第109話 男のロマン
「だっ……大丈夫ですの?」
廊下を辿々しく歩く俺の体に手を添えながら、シータ姫は言った。
「ははは……平気です……ちょっと魔力と体力がスッカラカンになっただけで……」
初日の稽古は地獄そのものだった。アドバイスを貰ってひと段落ついたのかと思えば、間髪入れずに試合再開。
俺がルーデルに魔術を撃ちまくって、隙を見せれば彼女のボディーブローが飛んできて……そんなことを日が暮れるまで延々と繰り返していたのだ。
優しい人ではあるんだが、鍛錬のこととなるとリディ並み……いや、彼を超えるほどのスパルタ振りだ。
魔力切れなんて初めてだ。
別に魔力量に自信があったわけじゃないけど、みんなよりも魔力の消費効率が良い分、こんなことになるなんて思ってもみなかった。
ひどい倦怠感と虚脱感、そしてそれにより襲ってくる行き場のない不安。
付き纏われるのは鬱陶しくて面倒だと思っていたが、今はシータ姫が隣にいてくれて良かったとすら思う。
「ならお風呂に行きましょう?」
ふらついている俺を前に、シータは『パンッ』と小さく手を叩いた。
「風呂……ですか?」
「えぇ、城下町には疲労に良く効く温泉がありますのよ! 行きましょう! デート!」
デート……結局はそこか。
ぶれない彼女の思考に少し口を引き攣らせながらも、俺はその提案を飲むことにした。
温泉もそうだが、まだこの国の様子というものをよく知らないからな。
是非とも見て回りたい。
「じゃあ、案内をお願いしますね。シータ様」
「『様』はいりませんの。『シータ』と呼んでくださいまし」
「し……しーた」
「はい! 喜んで!」
ーーー
ムスペル王国。大陸南部に位置する大国であり、その歴史は四百年以上のミーミルにも劣らぬ長寿国家。
二百年ほど前までは、先代の王による圧政のもと成り立っていたが、現国王ラーマによって王政が打倒され、新たに生まれ変わったそう。
他と比べても異端な国で、広大な王都に国民の大半が集中しており、その半数近くが移民や難民。
王都も強固な城壁と結界に覆われていて、検疫がどこよりも厳しかった手前、治安の方にはあまり期待していなかったのだが……
「凄い……熱量ですね……」
目の前に広がる商店街を前に、開いた口が塞がらない。
入り乱れる人々は種族も言語もバラバラ、服装も十人十色であるが、そこには確かな一体感があり、画期に溢れていた。
「お外に出たのなんて、何じゅ——何年振りでしょう!!!」
まるで幼子のように飛び跳ねながら、彼女は俺の手を引いて、商店街をかけていく。
夜の暗さを全く意識させないどころか、それすらもキャンパスにしてしまうよなカラフルな街の灯りが、俺の視界に現れては消えてゆく。
そうだ。ラトーナと行ったガラス細工の店。あそこの商品は全てムスペル王国製だと言っていた。
店頭に立ち並ぶランプの造形の細かさと鮮やかさにも納得だ。
「あの……! どこへ向かってるんですか!?」
どの店に立ち寄る気配もなく人混みの中を駆け抜けていく彼女に声を送る。
「奥から順に回っていきますわ!」
「え、でも温泉は——」
「温泉ならもう通り過ぎましたわ!」
先に疲れを癒したかったのに……どうやら地獄はまだ終わっていなかったようだ。
ーーー
服屋に連れてこられた。
「どうです!? 似合いますの?」
今までの露出多めの服とは打って変わり、まるで雲を纏ったような清楚なドレスに身を包んで、シータは俺の前に立った。
「似合ってますよ!」
本当なら疲れと人混みのストレスで答えている余裕なんてなかったが、彼女の美しさはそれすら忘れて応えてしまうほどに本物だった。
雑貨屋に連れてこられた。
「これとても可愛いですわ!」
だっさい丸メガネを手に取った彼女は、はにかんだ。
俺みたいな凡人が着けたら良い笑いものだが、彼女が手に取ればなんでも様になるな。
ガラス細工屋に連れてこられた。
国の名物なだけあって、品揃えは以上なほどに豊富だ。
「これ、私の部屋に運んでくださる? 料金は王宮負担でお願いしますわ!」
大量のランプや花瓶を購入した彼女は、店員に手形のようなものを渡していた。
王命を記す手形を王宮から勝手に持ち出してきたらしい。共犯扱いされるのは嫌なので、俺はそれを見なかったことにした。
「あ、あの……ちょっともう疲れました……」
今度は書店に連れて行かれそうになったところで、ついに体力の限界が来て、俺は彼女の手を離して大通りに片膝をついた。
「やっ、ごめんなさい……私少々自分勝手が過ぎましたわ……」
俺に手を差し伸べながら、彼女は真底凹んだ表情を見せた。
「いえ……無理もないですよ……今日はちょっと、僕が疲れ過ぎてただけで……」
街を回って行く中で、彼女は自身の生い立ちを少し語ってくれた。
なんでも、ラーマ王と共に前王政を打倒して以降、ずっと王宮の中で国防のためにその力を行使してきたらしい。
だから外出できるのも年に一度、九年ほど前からは、世界全体を対象にした『未来視』の予測に歪みが生まれ始めたせいで、一切外に出ていないらしい。
九年前……ちょうど俺が産まれた頃だ。
バタフライエフェクトなんて言葉があるように、『未来視』の効果を受けない俺がこの世界に存在することで、すべての予測に乱数が混ざってしまったのだろうか。
原理はどうであれ、彼女から自由を奪ったのはおそらく俺が原因だろう。
だからせめて、できるだけ彼女の願いは聞き入れたい。
「風呂……温泉で休みたいです……」
だけど流石に体力が追いつかない。
「え、ええ! 案内しますわ!」
シータは俺の手をとって、ゆっくりと歩き出した。
ーーー
「ふぅ……沁みるなぁ……」
体の内から温まっていく感覚。
そして、立ち昇る湯気によって火照った体を、程よく冷ましてくれる目の前の林から吹き込んでくる風。
ああ……これだ。
俺が求めていた癒しがここにある。
先程までの雑踏が嘘のよう。誰がこの露天風呂が大都市の中心に位置しているなんて思うだろうか。
俺は今、自然に溶け込んでいるのだ。
「龍脈に沿って引いてきた源泉に、独自配合の薬草と、鬼蟻の胃液を混ぜ込んだ特殊な温泉さ」
そんな癒しの空間を堪能していると、更衣室の扉が開く音と共に一人の男がやってきた。
「リディさんもここに来てたんですね」
「ああ、ここは僕のお気に入りスポットだからね。なんならルーデルとレイシア、クロエ王女とクロハも来てるよ」
爽やかな木の香りがする桶でお湯を掬い上げ、それを頭から被りながらリディはそう言った。
随分と動作が手慣れている。さては相当通っているな。
「あれ、セコウさん達は来てないんですか?」
「ロジーは酒場で、セコウはその見張り。トリトンは王宮の大浴場だよ」
「あー……」
酒場で暴れてセコウに取り押さえられるロジーと、誰が庶民の湯に浸かるか! なんて言っているトリトンの姿が頭に浮かんだ。
「ディンはシータ姫に連れてこられたの?」
つま先からゆっくりとお湯に入っていったリディは、ニヤニヤしながら俺にそう尋ねた。
よっぽど温泉が好きなのか、今日は人をおちょくる時の表情が少し緩んでいる気がする。
「途中までは彼女のペースに合わせられてましたが、稽古の疲れが祟って……」
「なるほど。ならこの温泉は休憩にピッタリだね」
「薬草と龍脈が……でしたっけ? ていうか、龍脈ってなんですか?」
「う〜ん『氣』の流れって言うか、大気の魔素の流れって言うか……めちゃくちゃざっくり言うと、激流の川に汚れた服を突っ込んで汚れを落とす感じかな」
「は、はぁ……」
「まあ、とにかく疲れが取れるってことさ! ……それよりさ、やらないの?」
「はい?」
「温泉に来たんだよ。やることは決まってるじゃないか」
「ハッ!」
「やるだろ? 覗き」
ーーー
「おー……これは絶景だ……」
ここの温泉は結界と林によって男女の風呂が敷きられているが、ある一定の高さまで登ればそれもない。
リディが結界の障壁を空中に作り出すことによって足場を確保し、簡単にそれを越えることができる。
「うわっ!? 虫がいるッ!?!?」
けれど、枝に着地して葉っぱに身を潜めたところで〝悪魔〟に遭遇し、俺は飛び越えるどころか、そのまま女風呂に落下した。
激しい着水音と水飛沫。俺の存在に気づいてくれと言っているようなものだ。
「ディ……ディン……!?」
「ルーデル……さん……」
そしてまさかの、落下先にはルーデル。
あぁ……マジもんのボディーブローが飛んでくる……
「どうかしましたかルーデル、そっちですごい音がしましたが……」
「私も聴こえましたわ!」
さらには奥から王女とシータ姫の声。
終わりだ。身体的にもそうだが、社会的にも死ぬ……
自分の運の無さを甘く見すぎて——
「あ、あー! ちょっと滑って転んじゃってー!? ご心配には及びませんよ!」
ルーデルが大声と共に、強引に二人を追い返す。
「!?」
「ふぅ……危なかったね〜」
そう言ってルーデルは前髪を掻き上げながら、俺の姿を覆い隠すようして背を向けて座った。
「……!」
その時に見えたルーデルの背中は、酷い傷跡だらけだった。
結局、リディが帰還用の遠隔足場を出してくれるまで、俺の存在はルーデルのおかげで誰にもバレなかった。
ーーー
「あ、あの……さっきはすみませんでした」
ロビーでシータを待っていると、先にルーデルが出てきたので、急いで彼女の元に駆け寄った。
彼女のおかげで急死に一生を得たからな。
「いいさ、どうせリディに唆されたかなんかしたんだろう? ……でも、次も僕が庇えるとは限らないから、今度から気をつけてね」
ルーデルはため息混じりに笑いながら、ビシッと親指を立てた。
覗くこと自体を止めないあたりは、リディに毒されてるなとは思うが。
「ありがとうございます」
「いや、こっちこそごめんね。醜いものを見せてしまって。いつもは炎か服で隠しているんだけど、風呂だったからね」
「醜いもの……?」
「僕の背中の傷、まだ治癒魔術が使えるようになる前だったから、痕が残っちゃったんだ」
ルーデルの背中には、火傷の痕だけじゃなく、切り傷やネジ穴のような痕もあった。
一番ありそうなのは拷問だが……
「……何があったのか……聞いてもいいですか?」
そう尋ねると、ルーデルは俺から目を逸らして口を開いた。
「……僕ね、昔は性奴隷だったんだ」
「!」
「僕ってみんなより髪がカラフルだろう? 鳥人族の血が混じってるらしくて、市場じゃ大人気なんだぜ?」
ルーデルは抑揚のない声で笑った。
「そんである日、リディが僕を助けてくれたの。そん時のリディの顔ときたらさ!? 今思い出しても笑っちゃ——」
「綺麗ですよ」
「……へ?」
「〝ルーデルさん〟は醜くない。綺麗ですよ」
あれほどの酷い傷跡を、名誉の負傷だなんて言って褒める気もないし、お世辞にも可愛いとは思わない。
けれど、こうして昔の傷を笑い飛ばそうとする彼女は確かに綺麗だ。
そう伝えると彼女は一瞬く口をつぐんで、俺の頭に手を置いた。
「君は良い男になるね」
「……?」
ルーデルは嬉しそうな、けれどどこか寂しそうな顔で笑っていた。
「——さあ! シータ様が出てきたよ! 今度は君からエスコートしてあげな!」
半ば強引に彼女に背中を押されて、俺はシータの元へと歩き出した。
「伝令! 伝令ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
ムスペル王都空中城塞、その黄金の間に一人の兵士の声が響き渡る。
「騒々しいぞ。貴様は伝令の一つまともにこなせんのか」
黄金の間の中心の玉座の上で、山盛りの書類に目を通していた王は、額に青筋を浮かべながら舌を鳴らした。
しかし、兵士はそんな王の様子にも構わず続ける。
「北の城壁において、数名の賊が侵入、追走するも振り切られたと!」
「なんだと……? 警報はどうなっている? いや、シータの予知は!!」
王が肘掛けに腕を叩きつけると、兵士はそれに驚き肩を震わせたのち、額の汗を拭いながら顔をしかめる。
「シッ、シータ様は……」
「どうした、早く話せ」
「ディン殿を連れて外に——」
「非番の兵を当てろ! 至急捕えよ!」
「ハッ!!!」
慌てて去っていく男の背を眺めながら、王は己の顎を撫でる。
「嫌な予感だ……」




