴族の方々は良く言えば芯のブレない方が多く、それだけに臣下は振り回されてばかりでした。そんな中、ラトーナ様は私達のような者に目を向け、慮ってくださいました。ご自身こそ辛い立場でおありなのに……」
天の御使いと見紛うほどの美貌と、それをさらに引き立てる品性と知性。
お世辞にも顔が整っているとは言えない私にとってはそれこそファンタジーのような存在であるラトーナ様。
そんなカリスマが私を友と呼んでくれたのだ。彼女に尽くさない方がおかしいだろう。
崇拝と言うと少し盲目的に聞こえてしまうが……他に表現がないのだから仕方ない。
「普段はあんなだけど、ラトーナは凄い優しい子ですからね」
「旦那様、〝あんな〟とはなんですか。ラトーナ様はあれで良いのです。いや、あれ〝が〟良いのです。最近は充実した私生活の影響か輪をかけてお美しくおいでで……」
「お、おう……」
いけない、つい愛情が口から漏れ出してしまった。主人を差し置いて一方的に語り尽くすなんて……ジーナス、一生の不覚。
「あ、そうか輪だ! いいねそれ!」
「え、はい?」
何やら一人で答えを得て上機嫌になったディン様に連れてこられたのは、アクセサリー商の出店だった。
出店通りの端に位置するこじんまりとした雰囲気の店だが質の高い物が多く見受けられ、所謂知る人ぞ知るというやつなのだろうと感心していると、ディン様が徐に品物を手に取った。
「指輪ですか」
中央に夜空をそのまま閉じ込めた様な魔石が取り付けられた指輪。
他の商品に比べれると少し雰囲気が暗いうえ、そもそも指輪という選択も少し地味なのではないかと思うが……
「お客さん良いのに目ぇつけたね。そりゃあ古代魔導具だよ」
「へぇ、効果は?」
「魔力を込めると対になってる指輪が光る」
「合わせて買った!」
何が琴線に触れたのやらまさかの即決。
散々私に相談していたあの時間は何だったのだろうと、少し虚しくなった。
「ごめんジーナスさん、せっかく付き合ってもらったのに相談もなく買っちゃって……」
「いえ、構いませんが——」
「運搬用の魔物が逃げたぞ!!!!!!!」
突如として市場に響き渡った声、その方向に慌てて目を向けてみれば確かに牛によく似た大型の魔物が大通りを暴走している。
(あ、まずい……!)
しかもあろうことに、逃げ惑う大衆のうちの一人、それも小さな女の子と男の子の姉弟に的を絞って突進しているように見える!
「ディン様! って、あれ……?」
せめて応急処置の準備だけでもと、隣に立っているディン様の手を引こうとしたが、その姿は既にない。
「ッ!?」
直後、魔物の断末魔の様な叫びが地を揺らした。
釣られて現場の方に再び目をやると、そこには姉弟のギリギリ手前で下半身を氷漬けにされて鎮圧された魔物の姿と……
「おおおおおおおお! ディンの旦那が止めたぞ!!!」
本の一瞬前まで私の隣にいたはずのディン様が立っていた。
距離にして50メートル以上離れていたはずなのに、私は諦めていたのに、あの方はさも当然のように事件を未然に防いでいたのだ。
「ディ、ディン様お怪我は!?」
「あ、ジーナスさん……って、大丈夫ですか?」
なんと、ディン様どころか姉弟と魔物にも目立った外傷は無く、むしろ急いで駆けつけて息絶え絶えになっていた私の方が心配されてしまった。
「これ、せっかくご購入なされた指輪を落としていらっしゃいました……」
「えっ、嘘!? ありがとうございます助かりました!」
手渡された指輪を大事そうに握りしめて、私にヘコヘコと頭を垂れるディン様。
屈強な魔物を数秒で鎮圧してしまうほどの力を見せた先程の様子とはまるで別物、年相応の何処か抜けた青年の姿がそこにはあった。
「ひとまず魔物を鎖で拘束するので、それが終わったら帰りましょうか」
「はい、そろそろラトーナ様も起きる頃だと思われますので」
「ほんと、ジーナスさんが来てくれて良かったです」
「……」
ーーー
その後、騒ぎの処理は怪我人が居なかったこともあって迅速に済んだ。
最近はヴェイリル王国からの難民が増えたことで物流に負荷がかかり、運搬を担う魔物にストレスがかかっていたことが原因だろうとディン様は仰っていた。
今後もああいった事は起こるだろうから、市場をよく利用する私も気をつけなければいけない。
「色々大変だったようね、お疲れ様ジーナス」
「いえ……」
そして現在は夕食も食べ終え、いつものようにこの無駄に広い浴場で私はラトーナ様の背中を流している。
これ以上の至福は私にとってないわけだが……どうにもディン様の送った指輪に対してラトーナ様が異常なまでの喜びを見せたことに対する釈然としない気持ちが少し尾を引いている……
ともあれ、せっかくの至福はやはり気分を切り替えなければ勿体無い。
はぁ〜っ……発光しているのかと見紛うほどに眩しい金髪と、透き通るような肌、彫刻にも勝るほど均整の取れた玉体……何よりこの煽情的なうなじだ! 同性の私でも見ていて疼くものがあるのだ、ディン様が少し羨ましい……!
「しかし、失礼ながらディン様は何処か危なっかしいお方ですね。あれほどの実力がお有りならばこそ、今後はより慎重な行動を心がけていただきたいところでございます」
ラトーナ様の魅力に当てられたことで気持ちが昂って思わずそんな不満を口にしてしまい、後から我に帰って焦るもラトーナ様はそんな私の言葉にクスリと笑った。
「たしかにそうね。あの人はかっこつけたがりだから、空回りする事の方が多いわ」
「はい」
「でもね、あの人は英雄じゃない、完璧にはなれない、そう……ただのディンなの。だからきっと、今後も普通の人のように沢山失敗すると思うわ」
「しかしそれでは……」
「だから私が、アナタが居るのよジーナス。あの人は大事な時に助けてって素直に言えない人だから、言わずとも近くですぐに支えてあげられる人が必要なの。だから、一緒にただのディンを守っていきましょ?」
振り返って優しく微笑むラトーナ様の顔を見て、昼間ディン様にかけられた言葉が頭の中に浮かび上がった。
(ほんと、ジーナスさんが来てくれて良かったです)
「……かしこまりました。このジーナス、全霊を尽くすと誓いましょう」
「ふふ、その勢よ」
未だ不安は残るが、それでもいくらか肩の力が抜けたのを実感した。
使命ばかりで頭が固くなって、当たり前のことが頭から抜けていた。
そう、私はジーナス、オード夫妻の侍女だ。この命尽きるまで、影ながら二人を支えていくのだ。
私にとってのトゥルーエンドではない、二人のハッピーエンドを迎えるために……
日常パートはあと3〜4話くらいです




