第169話 カノジョの秘密
「あははっ! 良い! 凄くいいよディン!」
早朝、王立学園第六演習場。テニスコートより少し大きなこのフィールドには、冬の風物とも言える乾いた青空を衝くようなアインの声が響いていた。
もう一ヶ月ぶりの、彼女との真剣による手合わせだ。
武闘会決勝が終わってからと言うもの、お互いあり得ないほどに忙しかったからな。
俺は魔導具の商売に生徒会業務、飛行魔導具の研究や鍛錬、そして私生活のだらしないラトーナのお世話など多忙を極めていた。
アインだってそうだ。武闘会で怪力無双のジャランダラに奮戦したことや、ランドルフが決勝の件で罰を受けて落ちぶれたこと、俺が王子の元に付いたことによって周囲の人間が再び彼女のところに集まり出したのだ。
まあ、男子からは相変わらず嫌煙されていて、アインはあくまで女子にモテているだけだが。それでも今までとじゃえらい違いだ。
「部屋に篭ってばかりだと思ったら大間違いってことですよ!」
嬉々とした表情で彼女が浴びせてくる剣撃の雨を、一つ一つ丁寧に掌で受け流していく。
武闘会が終えてからの二ヶ月程魔術の練習はからきしで、肉体の鍛錬が主だった。
1日だって筋トレを欠かしたことはない。どんなに忙しくても、レイシアと獣王流の組み手を行っていた。最近じゃ俺が勝ち越すくらいにだ。
嬉しいことに、その成果がちゃんと現れてきているのだ。
「はっ!」
「うわっ!?」
アインの連撃からバックステップを踏んで大股一歩ほど後退し、そのまま勢いに乗ってぐるんと軸足回転。俺の尻から伸びていた青白く輝く細い尻尾のようなモノが、アインの足を打ち払い、彼女の体勢を崩す。
『獣王流退き手•刈り払い』という、本来は多対一を想定していて、振り向きざまに尻尾で対面していた敵の足を払う技。
俺に尻尾は無いが……なに、俺に流れる長耳族もとい妖精族の血の力を使えば、大気の魔力を凝縮して尻尾くらい再現できる。
「なんだいその技!?」
両足を払われて横転しかけるも、そのまま側転して体勢を立て直したアイン。
そう、曲芸じみた動きが売りの疾風流である程度実力がある奴は、この手の不意打ちがあまり効果を発揮しないのだ。
「ちょっとした小技って奴です。驚きましたか?」
「驚きっぱなしだよ。久々に戦ったら、君は剣を使わなくなっているし、それに強い!」
剣を構えて俺との間合いを測りながら、驚きを露わにするアイン。しかし油断も隙もなく、むしろ警戒が強まっているように見える。
「少し戦い方を変えましてね」
そう、俺は剣術を完全に捨て、獣王流やムスペル王国の古武術による徒手空拳のスタイルを選ぶことにした。
理由は色々あるが、一番はラトーナと共に改良した補助魔導具『奇術師之腕』の使用方が変化したことにより、両手を開ける必要ができたからだ。
だがなに、大した問題では無い。俺に瞞着流を教えてくれたシュバリエは、なにも剣にこだわる必要は無いと言ってた。それだけに伝授されたのも主に兵法や格闘術だ。
「君はやっぱり凄い。戦ってて飽きないよ!」
「それは俺も同じ……ですっ!」
再び互いに接近。
徒手空拳は剣に比べてリーチが断然短く、どうやってもアインの攻撃が先に届く。
居合斬り、強い踏み込みから放たれた横薙ぎの一閃。
見えている。この眼がその素早い軌道を正確に捉えている。二の太刀要らずの剣聖流の豪剣、受ければ俺の腕が飛びかねない。
地面とほぼ平行に右から迫ってくる剣を、俺は身を捩って左手でキャッチした。振られた剣に対し、突き出した腕が垂直になるような形でだ。
「ッッッ!!!」
左腕に軋むような激痛が走る。
いかに魔力の鉤爪で鉄をも切り裂く獣王流でも、刃をそのまま受け止めるようなことは普通やらない。斬られることだけなら防げるが、結局鈍器で殴られるようなものだから、その衝撃までは殺せずに受け止めた手が折れてしまう。
以前ランドルフに使った瞞着流の白刃取りみたいな技があるが、あれは剣聖流の技を受け止めることを考慮していないから、やはり無理があるのだ。
現に、俺の左手も粉砕骨折したしな。
「!!!」
ジャブ代わりの一撃をわざわざ捨て身で防いだ俺を見て、アインが目を見開いた。避けると思ったのだろう。
痛みに意識を掻き回されながらも、俺はほくそ笑む。この瞬間に賭けたのだ。
ーー空掌ーー
すかさず、空けていた右腕で魔力の衝撃波を生み出して、それをアインの顔面に直撃させる。
「うぐっ!?」
なんでことのない、魔術でもなく、致命傷にすらなり得ないただの魔力操作による一撃。甘く見積もっても、せいぜい濡れタオルで顔を引っ叩かれるくらいの衝撃。
しかし、やはり人にとって顔というのはどうしようもない急所で、衝撃波を受けたアインは少しのけぞって怯んだ。
「とった!」
そうして生まれた隙に、俺は大急ぎでアインに飛び付いて組み伏せ、腕肘十字固めを行った。
「降参だ!」
寝技が決まった直後に、アインがそう叫んだ。
俺は初めて、魔術無しのアインとの手合わせに勝利したのだ。
「あー負けた負けた!」
俺が折れた腕の治療を始める傍で、心底悔しそうにがなり声で起き上がるアイン。声に反して、その表情は爽やかなモノだった。
「随分楽しそうですね」
「楽しいさ。僕ばかり強くなってちゃ、修行相手がいなくなってしまうもん。それより腕は大丈夫? 思い切り振っちゃったけど……」
「応急処置はしてるのでなんとか」
前のアインなら、俺に負けたら酷く落ち込んで2日ほど引きずっていた気がするが、ここにきて何か心境の変化でもあったのだろうか。
心の不安定さが無くなったのは良いことかもしれない。けど、人間そういきなり変わるものでもない。
もしかしたら、彼女が強がっているのかもしれない。けど、それを俺が知ることは出来ない。そういった領域は彼女にとって非常にデリケートな部分で、俺が安易に踏み込めばまた拗れる可能性があるからだ。
「治療がてら、歳上として一つ相談に乗ってもらえませんか?」
まあ、そこら辺は俺が考えたってしょうがないことなので、話題を変える。
「相談? 僕に?」
「ええ、ちょっとした恋愛相談を」
「えぇ!?」
これまでにないほど大きな、アインの上げた素っ頓狂な声が練習場に響き渡った。
ーーー
「つまり、リオン君とそのサラさん(?)をどうにかしてくっつけてあげたいんだね?」
一通り経緯を説明し終えると、確認するようにアインはそう尋ねてきた。
何を勘違いしたのか、顔を真っ赤にして挙動不審になったアインに事情を説明するのは中々大変だった。大方、俺とアインの関係についての話だとでも早とちりしたのだろう。そんな大事なことを、俺がサラッと話し出すわけないのにな。
「まあそういうことです。正直サラって人とは面識がなかったんで、アインならあるいはと……」
先日、リオンが『好きな人が出来た』とカミングアウトした。
それ自体は別に驚く事でもなんでもない。リオンも十一歳、日本の肉体年齢で言えばちょうど十三か十四歳くらいの思春期真っ只中。恋愛の一つや二つぐらいしたっておかしくない。
「確かにサラさんとならよく話すけど、あのリオン君がサラさんをね……よくわかんないよ」
合点が以下なさそうに、目を細めて空を仰ぐアイン。
サラというのは、武闘会の決勝にいた魔剣使いの純人族。情報じゃミーミル中級貴族の次女で、従者志望として騎士科に所属しているらしい。真面目で潔癖な性格で、面倒くさがりで散らかし癖のあるラトーナの対義語みたいな人物だそう。
バトルロワイヤルと団体戦、どっちでも対敵して勝っているわけだが、あまり印象に残っていなかったせいで最初にリオンがサラを好きと言った時、思わず誰って聞いちゃったよ。
「長耳族の感性なんか、理解しようとするだけで時間の無駄ですよ」
長寿な人達は大概どこかネジが飛んでいる。
ヴィヴィアンとかいう奴は生きてる妖精を魔剣にしたし、他にもジャランダラとかいう魔族は酔った時に、今まで殺した戦士の名前で歌を作るし、ラーマ王は王宮の金を持ち出してギャンブルをやって大負けする。シュバリエとかいう長耳族は、客人が来るのに部屋に女を連れ込んでおっ始めようとするしで、本当に狂った奴らしかいない。
世界には他にも長寿な種族がいるわけで、これが氷山の一角というのだから恐ろしい。
おそらく俺の何倍も生きることになるであろうリオンには、そういうまるでダメな大人、マダオにはなって欲しくないものだ。
「君も、見た目だけなら結構長耳族に見えたりするけどね」
歳を重ねるにつれて年々耳が尖ってきているからな。先祖返りか、それともヴィヴィアンの野郎が俺に何かしたかだ。
もしかしたら、俺も純人より長生きする可能性もある。
「やっぱ目立ちますよね……この耳」
「ぼ、僕は良いと思うよ!? カッコよくて!!」
「別にそこまで気にしてないですよ。それよりもサラさんの話です」
「あ、うん。結局僕は何をしたらいいの?」
「そうですねぇ……」
サラ嬢にツテが出来たというだけで成果はあったが、それだけで終わるのもなんだか勿体無い。
サラ嬢の男性の好みとか、あと交際歴とかぐらいはそれとなく聞いてもらいたいが……アインにそういった芝居を打たせるのは少々無理があるだろうな。3歩歩けばセリフも忘れてそうだし。
「ていうかそもそも、身分差とかはどうなの?」
「アイツはあー見えて、長耳族の北の大集落の族長の息子です。もしかしたらアインの家より格式高いかもしれませんね」
「え!?」
意外にもあの脳筋エルフはおぼっちゃま。アイツが人攫いに遭った時なんか、集落は大変な騒ぎになっていたらしい。
そんな彼を奴隷から救い出した俺には、集落からそれなりの礼金が送られてきたのだから、いかにアイツが重要人物かがわかる。
まあ、金には困ってなかったから送り返したけど。
「まあそんなわけで、身分のことで口出しする輩はいないかと」
いざとなったら偽造も出来るしな。各方面に頭を下げてだが。
「うーん、真面目な人だから、小細工なんかしないで良いと思うけどなぁ」
「そうですかね」
「……ごめん、僕もよくわからないや」
しゅんとアホ毛を萎ませて俯くアイン。
そうか、そういえばこいつもあんまり社交が得意な人間じゃなかったな。ぼっちを脱却したのはここ二ヶ月くらいの話だし。
あと、アホ毛が感情と連動しているのはどういう原理なのだろうか。
「そんなに凹まないで下さい、充分有益でしたよ。アドバイスも参考にします」
「そ、そうかな? なら良かったよ」
考えがまとまったわけじゃないが、見守るだけという選択肢も得た。
そろそろ起床の鐘も鳴る頃だし、一限に出る準備を始めないとな。考えるのはまたそのあとだ。
「それじゃアイン、また」
「うん! 次は僕が勝つよ!」
ーーー
さて、今日の講義も無事終わり、放課後の研究タイム。
同じく講義を終えたはずのラトーナを呼びに、彼女の研究室へと足を運んだわけだが……
「可愛いにゃ〜? どこから来たのかにゃ〜? オヤツをあげちゃおうかにゃ〜」
彼女の研究室に着いて早々、ドア越しに今まで聞いたこともないような猫撫で声が聞こえてきたのだ。
『にゃあ』の語尾を使うやつといえばレイシアだが、アイツがこんなところに居るはずないし、そもそも声がラトーナのものだ。
「美味しかにゃ? 嬉しいかにゃ!? 可愛いにゃぁ〜」
このドア一枚を隔てた先で、ラトーナが何かしらの動物を愛でている。まあ語尾から考えて猫なのだろうが……なんだろう、俺は今、見てはいけない場面に遭遇している気がする。
今声をかければ、きっと盗み聞きがバレる。素直にタイミングを改めるのが吉なのだろうが……困ったことに、それはとても勿体無い気がしてならない。だって、あの知的でクールぶってるラトーナが、これほど間抜けな声を出して小動物にデレているなんて、かなりレアな光景だからな。
そういうわけで、俺はドアにベッタリと張り付いて、引き続きラトーナの痴態を盗み聞くことにした。
「素直で可愛いにゃ〜」
ラトーナはどういうわけか、幼少期から『読心』の遺産を持っていたため、裏表のない人間を好む。動物が好きなのも、嘘をつかないからだ。
「真っ黒なお目目も可愛いにゃ〜」
お目目!? お目目って言った!? この子本当は太陽のことお日様って言うタイプ!?
あ、そう言えば、決勝の団体戦の時、ラトーナは黒い下着だったな。出会ったばかりの頃も黒で、それをイジったら半殺しにされたっけか。
「あ、ここが気持ちいのかにゃ? そうかそうか! ここかにゃ〜!?!?!?」
いやそれにしても……すごいデレっぷりだな。普段からツンケンせずに、こうしていれば良いのに。どうせ俺には化けの皮が剥がれてるんだからさ。
「何してるんですかグリム君?」
何ってそれりゃあ、ラトーナの恥ずかしいシーンを覗き見…………え?
思わず吹き出してしまいそうな猫撫で声に混ざって、俺の背後から聞き慣れた少女の声が聞こえた。
慌てて振り向くと、そこには乳眼鏡ことアセリアパイセン。どうやら彼女もラトーナを呼びに来たようだ。
いや、というかそんなことよりも、せっかく息を潜めていたのに、アセリアが話しかけたから中のラトーナに気づかれてしまったかもしれない。
そう思って退避しようとした矢先、ラトーナの研究室の扉が勢いよく開かれた。
「……聴いてた?」
「いいえ」
扉のところに立ち尽くして真顔で尋ねてきたラトーナを前に、俺は即答した。
「私に嘘をつくのが、どういう意味かわかってるわよね?」
目を細めながら、重ねて問い詰めるラトーナ。
瞳の色は紅なので『読心』能力は使っていないようだが、俺が嘘を言っているのは確信しているらしい。
「すみません本当は聴いてました」
どうせバレてるならと潔く白状すると、ラトーナは真顔のまま『そう』とだけ言って俺に背を向けた。
よく見ると耳が真っ赤で、拳がワナワナと震えているではないか。ああ、強がっちゃったかー……
「か、可愛かったよ? なんなら俺にも『にゃー』ってやってほし——」
「行きましょうアセリア! この男の顔は見たくないわ!」
「ひぇ!? はい!!!」
とうとう顔を真っ赤にして声を荒らげたラトーナは、アセリアを連れてそそくさと研究室に行ってしまった。
たった一人その場に残された俺。開けっぱなしのラトーナの研究室のドア越しに、中にいた猫と目が合った。魚の干物のようなモノを口に咥えて、今まさに窓から飛び降りようとしているところのようだ。
「……俺、なんて言えばよかったの?」
そんな独り言にも聞こえる問いかけに、猫は答えないまま窓から消えてしまった。
ーーー
「すまないね、忙しいところ駆けつけて貰って」
場所は変わって生徒会室。
俺は今、学園で同時多発的に発生した喧嘩の仲裁を終えてその報告を行なっているところ。
「いえ、構いませんよ。仕事ですから」
そう答えたが、そんなわけはない。
現代魔術研究室で怒らせてしまったラトーナのご機嫌取りをしていたのに、呼び出し用の指輪型魔導具が急に光り出したので急行せざるを得ず中断する羽目になった。おかげでラトーナは余計に臍を曲げてしまったし、研究も進まないしで散々だ。
「それにしても、非番の俺まで呼び出されるなんて何事ですか?」
「ここ最近は揉め事が増えていてね……今日なんか特にひどくて、君も駆り出す羽目になってしまったんだ。すまない」
爽やかで且つ熱意に溢れていた王子も、なんだか少しやつれていていつもの陽キャオーラが薄い。
それだけで、事態は思ったよりも深刻なのだと見てとれた。
「なんで今になって喧嘩が増えるんですかね? 冬場はみんなピリつくとか……」
「冬場というか、3日後の社交会のせいじゃないかな? 狙った相手を独占するために男子生徒は今のうちから根回しを始めて、そこで衝突が起こると聞いているよ」
「お言葉ですが、社交会なら頻繁に行われてるじゃないですか」
「ああ、君は治安維持の担当だからあまり話していなかったけれど、次の社交会は生徒会が主催するモノなんだ」
「なるほど?」
「先代達が築いてきた威厳の影響なのかな、生徒会主催の社交会では良家出身の者のみによる開催という暗黙の了解が合ってね、学園内でも一際特別なものなんだ」
「貴族や豪商の子供ということですか」
「そうだね。しかも該当者は基本強制参加というよくわからないしきたりまである始末さ」
「そうなんですか、変わっていますね」
「なんだか人事みたいな顔をしているけど、君も該当者の一人だからね?」
「え?」
「ラトーナ嬢や君はただでさえ知名度があったのに、最近の魔導具開発で大きく名が売れている。普段は社交の場に顔を出さない上に、君はその売買契約の主導をしてるんだから、尚更注目度が高いよ」
「おお、それはなんだか照れますね」
「ははっ、押し寄せる挨拶の波を逐一丁寧に捌いた後でも、その言葉が聞けるか待っているよ」
「う……」
前言撤回。承認欲求が満たされて良い気になっていたが、その裏に隠れた本質はただの接待地獄のようだ。
前世じゃまともな営業職も経験していないので、いつも客を相手にする時はめちゃくちゃを気を張るから疲れるのに、それが何人も来るのか……しんどい。
「あ、でも俺は警備の仕事があるからそう言った心配はありませんでしたね!」
暗闇に差した一筋の光明。社畜となったことが返って功を奏したようだ。
「君は内部警備の担当だから、普通にパーティーに参加してもらうよ?」
「え」
「君を警備になんか回したら、生徒会が顰蹙を買ってしまうのは目に見えているからね。それに……」
「それに、なんでしょう?」
「君もラトーナ嬢とパーティーを楽しみたいかなと、少し気を利かせてみたのさ。どうかな?」
「お、お心遣い痛み入ります……」
満足げな表情で、さも良いことをしたかのように語る王子。
いや、実際かなり俺に気を回してくれているのだろう。部下として大事にされているのも伝わるしな。
ラトーナのドレス姿を見たいし、なんなら衆目を掻っ攫って彼女と水入らずで一曲踊りたいという淡い願望もある。
しかし、今まで何かと理由をつけて参加を見送っていた面倒な社交会……権謀術数の築地市場みたいなところである社交会に出るということは、四六時中頭をフル回転させなきゃいけないということ。そんな疲労困憊待ったなしのデメリットを考えると、どうにも複雑な気持ちなのだ。
まあ、どのみち俺に断る選択肢はないので、ラトーナとの距離を一気に縮め直す機会が出来たとでも考えれば……少し、は……
「あ! そうか!」
突如、俺の脳裏に走った電撃。
突然声を上げた俺に王子が驚いてしまったので、慌てて経緯を話す。
「いいね、面白そうだ。是非とも協力しよう」
「え、あ……ご助力感謝します」
一通り俺の説明を聞いた王子は、満面の笑みを浮かべながら自ら進んで俺の提案に乗ってきた。王子にはあまり関係のないことだったが、そこに混ざってきたのはかなり意外。
何を隠そう、俺が思いついたのはリオンのキューピット大作戦なのだから。
「おのれジョージめ! この私への意趣返しかっ!」
ミーミル王立学園、魔術科学長室。
高級絵画や彫刻、紋章で一面彩られた部屋に怒声が響き渡った。
声の主は、執務用の高級机に腰掛けるちょび髭の偉丈夫、ハドラー・ル・ヴィクトン。
ヴィクトン伯爵家の次男に生まれ、古式魔術研究室室長及び魔術科学長を努めている者。
次男の生まれでありながらも、その高貴な身分に裏付けされた頭脳、そして商才を持ってして学生期から功績を積み上げ、権力闘争を勝ち抜いて学長まで登り詰め、今では伯爵家当主にも劣らぬ権力を掴んだ生まれながらのエリートである。
そんな彼は今、一つの小さな研究室に悩まされていた。
「また現代魔術科のことですか、教授」
またかとばかりに、部屋に訪れていた副室長がため息を漏らす。
ハドラーはここ最近、こうして脈絡もなく苦悶の表情を浮かべながら声を荒らげていた。
原因は一つ、現代魔術科。
かつて成果報酬の件で歯向かってきた元古式魔術科の副室長を務めていたジョージ、そんな彼が独立して設立した現代魔術研究室。
見せしめとして、今まで様々な嫌がらせによる妨害を間接的に施してきたが、最近になって優秀な生徒を三人も迎えたことで破竹の勢いの躍進を見せている。
その勢たるや、この古式魔術研究の地位に手をかけるほどだ。
「あの研究室、特級魔導具を量産し出したかと思えば、今度は上級魔術の習得理論を発表するそうだ」
「なんと」
苦々しい表情で、ハドラーは机に拳を叩きつけた。
確かな筋から極秘に仕入れた情報、一握りの魔術師に許された絶技とも言える魔法陣の空中展開。四大貴族や歴史上の英雄を除けば、両の手で数え足りるほどしか該当者がいない上級以上の魔術師。上級というだけで、王宮に迎えられ将来贅沢三昧だとまことしやかにウワサされるほど。
この学園においても、隠居した前魔術科学長か飛び級生の長耳族、もしくは奇才と呼ばれるラトーナ嬢しかいない人材。
それを容易く量産するような教育体系を普及させるというのだから、大事である。
「四大貴族も他国も黙っていないでしょうね……特に魔法国家ミガルズなどは……」
「ええい! そんなことはわかっている!」
もしそんな教育法が発表されれば、抱える上級魔術師の数で政治、そして軍事力的アドバンテージを築いてきた四大貴族との対立は避けられない上、この学園に出資している周辺各国は技術の独占を懸念して抗議してくるだろう。
もちろん、上級魔術師が増えることは魔術史における数百年以来の発展であることに変わりはないし、一研究者としては喜ばしい部分が無いかと言われれば嘘になる。加えて得られる利益も莫大だ。
だがしかし、それらの利益は殆どは現代魔術科に帰属され、懸念される皺寄せは学長である自分に来る。
なにより、上級魔術は歴史が古く、そのルーツは精霊魔術にあるためどちらかと言えば古式魔術科の研究領域である。
これはもはや、喧嘩を売られたと考えても良いだろう。
上手くやれば、手柄を横取りされたことにも出来るかもしれない。
そんな思考が脳裏によぎった時、ハドラーの行動は早かった。
「まずは更なる情報を仕入れ、計画を練る」
「実行はいつになさるご予定で?」
「生徒会主催の社交会が良いだろう。有能な生徒達の動きを封じる裏で好きに動ける」
「仰せのままに」




