第15話 苦戦
「おはようございまーす」
早朝、馬小屋の前に立って戸を叩く。
「入りなさい」
扉の向こうからはラトーナの声、それを確認し、俺はゆっくりと中に入る。
「ちゃんとノックできるのね、あなた」
せっせと馬に餌をやっていたラトーナが、俺を一瞥する。
「パンツのことは忘れろって言ったのに、自分で掘り返してるじゃないですか」
「うるさいわね、契約解消するわよ」
随分な暴論だ。まあでも、昨日までよりは明らかに態度が柔らかくなっている。少しだけ距離が縮まったんだな。
「なに手伝えば良いですか?」
一日二回の動物への餌やり。動物は人間と違って腹黒くないので、いつの間にか一緒にいることが増えたそう。
人嫌いとは言っても、彼女は中々寂しがりだ。
「大丈夫、もう終わるわ」
そう言うと彼女は手際良く片付けを済ませ、小屋の扉に手をかけた。
「さあ、早く魔術を教えてちょうだい」
「勿論です」
ーーー
彼女と共に庭園に出た。噴水近くは障害物も花壇もないので、万が一誤爆しても被害は少なくて済む。
「ひとまず基礎五属性魔術からやっていきましょうか」
「え、えぇ……」
「俺はセンスがあったから無詠唱で出来たけど、ラトーナがそうとは限らないから一応普通に教えるね」
「あなた、性格悪いわね」
「だって隠したってバレるんですもん。言い方悪いかもしれませんが、下手に嘘を言ってラトーナの気分を害す方が嫌です」
「……そう」
というわけで、図書室から持ってきた本をちょくちょくカンニングしながら、彼女に詠唱とそのコツを一つ一つ教えていった。
「「……」」
そして、一つも出来なかった。
魔術は一応発動してはいる。けれどそのどれもが不安定なのだ。岩礫を放とうとすれば、発射待機中に弾が崩れて、ただの炎を出せばすぐに消えてしまう。
基本的に魔術というものは、詠唱さえあっていれば、勝手に発動してくれるモノ。無詠唱でもない限り魔力操作のコツとかはあんまりない。
つまりこの失敗には何か他の原因があるのだろうか。
「ね? 魔術は下手くそだって言ったでしょう?」
自嘲気味に彼女は笑う。
著しいモチベーションの低下。これは良くないな。
「うーん、とりあえずお腹空いたんでご飯食べましょうか」
「は? 魔術の練習はどうするのよ!?」
「出来ないことをずっとやっても意味は無いです。やり方を変えるなり、原因を探らなきゃ時間の無駄です。けどどっちも思いつかないんでリフレッシュしましょう!!」
煮え切らない顔をした彼女の手を少し強引に引いて、俺は屋敷へと戻った。
ーーー
「相変わらず美味しいですね、ここのスープ!!」
自室に置いてあった小さなテーブルに、彼女と向かい合って座る。
「ねぇ、何で貴方の部屋で食べなきゃ行けないわけ?」
「え、年頃の女の子の部屋に上がり込むのはマズくないですか?」
「そうじゃなくて、わざわざ一緒に食べる理由よ!!!」
「これから長い付き合いになるんですから、親睦を深めるのは必要だと思ったんですが……嫌でした?」
「別に……嫌じゃないけど……」
「なら良かった。お、この肉美味いですね。後で料理人に習ってきますわ」
「……料理人になりたいの?」
何気なく口にした言葉に、ラトーナは目を丸くして問いかけてきた。
「はは、まさか」
「じゃあ、どうして習うの?」
「うーん……趣味? ですかね」
「へぇ、変わってるのね」
「ラトーナには無いんですか? 趣味とか」
「……動物世話したり、本を読むこと」
「良いですね。なんか面白い本紹介して下さいよ」
「……うん、そのうち」
ラトーナはなんだか心ここに在らずと言った感じで、最後まで会話は弾むに弾まなかった。
まあそれでも、彼女という人間の輪郭くらいは掴めた気がする。
ーーー
さて、昼食を挟んで再び庭に戻ってきた。
「別の魔術をやる……?」
ここに来るまでずっと視線を落としたままで、明らかに口数も減っていたラトーナが、初めて顔を上げた。
「はい。属性魔術以外のものをやりましょう」
「で、でも五属性は基礎だから最初にやらないと……」
たしかに五属性魔術は基礎だなんて言われているが、あくまで魔力操作や詠唱がシンプルなだけで、他の魔術との関係性は無い。
治癒魔術から始めたって理論上は問題はないはずなのだ。
「わからない問題は飛ばす。これ入試の基本です」
「なんのこと?」
「まあとにかく、やってみましょう」
眉を八の字にしているラトーナを無理やり押し切って、書庫から持ってきた治癒魔術や結界魔術、呪詛魔術の詠唱を教える。
まず最初に治癒を教えたが、こちらは発動すらしなかった。
次に結界魔術。初級の小さな障壁を作り出す魔術は発動せず、中級の立体的な結界は発動こそしたが二秒も経たずに崩壊してしまった。
「だから言ったでしょ!? 私なんかダメなのよ!!!」
度重なる失敗が祟ってか、ラトーナは目元に涙を浮かべながら地団駄を踏んだ。
彼女の精神的な限界は近いだろうな。て言うか俺も。
最後に残ったのは呪詛魔術だが……ハッキリ言って一番高度な魔術なので望み薄だ。
「そうやって自暴自棄になるのは全部試した上にして下さい。たとえ可能性が低くてもね」
彼女の手を握り、瞳を覗き込んで語りかける。
気休めは彼女に通じない。だからこそ、しっかりと向き合った上で俺はそう語りかける。
「……」
「呪詛系列だと比較的に簡単な『耐火の加護』。これをやってみましょう」
最後の砦とも言うべきそれの詠唱が始まる。
俺に向けられた彼女の手には光が帯びている。魔術はしっかり発動してるっぽい。
「……終わったわよ」
光が引くと、彼女はゆっくりとその手を引っ込めた。
こんな時であれだが、不安そうに上目遣いでこちらを見てくる彼女は、かなり可愛いなと思った。
「さて、確かめないと」
「ちょっと待って! よく考えたらそれ炎を貴方の体に当てないと成功かわからないじゃない! もし失敗してたら——」
ーー発火ーー
人差し指から炎を出して、左腕にそれを押し付ける。
「ちょっと!!!」
ラトーナが声を裏返らせながら、ものすごい勢いで俺の左手を掴み上げる。
「大丈夫です、ちゃんと発動してますよ。ほら」
彼女の手を優しく解き、炎を当てた左腕を見せる。
「ほ、ほんとだ……」
火傷の痕はない。もちろん、触れる直前に火を消したわけでもない。
「信じてたと言えば嘘になりますが、最後までやってよか——」
「やったぁっ!!!」
「うぇ!? ちょっと!?」
突然彼女に抱きつかれた。
「やった! やったわ! 私でも出来たわ!」
俺に抱きついたまま無邪気な声で飛び跳ねるラトーナ。可愛くて大変よろしいのだが……早急に離れて欲しい。
当たっているのだ。華奢な見た目とふわっとした服装で一見わかりにくいが、年相応に育った双丘が、俺に押し当てられているのだ。
「ラトーナ……恥ずかしいんですが……」
「——ハッ、ごっ、ごごごめんない……!」
突然我に帰ったラトーナが、ものすごい速さで俺から距離を取った。
「顔真っ赤ですね。照れちゃいました?」
「き、気のせいのよ。貴方こそ真っ赤じゃない」
「可愛い子に抱きつかれたら誰だってそうなりますって」
「!?」
「あれあれ? また照れちゃって〜」
「ッ……やっぱ貴方嫌いだわ」
「なんとでも言いえばいいですよ〜 あ、それよりもせっかく成功したんだから、他の呪詛魔術も試しましょうよ!」
「……そうね、そうしましょ」
呪詛の本をバラバラとめくりながら歩み寄ると、彼女は腰に腕を当てて、控えめな笑みと共にそう答えた。