第172話 二者択一
「アイン……ですか?」
菫色のドレスを身に纏い、艶のある青髪を靡かせる美少女。
ディンは一瞬、自分の手を引いたそれが幼馴染であると認識できず、思わずそう尋ねた。
「ぼっ、私と一曲……踊って下さいませんか!?」
胸元で拳を握りながら、アインは頬を朱色に染めてそう口にした。
「えっ……」
想定外の事態に、ひとまず周囲を見回すディン。
いつの間にか会話が止んで、ほとんどのペアが自分達に視線を向けている。
社交会におけるダンスに誘う、誘われることの意味は複数あるが、やはり誰もが最初に浮かべるのは恋愛的要素。余程歳が離れているか、既婚者同士でもなければそれが普通だ。
学園内での有名人同士、しかも一部では交際しているのではと囁かれているような彼らが踊るというのだから、その真偽を確かめようと注目が集まるのも必然である。
「あ、いやその……嫌なら断ってくれていいんだ……」
「いいえ、断りなんてしませんよ。光栄です」
恐る恐ると言った雰囲気でそう付け加えたアインに対して、ディンは朗らかな笑顔で誘いを受け入れる。
そんな彼の心境は非常に複雑なものであった。
目の前のアインと二曲目を踊れば、三曲目が終わるまでにラトーナをダンスに誘える可能性がかなり下がる。
しかし、だからと言って断れば、公衆の面前でアインに恥をかかせてしまう。それに、そもそも婚約者である以上は彼女の誘いを受けるべきだと考えが強くあったのだ。
「……まじか」
そこから程なくしてダンスは始まり、開口一番にディンはそんな言葉を漏らした。
理由を一言で言えばギャップだろうか。
透き通った雪の様な化粧、ラピスラズリのような輝きを放つ下ろし髪を靡かせ、流れるような所作で舞うアイン。周囲で踊る男達の視線を惹きつけるその姿には、ディンでさえ一種の神秘のようなものを感じていた。
不器用で頑固で、剣のことばかりで他がおざなりな幼馴染ではない。
ディンの手を取って踊っているのは、紛れもない一人の淑女だったのだ。
「アインって、踊れたんですね……」
そんな全く様相の違うアインに対する動揺を隠そうとしたためか、先程アセリアに注意されたばかりにも関わらず、少々礼節に欠けた発言をするディン。
すぐに失言だったと気づいたが、しかし取り消すことはしない。
間違いなく彼女は眉を顰めてムッとするだろうが、そうなればなんとかいつもの調子に戻って、緊張も解せるかもと打算があったからだ。
「うん、練習したんだ。君と踊りたくて」
しかし、そんなディンの目論見はハズれ、アインは恥ずかしげに苦笑するだけだった。
「そ、そうですか。アインは運動神経が良かったですもんね……」
予想が外れたこともそうだが、アインがいきなり露骨なアプローチをかけてくるのに焦りを覚えるディン。
透き通るような白い肌、キリリとした端正な顔立ち、女性らしくも引き締まった体型。特徴だけ羅列すれば引く手数多であろう少女に好意を示されているわけだが、素直に喜べないというのがディンの現状である。
アインとの距離が縮まるほどに、秘め事を打ち明けねばならない時が早まるのだ。
コンプレックスの影響で人一倍承認欲求の強いアインは、婚約を自分が認められた証の一つとして精神の拠り所にしている。普段の発言や、一度泥酔した際に吐いた弱音からディンはそう推測している。
ラトーナが好きなことを明かせば、きっとアインはそれを自分への想いの薄れとして受け取る。そしてアインはそこから婚約に込められた想いの強さを疑い、自分は認められてなど居なかったのだと解釈して失望するだろう。
そこでアインが、『よくも騙したな』などと癇癪を起こして殴ってくれれば良い。しかし実際は、文句の一つも言わずにただ一人ショックを噛み締めながら身を引くだろう。
アインという人間を近くで見てきただけに、そういう行動をとるだろうという確信がある。
「そう言えば最近、生徒会で面倒な事件を仲裁したんですよ」
とは言え、あくまでこれは推測。
アインの真意を確かめるため、ディンは踊りながらよく似た事例を話して反応を探ることにした。
「どんなの?」
「痴情のもつれとでも言いましょうか。婚約者がいる男子生徒が別の女生徒とも関係を持ったことで、その婚約者の女生徒とひどく揉めたんですよ」
「そ、そうなんだ……!」
話を聞いた途端にアインの瞳は泳ぎ、返事の声は苦笑混じり。
まるで他人事じゃない様な態度を見せたアインを前に、ディンは自分がラトーナに思いを寄せていることを知られているのではと警戒した。
だが、それをアインが知っているはずがない。先程貴族の罠に嵌められかけたせいで、自分は疑り深くなっているのだとディンは考えを改め、質問を再開した。
「なんでも、男子の方はあくまで家の方針で婚約したそうで、女生徒の方が一方的に恋心を抱いてたみたいで……やれ側室ぐらい許せだの、私だけ愛せだのと終いには掴み合いの喧嘩になってしまったんですよ」
「それで、どうなったんだ……?」
「どうもなにも、俺がそういう個人間の話題に踏み込むわけにはいかないので、とりあえずその場で二人とも氷漬けにして本部に引き渡しましたよ」
「容赦ないね……」
「どっちの言い分もわかるだけに、俺が加わったところで場を悪化させるだけでしょうからね。アインはどう思いますか?」
ディンは内心で、グッと手を握った。たまたま関わった事件を利用して、上手く本題につなげることができたと。
「うーん……ボクは……」
息を呑む。この問いに対するアインの答えが、そのままラトーナとの関係を明かした際の反応である可能性が高いからだ。
「ボクは、女生徒に味方しちゃうかな……」
「どうしてですか?」
「好きな人を独占したいって気持ちに共感できるからかな……?」
「でも、相手だって善意で婚約を維持してるんですよ? それ以上我を通そうとすれば、婚約自体を破棄されるかもしれません」
「情けで側に置かれるくらいなら、捨てられるのも承知で言うだけ言ってみたほうが良いんじゃないかな……」
「浮気相手の女性は側室で良いと言っていても、突っぱね……って、おっと」
最後のダメ押しとばかりに問いかけたところで、アインが足をもつれさせた。
「大丈夫ですか?」
「ご、ごめん……ちょっとボク、これ以上は自分でもわかんないや」
目を伏せながら苦笑するアイン。
遅れたテンポを戻そうと、少し早まきで踊る彼女の表情は、普段の何かに集中する時のそれより険しかった。
「すみません。ダンス中にするような話じゃありませんでしたね」
「……どんくさいね、ボク」
「そんなことないですよ」
そんなやりとりを最後に、ダンスが終わるまで二人の間に会話はなかった。
ーーー
【ディン視点】
アインは二股を拒むだろうなと分かっていて確認したわけだが、やはりいざ判明したらでショックだった。
アインとラトーナ、両方と一緒になる道は無く、どちらかを選ばなければならないということが確定してしまったのだ。
そしてどちらかとなれば俺はラトーナを選ぶ。つまりアインは切り捨てる。
アインのことが嫌いなんじゃない。でも婚約はあくまでヘイラの要らぬ節介で生じたモノであって、俺の本意ではないからどうしても優先順位は低い。
なにより、俺はラトーナが好きで、再会したい一心で今まで頑張ってきたのに、選ばないという方がおかしな話だ。
間違ったことは言ってないと思う。でも、やはり後味は悪い。
他人から石を投げられても、女の癖にと軽視されても愚直に頑張ってきた彼女を、俺は応援していたんだ。しかも、たまたま近くで生まれて、たまたまぼっち同士だったクズの俺を拠り所にしているんだぞ?
そんな彼女をすげなく突き放すなんて、どうやっても出来る気がしない。殺人の方がよっぽど楽に感じるよ。
そんなことをずっとウジウジ考えていたら、いつの間にかダンスが終わってしまっていた。
「……ありがとう、ボクと踊ってくれて」
目の前でドレスの裾を摘んでお辞儀するアインに、慌てて頭を下げ返した。
「すみません……碌なエスコートが出来ませんでした」
思い悩むあまり、目の前のことが疎かになって、全然アインに気を遣ってやれなかった。彼女もさぞかし居心地が悪かったろう。
「い、良いんだよ……! ボクこそごめん、変なこと言って余計に君を迷わせちゃった」
「いや、変ではないですよ……」
アインの気持ち自体はなにもおかしくない。むしろ、元々日本人のくせに二股かけて一夫多妻にしようなんて考えていたのは俺なのだから。
けれどやはり、アインの意見は俺にとって受け入れ難く、どうしても歯切れの悪い応え方をしてしまった。もしかしたら顔にも出ていたかもしれない。
「……お仕事頑張ってね」
「……はい」
ひょっとしたら、この場でもう打ち明けるべきなのかもしれない。
アイン自身も自分の気持ちに迷いがある様子だし、この話の流れに乗って上手くやれれば、もしかしたらアインをそのまま丸め込める可能性がある。
「……どうかした? ボクのことじーっと見て」
「……いえ、なんでもないです」
喉の所まで出かかった言葉は、そこで形を失って霧散した。
たしかにアインを説得することは出来るかもしれないが、それはなんだか酷く狡い気がした。
小細工も盤外戦術もしょっちゅう多用する俺だが、こういう話題に関しては、ことさらアインとなれば正面から向き合ってあげたいのだ。
「アイン、今度大事な話があります」
だから、やはりちゃんとした場で正々堂々と話そうと思う。
「え!? う、うん!?」
何を勘違いしたのか、頬を染めて挙動不審になっている彼女を前に、これから話すことを考えると中々しんどいものがある。
それでも、良い加減決着をつけねばならない。これ以上引き伸ばせば、きっとお互いのためにも良くない。
「明日、空いていますか?」
「え、明日!? う、うん……空いてるよ……」
会話を聞いた周囲の人間がざわついている。きっと色んな噂が立つだろう。だが噂なんて今更だ。『純潔狩り』よりはマシだろう。
「じゃあ明日で、それじゃあま」
とりあえず、それだけ伝えて彼女に背を向けた。
俺はやると決めたら即実行派なのだ。あとはラトーナにも言っておかなきゃな。
「うん、仕事頑張って!」
俺の気分とは対照的に、背後から聞こえた彼女の声は、とても弾んでいる様だった。
ーーー
さて、気持ちを切り替えよう。
二曲目は今しがたアインと踊ったことで、いよいよ後がない。
出来ればこの十分の休憩の間に見つけたい。最低でも、三曲目が終わるまでに見つけられれば、少しでも彼女と踊れるだろう。
そんな淡い期待を抱きながら会場を歩き回ってラトーナを探していたら、女生徒に声をかけられた。
「グリム様! 以前のお約束通り、私と踊っていただけます!?」
派手な化粧に、洒落た花柄の入ったドレス、そして大量のアクセサリーとギラッギラなその出たちは、まさに貴族版のギャルだろうか。
「や、約束……?」
誰だお前。という言葉は飲み込んで、とりあえずそう聞き返す。
「もう、お忘れになりまして? 一ヶ月ほど前にダンスのお誘いを受けてくださったではありませんか!」
演技なのか素なのか、胸に手を当てて悲痛そうに訴えてくる彼女。
まあ芝居かどうかはこの際どうでもいい。
問題は、心当たりがありすぎて目の前の女生徒が誰だかわからないことだ。
毎週末に開かれる社交会が面倒で、都合の良いことを言っては適当にすっぽかしてたからなぁ……それだけに、あやふやな返事をした女生徒の数もそれなりにあるわけで、全員の顔なんて覚えてたらキリがなかったんだ。
「申し訳ありませんが、俺は内部警備として出席している身ですので……」
とりあえず、咄嗟にそんな言い訳をした。
「まあグリム様!! その警備とやらは、エルロード嬢と踊っていても構わないものでしたの? でしたらどうして私めではいけませんの!?」
これまた大袈裟な態度。舞台女優にでもなったつもりなのだろうか。その程度の大根芝居じゃジェンヌの称号は程遠いな。
しかしまあ、流石に言い訳にも無理があったか。
くそ、面倒くさいな。早く良い言い訳を考えないとラトーナを探す時間がどんどん減っていく。
「あらグリム様! 私と踊ってください!」
「え、グリム様がいらして!?」
「いえ、是非私と!」
つくづく俺もついてないなと、思わず頭を抱えたくなった。
目の前のギャル貴族が騒ぎ立てたせいか、俺の存在に気づいた周辺の女生徒達が続々と俺を取り囲む様にして集結し出したのだ。
多分この子達も、俺が適当にすっぽかしてきた人間ってなのだろう。
「何なんですの貴方達!? 最初にお声をかけたのは私でしてよ!?」
「それを言うなら、最初に社交会にお誘いしたのは私です!!」
「いいえ私です!」
「ここは家柄の良い者に譲るのが常識的にでしょう!? 弁えなさい!?」
そして、俺を取り囲んだままその場で罵り合いを始めた女生徒達。
最早俺なんかそっちのけで舌戦を繰り広げているわけだが、包囲だけはガッチリ固められているので、簡単には抜け出せそうもない。
まずい。
本当にまずい。
何でもかんでも魔術で乗り切っていたせいで、『霧を出せば逃げられるな』くらいしか打開策が浮かばないじゃないか。
強引に突破すれば後々面倒なことになるよな……
目の前の女生徒達から顰蹙なんて買って家ごと敵に回せばそれこそ笑えない。
ただでさえ四大貴族と魔術ギルドに目をつけられたってのに、これ以上敵を増やしてどうする。
「ご機嫌よう諸君、パーティーは楽しんでくれているかな?」
八方塞がり。
ラトーナには会えないかもしれない、そんな最悪の結末が頭の中で現実味を帯び出した時、俺達の元に一人の少年がやってきた。
「ま、マルテ王子殿下!?」
「殿下がどうしてこんな所に!?」
「主催が挨拶回りをしていてはおかしいかい?」
取り乱した女生徒達に王子が爽やかに笑いかけると、たちまち誰もが頬を赤く染めた。
さっきまでみんな俺に鼻の下を伸ばしてたくせに、気移りの早いことだ。
「いえ、そんなことはありません……ただ、私達なんかの元に足を運んでくださるとは思いもよらず……」
「ご拝謁賜われるなんて、この上ない光栄ですわ……」
「私なんて、殿下にお眼通り叶っただけでもう忘れられないパーティーになりましたわ」
「はは、大袈裟だね。グリム君も楽しんでいるかい?」
王子は女生徒達のおべっかを軽く受け流しながら、今度は俺に会話を振ってきた。
「え、あ、はい……装飾から何に至るまで、目を開きっぱなしです……」
「それは良かった。そんな君に申し訳ないのだが、一つ緊急の仕事を頼まれてくれないかい?」
「え……」
万事急須の俺に、王子からのさらなる追い討ち。
しかもこればかりは回避しようがない。仮にも断れば、王子以前に周りがそれを許さないだろう。
俺はラトーナに会うのを諦めざるを得なかった。
「なに、簡単な人探しさ。相手が誰かは以前伝えた通りだ」
絶望をひた隠しにする俺を前に、王子は続けて何やら含みのある言い方をした。
以前伝えた人探し、なんことだろう。
「さて、要件も伝えられたことだし、君達からもう少しパーティーの感想を聞かせてもらおうかな」
「「はい! 喜んで!」」
そしてそのまま、何か付け加えることもなく女生徒達の方に向き直って会話を再開した王子。
いつの間にか女子達はこぞって王子の方を取り囲んでいて、俺はまさに蚊帳の外となってしまった。
なんだか負けた気分になりかけたが、この状況になってようやく王子の意図に気付くことができた。
「ありがとうございます……!」
小声で王子に頭を下げて、俺はすぐさまその場を立ち去った。
人探し、それはラトーナのことだったのだ。
王子がそのためにみんなの気を引いて、俺を逃してくれたのだ。
何でイケメンなんだ。くそ、俺まで惚れそうだ。
とにかく危機は去った。
しかし、周りの慌ただしい雰囲気的にも、三曲目が始まるまでの時間はそう残されていないだろう。
もうダラダラ探している時間は無い。そう思った俺は、一縷の望みにかけて〝ある場所〟へと走り出した。
パーティー会場となったホールの外、白雪の積もったテラスに一人佇んでいた金髪の少女は、ホールに繋がる扉が勢いよく開け放たれた音を聞いて、振り返った。
「……来たのね」
そう言って彼女が振り向いた視線の先には、膝に手をついて肩で息をする銀髪の少年がいた。
未だ止まぬ白雪の中、少年は目の前に立つ黒のドレスを纏った美少女が幻ではないことを確認しようと、たたらを踏むようにして少女の前に膝き、そしてその手を取った。
「な、なによ……?」
「やっと会えた……」
氷の様に冷え切った彼女の手を強く握って、少年は白い吐息と共に顔を綻ばせるのだった。




