第146話 初めての任務
【???】
最後の記憶はいつだったか……エーギル海戦にて使われたとされる回禄王の英級魔術に関する伝聞を書斎で整理していた時だ。
年老いた身体からは肉が落ち、魔導書さえも重く感じていた。研究も一苦労であった。
だから一息と椅子にもたれかかって、心地よく薄れていく意識に逆らわず、目を閉じた。
そして次に目を覚ました時、私は森の中にいた。
私は変わった木の根の上に座っていた。それは草原の草よりも明るく、火魔術よりも妖しく輝いていた。
ふと、己の掌を見る。
そこには、昔懐かしい張りのある青い手があった。シワだらけで骨が浮き出たものでは無いのだ。
その事実に、思わず飛び跳ねそうになった。
いかに私のような魔族でも、アスラ族の様な不死性はないため歳は取る。
しかし、より多くの知人の死を、老いを見てきた私に取ってそれは呪いのように己を蝕む恐怖だった。
それが今はどうだろう、視界に映るのは若き日の肉体だ。
とてもいい夢だ。
このまま覚めてほしくない。
だが夢は所詮覚めるもの。ならばせめて満喫しようと、私は飛び上がるように根っこから腰を持ち上げて、行く当てもなく歩き出した。
後になってようやく気づくほど無意識に、なにかを殺さなければならないという使命感を帯びながら。
A級冒険者を名乗るマッチョマンにスカウトされ、それを承諾した流れでギルドの酒場まで連れて来られた。
思いの外ギルドまでは早く着いたが、あと三時間もすれば世が明けるだろうといった時間だ。
だというのに、俺はその丸太みたいな腕に捕まって酒場まで引き摺り込まれたのだ。
そして現在、俺は大量の飯が並べられた十人掛けくらいのテーブルの端っこに座っている。
『はいちゅうもーく! まずは皆んな任務お疲れ様、今日も素晴らしい働きだったわよー!』
そんな中、席を立ったマッチョマンが仕切り出した。
『そしてみんなに嬉しいお知らせ、今日の任務で新メンバーをスカウトしてきたわ! なんと、あのルーキー狩りを返り討ちにしちゃった子なの!!!』
マッチョマンはそう言って、俺の腕を掴んで引っ張り上げた。
『おお、随分若いな』
『可愛いお顔ね〜』
『優秀な奴は大歓迎だぜ!』
同じ卓に着くメンバー達の反応は良好で、とても暖かい雰囲気だった。
俺は今まで新天地に行く度に、歓迎されなかったり襲われたりしていたもんだから、なんだかとても新鮮だ。
『あらやだ、そういえば紹介が遅れたわね。アタシはボール、このパーティーのリーダーをやっているわ』
マッチョマンの名前はボールらしい。
名前は量産機みたいたが、体型はガン◯ムだ。
もっとも、哀戦士というよりは愛の戦士みたいな立ち振る舞いだ。
『俺はカールだ、このパーティーで剣士をやらしてもらってる。よろしくな』
俺の対角線上に座っていた青年が手を挙げながらそう言った。
特別イケメンというわけではないが、穏やかな顔で優しそうだ。
『ワシはドルムル、ただの鍛冶だ。よろしくな』
次に手を挙げたのは背のちっこいオッサン。丸太みたいな体型からすると、小人族かな。
『私はリリス、弓使いよ……それより坊や、今晩私と——』
『おいおい、子供にまで手を出すな! あ、俺はバーバリアンな! 見ての通り魔族だ!』
エッチな巨乳お姉さんの素敵な誘いを遮ったのはトカゲ顔の魔族。
人族三人と小人族、そして魔族の五人編成なわけか。
『あれ、さっきはもっと人数いませんでしたか?』
『合同任務だからね、他のパーティとも協力したのよ』
『そういうことですか』
『そ、れ、よ、り、皆んなも貴方の名前を知りたがっているわよ』
『あ、これは失礼しました。僕の名前はグリム、グリム•バルジーナです』
『だってさみんな! 今日からグリムを宜しく頼むわよ!!!』
「「「「おー!!!」」」」
なんとも気持ちの良い奴らだ。
こいつらとなら上手くやっていけそうだ。
その後は俺の歓迎会という名の飲み会が始まり、酔い潰れた全員を俺が介抱するというなんとも寂しい結末で締め括られた。
毒の効かないこの体には何度も救われたが、飲み会のたびに疎外感を覚えるのはちょっと考え物だよな。
ーーー
歓迎会から二日経ち、俺を加えた新パーティでの初任務がやってきた。
豪商……とまでは言わないが、それなりの商人の馬車を護衛しろとのことだ。
それなりの商人ならなぜ私兵に護衛をさせないのかとボールに尋ねたら、こういう時はお忍びかやましい事があるらしい。
別に俺達は正義の味方じゃないので、金さえもらえれば仕事は受けるわけだ。
今の所、ただヨトヘイム王国に向けての平野を進む穏やかな旅だが……
『全員戦闘体制!』
ボールの合図で、俺を含めた六人が馬車を守るように陣形を組んだ。
後衛が魔術師の俺と雑用の小人族。
中衛が弓師の人族。
前衛が剣士、戦士、戦士。
敵は前方から迫り来るゴブリンの群れだ。
ゴブリン、そう聞くと緑色の小太りのブサイクなモンスターを思い浮かべるのだが、こちらの世界ではどうも違うらしい。
類似した特徴もあるのだが……まあ、簡単にいえばオランウータンの様な体型をしたゴブリンなのだ。動きも機敏だ。
山犬のお姫様に石を投げてそうな奴らと言っても良いだろう。
黒狼が魔素濃度の高い場所を好み、魔力の高い人物を狙うように、この世界のゴブリンは荷物目当てに人を襲う。
貴金属……というよりは、武器と食料目当ての山賊と大して変わらない奴らだそうだ。
まあ、山賊ほどの知能はないから、武装しるとはいえ大した脅威じゃないらしい。
『やるわよ!』
『おおおおおおおおおなおおお』
雄叫びを上げながら、剣士と戦士がゴブリンの群れに突っ込んだ。
カールは踊るように二本の双剣でゴブリンを切り刻んでいき、ボールは左手の盾でタックルしながら右手のハンドアックスをぶん回して、ゴブリン達を肉片にしていく。
カールが疾風流で、ボールは停進流の派生だろうか。
動きを見る限り二人とも上級か、中級の上澄み程度の実力だろう。
そこそこだな。
ルーデルならこんなゴブリン共一回の突進で殲滅できたろうし、ラーマ王なら指一つでこいつらをペシャンコにしただろう。
——って、いやいや、あんな狂った連中と一緒にしちゃあいけないな。
実際、近接でやり合ったら俺は前衛二人に遠く及ばないのだろうし。
『こりゃあ、俺らの出番はなさそうだな』
前衛でタンクの役割を担うバーバリアンが、首をすくめて笑った。
それから1分ほどして、ゴブリンの群れは全滅した。
狩られていくゴブリンの群れの中で、突然交尾をおっ始める個体もいたので、思わず「わ、わぁ……」と、小さくて可愛いアイツのような声を漏らしてしまった。
そうだよな、死に際は盛るものだよな。例えば人より知能が低くとも、生物として根本は同じなのだ。
殲滅の次は死体の火葬、ようやく後衛の俺達に出番が来た。
『グリムちゃん、燃やし終わったら出来る限り彼らの装備を土に埋めてちょうだい』
黙々とドルムルと共に死体を燃やしていると、休憩していたボールがそう言ってきた。
『どうしてですか?』
『ゴブリンが戦場跡とかに現れるのと同じよ』
『落武者狩り的なアレですか?』
『お、おちむしゃ?』
『あ、いや、つまり死体から装備を取るからってことですか?』
『そうそう、ここに装備を残しとくと、また新たなゴブリンがここに引き寄せられるわ。今後のためにも、ね?』
ボールはそう言ってウインクすると、護衛対象の馬車の方へと戻っていた。
『これだけ死体が多いと、お前さんがいて助かるわい』
俺の隣で一緒に死体を燃やしていたドルムルが、心底嬉しそうに腰を叩いていた。
髭面に覆われた笑みで死体を焼き払うその姿は、中々にカオスだった。
ーーー
ゴブリンの襲撃以降は魔物の襲来もなく、ひたすらに馬車に着いて歩くだけであっという間に夜になった。
「担い手は四辻に、其が築くは四天の檻、是は招かれざる者を阻み、浮世の門と成る。されど隠さず、閉じ込めず、凡あらゆる縁を障たげず。『立方結界』」
ひとまず、野営地をすっぽりと覆うように正方形の線を引いて、そこに沿うように結界を張った。
全く、結界は一つの魔術に詠唱が何通りもあるから面倒だ。
条件設定だか何だか知らんが、統一して欲しいものだね。願わくば、リディの様に無詠唱でやりたい。
『結界張り終わりました〜』
『あらご苦労様、ご飯ももう出来るからこっちいらっしゃい!』
ボールに招かれて、焚き火を囲むメンバーの輪に入った。
『凄いなお前! 結界魔術も使えるのか!』
やばい色をしたキノコが入ったスープ……という名のただの塩味のお湯をドルムルによそってもらったところで、トカゲ魔族ことバーバリアンが俺に話しかけてきた。
シェフを呼んだつもりはないのだがな。
『ええ、はい。どうも』
『他にはどんな魔術が使えるんだ!?』
『五属性と、結界と呪詛の初級と治癒の初級。あと刻印魔術です』
『刻印!?』
『え、はい……ご存じなんですか?』
『今じゃめっきり聞かぬが、ワシらのような老人には懐かしいものじゃよ』
ドルムルが懐かしそうに空を眺めて顎鬚を弄った。
『失礼ですが、二人ともおいくつなんですか?』
『ワシが200と少しで、此奴が300歳じゃ』
『お、おお……それはそれは……』
『そんなことより! 刻印魔術なんてどこで習ったんだ!?』
俺の隣に座っていたドルムルを押し除けて、バーバリアンが顔を近づけてきた。
めちゃくちゃ食いついてくる。思わず、蛇に睨まれたカエルのように萎縮してしまう。
『え、いやその……』
『こらこら、あまりがっつくな……
すまんな、どうにもこいつは魔術となると目の色を変えてしまいよるから』
バーバリアンを押し戻したドルムルがため息を吐いた。
『あ、いえ……そんな。バーバリアンさんは魔術が好きなんですか?』
『そりゃあもうな! 魔術を見るのは大好きさ』
『ご自分では行使しないんですか?』
『あー、俺は何つーかその……』
『バーバリアンはね、魔力障害を持っているから魔術は使えないのよ』
難しそうに頭をかいていたバーバリアンに変わって、隣のボールが教えてくれた。
『あ、すみません。無神経でした』
慌てて頭を下げた。
魔力障害者か……アーベスに続き二人目だな。いや、ラトーナもだっけか?
『あーいやいや頭あげてくれ! 別に気にしてねぇーから!
どのみち、俺じゃ刻印魔術なんて使えねぇだろうしな!』
『どういうことですか?』
『グリム、なんで刻印魔術は詠唱とかと比べて広がらなかったんだと思う?』
バーバリアンは口角を釣り上げながら、指をピンと立ててそう言った。
『難しいからですか?』
『それもそうだがな、あの魔術形態は魔力を喰い過ぎるんだ。ある程度センスがいる上に、それなりの魔力量がなきゃダメなんだわ』
『あー! なるほど!』
『俺のサラマンド族は魔力量が低いからよ、どのみち使えやしねーだろうさ。精霊魔術も才能で決まるし、宝石魔術なんかお貴族様の嗜みだしな』
『ワシも刻印は使えるが、よっぽど急を要さなければ使わん代物じゃ。ありゃ魔力を使いすぎる』
『そうなのか、じゃあグリムはすげぇじゃねえか!』
何のこっちゃと話を聞いていた前衛連中、その中のカールが俺に笑いかけてきた。
『貴族の血筋も捨てたもんじゃないですね』
そう言って笑うと、場が静まり返った。
俺は何かまずい事を言っただろうか。
『グリムちゃん、あまり外でそういうのを言わない方が身のためよ』
『え、はい、すみません。お気に障りにましたか?』
血筋マウントをしたつもりはないのだが……そうか、冒険者の身分からしたら、貴族なんてあまり良い存在じゃないよな。
『そうじゃなくてね、貴族の血が流れてる子供には色々と使い道があるから、あなた自身の身が危ないってことよ』
『……なるほど、ありがとうございます。気をつけます』
『なあに貴方、貴族の血筋が流れているの……? なおさら興味が湧いてきたわ、今晩アタシのテントに来ない?』
しんみりとしていたところで、退屈そうに話を聞いていた弓師のお姉さんが俺の後ろに回って肩に手を置いてきた。
周りのメンバーはやれやれと言った感じでため息を吐いている。
なるほど、常習犯のショタコンお姉さんか。
『こんなにも魅力的なお誘いを袖にするのは心苦しいことですが、僕には魔術という名の恋人がいるので……』
前の俺なら、チェリーを捨てるチャンスだとばかりに歓喜していただろう。
だがな、俺にはラトーナがいるんだ。
いや、もう彼女は俺のことなんて忘れて日常に戻るなり、別の男とくっつけられるなりしてるのかもしれないが……それでも俺は彼女に躁をたてる。
あとついでに、アインとかいう婚約者もいるし。
故に、このディン•オードに性欲的動揺によるミスは一切ない、と思っていただこう。
俺の『法皇の緑』がスプラッシュするのは、まだずっと先だ。
『だってさリリー、上手くかわされたわね』
『も〜、可愛げがないわねぇ〜』
危ない危ない。
それでも気分次第では流されていたかもしれん。
その後、夕食が済むと俺は眠らせてもらえることになった。
経験もあるので夜間の見張りを申し出たのだが、『子供は寝ないと成長に障るわよ』とボールから言われたのでお言葉に甘えることにした。
彼……いや彼女の筋肉を見せつけられてそう言われて仕舞えば、言い返しようもない。
俺も、ラルドやボールのような肉体を手に入れるため、ぐっすり寝てやろうじゃないか。
と思ったが、同じテントで寝たドルムルの爺さんのイビキがうるさすぎて、長い夜を過ごすこととなった。