第171話 その手を取るのは
「あ、あの! 宜しければ俺と……い、一曲踊って下さいませんか!」
パーティーも開会から1時間ほどが経過し、参加者達の体も温まりようやく盛り上がりを見せてきた頃、プログラムはダンスへと移り変わるアナウンスが会場に走り、誰もがペアを組み始めていた。
そんな中、会場には一際大きな少年の声が響き渡った。
「貴方は……リオンさんでしたか?」
腰を90度に折り曲げて手を差し出し、周囲からは珍妙なものを見る視線を向けられている長耳族の少年に、赤いドレスを見に纏った金髪の少女は問いかけた。
「はい! 次期バーゼル大森林の守護者、リオン•アールヴィです!」
そんな少女の問いかけに、リオンはピシリと姿勢を正してハキハキと答えた。
そんな様子を見て、少女の周りに集っていた他の男子生徒達はヒソヒソと蔑むような目線を送る。
引き攣った笑顔、ガチガチに固まった肩や肘。どう見ても社交場慣れなどしていない田舎者。
同じく少女をダンスに誘おうと集った男子達は、こいつは敵にならないと内心で踏ん反り返っているのだ。
しかし、その余裕は一瞬にして崩れ去る。
「わかりました。お受けします」
「「「「は!?」」」」
少女がリオンの手を取ったことで、周囲の男子達はみっともなく揃って素っ頓狂な声を漏らした。
「ま、待ってくれサラ嬢! どういうことだ!」
サラの手を少々強引に引いて、一人の生徒が声を上げる。
一言で言えば理解不能。サラの元に集まった男子生徒は皆伯爵家に由来する者であり、高々子爵家の令嬢であるサラに取っては玉の輿である。
にも関わらず、それらを振り切って田舎者の亜人の手を取るなど、常識的に考えてありないのだ。
「申し上げた通り、私はこちらのリオン殿と踊らせていただきます」
「それが何を意味するか、わかっているのか!」
サラ嬢の元に蔓延っている男子生徒達の本命は、四大貴族——公爵家のラトーナ嬢。彼女自身はガードが硬く、マルテ王子からの覚えも良い。加えて伯爵家という立場の自分達では、その上の侯爵家や他国の王子の前に存在が霞んでしまう。
要は妥協。そこそこの身分でありながら、武闘会決勝に進出しており、素行も品行方正と評されている。そんなサラ嬢であるならば、自家の格を落とすこともないであろうと皆考えたのだ。
しかし、サラ嬢はそんな彼等の誘いを跳ね除けた。
「私の行動に深い意味などありません。私のような剣だこまみれの汚い手では、皆様に相応しくないと判断いたしました」
「な、ならばその田舎者にはなぜっ——」
「ご存じありませんか? 彼は先の武闘会決勝にて、グリム・バルジーナを勝利に導いた腕利きの弓兵、つまり戦士です」
自分はあくまで貴族としてではなく、戦士らしく戦士と踊る。狼狽する男子生徒達に、サラ嬢は淡々とそう説明した。
「ッ……もういい! 猿には我々の慈悲深さが伝わらなかったようだ! 全く、少しは愛想笑いでも覚えたらどうだ! 行こう諸君!」
「なっ、お前らっ——」
格下の三軍女子に振られたことでプライドを砕かれ、わかりやすく顔を顰めて踵を返す、二軍男子共。
そんな彼らの捨て台詞に眉を顰めて、その背を追おうとするリオンをサラ嬢が制止した。
「なんで止めるんだ!」
「時間の無駄です。それに、無愛想なのも猿なのも事実ですから」
無表情のまま、抑揚のない声でサラはそう言って、リオンの手を取る。
「踊るならば早く参りましょう」
「お、おう!」
意中の女子の手に触れて少々おかしなテンションになりながらも、リオンははにかんでサラ嬢をダンスの場へとエスコートした。
ーーー
そこから間も無くしてダンスは始まった。
会場中央に設置された円状の舞台からは一流の楽団によるワルツが奏でられ、それを中心に男女1組となった生徒達は旋律に乗って優雅なステップを踏む。
しかし、そこには例外も一組存在している。
「あ、ごめんっ……!」
「平気です」
長耳族と純人族の金髪ペア。
五ステップの中で一度は、長耳族の少年がペアのドレスの裾を踏み、ループする振付にも関わらずそれをしばしば間違える。
ダンスの教師がこれを見れば、誰もが白目を剥いて昏倒するだろうと言った出来栄えだ。
「ご、ごめん俺下手くそで……」
「構いません。ダンスが出来る戦士の方が珍しいですから」
相変わらずの仏頂面でそうフォローしたサラ嬢の言葉が、リオンに刺さる。
確かにリオンは戦士であるが、彼は集落の長の長男であるだけに、妖精族を頂点とした長耳族のヒエラルキーの中では上から3番目ほどの位に立っている。純人族の世界で言えば、それこそ四大貴族の長男とそう変わらない格、詰まるところは生粋のおぼっちゃまである。
そんなわけで、サラ嬢の発した『貴族ならば問題だが、戦士ならば仕方ない』という意図のフォローも、リオンにはクリティカルヒットなのだ。
「私がエスコートしましょうか」
「いや、俺にやらせてくれ……」
「そうですか」
勿論、リオンとてダンスの練習を怠っていたわけではない。
今日に至るまでの2日間、リオンはディンとマルテ王子による計20時間ほどのレッスンを受けていたのだから。
ダンスに始まり、社交場でのマナーや話題作りのための時事問題の学習。それを完璧にこなしたリオンは、社交場ではある程度不自由なく振る舞うことが出来る……はずなのである。
やはり、いつの時代でもどの世界でも、努力を重ねた人間にとっての最大の敵は緊張であり、リオンは見事にそれに呑まれてしまっている。
魔術や弓に関しては天才肌なだけに、そもそも緊張自体が初めてというのも一因だ。
「カッコいいところを、見せたいんだ」
「そうですか」
空元気も似た笑顔を見せるリオンに、この人は当たりだなと内心思うサラ嬢。
サラ嬢に取って社交会は窮屈な場であり、リオンのことも正直どうでも良い。
先ほども己の元に集ったのは皆、自分を伴侶に迎え入れようとするものばかりで、『妻になれば贅沢な暮らしを約束する』と誰もがマニュアルでもあるのかというくらいにそう口説く。何が贅沢だ。加護の中に閉じ込めて一生夫の言いなりではないか。と、サラ嬢は内心で舌を鳴らしていた。
勿論、女として生まれた以上は夫の下に着くのは当たり前で、それは理解している。だが問題はそこではない。自分が目指すのは、己が見染めた主人のために命をかけて剣を振るう従士であり、籠の中の鳥ではないのだ。
故に、戦士など辞めて子を産めだのと宣う輩は等しく敵であり、先の男子生徒達などは言語道断。
リオンを選んだのは、サラ嬢が長耳族の階級制度に明るくないために、彼を一端の戦士だと思い込んでいるからである。そして彼ならば、ゴタゴタと姑のような言葉を口にしないだろうと、逃げ道として選んだに過ぎないのだ。
そんなサラ嬢の胸中も知らず、リオンは練習の時の調子を取り戻そうと余計に力み、等々表情までもが凝り固まっていた。
踊れなくとも構わないとは言ったが、限度というものがある。貴族ほどではないが、従者を目指す以上はある程度の世間体も気にするわけであり、自分があまりのポンコツと踊っているともなれば、評判に傷がつく可能性だってある。
そんな理由から、流石のサラ嬢も不安を抱き始めたところだったが、その懸念は思わぬ救いの手によって解消されることになる。
「痛っ……すみませっ、てグリム!?」
足元ばかりに夢中になって、別のペアの男の背中にぶつかったリオン。
周囲からはそう見えるがその実、見かねたディンが助け船を出そうと、わざとぶつかられたのである。
「!!!」
良い加減見るに耐えないので、そろそろリオンを切り捨てようかと考えていたサラ嬢。
しかし、ぶつかった銀髪の少年に背中合わせに何やら耳打ちされたリオンの目つきが、いつの間にか変わっていたことに気づき、その思考を中断する。
具体的に言えば、自信だ。今まで場の雰囲気に呑まれていた少年が、一転してその場を呑もうとするような、形容し難い何か大きなものを孕んだそれへと変わっていた。
「サラさん、見て!」
リオンがそう声を発した直後、会場でダンスを楽しむ人々の頭上に、幾つもの星が現れた。
「これは……」
「精霊にお願いしてみたんだ」
そう言ってはにかむリオンら今までの動きからは想像できないほど軽快な動きで、サラ嬢のダンスをリードし始めた。
「!?!?」
あまりに理解が追いつかず、遂に仏頂面を崩して目を白黒させるサラ嬢。
目の前で自分を完璧にリードするリオン、まるで先ほどまでとは別人ではないかと。
そんなサラ嬢の反応を見て、リオンはディンに頭が上がらない思い出あった。
ディンが彼に告げたのはシンプルな二言。『風を読め、精霊を起こせ』、情報不足も良いところだが、共に任務をこなした仲であるリオンはすぐに理解した。
まずは風を読む。人々の些細な動きによって生まれる大気の揺らぎを読み取って、先読みしつつその流れに乗る。
今まで何万回と繰り返したそれをダンスでやれば良いのだと理解した時、リオンの体は軽くなったのだ。
そして、さらに場を盛り上げようと精霊に呼びかけた。
かつて英雄王や魔術王と並んで七英雄と呼ばれた一人、長耳族と魔族のハーフである寵児カーマ。大半の長耳族や妖精族は、精霊への絶対命令権のようなものを持っているが、彼の権利は一際強く、妖精族の殆どまでを凌駕するほどだった。
それが彼を史上最強の戦士たらしめる所以であり、その系譜に連なるリオンは先祖返りのような形で、また強い精霊支配力を持っていた。
通常ならば長時間かけて多くの精霊に指示を出すところを、彼は一瞬にしてこの会場に点在する百ほどの精霊に『発光』の指示を飛ばしたのだ。
「どう? キレイだろ!?」
「はい……とても……」
まるで拾った珍しい木の実を母親に見せるかのような、そんな無邪気な笑顔を見せるリオンを前に、サラ嬢は抑揚のない返事を返した。
しかし、サラ嬢の瞳はこれまでにないほど輝いている。その光源は頭上を埋め尽くす精霊の光が反射したものか、あるいは……
ーーー
「ぐ、グリム君ってダンス上手なんですね……」
「意外でしたか?」
リオンが生み出した精霊のイルミネーションに照らされながら、まるで女慣れした色男のような雰囲気でアセリアに微笑むディン。
そんな余裕ぶった態度の裏には、血の滲むような努力あり。
3日前。マルテ王子と並んで、社交会に向けたリオンのダンス指導を行っていたわけなのだが、ディンの半端な指導に痺れを切らしたマルテ王子が鬼教官へと変貌したのだ。
ディンの指導が特段問題だったわけではない。社交会で必要な知識は網羅していたし、教え方も丁寧だった。
しかし、王宮仕込みのダンスを何年も叩き込まれた王子にとっては、そんなものはアマチュアレベルもいいところ。加えて、王子の大好物である恋愛が絡んでいただけに、おかしなスイッチが入ってしまったのだ。
結果として、二人とも王宮の社交パーティーに出してもなんとかなるレベルにまで成長出来たわけだが……指先の角度一つまで厳しく指導されたディンにとっては軽いトラウマである。
「い、いえそんな……」
慌ててディンから目を逸らすアセリアは、後悔の真っ只中であった。
後輩がやけに塩らしかったので、欲を出してダンスに誘ってもらったのは良いものの……やはり自分にダンスは向いていないと痛感した。
近い。近過ぎる。パートナーとの距離が。
少し間違えば密着してしまうような距離感で、見つめ合いながら踊る。相手は多少気心が知れた仲とは言え、やはりこれはコミュ症であがり症なアセリアには刺激が強過ぎる。
からかい半分でディンを誘ったというのに、自分が参ってしまっているのだ。
しかし、先ほどはせっかく後輩に良いところを見せられたのだから、このまま先輩の威厳を保ちたい。そのためにこの緊張を悟られまいと、アセリアは慌てて目を逸らしたまま話題を変えた。
「……良かったんですか?」
「何がですか?」
「ラトーナちゃんをダンスに誘わなくて」
アセリアがそう尋ねると、途端にディンはバツの悪そうな顔をした。
「まさか、まだ仲直りしてないんですか?」
ディンの眉間には、アセリアの言葉を肯定するかのように皺が寄った。
そう、ディンは3日前にラトーナの猫に対する態度をイジって怒られて以来、一度も口を聞いていない。
マルテズブートキャンプに捕まっていたことや生徒会の仕事、先の契約の持ちかけのようなうな社交会で警戒すべき事柄の確認などと、中々に過密なスケジュールを過ごしていたために、対面で謝る機会に恵まれなかったのだ。
「……忙しくて」
勿論、全く会わなかったわけではない。廊下ですれ違うことや、たまたま研究室で出くわすことだってあった。
けれど、ラトーナはずっとよそよそしい態度をとっていただけに、上手く話しかけられなかったのだ。
「時間を作ろうと思えばできたはずですよね? ダメですよ、ちゃんと謝ってあげないと」
全くどの口で語っているのだと内心で苦笑しながらも、アセリアはディンを窘める。
「そうは言ったって、なんて謝ればいいのかわかんないですし……」
なんだかんだ、ディンがこの世界に来てから一番喧嘩している人物はラトーナ。それだけに、彼女の怒りのツボもなんとなく把握している。
普段の彼女なら、高々猫にダル絡みする際の恥ずかしい態度をイジられたくらいじゃ怒らないだろうし、むしろ反撃してくるはず。だというのに、3日に渡ってよそよそしい態度を取るくらいにはキレている。
なにか彼女の地雷に触れてしまったのかもしれない。そうなれば、謝罪の言葉は慎重に選ばなければと考えている内に、ディンは社交会を迎えてしまったのである。
「ラトーナちゃんが欲しいのは謝罪の言葉じゃ……いや、たしかに謝罪が必要ですね」
付き合いこそ短いが、それなりにラトーナと気が合うアセリアは彼女の真意をなんとなく察していたが、それを伝える言葉を飲み込んだ。
ここでそれを言って仕舞えば、ラトーナがわざわざディンによそよそしい態度をとった意味がなくなってしまう。
「でもこうしているうちに、ラトーナちゃんは美人だから他の男の人に取られちゃうかもしれませんね」
故に、その言葉を口にしないよう、それとなく遠回しにディンに伝えることにした。
「……そうですね」
「良いんですか? 会いに行かなくて」
「……いや、それは——」
「それとすみません、私体力がないので、踊るのに疲れて来ちゃいました」
「!」
そう言って苦笑するアセリアを前に、ディンはようやく彼女が説教ではなく、背中を押してくれていることに気づいた。
「わかりました。じゃあこの曲が終わり次第切り上げましょうか」
「はい!」
そして一曲目は終わりを迎え、ディンとアセリアは一度会場の隅へと移動した。
「じゃあ、俺はラトーナを探してきます」
「ちゃんとラトーナちゃんの気持ちを考えながら話してくださいね? グリム君はその……なんというかデリカシーがないので」
「耳が痛い話です。善処します」
そう言って苦笑しながら去っていくディン。
その背中を見送るアセリアは、無意識に自身の腕を強く抱いていた。
ーーー
アセリアの気遣いを無下にはすまいとラトーナ探しに動いたディンであったが、あまりの会場の広さによってそれは難航していた。
それもそのはず、千人にも届こうかという数の生徒が集うこの巨大ホールの中で、特定個人を短時間で見つけ出すことが困難なのは語るまでもない。
「宜しければ、私と一曲」
「ええ、喜んでお受けしますわ」
そしてディンに追い討ちをかけるように、周囲からは再びそんな会話が交わされ出していた。
アセリアと別れてから、おおよそ10分。休憩の終わりが近づき、周囲も二曲目を踊るパートナーの選別フェーズに移っている。
プログラム上では演奏される曲は全部で三曲。一曲はアセリアと踊り、二曲目も間も無く始まるだろう。
もしすぐにディンがラトーナを見つけられたとしても、他の誰かと踊っいてしまっては三曲目を待つことになる。それを想定すれば、なんとしてでも二曲目が終わるまでにラトーナを見つけなければならない。
思っていた以上に、残された時間は少ない。
手を取り合う男女達の中を一歩進むごとにそんな事実を痛感して、ディンの鼓動は、足は速まっていく。
ギルドや四大貴族と争いになるかもしれない。
三曲目を踊る相手もラトーナは既に決めてしまっているかも。
そもそも、引く手数多なラトーナが本当に俺を選んでくれるのか。
会ってもまたそっぽを向かれるのではないか。
アセリアとのダンス中も胸の中で渦巻いていた不安。それすらも今は忘れて、ディンは意中の金髪の少女だけを探していた。
ディンを狙う他の令嬢達が近寄る隙もないほどに、人の波をかき分けて先へ先へと足を進めていった。
「待って!!」
そんな中、たった一人、ディンの手を引く者がいた。
「……アイン、ですか?」
振り返った先でディンの手を握っていたのは、菫色のドレスに身を包んだ青髪の少女だった。
「ぼっ、私と一曲踊ってください、ませんか……?」
透き通った白い頬を朱色に染めながら、青髪の少女——アインはそう言った。