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第170話 試練の布石

星に代わって白雪に飾られた夜空の下、ミーミル王立学園の大ホールからは積もった雪をも溶かしそうなほどの灯りが漏れ出していた。


「や、ややややばいよ……俺緊張してきた……」


 広大な会場を煌々と照らすシャンデリアの蝋燭、絢爛豪華な衣服に身を包んだ美男美女達の喧騒、長机に並べられた見たこともないような料理、華やかにしかし参加者を引き立てる程に留まる装飾の数々、そしてそれらの要素を包み込んで統一する優雅な演奏。

 長らく森で精霊や動物達と暮らしを共にしてきた長耳族の少年にとって、ここはまさに別世界であった。


「そのゴツい見た目でナヨナヨすんなよ気持ち悪い。漢ならシャンとしろ」


 不慣れな空間に気圧されて、会場の端で縮こまっていたリオン少年の背を、隣立っていた銀髪の少年が強く叩いた。


「もう帰りたい……」


 普段は能天気で朗らかな彼も、今日ばかりはブルー。

 なにせ、パーティー参加者達の纏う高貴なオーラを前に、田舎者の芋エルフである自分がいかに場違いかを嫌というほど突き付けられたからだ。

 しかし実際のところ、リオンは美形が多いと言われる長耳族の中でも、集落一の男前と評されるほどではあるのだが、他人の芝は青く見えるもの。よりわかりやすく言うなれば、中学時代に成績が良くて進学校に入ったら、そのクラスでは下から数えるほどの実力だった、なんていうあるあるにも似ているだろう。

 加えて、彼の身近には容姿端麗で頭脳明晰(自称)、気宇壮大(自称)かつ勇往邁進(自称)の銀髪少年が居たため、周囲の女性は殆ど彼の方に惹かれていく。

 そんなこともあってか、リオンは普段あっけらかんと振る舞っている反面で、自己肯定感はかなり低いのだ。


「帰ってどうする、サラさんをダンスに誘うんだろ?」


「うっ、うん……」


 高々普通の社交会ならば、リオンもグリムもといディンの背中に隠れて適当にやり過ごしていただろう。

 しかし今夜、リオンは一目惚れした初恋の女性をダンスに誘うという使命を帯びている。

 相手は中級貴族出身の淑女であり、武闘会では一子相伝の炎の魔剣を使いこなし、数多の猛者を退けて決勝にまで登り詰めた文武両道。加えて容姿も上の下か中。騎士科の男性以外からは引く手数多と言っても差し支えない女性だろう。

 彼女の元にたかる人間は大商会の子息に始まり、伯爵家、子爵家の次男など身分の高い人間が多い。

 そんな中から、リオンは自分の手を取ってもらわなければならない。


 里では天才と呼ばるほどには、弓にも魔術にも困っていなかっただけに、リオンにとってはこれが人生初の〝挑戦〟となるわけで、その緊張といえば筆舌に尽くし難いものであるのだ。

 

「大丈夫、お前だって顔は良いんだ。それに、この一週間誰に仕込んでもらったと思ってる」


「わわ、わかってるよ!」


 リオンは今日に至るまでの3日間、ディンやアセリア、そしてマルテ王子から社交辞令やダンスなどの指導を受けていた。

 そう、マルテ王子である。

 ディンの思惑を聞くなり、面白そうだと執務を部下に押し付けてノリノリで関与してきたのだ。

 いかに王子、国際的な学園の生徒会長の任を預かる傑物といえど、彼とて中身は十二歳の思春期真っ只中。田舎の同い年の貴族であれば、既に妻を持っている者だっている。

 箱入り温室育ちという身の上のため、今までマトモな恋の一つもしてこなかった、そしてこれからもすることがないであろう王子にとって、他人の純粋な恋愛というのは見ていて大変面白いものであったのだ。


「ぐ、グリムくん……私達も行きましょう……」


 リオンを励ましていたディンの袖を、アセリアがちょこちょこと引っ張った。

 彼女はこうした人混みが大の苦手な為に隠れ蓑を欲していたわけだが、ディンもまた人避けとしてドレスで華やかに着飾った麗人を求めていただけに、行動を共にしているのである。

 

「そうですね。いつまでもここにいちゃあコイツのためにもなりませんしね」


 ディンはそう言って、去り際にもう一度リオンの背中を強く叩いた。


「うぅ……みんな置いていくなよ……」


 等々一人になって、そう呟くリオン。

 そんな彼の袖を、一人の少女が引いた。


「あれ、クロハじゃないか。どうしたんだ?」


 わざわざしゃがみ込んで目線を合わせてくる仕草に少しの苛立ちを覚えながらも、クロハはビッと親指を立てた。


「大丈夫、リオンもそこそこかっこいい」


 それだけ言って再びテーブルの料理を漁りに戻るクロハを見て、リオンはふっと笑みを溢した。

 公共の場で脇目も振らずにご馳走を皿に盛りまくるその姿を前に、緊張している自分がなんだかバカらしくなったのだ。

 

「よし! やってやる!」


 リオンは自分の頬を叩いて気合いを入れ、想いを寄せる人の元へ一歩を踏み出した。

 


 場所は移って会場中央、そこはダンスの為の楽団の円形ステージが配置され、テーブルなどが取り払わらた広々とした空間となっており、参加者達による立食を交えた談笑の場となっていた。

 そんな輪の中に、一際注目を引くペアがあった。


「あの……グリム君」


「なんですか先輩」


 左腕にしがみついて小刻みに震える桃色髪の少女に、銀髪の少年は朗らかに笑いかける。


「その……なんだか視線が……」


「気になりますか? ダメなら端で休むのもありですが……」


「いっ、いえ……がんばります……」


 大衆の視線を一手に浴びるのもその筈、ディンは会場に来て以来、ずっとアセリアの手を引いている。

 表情も和やかで、誰が見てもカップルにしか思えないような振る舞いだ。

 女癖が悪いと学園内で噂のディンことグリム、そんな彼が武闘会開催時期辺りからピタリとそうした行動を控え始めた理由。それが隣に立つ桃色髪の少女なのではないかと、グリムに取り入って玉の輿を狙おうとしていた周囲の女性は推測し、視線による圧をかける。


 武闘会優勝者に与えられる『冠位』の称号を持っているグリムは将来が約束されたようなものであり、学園内でも制約はあるが教員と同等かそれ以上の発言力を持っている。 

 そしてその称号は現在、四年生のジャランダラ•アスラ、二年生のアイン•エルロード、そして同じく二年のグリムことディンが所持しており、種族や性別、容姿などの理由から冠位のおこぼれに預かろうとする人間……特に女性は、比較的近寄りやすいグリム一人に傾れ込む。

 学園中の女生徒ともなれば、その数は半端ではなく、対応だけでパーティーを終える可能性だってある。中には身分の高さを盾に強引な色仕掛けを行うものもいるので、角を立たせずにそれらをいなすともなれば更なる激務だ。


 故に、そうなることを事前に予測したディンは、社交の場が苦手だという先輩のエスコートという大義名分を掲げて、女性避けとしてアセリアを近くに置いているのだ。

 実際効果は抜群で、少なくとも周囲の女性はディンに接近するタイミングを図りかねている。


「お初目にかかりますグリム•バルジーナ殿。武闘会での獅子奮迅のご活躍には胸を打たれました」


 なんとかして取り入る隙を見つけよう、思惑が女生徒達の間で交差している中、グリムに一人の男子生徒が接近した。

 アセリアとばかり喋って男子も寄せ付ける隙を与えないようにと振る舞っていたが、少々強引に割って入ったのだ。


「! あなたは……」


 空気の読めない奴だと眉を顰めたのも束の間、来客に目を向けたディンの表情が引き締まる。

 それも一重に、男子生徒の胸に飾られた二つの紋章を目にしてだ。一つは紅花と杖、魔術ギルド員の証。そして二つ目は炎、これはわかりやすくもミーミル四大貴族リッシェ家を表す家紋。

 たとえ面識が無く、多少の無礼があろうとも、決して邪険にすることは出来ない。

 なぜなら、ギルドと四大貴族の関係者であるという肩書きは、ディンが今最も慎重に接せねばならない相手なのだ。


「申し遅れました。私はフレーデル•リッシェ•リニヤット。重ねて挨拶が遅れましたこともお詫びします」


 大衆の前で深々と頭を下げるフレーデル。

 その姿勢を前に、ディンは内心でさらに警戒心を強める。

 ミーミル貴族のトップである四つの公爵家、その一柱を担う大家の子息が下手に出てきた。いかに学園では生徒の身分が対等になるとはいえ、所詮は形だけのもの。にも関わらず、目の前の青少年は頭を下げてきた。


 何か大きな攻撃をして、最終的に融和に持っていく為の前準備。自分達はあくまで友好を望んでいるというアピールか。そんな予測がディンの脳内にいくつも駆け巡る。

 同時に、異変を感じた周囲の者達も、様子見を始めた。


「いえいえ、僕のような木端に構う余裕などなかったでしょう。ご多忙でしょうに、わざわざこのような重要な場でご挨拶頂けるだけで身に余る光栄です。ですから、どうか頭をお上げください」


「そう言っていただけると、私としても安心出来ます。貴方のような秀才とは仲良くしたいですからね」


「はは、どうやら僕をかなり買ってくださっているようで」


 貧乏ゆすりを必死に堪えながら、ディンは思考を回す。

 じれったい。回りくどくて仕方ない。もとより口より先に手が出る人間性もあってか、気を遣うのはとにかく疲れるので、さっさと本題を引き出したいのだ。


「事実ですよ。どうやら噂では、上級魔術の普及に成功したとか?」


 そう思っていた矢先、相手が口上もすっ飛ばして即爆弾を投下した。

 加えて問題はその内容。周囲の野次馬はざわつき始め、隣でなんとなく話を聴き流していたアセリアまでもが、表情を曇らせた。


 氷の魔導具開発と同時に進行させていた、上級魔術の簡易習得メソット。それは数日前にようやく論文が完成し、発表の機を室長達と協議していた切り札。

 魔導具の方は宣伝のためにあえて情報を小出しにしたが、こちらはまだ極秘としている。にも関わらず、相手はなぜかそれを嗅ぎつけ、ギャラリーの多いこの場で無理矢理に交渉の場を作り出したのだ。


「まさかそんな、買い被りすぎですよ。僕はそれほど優れた人間ではありません」


 咄嗟に、重要な部分をぼかして答えるディン。

 上級魔術の汎用化は世界的……そして軍事的に非常に重大な話題である為、研究室内では情報の開示に対して非常に慎重な態度をとっていた。

 加えて、統率の取れた上級魔術師の集団として、ミーミル王国が軍事的に他国と一線を画す要因を担っていた四大貴族との対立に繋がりかねないことも懸念されてもいたので尚更だ。

 その最悪の想定が現実になってしまったことにより、ディンは焦っていた。

 さりげなく噂の出所を探るなどもっての外、社交場慣れしていないディンには、事実をぼかした曖昧な返事をすることが精一杯だった。


「謙虚なお方だ。まあ何にせよ、貴方が現代魔術研究室における利益管理を行っているのは事実ですからね」


「……否定は致しませんが、それが何か?」


「いえ、一つ我々と協力しましょうとご提案に参った次第です」


 やはりこのまま攻めてくるか、そう思って身構えるディン。

 突然の重大情報の暴露に周囲の騒めきも一層激しさを増す中、ディンは必死に頭を回した。

 利害交渉は既に始まっており、大量の野次馬という証人がいるこの場では、何気ない発言が自分の首を絞める可能性もある。

 何よりもまず、相手の狙いを明らかにせねばならない。


「……それは、魔術ギルド員としてですか? それともリッシェ家としての提案ですか?」


「両方です」


「両方……?」


 思わずオウム返しするディン。

 それもそのはず。魔術ギルドはあくまで上級魔術の教育技術を国際的に共有することを求める立場であり、四大貴族のリッシェはその普及を快く思わない立場。 

 両者の目論見は相反するものであるが故、その二つの立場を代表して交渉を行うなど出来るはずがないのだから。


「ご存じないのも仕方ありません。しかし、我がリッシェ家の当主と、魔術ギルド最高責任者は旧知の中。時には相談も受け合うほどのなのですから、足並みを揃えて交渉に赴くのは何ら不自然な事ではないかと……」


「ッ……」


 そんな事実は無い……と、断言出来ないのが現状。

 しかし、ギルドとリッシェ家が組んだというのが現実。裏でどのような約定が交わされたにせよ、非常に難解な敵であることは確かなのだ。


「そう、これは言うなれば火災予防です!」


 苦虫を噛み潰したような顔を必死に抑えて、目尻がほんの一瞬痙攣する程度までに留めたディン。

 しかし、相手の青少年はその些細な変化を読み取って自分が優位に立てていることを確認し、さらに捲し立てるように攻める。


「上級魔術の汎用化という軍事的革命は、言うなれば高濃度魔素地帯に置かれた爆魔石。詠唱を終えた魔術師。爆発を待つのみのそれは、確実に大陸を戦火に包むでしょう。それを防ぐ為、我々リッシェ家とギルドは手を取り合い、予防策を構築したのです!」


 教育技術の管理を行うことで、懸念されるリスクを一手に担う。その対価として管理権限を譲渡しろという契約内容。

 やられた。ディンはそう思った。

 上級魔術普及に際しての懸念事項である存在が自ら、その協力に申し出てきた。妨害はしない代わりに、多少そちらが不利な条件を飲めという忠告をされたのだ。


「……しかし、具体的な契約書もない限りは、安易に返事をしかねます」


「そうおっしゃると思って、事前に用意して参りました」


 かかったなとばかりに、金髪の青少年は懐から一連の契約が詳細に記されたスクロールを取り出し、ディンは内心で頭を抱える。

 提案が国益に直結するものであり、拒めば我欲による独占ととられること、目上がわざわざ謙っているのにそれを突っぱねること、この場において揚げ足を取られる要素を挙げればキリがない。

 つまり、敵対すれば勝ち目はなく、即座に現代魔術研究室は潰される。

 しかし、このまま契約を受け入れれば、研究室の躍進に関わる技術が良いように横取りされ、今後も搾取される立場になることが安易に想像できる。


「……」


 賑やかなパーティー会場が、突然自分専用の断頭台に変わった。そんな現実を未だ受け入れられないでいるも、必死に打開策を探る。


 だが、いくら思考を巡らせても具体的な案は何一つ浮かばない。

 仲間のキャリアを一手に背負う責任感、周囲の視線、相手からの圧力、様々な要因が緊張となってディンの思考を阻む。

 いかに年齢に見合わぬ戦闘経験と努力を積み重ねていても、政治的な舌戦は今日が初陣と言っても良い。つまり、土壇場で奇策を講じるには、圧倒的に経験値が足りていないのだ。


「…………僕は——」


 体は小刻みに震え始め、額には脂汗が浮かぶ。

 依然頭は真っ白。しかし、ずっと黙りこくる訳にはいかないと、ディンは必死に言葉を絞り出そうとする。


「お待ちください」


 ——そんな彼を傍でずっと見ていた少女が、意を決して相手の前に立ち塞がった。


「貴方は……」


「同じく、現代魔術研究室所属のアセリア•ミル•ライネックと申します。口を挟む無礼をどうかお許しください」


「そうか、ライネック家の……はい、構いませんよ。貴方も同じ研究室であるなら、話に加わる権利がある」


 一瞬眉を顰めるも、おおらかな態度でアセリアの介入を受け入れるリッシェ家の青少年。

 当然、自己紹介などされずとも、前情報によりアセリアの存在も認知していた。

 臆病であがり症、極度の人見知りという理由から、特級魔術師でありながらも実家から事実上お払い箱とされた彼女は交渉における障害にはなり得ない。そう判断したのだ。


「では、失礼ながら申し上げさせていただきます。お引き取りください」


「!?」


 騒然としていたディンを取り囲む一帯が、アセリアの一言を引き金に一瞬にして静まり返り、ディン自身も今まで必死に保ってきたポーカーフェイスを崩した。

 

「ほう、驚きました。その言葉が何を意味するのかは、子爵家の出である貴方なら理解していますね?」


 リッシェの青少年……フレーデルはその笑みを絶やさぬまま、静かに問いかける。


 四大貴族とギルドの歩み寄りを正面から拒否したアセリア。

 それはお前らの利権なぞクソ喰らえだと宣言して、小競り合いの激鉄を下ろすのと同義である。 


 昨今、魔術や産業革新の台風の目と評されていた組織と、長らく権謀術数渦巻く政界の頂点を維持してきた名家の対立。野次馬は皆、これから現代魔術研究室が辿るであろう末路を想像して、背筋を凍らせながら息を呑んだ。


「意味も何も、我々はあくまで研究員。面会の予約ならいざ知らず、正式な約定を交わすことは出来かねます。日を改め、正式な手続きを踏んだ上での交渉を望みます」


「ふむ……」


 フレーデルは、ここにきて失敗に気づいた。


 奇襲にも似た形で持ちかけ、さらには情報漏れと同盟の圧力によって生まれる動揺につけ込んだ契約の催促。

 当然、本来ならディンは交渉に乗る必要など無いが、署名をしてしまえば例え混乱していたとしても契約は成立する。

 実際、もう一押し程でディンは折れ、場の空気に流されて条件を飲んでいただろう。フレーデルもそう見立てていた。

 外野はリッシェ家の怒りを買うことを恐れ、契約の穴を指摘してくる事はない。

 もはやフレーデルの勝利は確定していた。


 しかし、万一にも無いと考えていたアセリアが動いた。

 それによって、ディンもその場で契約に乗る必要がないという当然の事実に気づいた。否、フレーデルの目線から言えば、気づかれてしまったのだ。

 

「ふむ、確かにその通りですね。いやはや失礼致しました。あまりにも明案だっただけに、少々ことを急いてしまいました」


 計画が破綻したと見るや否や、白々しく大袈裟な身振りをして懐に契約書を収めるフレーデル。

 十四歳という若さで野心に溢れていながらも、このような重要な交渉の任を家から与えられているだけに、彼は引き際をよく理解している。


「では正式な契約は後日、改めて持ちかけると致しましょう。本日は有意義な会話をありがとうございます。では」


 内心で舌打ちをしながら、しかしそれを決して外に出さずに、朗らかな雰囲気を維持したままその場を後にしたフレーデル。当初の目的は果たせなかったものの、ディン達に釘を刺せただけで成果は充分なのである。


 方や残されたディン達。嵐が過ぎ去った静寂の場には周囲からの喧騒が流れ込み、会場から隔絶されていたかのような空間の時が再び進み出していた。


「ふ、ふぇ〜〜……」


 そんな中で、張り詰めていた糸がプツッと切れたように、アセリアが床にヘタレ込んだ。


ーーー


「ただの水ですが……どうぞ」


「あ、ありがとうございます……」


 パーティー会場の端、休憩用として用意されている椅子に腰掛けるアセリアに、ディンは冴えない表情のままコップを手渡した。


 そして、コップを仰いでゴクゴクと喉を鳴らすアセリアを前に、ディンは深く頭を下げた。


「さっきはありがとうございました」


「うぐっ!? や、やめて下さいグリム君! 私は別に大したことはっ——」


 むせ込みながらも、慌ててディンの言葉を否定するアセリア。

 そんな慌てふためく彼女に掌を突き出して制止し、ディンは続ける。


「いいえ。先輩がいなきゃ、俺は今頃あの金髪に乗せられて現代魔術研究室を潰す片棒を担いでいたかもしれません……」


 今になって落ち着けば、やはりあの場で契約を承諾する必要がなかったのだと改めて思うディン。

 それだけに、経験の薄さからパニックになって判断を誤りかけた自分が許せない。契約を急かす人間ほど怪しいという常識がある元日本人だけに、自責の念は増すばかりだ。

 

「そんな……ラトーナちゃんとかならもっと上手くやれたのに、私こそ出しゃばったせいで相手を怒らせちゃいました……」


 自嘲気味に笑うアセリアに、それでも俺を助けてくれたのは先輩ですと伝えるディン。

 あまりにも至近距離で、顔を覗き込むように感謝を伝えられたアセリアは、思わず負い目も忘れて顔を紅潮させた。


「本当に、なんてお礼をしたらいいか……」


 アセリアからすれば、大事な後輩を守ろうと見切り発車で首を突っ込んだものの、事態を悪化させてしまっただけだ。

 しかし、それでも感謝を持って礼を尽くそうとしてくるディンに対して、アセリアは少しだけ自分を許してみようかという思考と、少しだけ誰かに甘えたいという欲がが生まれた。

 ほんの少しでも、一歩だけ成長出来た自分へのご褒美をと。


「……じ、じゃあ私と一曲だけ踊ってくださいっ……」


 そんなアセリアの要望に、ディンは片膝を突いて手を差し出し、快くそれを受け入れた。

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