第16話 埋もれた才能
「準備はいいか? ディン」
早朝、中庭の中心に立つラルドの声が、四方を囲む建物にこだまする。
それに驚いてか、外の庭園から鳥達が飛び立つ音が聞こえた。
「はい、いつでもいいですよ」
「結界の準備も万全ですぞ」
中庭に引かれた長方形の白線の外から、ザモアが手を振るのを見て、俺もラルドに向かって剣を構える。
ことの発端はそう、昨日ラルドが俺の部屋に訪ねてきたことだ。
なんでもアーベスの指示で、社交会でラトーナの護衛を俺がするに当たって、戦力を磨いて欲しいとのこと。その初日である今日は実践稽古からだ。
そしてどこから話を聞きつけたのか、『死神とその息子の闘いは是非見たい』なんて言って、ザモアが簡易的な結界魔術まで張って場を用意してくれたのだ。
なんでか多大なる期待を抱かれているようで申し訳ない。
今から始まるのは、稽古とは名ばかりの一方的な蹂躙であるのに。
「いつでもこい」
ラルドがそう口にすると同時に、俺は魔術を彼の足元で発動させる。
ーー泥水ーー
何よりもまずは、『居合』による急接近の対策として足場を潰す。
流石のラルドも足が滑ってはろくに踏み込めない様子で、ジリジリと俺から遠ざかって……
「月歩!?」
退いたかと思ったラルドは突然空中を蹴って、一瞬で目の前まで迫っていた。
六式……ではない。結界だ。リングを覆う結界の障壁を蹴ってすっ飛んできたんだ。
「ッ……!!!」
ーー土槍ーー
咄嗟に足場を隆起させ、その勢いに乗ってラルドの上を飛び越える。
ーー風破ーー
空中に逃げたことで無防備となった俺をラルドが捉える前に、風魔術の逆噴射で着地を早める。
一か八かの賭けだったが、なんとか上手くいった。
下手したら空中に逃げることをラルドに勘づかれて、飛ぶ斬撃の餌食になっていたからな。
しかし油断している暇はない。
ラルドと俺の立ち位置が入れ替わったことで、向こうは再び『居合』の動作に移れる様になった。
現に、こちらに振り向いた彼は腰を落としてその構えに入っている。
ーー泥水ーー
構えを取られた時点で、次の瞬間にはラルドはもう俺の目の前まで到達しているだろう。
だからもう思い切って、見切り発車で自分の周囲の足場を泥水で満たして、せめてもの体制を整える。
「!!!」
……やられた。
そう思った。
泥水を出した直後を狙ったかのように、ラルドが放った飛ぶ斬撃。
騙された。『居合』と見せかけてフェイント。
防御は間に合——
ーーー
青白い光を帯びた斬撃が俺の視界を埋め尽くした光景を最後に、気づけば俺は自室の天井を眺めていた。
「おはよう。ようやく気づいたのね」
そして俺の視界の端には、ベッドに浅く腰を乗せながら、小悪魔の様な笑みを浮かべている美少女の姿があった。
「あぁ天使がいる……」
「残念、呪いの魔女よ」
「じゃあ目覚めのキスは無しですか?」
「キッ……いいからさっさと起きなさい。本当に呪い殺すわよ!」
彼女に睨まれて、すぐさまベッドから体を起こす。
「俺、どれくらい寝てました?」
「ねぇ、前から思ってたけどなんで敬語なの?」
「え、だって身分が」
「私とあなた、一応は従姉弟なのだけど」
「いやでも、俺はリニヤットじゃ——」
「とっ、友達に敬語で話されると距離を感じるのよ!!!」
「……ふっ」
「何笑ってるのよ!」
「いや別にぃ〜? じゃあそっちこそ、ディンって呼んで欲しいな」
「……わかったわ。ディ、ディン……」
「あ、やっぱダーリンで——痛ぇ!?」
「調子乗んな! ほら! さっさと魔術教えなさい!!」
ラトーナは俺の頭に手刀を入れて、せかせかと部屋を出ていってしまった。
「いつもの場所で待ってるから!」
ドア越しに聞こえた声に返事して、俺も彼女を追って歩き出した。
ーーー
中庭に出て、ラトーナと共に今日も今日とても呪詛魔術の練習を始める。
初めてラトーナが魔術に成功した日から二日経ったが、属性魔術は一向にできないままで、呪詛だけがどんどん上達していく。
だが彼女は飲み込みが早く、貴族なだけあって魔力量も多いので才能もある。
だからいっそのこと、割り切って呪詛魔術を極めることを提案した。
やはりあれだけやっても属性魔術を使えないということは、身体の方に問題がある。
父親のアーベスが魔力障害を持っているあたり、それが遺伝してしまっているのかもしれないな。
「それにしても……ディンって結構凄いのね」
「なんですか急に? 口説いてます?」
「違うわよ! 今朝の魔術よ!」
今朝の魔術……というと『泥水』のことか? となると——
「じゃあ朝の稽古見てたの!?」
「え、ダメだったかしら?」
「だってボロ負けでカッコ悪かったし……」
「それは当然でしょ? 家の大人達が束になってもラルド叔父様には勝てないらしいしね」
「……まぁ」
「そう、だからそれとこれとは別よ。貴方の魔術、壌土王の魔導書にも載ってないのよ?」
「ベヒモス?」
聞いたことがある名前だな。なんかのアニメにもいた気がする。
「その『あにめ』ってのがなんだか知らないけど、『壌土王』は土魔術士最高位の人間に与えられる称号よ。四百年前のエーギル海戦の人とか特に有名じゃない?」
「なんですかそのえーぎるって?」
「あら、知らない? 北のヘルイム王国がユグドラシルを狙って、ミーミルに仕掛けた戦争よ」
あ〜、なんかアインが話してたな。英雄王が活躍する話だっけ。
「なんか凄い人が沢山出てくるんですよね?」
「そうそう、ミーミル側にはあの英雄王ことミーミル王国40代目の王子、停進王、壌土王と冥助王とヴェイリル王国軍。対するヘイルム王国側には水煙王と疾風王、回禄王が——」
「お、おお。誰が誰だかわかんない」
「まあそうよね。あ、でも今言った中に、ディンと身近な人がいるわよ」
「?」
「ラルド叔父様は一時期、疾風流剣術の最高位の疾風王の称号を持ってたらしいわ」
「マジか。ていうか、そういうのって誰が決めるの? まさか自分でそんな名前名乗るの?」
「瞞着王や停進王みたいな剣術系はそこの総本山で決まるらしいけど、魔術の方はよく分からないのよね。王様がユグドラシルの意思に従って名付けるとかなんとか……」
またまた出てきたユグドラシルか。
クソデカ世界樹ということしか情報がないから、気になってしょうがない。
いつかこの目で見たいものだ。
「随分よく知ってるなぁ」
マジで才色兼備とはこのことだな。外に出たらさぞモテるんだろうな……
「なっ、別にそんなこと——」
「楽しそうだね、二人とも」
突然音もなくやってきたアーベスに驚いて肩をびくつかせたラトーナが、俺の背中へと逃げ込んだ。
「あ、おはようございますアーベスさん。今までどこ行ってたんですか?」
「うん、ちょっと野暮用でね。それよりも、ラトーナの魔術の方はどうだい?」
「えっと……見た方が早いかと思います。ほら、ラトーナ出てき——うおっと!?」
俺を盾にしてるラトーナをアーベスの前に引っ張り出そうとしたら、逆に彼女に引っ張られて体を抱き寄せられた。
「あ、あの近——」
一歩間違えば唇が触れるほどの距離で顔を覗き込んでくるラトーナを前に、つい声が裏返ってしまう。
「私、風魔術使えないわ。ディフォーゼ家は代々風を研鑽してきたから、呪詛魔術なんか見せたところで……」
やや早口の小声でそう語る彼女の手には汗か滲んでいて、表情もこわばっていた。
「そうかもね、でも大丈夫。ラトーナは凄いんだから。怒られるとしたら、君にちゃんと教えられなかった俺だから」
彼女の手を握り、アーベスの前に並ぶ。
「じゃあラトーナ、俺に『耐火の加護』をかけて」
ラトーナは何かを諦めたように大きなため息を吐いて、俺に掌を向けた。そしてそこから数秒して、その掌から発した薄紫の光が俺を包んだ。
「——はい。終わったわよ」
「え? 詠唱は?」
「してないわ。ほら、お父様が見てるんだから速く試して」
わけもわからず、彼女に言われるがまま俺は己の体に魔術の火を押し付けた。
俺の体に触れた炎は弾けて霧散し、なんの痛みも感じさせなかった。
成功だ。ちゃんと発動している。この子、呪詛魔術を無詠唱でやりやがった。
「へぇ、中々面白いことになったねディン」
「えっ、あ、はいはい! そうですね!」
「それで、他の魔術はどうなんだい? 特に風とかは?」
「あ、えっとその——」
「ごめんなさいお父様。私、呪詛魔術以外できませんでした」
アーベスの問いに言葉を詰まらせていた俺を遮って、ラトーナが一歩前に出た。
「ディンは悪くありません。この三日間ずっと親身になって教えてくれました。私の要領が悪かっただけです」
ラトーナが俺を庇っている。
マジか、ちょっと好きになっちゃいそう。
「なにを怖がっているのか知らないけど、ディンをクビにしたりはしないよ。風魔術を使えなかったのはちょっとまずいが……うん、そっちはなんとかしておこう」
アーベスの反応もまた少し予想から外れていて、仕方なく現状を受け入れるのかと思いきや、案外嬉しそうに笑みをこぼしていた。
彼自身が魔術を使えないわけだし、その障害が娘に遺伝してなくて安堵したといった感じだろうか。
ーーー
その後、アーベスは何やら一人でぶつぶつと喋りながら屋敷に戻っていった。
「いつの間に無詠唱が出来るようになったの?」
二人揃ってアーベスの背が遠くなっていくのを見て胸を撫で下ろす中で、俺は先ほどの疑問を投げかけた。
「さっき教えてくれた無詠唱のやり方を試したのよ」
「でも教えたの本当にさっきだよ!?」
「そうね。先生が優秀なのかしら」
なぜだろうか、ラトーナが見せた笑顔がいつもより可愛く見えた。
転生小話
昔の呪詛魔法の最高位は『ベルゼブブ』ではなく『バアル・ゼブル』と呼称されていました。
その理由として、昔はそもそも呪詛魔法という呼び名ではなく、加護魔法と呼ばれていて、その効果も主にプラスの効果のものばかりだったからです。
しかし時代は移り、加護魔法はミーミル王国やアスガルズ王国によって発展(詳しくは前述)し、マイナス効果を持つ魔法が増えていき、エーギル海戦に参加した当時の『バアル・ゼブル』によってそのマイナス効果の加護魔法が猛威を奮いました。
その時にヘイルム王国兵の報告を聞いて、当時のヘイルム王が名を呪詛魔法と改め、それが後の世に広まったという経緯です。『ベルゼブブ』はその時一緒に名が改められました。
ディンのいる時代から約400年ほど前ですね。
ちなみに、当時の冥助王は八極の中でも一際強く、種族は魔族でした。




