第161話 地の底で
「うぅ……痛ってぇ……」
ランドルフの自爆紛いの大規模魔術によって洞窟の空洞が崩落し、俺達は地下深くに落ちることとなった。
ただ落ちるだけなら、新たに足場を生成して落下を阻止できたが、天井も同様に崩落したせいで下敷きになる可能性があったので、結局は何もできなかった。
幸いだったのは、落下先が地下水脈だったので下敷きになることがなかったことくらいか。
「うぅ……寒……」
現在、俺はラトーナを抱えて水脈から這い出たところ。
岩壁の質が違うから当たり前だが、俺達は別の地下空洞まで流されたようだ。
それもかなり深い層。夏場だというのに、ここは肌寒いのが良い証拠だ。
「ラトーナ、起きてください」
今も俺の傍で気絶しているラトーナのローブを脱がせ、その体をそっと揺する。
こんな時にアレだが、ラトーナも随分と成長したな。改めてこうして近くで見ると、めちゃくちゃスタイルが良くなってて、なんかお姉さんって感じだ。
母親が長耳族なので、全体的にスレンダーで胸はアインほどデカくはないが、それでも決して小さいわけじゃない。
アインがグラビア雑誌のモデルだとするなら、ラトーナはファッション雑誌のモデルさんだな。
「うっ……うぅ……」
と、そんなことを考えていたら、ラトーナが眉間に皺を寄せて唸り出した。ようやくお目覚めか。
「……ディン?」
ゆっくりと目を開けた彼女。少し寝ぼけているのか、表情はかなり緩んでいる。
「やっと起きましたね。肝を冷やしましたよ」
ゆっくりとラトーナを引っ張り上げて、笑いかけた。
「ここは……どこ?」
「わかりません。ランドルが起こした爆発で崩落が起こったことは覚えてますよね?」
「ええ」
「どうやら俺達がいた洞窟のしたは縦穴だったみたいで、そこから地下深くの水脈まで落下して、ここまで流されてきました」
そう説明しながら、改めて周囲を見渡す。
真横には川があり、周囲は高低差の激しい地形。天井を見れば鍾乳石がそこかしこに連なっている。
あのランドのアトラクションにあってもおかしくない洞窟だな。
「そう……」
ラトーナは眉根を寄せて、少し複雑そうな表情をしていた。
それが恐怖か不安からくるものかは俺にはわからないが、どのみちあまり状況を良く捉えていないのは確かだ。
「ッ……」
「ラトーナ!? どうかしました!?」
突然腕を抱きながらその場に座り込んでしまったラトーナ。
俺は慌てて彼女の肩に手を添えた。
そして気づいた。彼女の体がとても冷たいことに。
「さ、寒い……」
そうだ、ローブを脱がせている上に、彼女の制服はびしょ濡れだ。
「すぐ脱いで下さい! 火を起こすことは出来ませんが、乾かすことなら出来るので!」
「む、無理……」
「は? なんで!?」
「は、恥ずかしいからに……決まってるでしょ、馬鹿……」
寒さに震えながらも、顔を真っ赤にして膝に顔を埋める彼女を前に、俺は口をつぐんだ。
「す、すみません。配慮が足りてませんでした……今土魔術で小屋を作るのでそこで——」
「いや、いいわ……こんなところで魔力を無駄遣いするのは危険だもの」
そう提案しかけたところで、顔を上げた彼女に遮られた。
今しがた目を覚ましたばかりだというのに、冷静に状況を見て有事に備えようとする彼女の姿勢を見て、俺はガツンと頭を殴られた気分になった。
賢くも幼かった彼女の面影はもう無く、一人の自立した女性なのだと再認識した。
それは図書室に籠って人を避けていた昔の彼女を知る教師の身としてはとても嬉しかったが、同時に友人……幼馴染としては少し寂しくもあった。
「わかりました。じゃあどうします? そのままびしょ濡れのままというわけにもいきませんし……」
「……私のローブを乾かすのにはどれくらいかかる?」
「生地が傷むのを気にしなければ、ざっと10秒ちょっとですかね」
「やって、今すぐ」
「え?」
「早く」
ラトーナに強い目つきで促されて、俺はすぐさま彼女のローブを拾い上げて脱水を行った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう……あと少し後ろを向いていてもらえるかしら」
「え? どうして?」
「き、着替えるのよ……脱いだ下着以外の服、乾かしてもらえない……かしら?」
ローブを纏いながら赤面してモジモジとする彼女を前に、俺はつい目を逸らしてしまう。
なんだか見てるこっちまで恥ずかしくなってしまうのだ。
「あ、そ、そうですよね、わかりました」
「絶対見ないでちょうだいね……見たらその、怒るから……」
ひとまず彼女に背を向けて座り込むと、間も無くして布の擦れる音が聞こえてきた。
なんだか俺は今、物凄い状況にあるのではないだろうか。
いくらこの世界で生きてきて長いとはいえ、幼い頃から日本で育った俺にとって『見るな』や『押すな』と言われた時にするべき行動ぐらい弁えている。
コレはつまり、襖を覗く……いや、彼女のローブの下に隠された銀河を観測するべきなのだろう。
イカロスは羽を溶かされたが、生憎俺の太陽はすぐ後ろにある。これはもう、踏み出すしか——
「終わったわ」
「え、早っ……」
「何か言ったかしら?」
「あ、いゃ……何も……」
背後から差し出されてきた彼女の制服を振り向かずに受け取り、乾燥作業に移る。
リディ曰く制服の生地は高いそうなので、温風を使って慎重に水気を飛ばしていく。
「……その、先ほどはごめんなさい。うちのランドルフが迷惑をかけてしまったわ」
しばらく黙々と作業を続けていた俺に、ラトーナの方から話しかけてきた。
背後で下着一枚にローブを羽織った状態の彼女の方に振り向くわけにはいかないので、表情はわからない。
けれど、声音からして責任を感じているのは伝わった。
ここは一つ、大人の男として懐の広さを見せねばなるまい。
「ラトーナの責任じゃないですよ。彼の不安定さに漬け込んで煽ったのは俺ですから、むしろ謝るのは俺の方です」
なるべくパッと浮かんだ紳士的な返しをしたが、いざ口に出してみると……あれ? コレ俺のせいじゃね? という思考が頭をよぎった。
いやいや、だとしてもだ。流石に洞窟で大規模な魔術をぶっ放すやつが悪い。
後で絶対ぶちのめしてやる。
「……暇つぶしに聞くけど、どうしてそんなにランドルフに攻撃的なの?」
気まずい間を埋めるように、ラトーナは続けて質問してきた。
「攻撃的もなにも、あいつはアインを嵌めようとしましたからね。こうして合法的に殴れるなら、やらないと損ですよ」
「そう……アインさん……ね……」
「馬鹿なやつだけど、アレでも一応は幼馴染ですから」
「……そ、そういえばアナタもびしょ濡れじゃない。 私は後回しでいいからアナタのをやりなさいよ」
突然話題を変えたラトーナ。
なにか、彼女の感に障ることを言ってしまっただろうか。
ひょっとして、ラトーナはランドルフのことが好きなのか? だからめんどくさいメンヘラの俺を振って、ランドルフをこれみよがしにチームに入れたのか?
被害妄想甚だしいかもしれないが、もしコレが事実なら、俺はランドルフを殺す自信がある。
「いえ、このぐらい冒険者時代に経験してるので平気ですよ」
ランドルフが好きなのか。
そんな質問をいきなりするほど、俺は心の準備ができていなかったので、ひとまずは彼女の話題転換に乗ることにした。
ぶっちゃけ寒くて仕方ないが、温風を体の方にも回しているので少しは耐えられるしな。
「冒険者……え、それ本当だったの?」
「嘘だと思われてたことが驚きなんですけど」
まあ、巨大ヒュドラを単独で討伐したとかいうアホみたいな噂が一人歩きしてたしな。信じられないのも無理はないか。
「当たり前じゃない。私が最後に聞いたアナタの動向って、長耳族の集落にいたってことよ?」
「あー、懐かしいですねそれ。父さんに聞いたんですか?」
「懐かしいってアナタ……叔父様達が心配じゃないの?」
「心配してない……ってことはないですけど、母さんには父さんが付いてますしね」
ぶっちゃけ、ラルドとは喧嘩別れしたっきりだし、両親にそこまで思い入れがあるわけじゃない。
悲しいかな、結局両親と不仲なのは前世と変わらないな。
「でも、ヘイラ叔母様はアナタが心配で倒れたのよ」
「それは父さんから聞きましたよ……あ、服が乾きましたよ」
「やっ、ちょっ! こっち見ないで!!!」
「ごめんなさいっ!」
苦労して綺麗に乾かしたのでつい嬉しくなってしまい、ラトーナの方に振り向いてしまった。
「こ、この服どうぞ!」
「ありがとう……お礼は近いうちにするわ。あ、アナタも早く服を乾かしなさい」
せっかくスムーズに会話出来ていたのに、お互い言葉に詰まるほど気まずい空気になってしまった。
ーーー
ひとまず服は乾かし終わり、ラトーナも着替え終わったので、俺達は向かい合ってその場に腰を下ろし、今後の話をする事にした。
「とりあえず、地上に出ることを目標に動いていきたいわけですけど……」
「落ちた場所まで戻って、アナタの土魔術で足場を伸ばして登るってのはダメかしら」
「無理です。まず、真横の川を見てください」
俺達の傍を流れる水脈を指差すと、ラトーナが口を尖らせて川を睨んだ。
「……暗くてよく見えないわ」
とのことなので、火を出して川の水面を照らした。
「見てわかるように、流れが速すぎます。俺だけならまだしも、ラトーナを抱えて流れに逆らいながら泳ぐとなると、落ちた場所まで辿り着けるかどうかわかりません」
川を凍らせようにも、途中で水中に潜る必要があるので、それも叶わない。
「そう……よね。あと、一ついいかしら?」
「なんですか?」
「どうしてさっきから敬語になってるの? 喋りにくいから戻しなさいよ」
「え、あ、うん」
自分でも無意識だった。
振られて以来、彼女との距離の取り方を測りかねているのかもしれない。
「じゃあとりあえず、正規ルートで上に戻る道を探すということで良いのよね?」
「そうだね。問題は食糧かな」
「冒険者ならどれくらい持っていくの?」
「それは探索範囲にもよるよ。だから俺達の現在地がわからない以上、食糧の必要性もわからない」
「最悪餓死するってことかしら」
「いや、道中で魔物がいれば、そいつを殺して食う」
魔物のいない洞窟はないが、三割ほどの確率で魔物に全く遭遇しないなんてこともある。
あまりにも広かったり、食物連鎖の関係など理由は諸々だ。
「そ、そうなるのね……わかったわ。私は素人だし、この先の指揮権はアナタに預けるわ」
「わかった。じゃあ動き出すにあたって、いくつか基礎知識を教えるよ」
ーーー
洞窟探索を行う上での基本をある程度ラトーナに説明したところで、俺達は上へと続く道を探し出した。
現在俺達は流れ着いた鍾乳洞の探索を一通り終えて、水脈に沿って下流へと向かう事にした。
今の所は、水脈が通った狭いトンネルを、俺が炎で照らしながら進んでいる。
「魔力は大丈夫?」
背後からラトーナの問いかけ。
歩く時は距離を取られているし、会話は最低限。雰囲気はお世辞にも宜しいとは言えない。
そんな空気を嫌う俺自身も彼女にどう接して良いのかわからないのだから、困ったものだ。
「この程度なら問題ないよ。自己保管の範疇かな」
「でも、私との闘いで結構魔力使ってたでしょ? 上級魔術を何度も相殺して……」
たしかに残りの魔力は二割を切っているが、高々初級魔術なら3日以上維持してられる。
それに、ラトーナの呪詛を相殺した際の刻印の遠隔発動は、大気中の魔素を利用しているから消耗は微々たるものなのだ。
「それを言ったらラトーナだって、めちゃくちゃ上級魔術使いまくってたじゃん」
正直、ラトーナの実力は想像以上だった。
スパイ映画でよくあるレーザーを掻い潜るシーンみたいなことさせられたし、視界一面を埋め尽くすほどの魔法陣を一度に展開した時には『いやゲートオブバビ◯ン』かよって思ったしな。
「私のはその……半分くらいダミーだったから、消費はあんまりよ」
「え? 魔法陣だけ展開したってこと?」
「そうよ。アレはアナタの行動を制限するために出したから、半分くらいは当たっても何の効果がないの」
「冗談だろぉ……」
マジかよ、一本取られたわ。
まさかそんな技があるなんて思わなかった……
「冗談はこっちのセリフよ。アレだけ大量の上級魔法陣を片っ端から全部潰されたんだから……」
「ふふん。そう言ってもらえると、寝る間も惜しんで修行した甲斐があったよ」
「修行? この一ヶ月の間に?」
「ええ、1日30時間の鍛錬を条件に存在する力です」
「どういうこと?」
「……冗談。講義中とかもこっそり練習をしてたから、少なくとも1日8時間以上は上級魔術の練習をしてたかな」
そう訂正すると、ラトーナは黙り込んでしまった。
話しかけて良いのかもわからず、互いの砂利を踏む音だけがトンネル内に反響していた。
「……ねぇ、アナタはどうしてそこまで——」
「しっ、待ってラトーナ」
せっかく再び喋り出そうとしてくれたラトーナの口を指で塞ぎ、耳をすます。
「 どうしたのよ?」
「何かが来る」
俺達の先に伸びている通路、その奥の暗闇から鳴き声が聞こえるのだ。
はたして、トンネルの奥からは無数の小さな赤い光が浮かびあがり、それらは物凄い勢いでこちらに向かって来ていた。
「何あれ?」
「ベガーラットだ!!!」
無数に浮かぶ赤い光の正体は、俺の炎が反射した鼠型魔物の目だったのだ。
「へぇ、小さくて可愛いじゃない」
通路をぎっしり埋め尽くすように隊列を組んでこちらに走って来る鼠を前に、ラトーナはそんな呑気な感想を述べた。
「どこが! ぶっ殺すから下がってて!」
ーー氷層ーー
一歩前に出て地面に手を突き、迫って来るネズミごと埋めるよう地面に氷の膜を張る。
「あ、可哀想……」
いじらしそうにボソッと呟く動物好きのラトーナ。
そんな言い方をされてはこちらとしても心苦しいのだが、彼女はあの魔物の恐ろしさを知らないから可愛いなんて言葉が出るのだ。
「……あの魔物は病原菌の巣窟だよ。噛まれると不妊になったり、免疫力が著しく落ちて他の感染症を引き起こすんだからね?」
「あら、そう……」
「そうだよ。返り血とかも危ないからこうして凍らせたんだ」
ラトーナの手を引いて、ネズミ達が閉じ込められた氷の上を歩く。
なんだか博物館みたいだ。
「返り血が危ないなら、アナタみたいに氷を出せない人達はどうするのよ」
「普通なら専用の臭い袋を持ち歩くから、そもそも寄って来ないんだよ」
「へぇ……詳しいのね」
「これでもA級冒険者なんだけど……まあそれは良いとして、早く先に進もうか」
その後も洞窟探索に関する蘊蓄をラトーナに語りながらしばらく進むと、ようやくトンネルから出て新たな空洞に辿り着いた。
俺達が今立っている足場は断崖絶壁であり、目下には洞窟全体面積の大半を占める窪地が広がっていた。
隣を流れていた川は底にある湖に向けて滝のように流れており、その傾斜がいかに急かを物語っている。降りるのは一苦労だろう。
だが、窪地を挟んだ向かい側には新たな通路への入り口がいくつかあるようで、どうにもこの絶壁を降りなければ先には進めなそうだ。
そしてもう一つ、俺達が覗き込んだ絶壁の底では……
「うわぁぁぁ! く、来るなぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
絶壁を背にしながら、銀色の狼に取り囲まれているランドルフの姿があった。
「よし、別の道を探すか」
俺は迷うことなくその光景に背を向けて、元来た道に引き返すのだった。




