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「偽物の天才魔術師」はやがて最強に至る 〜第二の人生で天才に囲まれた俺は、天才の一芸に勝つために千芸を修めて生き残る〜  作者: 空楓 鈴/単細胞
間章 追憶〜冒険者篇〜

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第155話 ユグドラシル転生記

【ゴルドォ視点】


 初めて会った時、その少年の印象は変わった風貌ばかりに目がいって、さして特別なものではなかった。

 見るからに自信の無さそうな瞳、その若さから来る滲み出す焦りの感情。それはどこにでもいる思春期の少年のそれと変わらなかった。


「はははッッ……!!!」


 だがそれは、今私の眼前に広がる光景によって間違いだったと証明された。

 若き日は冒険者、晩年は魔術の探究者として数百年の時を渡っておきながら、私の眼は節穴だったようだ。

 

 人類に害を為す災獣を前に、私よりも小さく若き少年は、思わず脱帽してしまうような芸当を見せた。

 千にも届こうかという数の魔法陣でヒュドラを取り囲み、そこから生成した魔術をただ一点に一斉掃射することによって英級……いやそれこそ災級にも届くような破壊力を生み出したのだ。


 その爆発から生まれた光は、己の輪郭を捉えるので精一杯なほど暗い洞窟をまるで真昼の如く照らして見せた。

 その爆発の余波は、私が彼らの矢尻に立って魔術で相殺せねばならぬほどの荒々しさを孕んでいた。

 私が永らく求めて止まなかった破壊……魔術の局地を、少年は実践してみせた。

 最近は右肩下がりだった魔術への意欲を、私はこの夢を通して取り戻そうとしているのだろうか。


 少年の魔術による爆風が止み、土煙の中からはその鱗を剥がされて丸裸になったヒュドラの巨体があった。

 所々の欠損は見られるが、あれ程の魔術を受けても鱗が剥がれる程度で済むのか。

 私一人ではどうしようもなかったな。


「うっ……なんとかやりましたよ……」


 私の背後で老戦士に支えられている少年は、目を白黒させながらか細い声で笑った。

 魔力枯渇だろう。時期に意識が途切れる。


「ありがとう少年、ここからは私の出番です」


 重傷を負って大人しくなったヒュドラに向き直り、掌を向けた。

 今は静かだが、きっと再生に力を回しているんだ。こいつはやはり早急に消し去らねばならない。


「我が名はゴルドォ•ルガリア!!! ユグドラシルより授かった使命に従い、回禄王アスモデウスとしての責務をここに果たす!!!」


 無意識にそう叫んだ。

 ああ、ああ……そうか、そうだったのか、思い出したぞ。


 これは夢なんかじゃない。

 私は死んでいるのだ。

 私は書斎で一息つき、目を覚ましたのだ。そしてそれから数年後、病に倒れて孤独のまま死んだのだ。


 どこで記憶がズレていた?

 いやそもそも、なぜ私一人が現世に召喚されたのだ?

 目の前の怪物には火が効かなかった。私とは相性が悪い。本来ならば、水煙王リヴァイアサン壌土王ベヒモスが召喚されて処理に当たるはずだ。


 ユグドラシルの世界演算が狂っているのか?


 いや、そんなことは今気にしていても仕方ない。

 私は所詮長きにわたる魔術史を築いた一人の影法師、使命を全うするのみだ。

 

「少年、意識が闇に沈む前に目に焼き付けておきなさい。これが、災級魔術ですよ」


 振り返って少年に笑いかけ、詠唱を始めた。


「叛逆の鐘を鳴らそう。

 滅びと流転は大地の意。

 しかし此度、我らは星に牙を向く。

 汝を討つは、浮世を渡る諸人のえにし

 我らが歩みを阻むもの無し、代行者たる回禄王がその背を押す……」


ーーー


 魔術。それは体内を巡る魔力というエネルギーを燃料とし、凡ゆる奇跡を模倣する技。

 それらは本来、起き得る筈のない奇跡の度合いによって階級が設けられていたが、いつしかそれは技自体の難易度の指標となっていた。

 初級、中級、上級、超級、英級、災級。

 初級は事象の発生。

 中級は事象の使役。

 上級は手を使わぬ事象の発生。

 超級は事象の強化。

 そして英級は、人が成し得る最高峰の奇跡……まさに英雄の名を冠すに相応しき偉業の再現。


 ならば、災級が指す奇跡とは何か。

 それは世界中に眠る人類を脅かす厄災……魔物、疫病、天災、それらを鎮めるためにユグドラシルに束ねられた英雄の魂が現世へと顕現し、ユグドラシルから魔力の補助を受ける事によって行使する奇跡。

 

 魔術師の最高峰には、ユグドラシルと密接な関係を持つミーミル国王が称号を与える。

 例えば、火魔術師には回禄王アスモデウス、呪詛魔術師には冥助王ベルゼブブ、治癒魔術師には救世王アトラス

 それらの称号が王を介して、ユグドラシルから授けられる。


 人は本来、死せばユグドラシルへと魂を吸収されその転生記に刻まれる。そしてその後に記憶を漂白されて現世へと再び生まれ落ちる。

 だが、称号を持つ彼らはその魂にプロテクトがかかり、ユグドラシル転生記の中に残り続けるのだ。

 そしてそれらはユグドラシル膨大な演算に基づく未来視によって、人類に厄災が訪れる際の対抗措置として受肉し、使徒として現世に降り立つ。


 つまりは、ユグドラシルから供給される無尽蔵かつ膨大な魔力を制御し、その力を余すことなく行使出来る者が称号を受け取り、その者が行使する魔術こそが災級魔術なのだ。


 そして現在、人類の脅威になり得る存在として認定された混合ヒュドラは、そこに現れた使徒の魔術によって屠られようとしている。


ーーー


 一通り脳裏に自然と浮かんだ詠唱を済ませて、最後の小節を高らかに叫ぶ。

 それと同時に、私の中で荒ぶる大海にも等しき膨大な魔力が、一つの形を成す。


無騒の光球フロウバック・エクスプロード!!!」


 満身創痍の巨大に向けて、魔術を放った。


 ヒュドラの大きさに届くほどの巨大な火炎球を飛ばし、それをヒュドラの元で炸裂させる。

 そしてそこで生まれた炸裂の熱エネルギーを再び中心へと逆流させ、膨張と収束の衝突反応を作り出す。

 これは言わば、触れたものを例外なく一瞬にして消し飛ばす『ファイヤーボール』。

 発生した衝撃は洞窟へ被害を与える事なく、その破壊力全てがヒュドラへと注がれる。


「凄い……」


 眩い光に包まれながら音もなく消えていくヒュドラを前に、私の背後でそれを見届けていた少年は感嘆の息を漏らした。

 純粋なる賞賛、長年一人地下に籠っていた私にとって、これほど身に染みるものは無い。今の一言だけで、召喚されて良かったと言える。


「ヒュドラの討伐は終えた事ですし、地上に戻りましょう」


「ですな」

「はい!」

「承知〜」


 戦友達と勝利の凱旋を歩もうとしたその時だった。

 いつの間にか景色が洞窟の天井に切り替わっていた。


「ゴルドーさん!?」


 どうやら、私は倒れたようだ。

 魔力枯渇では無い……しかし、なるほど原因はすぐに分かった。


「厳しいですね、ユグドラシルは……」


 ユグドラシルからの魔力供給が止まっている。

 超克対象のヒュドラが消えた事で、私が現世に留まる理由がなくなったのだろう。

 次期に意識は消え、私は再び眠りにつくのだ。


「ちょっと!! 何が起こってるんですか!!」


 銀髪の少年が鬼気迫る表情で私の肩を揺すってきた。


「どうやら、私は皆さんと勝利の美酒に酔う事は出来ないようです」


「僕だって酒は効きませんよ!」


 的外れなことを涙交じりに叫ぶものだから、つい笑ってしまった。


「そういうことではなくてですね……そう、今のは私は人形です。本体が遠くで操作しているわけですが、先ほどの魔術のせいで魔力を使い果たしてしまいました」


 私の抱える諸々の事情を話すかどうか迷い、結局嘘をつくことにした。

 荒唐無稽だからというのもあるが……このような奇跡は恐らく外部に漏らすべきでは無いのだろう。


「そうなんですか……?」


「ええ、だからまたいつか、どこかで会えたらその時こそ杯を交わしましょう」


 私は努めてにこやかに笑いながら、少年の頭を少し乱暴に撫でた。

 生前は子供なんていなかったし、笑ったこともなかった。

 だが、今は不思議と満たされている。この記憶が昇天後に残るのかは知らないが、そうなれば良いなと思う。


 ああ、そうだ。せめて一時でも苦楽を共にした戦友達に通告をしておこう。

 これぐらいは許されるさ。


「グリム……いやディン少年、よく効きいてください。

 原因は不明ですが、ユグドラシルによる世界の管理には乱れが生じています。この先、この世界には何が起こってもおかしくありません。

 君は強い。そしてこれからもっと強くなる。だから決して備えを怠らぬように」


「?」


 少年は首を傾げていた。

 当然か、こんな遠回しな言葉では真意は伝わらない。

 だが、これが限度というものだ。私も確信があるわけではないのだから。


「……早く戻りならないと、お仲間が助からないかもしれませんよ」


「あっ、そうでした!!!」


 少年は慌てて隣で倒れていた男性ボールを背負いながら、パーティーメンバーの所へ駆け寄って行った。


「……なにか、言い残すことはありやすか?」


 少年も離れて、いよいよ消えようかという時に、魔剣の剣士は私に近づいてきて小声でそう言った。


「参りましたね、貴方には分かりますか」


「あっしの長年の勘というやつでさぁ」


「そうですか、悔いは特にありませんね。強いていうなら、もう一度貴方達と共闘したかった」


「ははっ、そいつぁ剣士妙理に尽きるというもんでぇ」


「さらばです、魔剣の瞞着王ルシファーよ。貴方の魂がその魔剣のように美しくあらんことを」


「あっしには勿体無い言葉……さて、大丈夫でやすかルセウスの旦那ぁ? 肩貸しやすぜ」


「ああ、これは面目無い……寄る年波には勝てぬもので」


 魔剣の剣士は、初老の戦士を支えながら少年の元へと歩いて行った。


 彼らが地上に戻るために歩み始める光景を最後に、私の意識は消滅した。


ーーー


 あの戦いのあと、俺達は半日ほどかけて地上に戻り、それから一日後に冒険者ギルドへ今回の報告を行った。


『おめでとうございます。グリムさんは今回の活躍によって、特例でA級冒険者へと昇格となります!!!』


「「「おおおお!!!!」」」


 報告を終えて報酬の支払い等を小一時間ほど待っていると、冒険者ギルドの受付嬢が一階の酒場までやってきて興奮気味にそう言って拍手をし、その場に居合わせた連中はこぞって感嘆の声を上げていた。


『史上初ですよグリムさん! 最速記録も、飛び級も!』


『そうなんですか、運が良かったです』


 嬉しくないと言えば嘘になる。

 でもやっぱり、この結果に至るまでに失ったもののことを考えると、もっと良い未来もあったのではとつい思ってしまう。


『凄いのうグリム』


『私達凄い子とパーティーを組んでたのね』


 受付嬢を待っている間同じ卓を囲んでいたドルムルとリリスは、そう言って笑いかけてくれた。

 ドルムルは左足が無くなって、リリスには右腕が無い。

 地上へ戻る際、途中で彼らの毒の処置を行ったのだが、ヒュドラが撒き散らしていた毒の侵攻は想像以上に速く、重症だった部分は切断するほかなかった。

 処置の際は彼らが意識を失っていたのが、せめてもの幸運と言えようか。


『みなさんのおかげですよ……本当に……』


 そう、みんなのおかげだ。

 ヒュドラの攻撃から俺を庇ったバーバリアン、気が動転していた俺の隙を埋めてくれたカール。

 そして……反撃の中で窮地に立った俺を助けてくれたボール。

 もう会うことの出来ない彼らがいなければ、俺はここに立っていなかった。


『報酬の受け渡しですが、何せ大金ですので一週間ほど先になりますが宜しいでしょうか?』


『はい、それでお願いします』


『グリムよ、本当に山分けで良いのか?』


 去っていく美人受付嬢の背を眺めていた俺に、ドルムルが申し訳なさそうな顔で問いかけてきた。隣のリリスもなんだか不満げだ。


『少ないですか? ならもっと……』


『いや、充分。むしろ多すぎるくらいじゃよ』


 俺はそうは思わない。

 結局、ヒュドラを倒せたのはシュバリエやルセウス、そしてゴルドーという猛者達の存在によるところが大きい。

 だが一級戦功のゴルドーは行方知れず、シュバリエは酒を奢ってくれれば良いと辞退、ルセウスは生活には困っていないと王宮仕え自慢をする始末。

 それならばと、残った二人に全額譲渡しようとしたのだが拒否されたのだ。


 結局賞金のほとんどは俺に回るわけだが、これではなんだか溜飲が下がらない。

 まるで俺が美味しいところ取りをしたクズみたいだ。

 いや、クズなのは認めるが、クズにだってポリシーがあるのだ。


『何かあったら言ってください、微力ながらいつでも力を貸しますので』


『はは、その時は頼むわい』


『ありがとぉ』


『では、報酬譲渡の日にまた』


 ひとまずそれだけ伝えて、俺は酒場を後にした。


ーーー


 さて、次にやってきたのは冒険者ギルドから少し離れた位置にある安い宿、その一室だ。


「シュバリエさーん、お酒買ってきましたよ〜!」


 そう言いながらノックもせずに扉を開く。


「いやぁ照れやすねぇ〜」


「うふふ、事実ですよ? だから貴方と——」


 ドアを潜った先の景色には、ベッドの上に1組の男女。

 長耳族の男は鼻の下を伸ばしながら頬をかき、方や隣の女はその男にベッタリと体を擦り付けて、耳元で妖しい息遣いでしっとりと喋っていた。


 二人ともまだ服は着ている。

 だが少し到着が遅れていれば、危うくおっ始めている現場に突入するハメになっていただろう。


「きゃっ!?」

「おおグリムの旦那!?」


 顔を真っ赤にして慌てて部屋を出ていく女性を尻目に、俺はシュバリエをジトっと睨んだ。


「……」


 現在の時刻は正午前。俺は昨日、ちょうど今くらいにこいつの部屋を訪ねると話しておいたはずだ。


「いやぁその……なんていうか……」


「まさか、魔剣の力を悪用してナンパとかしてないですよね」


「あっしをなんだと思ってるんですか!?」


「どうだか……そもそも、血の濃い長耳族には性欲はないと思っていましたよ」


「ふふ、甘いことよグリム……いやディンの旦那ぁ、女好きが皆性の獣族だと思ったら大間違いでさぁ」


「?」


「女とは即ち花。自然と調和する長耳族が花を愛でるのは当然ってことでさぁ」


「来客を控えているのにも関わらずおっ始めようとしてた人に言われても、なにも説得力がありませんね」


「花が水を求めたらあげるように、女があっしを求めるならばこれもまた拒む術なし」


 スカした顔でツラツラと語るこいつには、俺の拳が一番似合うと思うがな。


「まあもういいですよ。それよりほら、お礼の酒です」


 迷宮で俺に助力してくれた際の報酬は酒が良いと言っていたので、ひとまずこの辺りで一番高い酒を買ってきた。

 おかげで、俺は王様から貰ったお小遣いのほぼ全てを使い果たしてしまった。

 恩人へのお礼だからケチるつもりはないのだが……明日から道端の草を食べて生活することになると考えると、なんとも寂しい。

 俺もナンパとかすれば、ヒモになれるだろうか。無理か、このガキの体じゃ。


「ああすいやせんね、どーも」


 はにかみながら酒を受け取ろうとするシュバリエ。

 俺も素直に差し出そうとしたところで……とあることを思い出し、ひょいと酒瓶をひっこめた。


「?」


「そういえば、酒場で起こりそうになった喧嘩を魔剣の力で煽るのが趣味……とか言ってましたね」


 シュバリエが目を逸らした。


「おかしいと思ったんですよね、前に酒場で喧嘩になった時。普通なら大人しくしてるはずなのに、自分でも不思議なくらいに苛立ちが抑えられなくなって」


「い、いやぁアレは酒が入ってたせいでなりふり構わずやっちまったと言いやしょうか……」


 やっぱりこいつが犯人だったか。

 まあ今更怒る気もないけどな。弱いもの(?)イジメが出来てあの時はスッキリしたし。


「恩人に今更とやかく言うつもりはありませんけど……流石に……ねぇ?」


 だが、せっかく立場が逆転したのだ。それを少し利用させてもらおう。


「ここを立つ日を何日か伸ばして、僕に稽古をつけてくれたら嬉しいかなーって?」


 そう、彼は明日にはここを出て行ってしまう。だからせめて、彼から吸収出来るものはしておきたいのだ。

 瞞着流最強の証である『瞞着王』。現在は四十代目がその総本山を治めているらしい。

 彼はその二代目様なのだ。


「あーもう、わかりやしたよ! まさか瞞着王のあっしが上手く転がされ違うとはねぇ!」


「はは、師匠あなたの教えを守ったんですから、そこは褒めないと」


「全く、可愛くない弟子が出来たもんでぇ」


「そうですかね、僕の顔結構女性ウケ良いんですけどねぇ」


 そんな冗談を言い合う流れでシュバリエが宴会を始め、また俺が介抱する羽目になった。


「——とまぁ、こんな感じで俺の超カッコいいヒュドラ退治は幕を閉じ、しばらくの修行期間を経て、再び冒険者としてのスタートを切ったわけです」


 ミーミル王都郊外の森林、そこでアインとの決闘を終えた俺は、彼女に頼まれてそんな冒険者時代の話を語った。


 ヒュドラ退治の後にもまあ色々あった事にはあったのだが、俺が強くなるきっかけを得られたのは、やはり今語った出来事が大きく占めている。


 怪我したり、仲間が死んだり、本当に色々あった。でも今振り返れば、充実していたといえよう。

 生前の十一歳の頃の俺と比べてみろ、いけすかない奴を虐めたりして自尊心を保ってたクズ野郎の俺なんかより、ずっと清いものだ。


「君は凄いね……ずっと、頑張っていたんだね」


 隣で静かに俺の話を聞いていたアインが、そっと頭を撫でてきた。

 焚き火に照らされた彼女の顔は、今までに見たことのない大人びた表情をしていた。そう、まさに『聖女』という言葉が似合いそうな慈愛に満ちた顔だ。


「きゅ、急になんですか……!」


 そんな新たな一面に、不覚にも少しドキッとしてしまい、俺は彼女の手をどけた。


「い、いやその! ほら、僕ってば君のお姉ちゃんみたいなものだし!? それにほら、こ……ここ婚約者として……」


 彼女の声は次第に小さくなっていった。


 婚約者。そんな言葉が遂に、アインの口からハッキリと出た。

 そうか、俺はコイツと婚約してるんだよな。ラトーナにフラれた今、何もなければ俺は目の前でオタオタしているコイツと結婚する事になる。


 心のどこかで、それでいいじゃんと思う自分がいる。

 だが、これは『妥協』なのではないだろうか。俺はそんな気持ちでアインを受け入れて良いのだろうか。

 前世で散々他人を軽んじて、蔑んで、そして後悔した俺が、また同じような事をして良いのだろうか。


「ディン……? どうかした?」


「あ、いえなんでもないです」


 いつの間にか、心配そうに俺の顔を覗き込んでいたアインを前に、俺はそんな嘘をついた。

 俺は君のことで悩んでいるんだよ。


「まあ俺の話はこんなもんです。とりあえず学園に戻りましょうか!」


 だが、今はアインのことを考えている暇はない。

 ラトーナ達との戦いに備えて、色々準備をしなければならないんだ。

 これに勝てるかで、王子への接近チャンスが生まれるのだから。


「立てますか?」


「あ、ありがと……」


 彼女の手を取り、引っ張り上げて歩き出す。


 学園の敷地に入るまで、俺達はなんとなく流れで手を繋いだまま並んで歩いていた。


 よし、明日も頑張ろう。


ーーー


追憶 冒険者篇ー終幕ー

学園決勝試合篇に続く

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