第191話 夜と魔剣と龍仙と
ヴェイリル王国軍は王族の護衛や憲兵としての役割を担う『近衛騎士団』、主力であり国土全体を管轄とする陸軍こと『土衛騎士団』、海上の貿易取り締まりや偵察を主とする海軍こと『海衛騎士団』の三柱によって成り立っている。
フラグラフト•ハウリッヒという男は、その一柱である海軍の最高責任者、元帥を代々務めてきた名家の当主だった。
ちょうど一年くらい前か、俺がヴェイリル王国に来て初めてまともに会話をしたのがこのおっさんだ。
王都での戦闘をたまたま目撃して仲間に入れてくれと頼んだが、面接で落とされた。
方針の違いってやつかな。
俺は虐殺殴殺なんでも御座れで、この国を滅茶苦茶にしてあわよくばその隙にラトーナを奪い返そうとしていたわけだが、奴は違う。
フラグラフトはミーミル王国から自治権回復をしたうえで、麻薬や人身売買などを切り離した清純な国に建て直したいと考える以上、義兵は必要最低限に、不要な殺生は控えるスタイルだ。
「一時休戦といこうじゃないか、キチガイ長耳族!」
突如として視界の外から現れて、不治の魔剣(槍)の騎士に襲いかかってそう叫ぶフラグラフト。
「何が目的だ!」
さっきまでコソコソ隠れてたくせに、今になって現れた真意を探りたいところだが、全開出力の身体強化刻印の魔力を補充し続ける機能にリソースを割いているので、それは叶わない。
信憑性には欠けるが、ひとまず口で語りかける。
「こいつの魔剣には俺の方が相性が良い! お前は残りの歩兵を片付けろ!」
フラグラフト……長いのでラフトのおっさんはそう説明しつつ、大勢の死体を槍兵にけしかけることで上手い具合に拮抗状態を作り出している。
なるほど、負傷を気にしなくて良いアンデットの物量攻めか。タイマン性能特化のあの槍にとっては確かにやりにくい。
さて肝心の目的を聞き出せなかったが……
今はラフトのおっさんに指示に従うのが最善手のようだし、あとで考えよう。
「その休戦受け入れた!」
まあ元々、魔剣欲しさに俺個人が勝手に襲撃してただけだから休戦も何もないのだが……
ひとまずその場はおっさんに任せて離脱することにした。
というわけで、邪魔なやつが消えたので一旦クロハのいる建物の屋根へと戻って、再び戦場を見渡す。
「その左腕……」
「止血はしたから大丈夫」
クロハの前ということで断言したが、正直左腕の傷が治る保証はない。
不治の効果がどれだけ続くのか、もしくは持ち主を殺さないとダメなのか、呪いの一種ならあるいは解呪出来るかもしれんが……何せ魔剣の能力だ、治らなくてもおかしくない。
くそ、受けてしまったものは仕方ない。
それよりも今は、戦況の把握だ。
槍兵が連れてきた重装歩兵は総勢七十ほどか? いや、最初は百人くらいいたから、俺の魔術で三分の一くらいは死んだっぽいな。
歩兵は少人数で固まる陣形を組んで散開、うちの軍やアンデット、あとはいつの間に参戦していたラフトのおっさんの部下達と交戦中か。
そしてここぞとばかりにダイナ家の従者が盛り返して、挟み撃ちの大乱戦ってところか。
困ったな。みんなごちゃ混ぜなせいで魔術で一掃するってわけにもいかない。
こうなれば片っ端から潰すしかない。
「私も手伝う」
そう言って短剣を抜くクロハだが、そうなると彼女を単独で動いてもらうことになる。二人で一人を撃破してちゃ非効率だしな。
「うーん……」
「私やるよ」
「あっ! ちょっ!?」
答えを聞く前に飛び降りて、そのまま乱戦の人混みに突っ込んでいくクロハ。
《まあ見てな? クロハならやるぜ!》
なぜか自信ありげなリオンを疑いつつも戦場を眺めていると、ある変化が現れたことに気づいた。
「死ねえぇぇぇぇえ!!!」
「待て! 俺は仲間——」
えげつない。その一言だ。
クロハが透明化して王国側の歩兵に触れ、その姿をレジスタンスやアンデットのものに変える。
乱戦というのもあって、背中預けてた仲間が急に敵に変わっていたことに驚いて、慌ててそれをぶった斬る歩兵達。
そんな同士討ち現象を、クロハが戦場を駆け回って各所で引き起こしているのだ。
ひょっとして、クロハを本気で敵に回すとヤバいのでは?
いやいや、そんなこと考えてる場合じゃないな。
相手に混乱が見えた今こそが建て直しのチャンスでもあり、攻め時だ。
《ディン……魔剣だ》
「は?」
リオンに言われて、ラフトのおっさんの方に目を向ける。
未だ槍兵と互角の戦いが続いており、特に危なげは無い。しばらく足止めは続いてくれるだろうな。
「問題なそうだけど」
《違う! また別の魔剣が王都の西から近づいてきてるぞ!》
「敵か?」
《わかんねえ! でもめっちゃ速いぞ! もうそっちに着く!》
ここで味方と判断するのは流石に頭がお花畑過ぎるな。
さて、俺はどう動くべきだ。
ラフトのおっさんが陸軍の将である槍兵を抑えている。
戦況はクロハの撹乱によりこちらが優勢。
ダイナ家の屋敷の最後との砦である防衛陣も、うちの武闘派部隊が直に突破しそうだ。
ならばここは、俺がその接近してくる魔剣持ちを迎え撃つしかあるまい。
《リオン、悪いが少し手を——》
そう言いかけた直後、俺……いや、おそらくダイナ邸周辺にいたすべての人間が同じ感覚を共有し、一時的に全ての行動を中断した。
「ッ……!?!?」
それは悪寒と表現するには、俺の知るそれとはかけ離れ過ぎていた。
心臓は破裂するほどに鼓動を高め、口からは一瞬で水分が飛ぶ。
皮の、肉の先、骨の一つ一つを直接鷲掴みにされているかのような感覚が全身を支配する。
息、そうだ息だ。
息しなきゃ……
「……!」
得体の知れないプレッシャーによって静寂が訪れた戦場の中に、カツカツと響き渡る足音。
誰もが呼吸も忘れるほどの止まった時の中で、城壁側の大通りからゆっくりと、そして雅な足取りでこちらに歩いてくる男が一人。
乱戦の人混みのすぐ手前まで来たところで男はふと足を止めて、くるりと九十度方向転換して再び歩き出す。
何をするのかと思ったら、倒壊した建物に足を踏み入れて、瓦礫の中から一人の女性を救い出した。
「大丈夫ですかい? お嬢さん」
「……っあ、ありがと……う」
「奇跡的に足は折れてねぇ。ここは危険でさぁ、ご自分で歩くことは出来やすか?」
「はい……」
丁寧な物腰で女性を逃がすその男を、誰もが静かに見ていた。
その男が放っているであろうプレッシャーと、女性に向けた暖かい声音のギャップには、〝俺以外〟を除いた誰もが混乱しただろう。
「さてさて〜、首謀者がどなたか存じやせんが……全員、今すぐ剣を納めて帰っていただきやしょうか」
「……名も名乗らない礼儀知らずの言うことを、素直に聞く奴がいると思うのか?」
「そうだネェ、部外者にはご退場願おうカ」
右手にぶら下げた青龍刀のような剣をちらつかせながら群衆にそう告げた長耳族の男に最初に噛み付いたのは、ラフトのおっさんと槍の男だった。
「確かにあっしは部外者、しがない冒険者に過ぎやせん。政治だなんだに首を突っ込む気もありやせんがぁ……」
立ち塞がったおっさんと槍男を前に、長耳族の男はその切先を向ける。
「無辜の民までその戦火に晒すとありゃぁ、亡き盟主との誓いに従って、この森剣王が……いや、今で言うならこの二代目瞞着王シュバリエ•クロッゾ•アールヴィが相手になろうか」
突然現れて一瞬で場を支配したその長耳族、シュバリエはそう宣言した。
「二代目瞞着王だト……?」
「ははっ、こりゃ面白いな。アンタの要求を飲まなきゃ皆殺しってか?」
「そう言ったつもりでさぁ。なんならその首、今ここで落として見せても構いやせんが?」
「ッ……」
ーー土槍ーー
リーダー格二人がシュバリエに気押され、兵士もレジスタンスもその様子をただ突っ立って見ているだけだったので、その隙に敵の歩兵達の足元にだけ魔法陣を展開。
地面を隆起させ、その勢いで兵士共を空高く打ち上げた。
全員とまではいかず半分には避けられたが、逆に言えばもう半分は落下死確定だ。
隙が大有りだなぁ〜
「おんや? あっしはアンタにも忠告してたはずだったんですがねぇ? グリムの旦那」
「ッ!?!?!?」
背後から刀身を首筋に当てられて、咄嗟に全力で脇に飛び退いた。
先程まで目下でラフトのおっさん達と話していたはずのシュバリエは、いつの間にか建物の屋根で様子見をしていた俺の背後に回り込んでいた。
「まったく、師匠との再会だってのに顔も出さないとは、不義理な弟子になっちまったもんでさぁ」
ヘラヘラと芝居掛かった態度で頭を抱えるシュバリエに視線を固定したまま、そっと自分の首筋を撫でる。
そこには距離をとって尚、肌に残る刀身の冷たさ……否、死そのものの冷たさがあった。
さっきの槍兵なんて非じゃない、この人には冒険者時代に何度も実践形式の稽古をつけてもらったが、あれは手抜きどころかお遊びだったのかってくらいの速度だ。
瞬間移動……?
いや違う。
俺は今、明らかに気を緩めていた。緩められていた。
「……お久しぶりです、スケベ師匠」
「否定出来ないのが困ったもんでぇ」
シュバリエの魔剣ダンダリオン、能力は対象の感情を自然に操るというもの。
おそらくこの場を支配するプレッシャーも、突然俺の気が緩んだのもあの魔剣の力によるもの。
有効範囲は少なくともこの一帯の人間全員。
前々から地味だが怖い能力だとは思っていたが……なるほど、使われるとここまで厄介なものなのか。
「それで、グリムの旦那はこんな所で何をしてるんで?」
「別に、ただの観光ですよ。それと今はグリムじゃなくてディンです」
「へぇそんなゴツゴツした籠手と鎧つけて旅行する輩がいるんですかい? ディンの旦那」
「どうもこの国は最近物騒なんでね」
「「…………」」
訪れた静寂の間。
シュバリエが攻撃に移る気配はない。あくまで俺が動けばやるといったスタンスか。
おそらく、今が退き際なのだろう。
相手は数百年、下手すりゃ数年前から生きてきた剣聖。百戦錬磨の生きる伝説だ。存在規模からしてもう違う。
しかもこの間合い、一足一刀の距離でヨーイドンなこの状況で、俺が瞬殺されない未来があるだろうか。
だが俺よ、ディンよ。
ここで引き下がれば、どうなるのかわかってるだろ。
大打撃こそ与えたがダイナ家は未だ健在だ。
この家を潰さなきゃ、結婚式の警備は十全なものとなり、中止どころか延期にもならない。
ラトーナの結婚式までにこの国潰せる保証なんて、どこにもないんだぞ。
「フゥゥー……」
息を整え、恐怖を殺し、ただシュバリエだけを見て構える。
「……あっしに弟子を殺させる気ですかい?」
死はすぐ目の前に。
覚悟なんかなくてもいい。なし崩しでも良い。
でも、振り返ることだけはしない。
不確かな、気を抜けば途切れていそうな一秒後を見続けろ。
「後悔はしない。死なないから」
ほぼ同時だった。
俺が上に飛ぶのと、シュバリエの刃が俺の首の位置を走るのは。
でもわずかに、俺の方が早かった。
磁力の反発で押し出された俺は上空に。
シュバリエの魔剣は虚空を切り裂いた。
土壇場でも磁力を扱えたという事実が、俺の心にさらなる火を灯す。
ーー閃光弾ーー
宙を舞ったまま、屋根から俺を見上げるシュバリエに目眩しの極光を浴びせる。
ーー死神之砲哮ーー
この距離じゃマシンガンでは命中が不安定。
だから生成した巨大な砲弾を、建物ごと押し潰すつもりで放った。
響き渡る轟音と、辺りを包む土埃。
極限まで引き延ばされた時間の中で、俺は落下しながらシュバリエの像を探す。
「!?」
土煙から飛び出してきたのはシュバリエではなく、飛ぶ斬撃。
俺は磁力を伴う魔法陣を靴底と空中に展開、その反発を利用し空中にありながらそれを躱して別の屋根に着地。
ーー炸裂弾ーー
すかさず回避の流れでカウンター。
爆弾を煙の中に向けて連射。
これで一安心かなぁ……
「!?」
いやそんなわけない!
強制リラックスか、また心を操られていた!
シュバリエはとっくに煙から飛び出して俺の目下まで迫っている。
相手の気が緩んだ瞬間に全速力で動く事で、瞬間移動と誤認させてるのか。
魔剣の有効範囲から抜けたいが、そもそもどこまでがその範囲か不明な上に、この人から離れすぎるのは論外。
俺はシュバリエをこの場から退却させたいのに、俺が離れちゃ本末転倒だ。
すぐさま別の建物に磁力の反発で飛び移りつつ、空中で無防備の間には手当たり次第地上のシュバリエに魔術を撃ちまくる。
俺は今、あの魔剣に『危機感』を緩められている。この間合いならまだ平気、近づかれてもなんとかなる、そんな思考が俺の脳内をよぎっているのだ。
そんなわけない。
あくまで判断は客観的に、チキンと言われようが慎重に。距離感を誤れば、疑似瞬間移動で一瞬で距離を詰められて殺されるのは事実だ。
この戦いに主観を混ぜてはいけない……
「ハァ……ハァ……当たんな過ぎだろ……」
距離を取っては射撃、爆撃、上級魔術のオールレンジ攻撃、たまに目眩しと、ひたすら密度の高い攻撃をシュバリエに押し付け続けて、体感で十分ほど。実際はもっとずっと短いんだろうが、俺からすれば長時間。
魔力は回復するのと、『弾』系統魔術の燃費の良さもあってそこまでの消耗はないが、体力と精神力が酷く削られた。
不慣れな磁力反発による三次元的な空中機動による筋肉痛。
魔剣の精神操作に堕ちないために張り詰め続けた精神の疲労。
対するシュバリエは服が少し汚れた程度。
弾丸は全部避けられる、目眩しは効かない、爆発にも平気で耐えてくる。時たま飛んでくるリオンの狙撃に至ってはノールックで叩き落とされてる。
奥の手の大技はどれも詠唱が必要だってのに、息が切れてるはそもそもそんな暇がないわで八方塞がりだ。
〔手を貸そうか?〕
絶望的な状況、このままではジリ貧で負けると理解しつつも未だ射撃と高速移動で無駄な時間稼ぎをしていたら、ヴィヴィアンがそんな提案を持ちかけてきた。
ただでさえ今は大量の情報処理で頭がパンクしそうなのに、脳内で話しかけてくるのは勘弁してほしい……
「手を貸すって……なにをッ……」
〔君の体を私が操作するのさ〕
は? それって乗っ取りじゃん……
ていうか、そんなこと出来たの?
いや待て、そういえば前に渓谷で死にかけた時、体が勝手に動いたよな? ひょっとしてあれ?
〔彼は私も知ってる。カーマが有名になる前の長耳族の大英雄と言ったら彼だったよ?〕
マジか。そんなに凄い人だったのか。
いやでも、これは俺の戦いであってそれを人に任せるってのはどうなんだ?
ていうか、コイツに代わったところで勝てるのか?
いやもっと根本的な話、コイツに体を開け渡して良いのか?
そんな考えが脳の半分を占拠していた時、走っていたシュバリエが突然、左手で思い切り何かを引っ張るような動作を見せた。
「やっとこさ捕まえやした」
そんな言葉の真意を探る間も無く、文字通りその答えが空中を飛び回っていた俺の足を引いた。
「魔力の糸!?」
見れば、左足に薄らと青白く輝く極細の糸が引っかかっている。
いや、足だけじゃない……目を凝らして周囲を見回すと、そこら中にその糸が張り巡らされていた。
そしてその糸がひとりでに千切れ、俺の足にぐるぐると巻きついていく。
「くっ!? うおぁぁぁッ!?」
次の瞬間、シュバリエが再び糸を引くと同時に、俺は飛んだ勢いをそのままに地面に叩きつけられた。
失念していた。
シュバリエも妖精の力をその身に宿す長耳族。大気の魔素を利用した攻撃や罠を使ってこない方がおかしいだろ。
剣士としての能力と魔剣の脅威に気を取られ過ぎていた。
まずいまずい。
拘束された。シュバリエが来る。逃げられない。死ぬ……? 死にたくない!
「ッ……ヴィヴィアン!!!!」
迫り来るシュバリエを前にパニックになった俺は、どうしようもなくその名を叫んだ。
ーー龍脈術•棘槍の碧壁ーー
刹那、俺の叫びに呼応するようにして足に絡みついていた魔力の糸が千切れ、足元からは俺とシュバリエを隔てるようにして、円錐型の青白い棘が次々とせり出した。
「おっとぉ!?」
信じられない、体が宙に浮いている。
意識はハッキリとしているのに、感覚はない。
「さあ、お姉さんと遊ぼうか』
俺のものでありながらも、聞く者全てに別人だとわからせる雰囲気を纏った声が夜空に響いた。