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「偽物の天才魔術師」はやがて最強に至る 〜第二の人生で天才に囲まれた俺は、天才の一芸に勝つために千芸を修めて生き残る〜  作者: 空楓 鈴/単細胞
間章 追憶〜冒険者篇〜

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第152話 虎穴


 休息も充分に取り、俺達は再び迷宮へのアタックを開始した。

 前回は3階層まで攻略したので、今回はそこから5階ほど下までを目指す予定だ。

 探索の量が増えたのは、3階までである程度その迷宮の特徴を掴めるからとのこと。


 現在俺達がいる4階層は罠も魔物の姿も殆ど無く、マッピングはすぐに終わりそうなので、もしかしたら予定より更に下に向かうかも。


『シュバリエさんも着いてきて欲しかったです』


 順調に探索が進む中、俺がそんな事を呟く。

 そう、今回の探索にはあの鬼強剣士が同行していない。なんでも探索は一人で進めるつもりらしい。

 何を馬鹿なとは思ったが、昨日つけて貰った稽古での彼の力量を考えるに、あの人なら大丈夫だろうとも言える。

 魔術師でもないのに、あの人は俺に最適な型をいくつも教えてくれて、模擬戦まで付き合ってくれた。

 さすがは五百歳、雑に剣術ばかり叩き込もうとしたリディとは年季が違うな。きっと迷宮も単独で攻略出来るのだろう。


『まあ居てくれれば安心だけどね、あんまり大所帯になるのもね。今の人数がギリギリじゃないかしら』


『うむ、フォーメーションの組み直しも面倒じゃしな』


『たしかにそうですけど……』


 一度は同じ卓で酒を交わした相手だというのに、なんだか皆んな薄情だ。それとも冒険者としての常識の違いだろうか。


『まあ、合流できたらまた一緒に動けば良いだろ!』


 とりあえずはカールのそんな一言で、この会話は締め括られた。


ーーー


 さて、やってきたのは5階層。

 階段を降りればそこは開けた広間こと、魔物の見本市だった。


ーー氷層ーー

 

 そしてそんな市場もたった今から閉場です。

 魔物達がこちらの存在に気づくのとほぼ同時に、俺は魔術の発動を終えていた。

 魔術による範囲攻撃となると、どれも破壊力が高かったり、炎みたいにそもそも使える場所が限られていたりするものだが、氷結魔術はとても便利だ。

 拘束から攻撃まで、混合魔術である分発動が少し遅いことを除けばこの上ない迷宮適性を持っている。


『ここの魔物もあんまり強くありませんね』


 足を固定されて直立不動となった魔物の群れを前に、俺はほっと胸を撫で下ろす。

 正直、めちゃくちゃビビっていた。3階層であれだけ強いカマキリがいた分、その下は更なる魔境だと思っていたのだ。

 だが蓋を開ければどうだろう、ほとんどはC級以下のいわゆる雑魚モンだ。


『ええ、そうねぇ……』


『おかしな生態系だなぁ。迷宮の融合でも起こったのか?』


 バーバリアンの言う融合とはそのままの意味で、隣接していた迷宮が様々な要因により一つに重なる現象のこと。

 本来なら迷宮は下に行けば行くほど魔素が濃いので強い魔物が住み着くのだが、迷宮同士の衝突により階層や魔素濃度が入り乱れ、魔物のレベルにズレが出るそうだ。


『かもしれないわね……それだと最下層にはかなり強い主がいることになるわ、みんな気を引き締めてね』


 足を奪われた魔物に前衛達が流れ作業のようにトドメを刺していきながら、そんな会話を交わす。

 融合した迷宮の主は、基本的に元の二体が合体した能力を持つことが多い。

 一説では迷宮と主は一心同体だからそういうことが起こると言われている。

 まあ最近の主流ではぶつかり合った迷宮の主同士が殺し合って、勝者がもう一方を喰らってその特性を得るってものだが……どっちでも良いな。とにかく主が強くなるのだ。


『魔物が多い分罠は少なくて良いわね』


 弓役兼探知のリリスはそう言って欠伸をした。

 魔物が多過ぎて探知が役に立たないので、退屈なのだろう。


『油断は禁物よ。ドルムル、一応罠の探索は続けてちょうだい』


『わかっとるわい』


 と、緩みかけたパーティーの空気を引き締めるボール。流石リーダーといったところか。


ーーー


 5階層は思いの外広大で、完全にマッピングが済むまで一時間近くかかった。


『ハズレ迷宮だなぁ〜』


 一通り探索を終えて、続く6階へ下り階段へ向かう中、カールがそんな愚痴をこぼした。

 というのも、この一時間はかなり多くの魔物に遭遇したのだが、そいつらから取れる戦利品はさして金にならないものばかりだったのだ。


『かなり魔術を使ってたけど、魔力は大丈夫?』


 リリスは度々俺の魔力残量を確かめてくれている。後衛の魔力管理は中衛の役目らしい。


『問題ないです。まだ七割くらい残ってます』


『よっ、流石は貴族様!』


 前を進むバーバリアンやカールが、そんな冷やかしを挟んでくる。

 なんだかもう、パーティーは遠足ムードだ。


『集中ですよ二人とも』


『はっは、新人に怒られちゃ世話ないのう』


 ドルムルがそんな俺達の様子を愉快そうに笑った。


 さて、次は6階層だ。


ーーー


 6階層は魔物が急に強くなっていた。

 いや、というよりは今までが弱過ぎたらしい。それなりにデカい迷宮の6階ともなれば、B級以上の魔物しかいないのが当然だそうな。

 まあ連携にも慣れてきたので今のところ大して苦戦はしていないが……これより上の魔物と戦うのはやはり不安だ。

 それなりに高く売れる魔物が増えて、カールを含めたみんなよモチベーションが上がっているので、きっと大丈夫だとは思うが……


『みんな聞いて』


 と、魔物を薙ぎ倒しながら順調に探索を進めていた俺達に、ボールが待ったをかけた。


『ドルムルとも話したのだけど、この迷宮はなんだか変よ』


 曖昧なことを真顔で語り始めたボールに、誰もが首を傾げた。


『具体的に何が変なの?』

 

 リリスの至極真っ当な問いに、ボールは腕を組みながら俯いてしまった。


『そうね……言うなれば全てかしら』


『『『はぁ?』』』


 俺を除く三人がそんな声を漏らす中、ボールはさらに続ける。


『気づいてる? 罠の数が少な過ぎるわ』


『言われてみればそうですね……』


 あまり意識してなかったが、4階層あたりから全くと言っていいほど罠にかかっていない。


『自然発生型の迷宮が人工のものと融合しても、これほどまでに罠……呪詛魔術系のそれが設置されていないなんてことはないのよ?』


 ボールがそう言うと、俺の隣で一緒に首を傾げていたバーバリアンがサッと顔を青くした。


『主の魔素に当てられて、古かった魔法陣が全て掻き消されたのか……』


『え、そんなことあるんですか!?』


 以前、魔法陣を破壊しようとしてどうにも出来なかった記憶があるが、やはり魔法陣は打ち消せるのか?


『いや、普通はどれだけ時間が経って魔法陣が摩耗してても、魔素に当てられたくらいじゃ消えねえよ!』


『ならどうして……』


『規格外の魔素量なら話は別ってことだ。つまりこの迷宮の主は、相当ヤベーって話だよ』


『そういうことよ、私とドルムルだけじゃ説明できなかった部分にバーバリアンが肉付けしてくれたわ』


『でも、染魔剤に反応はないじゃないですか!』


 染魔剤とは、水の入った瓶に重魔石という魔力を込めると重くなる石の粉を混ぜたもの。

 魔素濃度が高い場所に行くと粉と魔素が化合して瓶の中に沈殿が出来る仕組みだ。


『だから変だと言っておるんじゃ』


 そうか、そういうことか。

 辻褄が合わな過ぎて〝変〟なのか。

 とりあえず、魔素濃度だけ調べてみるか。


『……なら、平気だとは思いますが、集中するのでちょっと周りを見ていて下さい』


『え、ええ……わかったわ』


 みんなが俺を囲んで周囲を警戒する陣形を組んだ。

 それを確認した俺は目を閉じて、周囲の魔素に意識を集中させる。

 ドリュアスやラーマ王に教えてもらった妖精族や一部の長耳族に許された技術。これを覚える過程で、俺はある程度は大気中の魔力の流れを感じ取れるようになった。だから周囲の魔力を探ってみる。


『!!!』


 俺の意識が迷宮の空気に溶けていく途中で、突然体を思い切り揺さぶられたような感覚に陥って、思わず尻餅をついた。


『お、おい! どうした!?』


 カールとバーバリアンに引っ張り上げてもらいながら、俺は努めて冷静に感じ取ったありのままを語ることにした。


『まずいです……』


『え?』


『階層中の全ての魔素が一点に向かって、激流のように吸い込まれていっています』


 通りで染魔剤が反応しないわけだ。反応する間も無く魔素がどんどん流れていってしまうのだからな。


『どういうことですかこれ……迷宮の魔力ってこんな流れがあるんですか!?』


『いや、普通はそんなことないはず……って、グリムちゃんアナタ魔力の流れがわかるの?』


『あまり得意じゃないですけど、これだけ大きい反応だと……』


 こういう大きな魔力の流れは、俺自身が最大出力の魔術を放つ時の感覚に似てる。だからこそ気づけたのだ。


『迷宮の主はな、種類にもよるが迷宮の魔力を使役して取り込んだりもできるんだよ。迷宮に満ちてるのは元はと言えば殆どが主の魔力だしな』


 バーバリアンが指を立てて、ツラツラとそんな雑学を語った。

 流石はオタク老人、色々知っているな。


『じゃあ染魔剤の存在意義ないじゃん……』


『いや、普通は主が魔力を取り込むことはない。あるとしたらそれなりの敵と戦ってる時だな』


『……じゃあ、今誰かが下で主と戦って——』

 

 その時、迷宮が揺れた。

 比喩とかそういうのじゃなくて、地を揺らすような爆発音が響いたあとすぐに、震度六……もしくはそれ以上の地震が迷宮内に発生した。


『なんだ!?!?!?』

『おおぉぉ!?』

『キャッッッ!!!』

『ぬぉぉ!?』


 地震に慣れてる日本人の俺でも驚くような揺れの激しさ。

 異世界人である俺の仲間達は当然、パニックに陥った。


『今すぐこの迷宮から脱出——』


 唯一平常心を保っていたボールがそう叫んだ瞬間、俺達が立っていた床に亀裂が入り、そして崩落した。


『!!!』


 落ちる。

 そう思った時には既に、フワッと内臓が浮くような感覚と共に、暗闇の中で風を切りながら沈んでいた。

 

ーー閃光弾フラッシューー


 咄嗟に落ちいく先を光で照らすと、苔に覆われた岩肌がその姿を露わにしていた。

 底までは10……いや20メートルは離れているのか。


 俺自身は刻印の回復と風魔術でなんとかなるかもしれないが……いや、なんとかするんだ。じゃなきゃ俺以外みんな死ぬ。


 もう絶対、死なせない。


ーーー


 落下した迷宮の底は湖のある広大な鍾乳洞だった。

 

『すまねぇグリム、助かった……』


 俺の治療を受けるカールが申し訳なそうに声を漏らした。


 落下からみんなを救うのはかなり強引な手段になった。

 落下先に薄い岩の床を何層も作って少しづつ衝撃を殺したのだ。本当は氷でやりたかったけど、上級は土魔術しか使えないからどうしようもなかった。そんなせいで、みんな足を痛めるか気絶するかなにかしらのダメージを負ってしまった。

 死ななかっただけで御の字と言いたいが……


『なんなんだ……あの化け物は……』


 今、俺たちの前にいる巨大な魔物を見ていると、このまま落下死したほうがマシだったのかとすら思える。


 銀色の鱗、金色の瞳、10を裕に超える蛇頭、これは……こいつは……


「八岐の……いやヒュドラか……?」


 野球ドーム張りに広い洞窟でようやく動き回れるかという巨体を持つ怪物が、交戦しているのだ。


『あのローブの人……何者?』


 気絶したリリスとバーバリアンの容態を見ていたボールがそんな言葉を漏らした。


 そう、目の前のヒュドラは交戦中なのだ。たった一人の人間、それも魔術師と。


 火の魔術を巧みに操りながらその怪物と互角に渡り合う茶色いローブの魔術師。

 あの人は……前にヨトヘイムの商人ギルド街で出会った旅の人じゃないか。

 どうしてこんなところに……


 と、そんなことを考えながら呆然と彼とヒュドラとの一騎打ちを観ていると、こちらの存在に気づいた彼が一瞬足を止めて、俺たちの方に何かを叫んだ。


『え、なんて?』


 激しい戦いの音と距離のせいで聴こえない。だが多分、逃げろと言ったのだ——


『!!!』


 妙な悪寒を感じて、視線を魔術師から少し上に持っていくと、数あるヒュドラの頭の一つと目が合った。

 薄暗い鍾乳洞で爛々と輝く琥珀のような瞳が、俺を捉えていた。


 ヒュドラの首の一つが、俺の方に凄まじい勢いで迫ってきた。

 瞬きする間も無く、一呼吸置くことも許されずに、20メートル近く離れたところに合ったはずの蛇の頭が、もう俺の視界一面に広がっていた。


『グリムちゃん!』


 俺の元へ駆け寄ろうとするボールの声。

 だが間に合わないだろう。

 このヒュドラは見た目に反して速い。だから俺だけでなんとかするのだ。

 大丈夫、きっといける。


 腹から漲る魔力を、胸を伝って両腕に流し込み、溢れんばかりのそれを掌に留める。

 

『痛ッ……!』


 腕中を針で刺されるような感覚が脳に走る。最大出力の魔術を放つ時に感じる、俺特有の現象だ。

 そんな痛みに耐えながら、魔力を制御しする。

 右手に水を、左手は温度をマイナスに反転させた炎の魔術を……爆発させるように解き放つ!!!


ーー氷結ーー


 俺とヒュドラの頭の間に、圧倒的な質量の氷が溢れ出し、そのままヒュドラを包まんとさらに膨張を続ける。

 

 こんな見た目の化け物だ。きっと岩砲弾で吹き飛ばしても再生するのだろう。

 だったらいっそのこと、ヒュドラごと覆い尽くして動きを止めてやる。

 カマキリの時のように、表面を凍り付かせるだけじゃない。アレじゃあ甲羅や皮膚の厚い生き物には内部まで冷気が通らずに、氷を破られる。

 ならばいっそ、魔力の消費なんて気にせずに氷山の中に閉じ込めてやる。動けるものなら動いてみ——

 

 俺の生み出した氷の大津波とヒュドラがぶつかり合った瞬間、凄まじい水蒸気と大気を裂くような氷の砕ける音が迷宮を埋め尽くした。


『え?』


 氷結が全く効いていない。

 氷がヒュドラの鱗に触れた側から溶けていく。しかもなんてパワーだ……視界を埋め尽くすほどの氷山が、奴の突進でゴリゴリと削られ、砕けていく。


 想定してなかった訳ではないが……正直、驚きを隠せない。

 大氷壁を破ったのはルーデルやラーマ王、そしてリディだけ。なんなら、彼らよりも破壊速度が速いのだ。

 俺の中の警鐘が鳴っている。こいつは危険だ。想定よりもヤバい。いつぞやの国蛇とかいう魔物に近い、災害そのものじゃないか。


 ああ……まずい。分厚い氷の壁にはもう蛇の頭の輪郭がクッキリと写っている。もう破られるんだ。


 どうする、今度は土の……タングステンみたいな重金属の壁で守るか?

 いや辞めよう。リディやルーデルなら、その程度の壁なんか普通に破壊してくる。

 守りに入ってはいけない。攻めだ、攻撃こそ最大の防御だ。全力の岩砲弾……もしくは死神の砲哮をぶつけよう。


 そう思って、再びありったけの魔力を腕に集めようとしたところで、俺の思考にブレーキがかかる。

 情けない。俺は怖気付いたのだ。

 最大出力の魔術は一日2回が限界。それ以上撃てば魔力脈に負荷が掛かり、二度と魔術を使えなくなる後遺症が残る可能性があるとドリュアスに釘を刺された。

 もし、この全力の一撃で仕留められなければ終わりなのだ。何もかも。

 いやそもそも、目の前の頭一つ仕留めただけじゃ意味がないのだ。

 

 他に方法はないのか? 

 閃光弾は間に合わない、爆弾も効かない、鎖は魔導具がなきゃマトモに使えない、刻印の強化で一か八か逃げるか……?

 いやダメだダメだ。俺後ろにはみんながいる。ここで引けばみんなが死ぬ!

 

『あ……』


 俺とヒュドラを隔てていた氷塊がとうとう突破され、巨大な蛇の頭が躍り出てきた。

 時間が来てしまった。結局有効打は思いつかなかった。

 仕方ない、やはり最初の案でやるしかない。どのみち動かなきゃ死ぬんだ。


 もう一度、こいつに全力を——


『危ねぇグリム!!!』


 意を決して、今にも俺を轢き潰さんと迫り来る蛇を前に掌を構えたその時、後ろから駆け寄ってきたバーバリアンにドロップキックを喰らって真横に吹っ飛んだ。


『!?』


 突然の不意打ち、身体強化は愚か、踏ん張ってすらいなかった俺は見事に吹っ飛ばされた。


『バーバリアンさ——』


 宙を舞う中、俺の視界に映っていたバーバリアンは、俺がその名を呼び終えることもなく、蛇の突進に巻き込まれて壁に叩きつけられた。


 毎日のように魔術を語り合ったオタク仲間はが潰される音は、蛇が洞窟の壁に衝突した際の轟音にかき消されていた。

 蛇が顔を引っ込めると、壁に出来たクレーターには赤くて粘性の高い液体が引っ付いているだけだった。

 まるで、最初からそこに人なんていないようだった。


「は? あ、あれ? ……は? え?」


 バーバリアンが死んだ。

 俺を庇って死んだ俺が弱くて臆病で判断に迷ったせいで死んだもっと早く魔術を撃てばこんなことにはならなかったレキウスだレキウスの時と同じだまた俺のせいで仲間が死んだ責められるみんなに軽蔑される嫌だ死にたい俺のせいだ何も変われない何も救えない弱い俺もう何もしたくな——


『下がりなさいグリムちゃん!!!』


 どれくらい時間が経っていたのか、バーバリアンに蹴り飛ばされて尻餅をついたっきり放心していた俺に、ボールが叫んできた。


 俺の元に駆け寄ってくるボールの背後では、怒号を上げながら首を元の位置に引っ込めたヒュドラに飛び掛かったカールの姿がある。


『あ、あ……あの俺っ、違う——』


『怪我はないグリムちゃん!?』


『え……あ……』


 間も無くして俺の元に辿り着いたボールが、俺の肩をがっしりと掴んで、ブンブンと揺さぶってきた。


『へ平気……です』


『そう……良かった……』


『でも、でもバーバリアンが——』


『私が確認するべきは、バーバリアンが死んでも守った貴方の安全よ。

 色々ショックだろうけど、話はあとよ。ここから逃げま——』


 洞窟にパキンッッッと、ガラスが割れたような音が響いた。

 音の主はカール。バーバリアンの仇とばかりにヒュドラに突っ込んで、その巨体を駆け上って首に剣を振い、そしてそれが粉々に砕け散ったのだ。


『あ』


 空中で無防備になったカールが、襲った首とは別の首の横薙ぎをモロに受けて、洞窟の壁にパチュンとおかしな音を立てて叩きつけられた。

 壁は真っ赤に染まり、遅れて俺達の近くには血の雨が降った。


 また一人死んだ。

 さっきまで、一緒に話していたやつがただの液体になった。

 俺は足が震えて動かなくなっていた。

 

『グリムちゃんグリムちゃん! 逃げるわよ!』


 腰が抜けた俺をグイグイと引っ張るボール。

 でも無駄だ。もうダメなんだよ。

 既にヒュドラが、俺にその視線を向けている。先ほどより俺達に割かれる首の数が増えて、いつの間にか3頭になっている。


 もう助からない、死ぬ。

 

 そう思った矢先、俺たちの頭上には、巨大な影が三つ差した。

 顔を上げれば、そこにはヒュドラの頭。

 食われるかペシャンコか……どちらも一瞬なだけまだマシか。


 はは、なんだかんだ文句ばかり言っていたが、この世界での人生も悪くなかった。

 せめて、カールと娼館にでも行っておけば良かったな。

 これで二度目だが……死ぬ時って、案外あっさりだよな。

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