第115話 先へ
目が覚めると、俺は王宮の自室のベッドの上にいた。
「良かった……もう目覚めないかと思ったよ〜!!」
ベッドから体を起こしてすぐ、隣の椅子に座っていたルーデルに泣きながら抱きつかれた。
「……?」
どうしようもない不安から解放された気がして、俺は彼女をおずおずと抱き返すと、自分の手が酷く重く感じた。まるで自分のものではないようだった。
「どのくらい……寝ていましたか?」
酷く乾燥した喉で精一杯声を出す。
「七日さ。君は任務から帰還してから七日間眠り続けていたんだよ」
「……そうですか」
「そうだよぉ……あんまりに重症で僕じゃどうにも出来ないから、本職の人に治して貰うしかなくてぇ……でもそれでも一向に起きないし……」
そう言われて、俺は直近の記憶まで遡る。
王様が凄い魔術を使ったのは覚えている。
けれどその先は——
「!」
ハッと思い出して、掛け布団を捲る。
「脚が……治っている……」
魔物に食い荒らされて、食べ終えたフライドチキンのようになっていた俺の足は、元の綺麗な状態に戻っていた。
「君の脚の治療……日を跨ぐほど時間がかかったんだよ」
「そうですか……あ、おはようクロハ」
いつの間にかドアからこちらを覗き込んでいたクロハに手を振ると、彼女はこちらに駆け寄ってきて、俺の肩をポカポカと叩いた。
「クロハなんか王様直々のご指導を投げ出して、君の部屋の前でずっとうろうろしてたんだよ?」
ルーデルから思わぬ暴露を受けたクロハは顔を真っ赤にして、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
その後はトリトンが訪れてきてツラツラと心配ごととも説教とも言えぬものを述べて、一緒にやってきたロジーと喧嘩を始めてルーデルに追い出され、最後にやってきた王女とセコウからは花束と労いの言葉を受けた。
そして、その輪の中で不自然に二人の人物だけ欠けていることに気づいた。
「シータさんは?」
「色々と忙しいみたいでね……」
「……じゃあレキウス……レキウスはどうなりましたか?」
俺がそう尋ねると、みんなが視線を落とした。セコウも、王女も、ロジーも、トリトンでさえも。
「……順番に話すから、落ち着いて聴いてね」
その中で唯一顔を挙げていたルーデルは、そう言って俺の手を握った。
ーーー
目覚めてから二日が経過し、リハビリを終えた俺はようやく自力で歩けるようになった。
先日、ルーデルに俺が眠っていた七日間の出来事を全て話された。
まず、政治家達による社交パーティーの襲撃事件、ヨトヘイム(旧ビリヘイル)王国によると、あれは魔物操作の『遺産』を所持していたカエサルといつ魔物学者による単独襲撃事件。国は一切関与していないと、主張してきたらしい。
どう考えても嘘だろう。出なきゃカエサルが引き連れていた兵士の数に説明がつかない。まあ、その死体のほとんどは俺の魔術の余波で魔物のそれとごっちゃになって証拠になり得なかったそうだが……
またなんとも面の厚いことに、ヨトヘイムが要求してきたのは、政治家達と引き換えによる『遺産』の返還。
王様曰く、もっと法外な要求をしてくることも想定していたようだが、ルーデルやリディが国にいる情報を予め流しておいたおかげで、かなり腰は低かったそう。
まあムスペル王国も戦争不可侵を掲げている以上は穏便に済ませるつもりだったらしく、素直に返還に応じ、半ば脅しのような形でついでに多額の賠償金を勝ち取ってきたそう。
肝心の動機だが、昨今の共和主義思想の広がりを示すため、王政国家への訴えという意味合いが含まれているということで、最近だと東のミガルズ王国が大々的に共和宣言してから、ヴェイリル王国でのレジスタンスの結成など、各地にその影響が出ているらしい。
そして肝心のレキウスだが……
「ディン様ですね? これ……彼が着けていた耳飾りです」
大きな墓標をぼーっと眺め続けていた俺の元に、見覚えのない女性がやってきた。
ここは空中城塞の真下にある、国の殉職者が眠る集合墓地。
早朝だったので俺一人しかいないと思っていたが……
「失礼ですが……以前どこかで?」
強引に手渡された首飾りと彼女を交互に見つめながら問う。
「申し遅れました。私、レキウスの婚約者だったものです……」
その言葉を耳に入れた途端背筋が凍って、思わず掌から耳飾りを落としてしまった。
「あ、あの……大丈夫で——」
「ごっ、ごめ……ごめんなさい……!」
慌てて地面に頭を擦り付けた。
「やっ! やめてください!」
「俺のせいでレキウスが……!!!」
レキウスは俺と共に王宮に運ばれ、共に治療を受けた。
けれど、極度に消耗していた状態で致命傷を受けたため、処置も虚しく俺が目覚める二日前に亡くなったそうだ。
あの場で俺が応急処置を施せていれば、いやそもそも、俺がヘマしなければ彼が俺を庇って傷を負うことは無かった。
「俺が……! 俺が油断したんです……!! それをあいつが庇って!!!」
どうして良いかわからなくて、ひたすらに謝罪の言葉を叫んだ。
けれど、そのどれもが早朝の墓地の静けさに吸い込まれて行って、一向に届く気がしない。
「良かったです。あなただけでも助かって」
やめくれ。
少なくとも、そんなに赤く爛れた目元で笑わないでくれ。
声だって震えているじゃないか。
「私のことならお気になさらず、こうなる可能性はレキウスと共に事前にシータ様からお話がありましたから」
「……死ぬことがわかっていて臨んだんですか?」
「ええ、ディン様が介入することで因果を歪めるが、それでも簡単に未来は変わらない……と、だから覚悟はしていました。だから……顔を上げてください」
「でも……あなたを一人にし——」
そう言いかけたところで彼女に腕を掴まれて、無理やり引っ張り上げられた。
「どうです? 私見た目より力持ちでしょう? 未来の旦那に肩を並べられるよう、鍛えていたんです」
彼女はそう言って、胸を張って両腕を折り曲げた。
「だから私は大丈夫……きっと大丈夫です」
下唇を噛みながら不格好に笑う彼女の姿は、まるで自身に言い聞かせているようだった。
俺は、かける言葉を探していた。
「それじゃあ、私はこれで失礼します。お大事にして下さい」
しばらくの静寂が流れた後に、名も知らぬ彼女はそう言って、そそくさっと去って行ってしまった。
結局、俺は彼女に何も言えなかった。
ーーー
昼が近づいてきた頃に、俺はシータの部屋の戸を叩いた。
「こんにちは……」
「あら、貴方から来てくださるなんて珍しい。とうとう私とお付き合いする気になりましたの?」
扉の先で窓から差し込む薄暗い光に照らされていた彼女は、部屋の中心に置かれている大きな鏡を凝視しながら、ソファで紅茶を啜っていた。
部屋の入り口からじゃ横顔しか見ることが出来ないが、前に会った時より明らかに痩せ細っていることがわかる。
「いや……ご心配かけたので挨拶に……」
「あら残念……申し訳ありませんが、お茶とかは出せませんわ。ここから動くことが出来ませんので」
彼女は鏡を凝視したまま、声音を下げて謝罪してきた。
「……ごめんなさい」
不自然な間が互いの間に生まれたところで、彼女は口を開いた。
「……はい?」
「私、逃げ出したかったのですわ。毎日同じ部屋でずっと鏡と睨めっこして、たまに大事な国民のみんなが沢山居なくなってしまう未来を見せられて……」
「……」
「でも……国の皆んなが、孤児で魔族の私に優しくしてくれたみんなが大事だから、真っ黒だった髪が真っ白になってしまうくらいまで耐えましたの……」
「……」
「でも、知ってしまいましたの。あなたを見つめている間だけは、檻に囚われることがないって。だから私は務めを放り出してしまいましたの」
「ッ……じゃあ俺のせいでレキウスは」
「誤解なさらないで、悪いのは私。あなたのせいにしているわけでは決してありませんの」
シータの頬に涙が伝う。
「私……本当に楽しかったのですよ? 叶うことなら、本当にあなたと添い遂げ——」
そこまで言いかけたところで、彼女は口をつぐんで言葉を飲み込んだ。
「でも、そんな夢物語にも幕を引きますの。二度とこの様なことを起こさぬため、私は今度こそ務めを全うしますわ」
「……そうですか」
返す言葉も見つからず、俺はただ相槌を打った。
だって無理だ。彼女を自由にするなんて、俺一人にどうにか出来ることじゃない。
ずるいじゃないか、俺はなんて応えれば良かった。
「ごめんなさい、せっかく来てくださったのにこんな辛気臭い話……
——さて、そこにいるのでしょう? 入ってらっしゃい」
鼻を啜りながら涙を拭った彼女は、突然そう言った。
すると、数秒してドアが一人でに開きだした。
「透明化を解き忘れていますわよ、クロハ」
シータが鏡を見つめたままクスクスと笑うと、慌てて魔術を解いたかの様に、俺の隣にクロハが現れた。
「え、なんでクロハ……?」
「あなたを連れて行きたい場所があるそうですのよ」
「え、いやでも今は」
「あー大変! この人の未来はとても危険ですわ! すぐに兄上に知らせないと!」
突然シータが頬に手を当てて、抑揚のない声で叫んだ。
「すみませんわ、しばらく相手が出来なくなってしまうので、また改めて窺ってくださる?」
「は? なんの話——」
「クロハ、悪いのだけど、ディンを部屋から連れ出してくださる?」
シータの言葉にうなづいて、クロハが俺の手を握り、廊下へと引っ張っていく。
「ちょっ、クロハ待って——」
「ディン!」
クロハの怪力に引きずられる中、シータの声が部屋に響く。
「レキウスが行かなければ彼の婚約者が、そして多くの人が死んでいましたわ。命の危機を知った上で彼は進んだのですのよ!」
「!」
「恨むなら己ではなく、どうか怠惰な私めを!」
彼女が言い終えるとほぼ同時に、俺はクロハに廊下に放り出され、起き上がる前に部屋の扉は閉ざされた。
今立ち上がって再び戸を叩いても、彼女の声が返ってこないことだけはなんとなくわかった。
シータは終始、俺に目を合わせてくれなかった。
そして彼女もまた、俺には何も言わせてくれなかった。
「ふー……」
深いため息を吐いて、重い腰を上げる。
自分を許せたわけじゃない。けれど、彼女のおかげで少しだけ前を向くことが出来そうな気がした。
「——で、何の用なんだクロハ?」
服の埃を払いながら、俺の前にちょこんと立っているクロハに尋ねる。
「いくの」
「え、どこに?」
「デート」
「誰が?」
「わたし」
「誰と?」
「ディン」
「へ〜」
あのクロハがねぇ〜……って、ん?
【九日前、ディンが女装をさせられた日の夕方】
「ぷはーッ! 久しぶりの風呂が貸切だー!」
空中城塞大浴場の湯船に、ロジーがダイブする。
「あぁ〜……街の温泉も悪くはなかったが、やっぱさすが温泉国だなぁ〜」
口元まで深く体を沈めながら、目を閉じる。
新たなお湯が注がれていく音だけが響いていた浴場に、しばらくして一つの足音が加わった。
「「あ」」
それに気がついたロジーが瞼を開き、足音の主と目が合う。
「んだテメェかよ……せっかく貸切だったのに」
「それはこちらのセリフだロックス、貴様のせいでせっかくの湯が貧乏出汁の貧乏温泉になってしまったではないか」
「ロジーだっつってんだろうがよぉ〜 貧乏汁に沈めんぞ没落貴族のトリトンさんよぉ〜」
「はっ、水魔術師が溺れるとでも思ってるのか? 母親の羊水に浸かるところからやり直してこい」
「チッ……」
そんないつもと変わらないやり取りを交わしながら、トリトンも湯に浸かる。
「「…………」」
そして訪れた沈黙の中、ロジーは昼間から抱えていた一つの疑問を打ち明ける。
「なぁトリトン」
「なんだ」
「お前、ディンの〝アレ〟……見たことあるか? しばらく一緒に旅してたんだろ?」
「なんだ〝アレ〟とは」
「アレと言ったらアレだよ! 男なら誰しも持っている剣だよ!」
そう叫びながらロジーが立ち上がると、トリトンは合点が入ったようにため息を吐く。
「……見たことなどないな。それがなんだと言うのだ」
「そう、俺もねぇんだわ。……つまりよぉ? ディンはまだ男と決まったわけじゃねぇよな?」
「……奴の一人称は『僕』だぞ」
「ルーデルさんだって女だけど『僕』だぞ」
「……ありえるな。やけに料理に熱があることも、綺麗好きなところも」
「俺よぉ、この前王宮で虫に出くわしたディンが『キャッッ』って言いながらルーデルさんの足にしがみつくところ見たんだよ」
「……それは」
「ああ……」
十七歳二人のズレた妄想の種にされた、気の毒なディンであった。




