第165話 地、固まる
「……これ、お茶」
「あ、どうも……」
あの後、俺はラトーナの研究室まで引き摺られてきた。
そして研究室の高そうなソファに座らされて、お茶を出されたわけだ。
何を言ってるのかわからねぇと思うが、俺自身も何を言ってるのかわからねえんだ。
「ふぅ……」
深いため息を吐きながら向かいのソファに腰掛けたラトーナは、徐に紅茶を手に取って飲み始めた。
「やっぱりこっちのお茶が落ち着くわ」
そう独りごちるラトーナに対し、俺は未だに状況が理解できず口をつぐんでいた。
あれだけの喧嘩をしといて、急に俺を部屋に連れ込むラトーナの意図が読めない。
もしかして、俺は今罠に嵌められていて、ラトーナの復讐計画が絶賛進行中なのだろうか。
俺がこうして呑気にお茶を飲んでいる隙に、床にどでかい魔法陣が発言して、一瞬で俺を塵芥にしてしまうとか……
そんな不安を頭に過らせていると、ラトーナが一呼吸おいて再び口を開いた。
「……ー昨日ね、アナタが助けた魔族の子が私の元を訪ねてきたの」
「ん、え?」
「整った顔をしていて可愛いかったわね。私、あーいう妹が欲しかったわ」
これは所謂嫌味というやつだろうか。
話の枕がそれな時点で、この先の会話が俺イビリしかないじゃないか。精神攻撃作戦かよ、帰りてぇ……
「あ、いや、えっと……」
「そんなに怯えなくてもいいじゃない……別に、アナタを攻めるつもりで言ったのではないわ」
なら何が目的だと訝しんでいたのが顔に出ていたのか、ラトーナは眉を八の字にしながら頬をポリポリとかいた。
「その……えっと、私もまだ頭の中を言語化できていないのだけど……」
そう言葉を途切れさせた後、ラトーナは何かを決意したような表情を見せて、俺に頭を下げた。
「なっ、仲直りしましょってことよ!」
【ラトーナ視点】
洞窟にいたはずが、いつの間にか医務室のベッドの上で寝ていた。
医務室に常駐していた看護婦の話では、私は洞窟内で倒れて、ディンに背負われながら脱出したそうだ。
体に不調はなかったのですぐさまベッドから起き上がろうとしたが、1日は安静にしていろと看護部に止められたので、しばらくは医務室で一人大人しくしていることにした。
素直に言うことを聞いたのは、精神的に疲れていたからだろう。洞窟ではディンと喧嘩してしまって、ずっと後悔している。
だから丁度いい機会だったのだ。まあ欲を言えば、せっかく寝たきりの状態が許されるのだから本の一冊でも読みたかったけれど……
「……人様の寝室に入ってきて無言なんて、随分なマナーね」
私はいつも部屋を散らかしてしまうので、来客が来た時にすぐに気づいて片付けられるように結界を張る癖がある。
結界魔術というのは、基本的に術者が張った結界内の空間を把握できるから便利なのだ。
そういうわけでこの広い医務室も例に漏れず、看護婦が出ていくのを見計らって結界を張ったわけなのだが……その際にこの医務室には私以外の誰かが息を潜めていることに気づいた。
「ごめんなさい、挨拶するタイミングがわからなかった」
そんな言葉と共に、部屋の扉の前に一人の少女が姿を現した。
私より歳下で艶のある黒髪と……小さな赤い角を持つ魔族の子だった。
そして気のせいだろうか、たった今、目の前の少々が何もない空間から突然現れたように見えたのだけれど。
「あら、可愛いお客さんね。次からはノックをしてくれると助かるわ」
しかし、そんな動揺も顔には出さずに笑いかける。
特級魔術を使ったと仮定すれば、なんら不思議な現象ではないからだ。
ディンなんて強い光を出すわ氷を出すわ、爆発を起こすわでこの手の輩には慣れたもの。
「……ごめん、なさい」
仏頂面のままぺこりと頭を下げる様子は、どこかラルド叔父様の様な不器用さを思わせる。
加えて艶のある黒髪の小さな顔は、つい撫でたくなるような庇護欲を掻き立てていけない。
私は少し頬が緩むのを自覚しながら、質問を続けることにした。私に危害を加える気はないようだが、関係を持たない人間が突然一人で訪ねてきた理由が気になるのだ。
「お話しにきました」
私の質問に、彼女は淡白な姿勢で答えた。
こういった勿体ぶる言い方をする人間は、大体腹にイチモツ抱えている人間が多いのだけど……どうやらそうでもないらしい。
となればこの子は、ラルド叔父様みたいに言葉足らずなタイプなのだろう。
「別に畏まらなくて良いわ。で、それはまたどんな内容かしら?」
この子とは面識がない。
となれば内容はある程度絞れて、武闘会のことだ。
でも、この子という人間を知らない以上、そこから先が予測できない。さて、どう来るのかしら……
「レイシアは端ないから大目に見て」
「……へ?」
わけのわからない発言に、思わず間抜けな声を出してしまったので、慌てて表情を引き締める。
何かのお願い……いや許しを懇願しているのはわかったけれど、それ以外が全くわからない。ていうかレイシアって誰なのよ。
「獣族は露出狂が多いからベタベタしてくるのは仕方ないの。クロハもやられた。あれは鬱陶しい」
「はぁ……って、クロハ? 貴方クロハっていうの?」
「あ、名乗り忘れてた。ごめんなさい」
クロハという名前、歳下、魔族、これらの情報を照らし合わせると、私の中には一人の人物が浮かび上がる。それは以前、ラルド叔父様が話していたディンの助けた少女のことだ。
そこから繋がりを辿れば、この子が言うレイシアという人物は、以前ディンが横に侍らせていた獣族の少女ということになるのかしら。
そう整理がついた途端、私の中にはある可能性が浮かび、眉根が寄った。
「……貴方はディンに頼まれてここに来たの?」
大方、ディンが私のご機嫌取りの為にこの子を寄越した可能性。
理由は様々だが、あの策士のことだから、きっと公爵家相当の四大貴族の長女である私との対立は、学園での立場を悪くすると懸念したのだろう。彼は何やら学園で事を起こそうとしているようだったし、その推測が妥当ね。
不愉快だ。私は嘘つきも狸も嫌いなのだ。彼はそれを知っていて尚、そんな手段を取るのだから。ある種の意趣返しだろうか。
「違う」
と思ったのが、どうやら私の予想は外れたらしい。
早とちりして露骨に顔を顰めてしまった自分が恥ずかしくなって、咳払いをした。
「ディンはラトーナ様と喧嘩したせいで、いじけてお酒飲みに行った。いくら飲んでも酔えないくせに」
「あ、あらそう……でもどうして、私とディンが喧嘩したなんて知ってるの?」
この歳になって怒鳴り合いの喧嘩をしたなんて恥ずかしくて口に出すのも憚られるけど、どうせバレているのだろうからと、開き直って会話に乗ることにした。
「ディンが洞窟から帰ってきてからいじけてた。あの人がいじけるのは人を殺した時かラトーナ様の——」
「ラトーナで良いわよ、クロハ」
「はい」
「遮って悪かったわね、続けてちょうだい」
「ディンがいじけるのは殺した時か、ラトーナの事だけ。決勝は誰も死んでないから、多分ラトーナだろうと思った」
「そ、そうなの……ね」
私の中のディンと、クロハにとってのディンという像に差異が生じている。この短いやり取りを通してそう思った。
彼は再会してから腹黒くて秘密主義になっていた。思わず顔を顰めてしまう噂も多々あり、厚顔無恥で冷血な武人という印象が強い。戦闘中にぶつけてきた殺気なんて、ラルド叔父様とそう変わらなかった気もする。
けれど、クロハはディンを小心者で行き当たりばったりな人間のように語った。実際に彼女の心を読み取ってみても、そう言った印象をディンに抱いているのは間違いないのだ。
「ディンは変わってないよ」
「ッ……」
まるで私の心を読んだかのように、クロハは私の目を真っ直ぐ見ながらそう言った。
無愛想な表情も、この状況とあればまるで私の心を見透かしているように思えてしまう。恥ずかしさよりも恐怖が勝つ。心を読まれるというのは、こんな気分だったのか。
「皆まで言わずともわかったわよ……もう一度ディンと話すわ」
図星を突かれて口をつぐむ中、とうとうクロハの視線に耐えられなくなった私は、ため息混じりに諦観を抱いた。
そう、思えばディンは元々腹黒いし、デリカシーが無くて口が悪い攻撃的な人間だ。
どうしてだろうか、彼と別れて時間が経つうちに、思い出が彼という存在をどんどん私の都合のいいものに変えていってしまったのかもしれない。
だというのに、私は勝手に彼に幻滅して、自分の不安を一方的にぶつけようとしてしまった。
重い女だという自覚はあるけれど……これではそれ以前の問題ではないか。よくもまあ私は人のことが言えたものだ。
「……その、ありがとうねクロハ。おかげで自分の気持ちを初めて理解できたわ」
ずっと胸に渦巻いていたモヤが晴れたとまではいかないが、一筋の光が差した気がする。
皮肉なことに、読心の力を持っていながら、一番大事な自分の心を把握できていなかったようだ。
「お礼は美味しいお菓子がいい。今度食べさせて」
「ふん、私はこれでも四大貴族の長女よ。とびきり高級品を用意してあげるわ」
そう伝えると、クロハは満足げな顔をしてその場からゴーストのように姿を消した。
そんな摩訶不思議な光景に驚いて彼女を探そうと足を踏み出しかけたところで、医務室の扉が一人でに開き、遠のく足音と共に自重で閉まった。
最初は転移系の魔術かと思ったが、わざわざドアを使ったところを見るに、彼女は透明化の魔術を持っているようだ。
「あの子……妹に欲しいわ……」
あれほど清々しくあけすけな人間はそういないので、是非とも仲良くなりたい。顔も整っていたし、きっとオシャレが似合うわ。
絶対友達にする。そう心に誓うのだった。
ーーー
【ディン視点】
「——とまあ、そういうわけで、貴方の妹分が突然押しかけてきたのよ」
ラトーナはクロハのことを終始楽しそうに語り、フンと満足げな鼻息で締め括った。
「それはなんというか……うちの子がご迷惑をおかけしました……」
というか、一昨日にそんなことがあったなんて知らなかった。
クロハって思ったより突飛な行動をするんだな……大人しい子と思っていたから少し意外だ。
「別に貴方のせいじゃないでしょ? あの子を教育したのは別の人だそうだし」
「え、なんで知ってるの?」
「昨日一緒にお茶したから」
「は? 一昨日が初対面なのに?」
裏返った声で重ねてそう聞くと、彼女は視線を落としてカップを弄りながら『だって、友達の作り方なんて知らないんもん……』と呟いた。
これはあれだ。ボッチが友達作ろうとして頑張ったら、距離の詰め方ミスって相手に引かれちゃうやつだ。
幸い、面の皮が六法全書並みに厚いクロハだったから逆に打ち解けられたみたいだがな。飛んだマッチポンプだ。
「……話を戻そうか」
「そうね。えっと……その、一回しか言えないからよく聞いて欲しいの」
言葉の意味はわからないがとりあえず反射で頷くと、彼女は大きく息を吸って頭を深く下げてきた。
「洞窟では命を救っていただき心より感謝申し上げます。そして本当に失礼なことを言いました。アナタの事情も碌に知ろうともせず、一方的に感情を押し付けて、あろうことか手まで上げてしまいました」
「え!? いやちょっ——」
「アナタを思い切り突き放しておいて、都合の良い事を言っていることは理解してます。アナタには返しきれないほどの借りがあるのに、また貸しを作らせることになってしまいますが、どうか愚かな私を許して下さい」
わからない。どうしてラトーナが謝っているのかが。
彼女の言い分は正しかった。決して悪くないのだ。そりゃあ少しは自己中な意見もあるが、そんなの年齢を考えれば当然じゃないか。
悪いのはむしろ俺、俺は許されない事を言ったんだ。
婚約者がいるにも関わらず相手と一緒になろうとしたのは俺も同じで、それを棚に上げて彼女を不埒だと罵ってしまった。最低な裏切りだ。
「……ごめん、謝るのは俺の方だ」
一向に頭を上げないまま、膝の上で拳を握りしめていた彼女。俺はソファから立ち上がり、片膝をついてそんな彼女の手を取った。
顔を上げた彼女と至近距離で目が合う。やはりとても綺麗な顔だ。
「勝手に居なくなってごめん。連絡もしなくてごめん。すぐに会いに行かなくてごめん。隠し事ばかりしてごめん。美人に鼻の下伸ばしてごめん。君を裏切ってごめん」
結局、また先に謝れなかった。
俺の方が何年も生きてるくせに……いや、だからこそ意地を張っていた。
どれだけ体を鍛えても、経験を積んでも、俺という人間は変わっていない。変われないのだ。
いつだって自分可愛さに責任から逃げようとして、最終的に損をするアホだ。
でも、そんなアホでろくでなしなプライドの塊に、彼女は向き合おうとしてくれている。
「意地張ってごめん、先に謝らせてごめん」
こうしてごめんと重ねれば重ねるほど、安っぽい言葉に聞こえてしまう。
それとも、それほど沢山謝らなければならない人間には、謝罪の言葉は力を貸してくれないのだろうか。
うん、きっとそうだ。失敗ばかりしてきた俺が吐く謝罪なんて、きっと低級魔物の革より安い。
やめよう謝罪なんて。俺が向けるべきは前世においても今においても、ちゃんと心から使ってこなかった言葉なのだ。
「……ありがとう」
彼女の手を、一層強く握りしめた。
「もう一度話してくれてありがとう」
俺の言葉が予想外だったのか、彼女は目を見開いていたが……すぐにその表情は微笑みへと変わった。
「ふふ、じゃあお礼に何を奢ってもらおうかしら」
どこか懐かしい無邪気そうな笑顔でそう答える彼女。
ようやく、俺達は2年前に戻ってこれたらしい。
「なんでも奢るよ、沢山稼いだんだから」
「へぇー、じゃあ仲直り出来たんだね」
学園からは少し離れた貴族街の高級酒場……まあ密会の時に使う例の酒場ともいえるそこの一室で、リディはいつものようにお気に入りのナッツを摘みながら、棒読みのセリフを吐いた。
俺とラトーナの話など、どうでも良いらしい。この人は興味のない話題が出た時の態度は露骨なのだ。
「でも婚約とか、交際ってわけじゃないんだろー?」
だが、流石のリディでも部下を労わる精神ぐらいは持っていたようで、話に乗っかってくれた。頬杖を突いてつまらなそうな表情を浮かべているのが、またリディらしいとも言えるが。
「そうですね。彼女には友人として接することとなります」
ラトーナとの諍いは、クロハの計らいもあって解消することが出来た。
しかし、だからといってすぐに恋人同士というわけでもない。
学園上での立場もあるし、なによりお互いに離れている時間が長過ぎた。そういうわけで、俺達は一からやり直すことになったわけだ。
憂いはない。俺もこの方針には共感しているし、下手すればあのまま彼女と喧嘩別れする可能性だってあったのだから、こうしてまた繋がれるだけで御の字なのだ。
「まあ、君がそれで良いなら俺はなーんも言うことないけどね」
「はい」
「そっちの方はどうでも良いとして、王子の方は良くやったよ。全く、君が負けたと知った時はどうしてやろうかと思案したものだけど、終わり良ければなんとやらだね」
涼しい顔で俺にペナルティを課そうとしていたことを打ち明けられたわけだが……それよりもどうでも良いとはなんだね、ストレートにも程があるだろうに。
「正直、もう少し褒めて欲しいところですね」
「はは、何を甘えたことを。あんな程度のを蹴散らせないようじゃ、君なんか解雇だよ」
「うぅ……俺は褒めて伸びる子なのに……」
相手にはジャランダラという化け物がいたのだから、もう少し優しい評価が欲しいものだ。
「なんにせよ、ここからが本番と言っても良い。王子の動向は出来る範囲で逐一探ってもらうよ」
「……そのことですけど、王子ってそんな警戒する必要ありますかね? 話してみた感じ、食えない奴だとは思いましたが、あんまり悪い人には見えませんでしたけど……」
「王子が善人だとしても、元々の目的は王子の裏にいる黒幕に当たりをつけることだ。外からじゃ見つからない以上、内側からも探りを入れる必要があるんだよ」
「そうですか……で、最終的に王子は殺さなきゃいけないんでしたっけ?」
「……なに、情でも湧いたの?」
「いや、殺しの一人や二人は今更ですよ。善人はあまり殺したくないという気持ちもありますが」
「それなら心配には及ばない。王子を殺すとは以前言ったけど、あくまで政治的にだ。まあどのみち、正当な王族の血筋は『遺産』の力で護られてるから、俺でも殺せないけど」
「だからこそ、王子陣営の足を引っ張ってクロエ王女を推すと」
「そういうこと〜」
王子側の人間が奴隷市場に手厚い支援をしていることと、その大元が露見すればこちらの勝ちらしい。
なんでも、昨今の諸外国との国交融和の情勢下では、奴隷制度というものは足枷になるそうだ。国によっては……とくにミガルズ共和国辺りは奴隷を推奨していないので、その制度に眉を顰める者が多い。
しかも、経済の成長に伴って奴隷の需要が上り、商品確保のために周辺国家の辺境村が襲われるなんて事件も多発してきた。治安の悪化や国の境界を侵すとも取れる行為は、すぐに戦争の火種となる。
今のところ国は黙認しているが、大っぴらにこの事実が知られれば、王子派閥は国の体裁を保つために首を切られるというわけ。
「とりあえず全力を尽くしますよ」
「うん、頼むよ。後くれぐれも女生徒を妊娠させな——」
「最低ですよ」
女周りのトラブルには気をつけろ言ってくれているのはわかるが、言い方にデリカシーが無さ過ぎる。
花の十代で、こんなピュアな美少年にそういう下世話な話はやめてほしいものだ。
そんな事を考えながら、俺は店をあとにするのだった。
ーーー
決勝•和解篇 ーー終幕ーー
次章 日常篇(仮)に続く




