第105話 ただいま
「貴様を殺す」
デデンッッッッ!!! という効果音が、俺の頭に走った。
「え、え!? 何でですか!?」
息を詰まらせながら声を上げる俺に、王様はフンと鼻を鳴らして答えた。
「簡単だ。俺は貴様のせいで、コレクションの一割を失ったのだ!!」
言っている意味はわからないが、王様の目つき、息遣い、漂うオーラから、本気で怒っているということがわかる。
「いったい何の話ですか!」
「賭けをしていたのだ! 貴様とルーデル、どちらが先に、この王国に辿り着くかをな!!」
「……はぁ」
「全く、聞けば貴様……余計な寄り道を一週間もしていたようだな! それがなければ俺が勝っていたというものを!」
「聞いたって、誰にですか!」
「リディアンに決まっておろう!」
リディ……! やっぱりリディは無事だったのか!
「リディはどこにいるんですか?」
「俺の話を無視するとは、父親に似て良い度胸だな。よし、その蛮勇に免じて、俺に一発でも攻撃を当てられたら教えてやっても良いぞ」
王様は、玉座の肘掛けに頬杖をついてニヤつきながら、空いている方の手の人差し指を、誘うように二、三度折り曲げた。
「……」
よし! やったるか!
なんてなるわけない。絶対無理だ。
だって、多分この人がドリュアスの言っていた魔術王なんだろ?
「なんだ来ないのか? 俺はこの玉座から動くつもりもなければ、魔術を二度と使うことはないぞ?」
おっと、願ってもないハンデの申し入れ。つまり相手の攻撃一回避ければ実質勝ちってことだろ?
「……やります」
そう告げると同時に、すぐさま掌を王様に向けた。
相手の攻撃を避ければ勝ち? 冗談じゃない。魔術王なんて呼ばれてる人間の魔術なんて、一回でも喰らいたくないわ。
先手必勝だ。
右手に全ての神経を集中させる。
掌から生成された岩が、高速回転しながらみるみるその大きさを増していく。
放つのは全力の『岩砲弾』。ドリュアスからは一日に一度しか使うなと釘をさされているとっておき。
これをぶつけた相手に負けたことはない。俺の出せる最高威力の攻撃だ。
まあ、魔術王ならこれくらいやっても平気だろ。
そして魔力は満ちた。
魔装の修行をやったおかげで、前よりも準備完了までの時間が短縮された気がする。二秒もかかってないんじゃないか?
ーー岩砲弾ーー
魔力の収束が頂点に達したところで、魔術を放った。
螺旋を描く様にして周囲の空気を抉りながら進む三メートルばかりの大岩。
スピードは過去一番。目の前にあったはず砲弾は、いつの間にかもう相手の目の前にまで迫っている。
そんな状況を前に、王は退屈そうな表情のまま、小さく口を開いた。
「!?」
そして気づけば、俺は地面に這いつくばっていた。
一瞬だった。
王が口を開くと同時に、紫色の巨大な魔法陣がこの謁見の間の床全体に展開された。俺の攻撃が届くよりも速く。
放った大岩は、王のすぐ手前の床に急速落下して砕けてしまった。まるで見えない何かにはたき落とされたかの様に。
いや、『はたき落とされた』と言う表現は恐らく正しくないのだろう。
「ッ……重力魔術!?!?」
顔もろくに上げられないほどの重量が、俺の体にかかっている。
周囲の空間も歪んでいて、そこかしこからミシミシと軋む様な音が聞こえる。
間違いない。念力系というよりは、重力操作系の魔術だ。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッッッ」
動けない。それどころか指の一つすら動かせない。仮に動かせたところで、魔術は届かないだろうが。
いや、火炎や旋風系の魔術なら、重力(?)の影響を受けないのかもしれない。
まあもっとも、肝心の魔術を放つための掌を持ち上げられないから、もう意味のない話だが。
「ふはははは! 魔術師のくせに杖も持たぬものだから、リディアンに並ぶ神童かと思っていたが、なるほどただの阿呆だったようだな!!」
「ッ……!」
「それくらいで終いにしてはいかがですか陛下。彼はもう戦意を失っております」
黄金の広間で王が高らかに笑う中、巨大な扉が開く音と共に、一人の女性の声が加わった。
「貴様か。横槍を入れるなと言ったはずだが?」
地面に突っ伏している俺の背後からやってきた女の言葉に対し、王様は露骨に声音を暗くして応えた。
誰だろう。誰が入ってきたんだ?
ていうか、なんでこの重力場の中で平然としていられるんだ?
「あまりその少年をイジメると、妹君が口を効かないとおっしゃっておりましたが」
「……」
しばらく広間に静寂が訪れた後。床に浮かんでいた紫色の魔法陣が霧散して、俺は重力場から解き放たれた。
「あ、あなたは……」
わけもわからぬまま、よろよろと立ち上がると、俺の前には見覚えのある髪色をした女がいた。
「先ほどは済まなかったね、ディン」
赤みがかったオレンジ色のに黄色のメッシュが入った、まるで熱帯地域の鳥のような髪を持つ女性は、横目で俺を見据えながら、ウインクした。
「何で僕の名前を……」
「其奴が先ほど話題に上げた『ルーデル』である」
王様はやれやれとため息を漏らしながらそう言うと、ルーデルはその豊満な胸をググッと張った。
「え」
ルーデル。そう、リディの隊で副隊長を務めているという人物。
セコウ曰く、国中にいるその騎士団員の中で、他の隊長達を含めても五本の指に入ると言われるほどの実力者だ。
そして、先ほど市街を逃亡していた俺を瞬殺した女性でもある。
「女性……だったんですね……」
そんな豪快な肩書を持つ人物を、俺はてっきり男性だと思っていたが……どうだろう。
目の前に立つのは、美しい髪を靡かせたナイスバディの歳若い美女だ。
「ふふ、驚いたかい?」
「くだらんな。性別なぞどうでも良かろう。現に、貴様が指一つ動かせん重力場のなかで、其奴は素知らぬ顔で立っているのだからな」
「ッ……」
やんちゃそうな笑顔で笑いかけるルーデルを前に唖然とする俺に、王様は辛辣な評価を投げてきた。
当然ながら、俺は王様のお眼鏡に敵わず印象最悪と言ったところだろう。
「まあまあそう言わずに。
——して、謁見も済んだ事ですしそろそろ次の場所に連れて行くお許しを……」
「構わん、さっさと行け」
王様は詰まらなそうな顔をして、手をピッピッと縦に振った。
「え、僕逮捕されるんじゃないんですか?」
「逮捕なんかされないよ、もともと君はここに連れてこられる予定だったのさ!」
不安が内心で渦巻いていた俺の顔を覗き込みながら、彼女はまたニコリと笑った。
理由はさっぱりだが、それを聞けて少し安堵した。
「何を言っている。城壁の破壊、兵士への攻撃、街での魔術の無断使用。後でしっかりと罰は受けてもらうぞ」
釘を刺すような王様の言葉で、緩みかけていた俺の表情は、再び凍りついた。
ーーー
謁見を終えた俺達は、広間から出て再び長い長い廊下に立った。
「いや〜 相変わらず偏屈な王様だねぇ」
伸びをしながら俺の前を歩きだしたルーデルが、のらりくらりとした口調でそう言った。
掴みところの無い雰囲気は、どこかリディに似ている。
「あ、はは、そうですね」
王が聞き耳を立てていたら絶対にまずいので、適当に流しておく。
「でも、それだけ君が期待されていたということさ〜! 実際君は凄かったしね!」
「……」
そう言って俺の肩を叩いてくれたルーデルを前に、俺は意図せず口を閉ざした。
凄い……なにが凄かったのだろうか。見習い程度の騎士に苦戦して、ルーデルには瞬殺されて、王様とは……もはや勝負にすらなっていなかった。挙句酷評の嵐だったし。
「君が戦ったレキウス君は見習いといえど、この国を守護する騎士団でも指折りの実力者さ。彼の父上ほどではないが、受け継いだ魔剣も上手く使いこなせていたしね」
魔剣。そうか、あいつの持っていた武器は魔剣だったのか。
大方、武器を召喚するか、どんな武器にでも変形するという類のものだろうか。
「……ルーデルさんにも魔術王にも惨敗しましたけどね」
「なにもそう悲観的になる事はないさ、私だって万全の君と……って、あ、そういえば済まなかったね」
彼女は突然足を止めて、俺に向き直り頭を下げてきた。
「はい?」
「ほら、逃げ出そうとした君に火炎魔術浴びせちゃっただろう? その場ですぐ治療したとはいえ、痛かっただろうから……」
「あ、いえいえ」
「悪かった! レキウスの容態を確認するのに必死で、つい反射で魔術を——」
一つの疑問にかられて、歯切れの悪い返事をしたせいか、ルーデルはさらに深々と頭を下げてきた。
「あーそんなに気にしてないですって! それにこちらこそ、ルーデルさんが治療をしてくれたんですね、ありがとうございます!」
「そうかい……? でも用事が済んだら、念のため回復術師に連れて行くからな」
「あ、はい」
この人、単独で重傷の俺を治療したのか。
相当高度な治癒魔術……もしくはポーションを持っているのか。
じゃあ結局、何やっても負けてたじゃねえか。
「「……」」
その会話を境にしばらくの静寂が訪れ、広さの割に人気のない廊下には、二人の足音だけが響いた。
「……それに、魔術王との勝負は仕方ないさ〜」
俺がその空間の中で、どうしようもない無力感に苛まれて俯きかけた時、ルーデルは場を持ち直そうとばかりに口を開いた。
「あの魔術はどうしようもないからね〜」
前を歩くルーデルは『無理無理〜』と、指をピンと伸ばして手揺らした。
「そういうルーデルさんは、どうにかできてたじゃないですか」
「タネを知らなければ、誰にだってどうにもならないってことさ」
「タネ……か……」
あの重力魔術には何か種があったかのか……で、それを見破れば対処は可能か。
見当も付かないな。
「——さて、そろそろ着くかな」
謁見の間へと続く長い長い廊下を歩き終え、T字路に差し掛かったところでルーデルは後ろを歩く俺に向き直って笑った。
「どこに?」
「みんなのところさ! 会いたかったのだろう?」
鼓動が速まるのを感じた。
自然と口角が上がる。
長かった。リディやセコウ、それに王女。ようやくみんなと再会できるのか。
弾む思いで、俺は再び歩き出したルーデルの後を追った。
ーーー
長い長い廊下を右に曲がって、さらに少し歩くと壁側には一つのドアがあり、ルーデルはそこで止まった。
「ここだよ。この奥にみんなが待ってる」
俺は扉を前に一呼吸置いて、勢いよくドアノブを引いた。
「お! ようやく戻ってきたかディン!」
ドアを開けるとそこに広がっていたのはだだっ広い応接室。そしてドアのすぐ目の前には、ちょうどロジーが立っていた。
「ちょうど今から様子見に行こうと思っていたんだ!」
「馬鹿を言うなロビンマスク。貴公がこの広い城で目的地に無事に辿り着けるわけがなかろう」
満面の笑みで俺の肩に両手をかけるロジーを横目に、部屋の奥のソファで紅茶を飲んでいたトリトンが鼻息を漏らす。
「誰がロビンマスクだ! テメェみてぇな名前も碌に覚えらんねぇ奴に言われたかないね! 没落貴族が!!!」
「取り消せ。でなくばジョニー、貴公が消えることになるぞ」
「誰がジョニーだよてめぇぇぇぇぇえ!!」
そして始まるいつもの喧嘩。
しかし、今回止めに入ったのは俺ではなく——
「お前らいい歳して人様の城で騒ぐな!」
今にも取っ組み合いになりそうな二人の間に割って入ったのは、眼鏡をかけた長身の〝トリトンによく似た〟青年だった。
「セコウさん!!!」
「久しぶりだなディン、無事で良かったよ」
ロジーとトリトンにヘッドロックをかましながら、セコウは穏やかに笑った。
「いえ、こちらこそ本当に無事で良かったです……」
失っていたはずの両足も戻っているのを……いや、それどころかこうして元気に動いているのを見て、一つ胸の支えが解消された。
「……あ」
感動の再開に言葉を交わし合う中、ふとトリトンが座っていたソファの奥、そこにあった一人用の椅子に座っていた少女と目が合った。
王女の姿だ。
目が合った彼女は、お淑やかな態度を崩さぬまま、膝の上で開いていた本を閉じて、こちらに軽く頭を下げた。
その隣にはクロハ、そして何故かレイシアもいる。
本当にみんないる。あとは……
「おかえり、ディン」
最後に残った一人の姿を求めてキョロキョロと部屋を見回していると、部屋の奥にあった扉からちょうど出てきた男が、俺を見てそう言った。
その言葉に対して、俺は精一杯の笑みで返した。
「はい、ただいま戻りました。リディさん!」