第184話 黒の狂犬
「もしかして、ディン……?」
突如として乱入してきた黒い外套の少年を前に、反射的にそう口にした。
「……」
少年がそれに反応する気配は無く、ラフトさんの方に体を向けたまま。
ラフトさんと睨み合う少年のフードがなびいて、チラリと金髪が見えた。
まさか別人?
いやいや、そんな筈はない。あの魔術はディンだけのモノだ。
「随分と早いお出ましだな、イカれ長耳族」
ラフトさんは前方に盾の様にして展開していた青くて柔らかそうな流動体を手のひらサイズまで戻しながら、憎々しげに笑っている。
なんだろうあの物体……スライムかな。
ていうことは、スライムを操ってたってこと? 人の死体以外も操れるの!?
「その魔剣を寄越せ」
ようやく口を開いた少年の声は、あまり聴き慣れていない、ディンとは似ても似つかないような、低い声だった。
《なあ、そこにいるのってディンじゃないのか!?》
「わかんない……僕もそう思ったけど、背も高いし、声と髪色が——」
「はっ、しつこい奴だな。断る」
「なら消えろ」
そんな少年の言葉と共に、ラフトさんの四方八方を囲むようにして魔法陣が展開されたことで、二人の戦闘が再開した。
上級魔術、しかも複数同時展開。
素人目でもわかる、とんでもない魔術の腕だ。
「おっと」
ラフトさんはその手を読んでいたかのように、いち早く魔法陣の方位から飛び退いて爆炎を回避。
炎の魔術……ディンがあまり使いたがらない魔術だ。しかもあの威力、どう見ても相手を殺す気で放っている。
目の前の少年は、本当にディンなのか?
《魔力の感触はディンと同じだけど、なんか違和感があるな……》
違和感……違和感ってなんだろう。魔力にそんなモノあるのかな? エルフ特有の感覚だろうから、どうにもわからない。
炎を躱してそのまま急接近を図るラフトさんに、少年は弾丸(?)を指先から連射して牽制しながら、軽快なバックステップで距離の優位を保とうとする。
魔術師とは思えないほど軽快な身のこなしだ。動き自体はディンに似ていて、それをもっと洗練させた感じだ。
「それはもう慣れたぞ」
しかしラフトさんは、掌からスライムを盾状に展開して弾丸を受け止めながら、ぐんぐんと距離を詰めていく。
少年にはさっきのような爆炎を伴った掌底突きの近接技があるけど、ラフトさんはそれに構わず真正面から攻めるつもりのようだ。
彼は少年と何度か戦ってる様な口ぶりだし、ひょっとして、あの爆炎は距離が近すぎると自分を巻き込むから使えないのかな?
肩の傷の応急処置がてら、そう分析する。
「浅知恵が」
「凍った!?」
ラフトさんがスライムを盾にした突進を始めるや否や、少年はそのスライムを一瞬にして上級魔術で凍らせ、追撃の弾丸で粉々に砕いてしまった。
対応の早さに驚くと同時に、益々確信が強まる。
氷の魔術もまた、ディン固有のものだ。片方ずつだけならまだしも、弾丸と合わせて両方使えるのはディンを置いて他に居ない。
「死ね」
スライムの盾を失ったラフトさんに、ディン(?)はそう呟きながら、間髪入れず灼熱の奔流を浴びせる。
昼間を思わせるほどの光を伴った炎の余波が、むせかえる様な熱気となって僕の体を煽る様に通り過ぎていく。
あれが、僕がついぞ向けてもらえなかったディンの本気なのか……
「はっ、ヒヤヒヤさせるな」
ディンの背後に回ったラフトさんが、呆れた様に言ながら剣を振りかぶる。
随分と慎重な人だ。
スライムの盾を攻略されることを読んでいたのか、それを破られるとのほぼ同時に、ズボンの裾に仕込んでいたスライムを足場に展開して、それを炎の届かない高さまで押し上げながら踏み台にすることで、炎を回避しつつ、死角であるディンの頭上を飛び越る形で背後に回ったのだ。
一瞬の出来事だったから断言は出来ないけど、炎が地面を走った跡に残った焦げたスライムの残骸から見るに、大体合ってるだろう。
「後ろだディン!」
ガキン! と、乾いた金属を街に響き渡る。
僕が叫ぶよりも早く、ディンは背後の一撃を察知して振り向き、魔力の鉤爪を纏った銀の籠手でそれをはたき落とす様に受け流した。
そして距離を取るのは難しいと判断したのか、ディンはそのまま距離を詰めつつ格闘による追撃に移る。
「ガールフレンドがいたのかイカれエルフ!」
「魔剣を渡せ!!!」
「はっ、お前はそれしか言わないな!!!」
そんな叫びを交わしながら、二人の間でほぼ互角にも見える白兵戦が繰り広げられていく。
ディンもかなり身長が伸びているが、それでも相手との差は十センチ少し。リーチも素手であるディンが不利かに思える。
けれど、まるで獣人……ギーガさんにも似た様な身軽さで攻撃を捌いて『やや不利』という状況にまで抑えている。
《……なあ、ディンってこんなに動けたか?》
どこか見晴らしの良い場所からこちらの状況を見ているであろうリオン君が、遠隔通話越しに呆けた声でそう言った。
「いや、僕の知る限りじゃここまでは……」
リオン君が驚くのもよくわかる。
確かにディンは魔術師の割に白兵戦に長けてるけど、あくまでそれは魔術師の中での話で、魔術抜きで本気で戦ったら僕に軍配が上がる程度のものだ。
それなのに今、ディンは体術だけで僕よりも強いラフトさんと互角に戦えている……
僕らと別れていたこの一年間でコツコツ修行を重ねていたとしても、急過ぎる成長のように思える。
何かカラクリがあるのかな……?
「刻印魔術……」
ディンは以前、刻印魔術によって身体強化を行えば、短時間なら僕に並ぶことも出来ると言っていた。
《あれは魔力をドカ食いするんだ。いくらディンでも、五分も維持出来ないと思うぞ》
刻印魔術を使えるリオン君が言うのだからそうなのだろうけど、どうにも目の前のディンには魔力切れの気配が見えない。
それどころか、身体強化以外の強力な火魔術まで積極的に使っているくらいだし……
「うっ!?」
そんな考察をリオン君と交わしていたら、突如として鼓膜を突くような破裂音が響くと共に、一瞬、ディンとラフトさんが目も眩む様な光に包まれた。
《ディンの光魔術か!?》
「ッ、そうみたい……!」
耳鳴りを堪えながら、光に眩んだ目をなんとか凝らして戦況を捉える。
格闘中に放たれた超至近距離の目眩しによって、二人の間合いはリセット。
再びディンが有利な状況になった。
「ははっ、やりやがったな……!」
片目を閉じたまま、脇腹を抑えて苦笑を漏らすラフトさん。
脇腹から出血している様に見える。
多分、目眩しで生まれた隙の中で、ディンから弾丸を受けたんだ。
被弾が一箇所で済んでいそうなのは、この技を知ってて警戒してたのか、それともディンも目が眩んで上手く狙えなかったのか。
何にせよ、至近距離で目眩しを受けてもそれだけで済んで、しかもその後しっかり相手を捉えているだけでラフトさんの強さがわかる。
「最後の忠告だ。フラグラフト、魔剣を置いていくか、ウチの傘下に入れ」
睨み合いの中、ディンは息を乱しているラフトさんにそう告げた。
たしかに、このままラフトさんが戦闘を続ければ形成はさらに不利に傾いていくのは、誰の目にも明らかだ。
——けれど、ラフトさんはそれを拒んだ。
「はっ、前にも言っただろ。お前らの方針には賛同しかねる。俺達が求めるのは破壊ではなく、救国だ。大義無き賊に堕ちるつもりはねえ」
ハッキリと言い切って剣を構え直したラフトさんを前に、ディンは唸るように大きな白い吐息を吐き出した。
「残念だ」
そして、ディンは一際力の籠った声と共に、指先から展開される魔法陣をラフトさんに向けた。
その時だった。
「総員、包囲陣形! 元帥をお守りしろ!!!」
「「「「はっ!」」」」
巨大な鳥……ロック鳥のような魔物が僕らの頭上に飛来して、そこから何人もの兵士が降下して来て僕達を取り囲んだのだ。
「目標、黒装束のエルフ! 恐らくは北の筆頭格だ! 防衛陣形を組みつつ詠唱開始!」
ラフトさんの隣に降下した指揮官らしき兵士が、大楯を持つ兵士達で守りを固めながらそう叫び、魔術師らしき兵士達が一斉にディンを狙う。
なるほど、ラフトさんの部下の援軍か! 何らかの手段で味方に救援を送っていたんだ!
「「「「——原初の光を語らん! 『火炎球』!!!」」」」
ーー水壁ーー
火炎球の飽和攻撃を水魔術でレジストしながら、上空を旋回している鳥の魔物を上級の火魔術で撃墜していくディン。
兵士達の攻撃の効果は薄い。撤退の牽制にしても、鳥の魔物を仕留められてむしろ退路を絶たれている様に見えるけど……
《気をつけろ! 何か地面から来るぞ!》
そう思っていた矢先、リオン君の叫び声とほぼ同時に、激しい地鳴りを伴いながら巨大なイモ虫型の魔物がラフトさん達の背後の石畳を突き破って現れた。
「ラフトさん! 逃げて!」
慌てて剣を構えたのも束の間、イモ虫型の魔物はパックリと口を開いてラフトさん達を飲み込むと、そのまま再び地面に潜って姿を消してしまった。
「なっ!?」
「元帥の撤退を確認! 総員撤退!!」
呆気に取られていた僕だが、ラフトさんが魔物に丸呑みされて尚、冷静に撤退を始める兵士達を見て、ようやく状況を理解した。
さっきのイモムシはラフトさんが操っていた……もしくは調教したものなんだろう。
残っていた鳥の魔物に飛び乗ったり煙幕を巻くなりして、蜘蛛の子を散らした様に逃げていく残存兵達。
「あ……」
僕も煙幕を抜けようと建物の屋根に上がると、その向かいにはディンの姿があった。どうやら兵士達を追う気はない様だ。
「あっ! ちょっと待って!」
一瞬視線が合った気がして、何とか呼び止めようとするも、ディンも霧を撒き散らして何処かへと姿を眩ましてしまった。
「ディン……」
《とりあえず俺達も戻ろうぜ。国の衛兵の援軍が集まってきてる》
「でも……」
今なら、リオン君の探知能力と僕の脚があれば、ディンを追跡できるかもしれない。
せっかくここで会えたんだ。広い王都を隅から隅まで探索するよりも、ここで深追いした方が効率が良い。
《安心しろ、あの魔剣使いは無理だったけど、ディンには精霊をくっつけといたから、レイシア達と合流してからでも追いかけられる》
「……わかった」
そんなわけで、僕達は一度宿へと戻ることとなった。